12. 二度目のアジールに来た
今回のお話は「二度目の自助グループ」について。
同じような悩みを抱えた方にも、少しでも届けばと思っています。
その週末のアジールにて。
「雪白さん、雪白さん、雪白さん〜!」
「どうしたのアカリさん、ちょっと落ち着いて」
「小百合が、小百合が〜! ううっ」
一ヶ月ぶりに雪白に再会するとあかりは感情が溢れた。夜遅くまで眠れなかったあかりは遅刻していた。
だから、会場には先に三人の参加者がいた。他にも三人の参加者がいたが人目を気にせず雪白に詰め寄ってしまう。
それくらい小百合に言われたことはショックだった。
「それはまた聞くとして、先月の参加費は持ってきたかしら?」
「う……すみません」
先月スマホだけ持ってきたあかりは財布を持っておらず、五百円の参加費を払っていない。反省してちゃんと今月分の参加費を足して千円を渡す。
千円に涙が落ちてきて、雪白はあかりにすあるように促す。
「そんなことがあったの」
前のように対面で立板に水のように話すあかりにマイペースに傾聴する雪白。他の参加者は不思議そうな視線を向けている。
「まさか地域活動支援センターに昔の友達がいるなんて、世間は狭いのね。でもよかったじゃない」
「よくないです! だって話しかけるなって言われたんですよ」
「小百合さんなりに事情があったんじゃないかしら、何か辛いことがあったとか」
あかりはまた泣いてティッシュで顔を拭いていたが、その言葉に思考を巡らせる。
確かにキリンにいるということは病気か障害のどちらかを持っているということだ。快活なクラスの人気者だった小百合にはイメージが結びつかない。
あかりのように大人になって発達障害は発覚したりするのだろうか。何か辛いことがあって鬱病になってしまったとか?
「きっと大丈夫よ、気楽に待ちましょ」
「そんなぁ……私、これじゃもうキリンに行けませんよ。ただでさえ体力なくて行くだけで精一杯なのに」
しかも体重計にまで乗ってしまった。今でも後悔してる。
「それにしてもちゃんとノートの内容を守ってくれたのね。まずそれがびっくりね〜」
「そりゃ、そうですよ。雪白さんがやれって言ったんじゃないですか」
「初対面のおばあちゃんのいうことをどれだけ信じてくれるかな? とは思っていたのよ」
確かにそうだ。今ではあかりは雪白だけが頼りと心の支えにしているが、会うのは三回目なのだ。個人的な友人でもないから連絡先の交換もしていない。
急にあかりは心細くなった。アジールに行かなくなったり、もしくはアジールが閉会したら雪白には会えなくなる。そうなったらあかりは何を頼りに生きていけばいいのだ。
「大丈夫よ、私はアジールをしばらく閉めるつもりはないから」
「そう、なら……いいですけど」
もう少し詳しく生活の変化を聞かせてくれと言われた。
あかりは正直に伝えた。病院に行って、アジールにもこうしてまた来た。
でもキリンにはとても毎日いけない、なんとか力を振り絞っても週に二、三回しか行けない。しかも、午後から行って、プログラムも参加できず、ソファで寝てばかりだ。
「こんなつもりじゃなかったんです。あんな簡単なことすぐできると思ったのに」
「あらら、偉いじゃない。ちゃんと行ってるなら合格よ」
「でも、こんなことじゃいつまでも働けない! 家から出られないじゃないですか! ……どこかで思っていたんです。私はやる気を出せばすぐ働ける、けど今はその気がないだけだって」
雪白は少し厳しい目をした。
「辛いでしょうけど、それも必要なことよ。自分の力の限界を知るってことは。自己覚知ね」
「じこ、かくち?」
「自分を知るってこと。
今のアカリさんは前のアカリさんとは違う。できると思っていたことをできないと知った。自分を知るって結構辛いことだからみんな避けてしまう。
できないことを直視することは痛みが伴う。
でも、自分を知ることから全てはスタートするのよ。アカリさんはこの一ヶ月で確かに成長したわ」
「私、成長したん、ですかね……?」
確かに前よりは自分が分かった気がする。
やる気になれば働ける自分のつもりだったが体力のなさで無理だと悟った。
病院に行ってうつ病と診断された。小百合にまた会うこともできた。体重まで知る羽目になった。
とっても自分が情けなかったのだが、それは成長だったのだろうか。そう思うと感じた痛みたちが少し愛おしく思えた。
「ええ、確かに成長したわ。私はそう思う」
「雪白さん……」
今度は安堵して泣いてしまう。あの痛みには意味があったのだ。そう思うと少しだけ大嫌いな自分を認められた気がする。
「そんなアカリさんにプレゼント! じゃーん!」
雪白は突然ひょうきんな口調になり。バッグから二つのものを取り出す。
それは変わったイヤホンと色の薄いピンクのサングラスだった。
「前に話した時、アカリさんには感覚過敏があるんじゃないかって思って」
「カンカクカビン……あ、聞いたことあります。本に書いてあった」
「私たち発達障害は感覚過敏、または感覚鈍麻を持つことが多いわ。音や光をキャッチし過ぎて疲れやすくなってしまうの。これをつければ和らぐからちょっと試してみない?」
あかりはキョトンとした。感覚過敏は本には書いてあったがまさか自分が当てはまるとは思わなかった。
(こんなもので何か変わるのかな?)
恐る恐るピンクのサングラスを掛けてみる。なんだか眩しさが軽くなった気がする。
今度はイヤホンをつけて先についてる装置のスイッチをオンにしてみると途端に世界が変わった。
「あれ、なんか……音がよく聞こえる?」
「あらら、効果があったみたいね」
雪白の声がさっきよりブレずに聞こえる。あかりは騒がしい場所にいると目の前の相手の声が聞こえなくなる。
今のアジールは自分たちの他には三人しかいないからまだマシだが、人の多いカフェなどでは話ができない。
「えー? なんか違う……こんなによく聞こえるのに世界が静かって不思議」
さっきとは世界の煩さが違う。サングラスも目の疲れが減ったような気がする。
雪白は両手を合わせて明るく笑った。
「よかった〜。知り合いに頼まれた感覚過敏セット、アジールで体験コーナーを作ろうと思っていたのよ」
「ええ、これプレゼントじゃないんですか?」
「ごめん、冗談よ〜」
「雪白さん酷い〜」
雪白は独特の間延びした口調で右手にある机を指し示す。三角に折られた黄色の色紙に「感覚過敏グッズ体験コーナー」とマジックで書いてある。あかりは肩を落としたが内心流石に貰うのはどうかと思っていたので安堵した側面もあった。
「でも、どちらかだけなら一ヶ月くらい貸してもいいわ。来月のアジールで返してくれればいい。どうかしら?」
「そうですね、どちらかというとこのイヤホンの方が効いている気がします……た、多分」
サングラスも少し視界が楽になった気がしたが、イヤホンの音の聞こえ方の変化の方が大きい。今日のアジールは人が少なくて、音自体が少ないので確信はなかったが帰りの電車に乗れば分かるだろう。
「こっちにします。あの、雪白さん、例の紙なんですけどまた貰えますか?」
紙とは次のアジールに来るまでにやることだ。前の紙に書いたことは全てできた。次することはなんだろう。
雪白はノートを取り出すと一行だけ文章を書いた。「来月にアジールに来るまで同じことを続けること」。
「今のままを続ける、ですか? でも、もう出来たのに」
全然違うことを言われると思っていたあかりは少し落胆した。もっと何もかもを変えるような方法を雪白なら知っていると思っていた。
「でも、今も地域活動支援センターに行くだけで精一杯なんでしょ? 病院だって続けていかないと効果が出ないわ」
「う」
確かにキリンには午後に起きて、なんとかたどり着いているだけだ。
お菓子作りのプログラムをこなす他の利用者をソファの上から眺めていただけの日もある。行けている、というには色々と足りない。病院も効果がよく分からず、ついサボってしまいたい気持ちがある。
「継続が大切よ。まだ始まったばかりじゃない。結果がすぐ出ない分、続けることって一番難しいわ。発達障害の人はすぐ結果が出ないことをやめてしまいがちだから尚更よ。今月、アカリさんは新しいことに挑戦した。それを続けることが次の課題です」
雪白はもう一度ペンを取り出して一行だけノートに追加した。
「それじゃ、これだけ追加しておこうかしら」
そこには「発達障害の本を三冊以上読むこと」と追加されていた。
帰りの電車に乗ったあかりは驚愕した。
(すごい! 世界がとっても静かだ!)
電車の音がずっと苦手だった。車輪とレールがぶつかるたびに背筋が硬くなったし、反響した音が頭の中で長い間響いた。
それが雪白に借りたイヤホンをつけて、くっついている小さな機械をオンにすると随分静かになった。完全に聞こえなくなるわけではないが、半分以下になったと感じる。
実はあかりはアジールに行くたび電車に乗ることが憂鬱だった。電車の音は本当に苦手で、大学を中退した理由の一つだ。
二十代の頃はこれじゃダメだとアルバイトをしたこともあるが三ヶ月も保たなかった、その理由の一つが電車の音だった。
その悩みが今、テクノロジーによって解決した。または雪白の知識によるものだろうか。
(こ、これなら、私、電車通勤できるかも!? 働けるかも!?)
実のところ、電車通勤ができないのに「やる気になれば働ける」と思っていたあかりだった。
電車は空いていて、あかりは座ることができた。アジールは少し駅から離れていて、その距離を歩くことがあかりには辛かった。雪白は杖をついているのに平気なのだろうか。それともそのくらいの体力が世間では普通なのだろうか。
(普通ってなんなんだろう。そういえばお母さんが言ってたっけ、小さい頃からとにかく普通でいなさいって……いい子にしなさいって)
だから、いつも普通になりたかった。でも小学校の頃からあかりはクラスから浮いていて、成績もパッとせず、普通にもいい子にもなれなかった。
そういえばあかりはずっと母が好きな子供で、いつも「世間に顔向けができない」という母に申し訳なかったことを思い出す。
(お母さんは普通のいい子が好き。だから私はもうお母さんに好かれることはない……だから家を出ないと)
暗い気持ちになり、あかりはスマホで「今日も自助グループに行けました」と桃プリンにメッセージを送った。五分後にそのメッセージにいいねがついてホッとする。そのことがなんだかとても嬉しくてその画面を随分長い間見ていた。
「あ、あれ!?」
そしてあかりは気付いた。降りる駅から随分遠いところに来てしまった。
この話がどこまで実話でフィクションかは内緒なんですが、これだけは事実です。私は自助グループで雪白さんみたいな人に会って人生がいい方向になりました。自助グループに限らず会えるなら人に会ってみるものだなと思います。
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次回は「小百合の話」を書く予定です。ぜひまたお立ち寄りください。
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