「たばこは喫煙所で吸おう」
ざっと1時間ほどの遅刻をしてしまった俺は半開きの電車のドアをするりと抜けると走って待ち合わせ場所に向かった。
なるべく責められたくなかったので、俺は反省していますよ感を出しながら、走る動作をしつつもスピードは赤ちゃんのハイハイより遅いスピードで、そんなかんじの速度で待ち合わせ場所に向かった。
隣駅に聞こえるくらいの轟音を発していた工事現場は、今では息をする音すら聞こえない、息をする音を発することすら許してくれなさそうな、そんな異質な雰囲気を醸し出している。
このコンクリートと鉄の塊を見てしまうと、白く輝く競技場の完成図がなんだか哀れに見えてくる。
一面の鼠色を隠すために、競技場に着せられるウェディングドレス。
山ほどの婿がその花嫁の中を使い荒らしてゆく姿。
人間の欲望のためだけに従順に人間に従う創造物達。
恐らくこの創造物達の中には人間もちゃんと含まれているんだろう。
工事現場と奥の高速道路の下で誰かが吸っているたばこを見ていると、そんなことを考えてしまった。
まぁ高速道路の下は真っ暗だから煙草の火しか見えないのだが。
タバコを吸っている奴が暗闇から出てくると、そいつが女だということに気が付いた。
女はこちらを全く見ていなかった、でも見ていた、いや、捉えていた。
目で見ていなくてもその耳が、肌が、唇が、そしてその殺気が、俺の事を捕らえていた。
俺はメッチャ帰りたくなったが、ドタキャンなんてしたらぶち殺されそうなので仕方なく声をかけようとした。
しかし俺は声をかけるのを踏みとどまった。
なぜかというと、彼女から放たれているとてつもない殺気が、俺ではなく俺の背後に向けて放たれているという事が分かったからだ。
それに気が付いたとたん、俺は少し足がすくんでしまい2歩ほど後ずさりした。
いや、本来ならもっと後ろに下がっていただろう。
それに当たっていなければ。
グチャッと、まるで腐った肉を真空パックに詰めてつぶしたかのような音を立て、俺の自慢の一張羅にシミを付けたそれは変な感触で、そこに何があるのか気になった俺は後ろを振り返った。