28. 勝敗の行方
競技会場に入ると、ちょうど殿下がウォームアップを終えたところだった。練習用の的は、全てど真ん中に矢が命中していた。
正面から僕を見据えるのは、敵を射抜く戦士の目。殿下は勝つ気でいる。
僕たちは今だけ主従関係を捨てて、持てる力を出し切る勝負をする。それが対戦する相手への敬意であり礼儀だ。
バシィッ
僕が先に射て、殿下がそれを追う。一本、二本……。殿下は危なげなく、的の中心を確実に射る。すごい集中力。これが殿下の実力。
力は互角。いや、違う。中心の円に当てているとはいえ、僕の矢は左右に僅かにブレる。殿下の矢はどれもど真ん中だ。1ミリの狂いもない。
バシィッ
ほんの少しでも気を抜けば、勝ちを持っていかれる。どんな小さなミスも許されない。
もしこれが最前線なら、己の失敗は味方の死に繋がる。命を賭けたギリギリの勝負。
バシィッ
国を守るためには、わずかな隙すら作ってはいけない。敵にそこを突かれれば、多くの犠牲が出る。
王太子に仕えるというのは、こういうことなんだ。殿下はそれを、理論ではなく実践で僕に示している。僕の覚悟が問われている。
負けられない。負けたくない。このプレッシャーにつぶれたら、僕は愛する者を守りきれない。
勝てる実力は十分にある。あとは己の弱さを克服する精神力が決め手となる。
殿下は僕が対等に戦えると信じている。じゃなければ、これほど真剣に挑んではこない。これは僕に対する敬意だ。その期待に応えたい。
バシィッ
五本目も真ん中に命中した。殿下は次も当てて来るだろう。長期戦になる。
僕は手の甲で額の汗を拭った。不思議と疲れは感じない。むしろ、信頼できる相手と限界まで挑戦できることに、気持ちが高揚する。
そのとき、殿下が観客席に向かって微笑みかけた。見上げると、そこには泣きそうな顔をしたクララがいた。
幼い頃の果樹園の出来事を思い出す。あのときと同じ。ずっと胸に焼き付いて消せない記憶。それが不意に目の前に蘇る。
バシィッ
殿下が放った五本目の矢は、少しだけ中心を外れていた。会場がワァっと湧いて、僕の勝利が決定する。
違う。僕が勝ったんじゃない。なぜ? どうして殿下はこんなマネを。僕が負けると思って、情けをかけたのか。クララを戦利品にしないために、わざと的を外して。
気まずそうにして目を合わせない殿下に、僕は笑顔で対戦後の握手を求めた。
試合は放棄したものが負ける。殿下は勝負で決してしてはいけないことをした。これが戦場なら、殿下はもう死んでいる。
だから、これは僕の正当な勝利だ。それなのに、敗北感でいっぱいになる。
僕は勝負に夢中になって、周囲が見えなくなっていた。いつの間にか勝つことが目的になって、クララのことは思い出しもしなかった。
優勝トロフィーが手渡され、僕は嬉しそうに笑って見せた。冷静に大人の対応を装っているけれど、心には動揺が嵐のように激しく襲い掛かってくる。
閉会式が終わると、僕は控え室に戻った。競技服を脱いで、上だけ新しいシャツに着替える。
今ならまだ、クララはその辺にいる。少しでいいから話がしたい。
会場を出たところで、クララたちの姿を見つけた。追い付いて声をかけると、嬉しそうに僕の活躍を褒めてくれた。
「ありがとな。すぐ準備するから待ってて。一緒に帰ろう」
「でも、これから祝賀会じゃ?」
クララは不思議そうな顔をする。そんなものがあったとしても、今は出る気にもならない。
「もうそんな気力ないよ。それは明日」
「私は先に帰るわ。ちょうど本屋に寄りたいから」
ヘザーはそう言って、僕にだけ分かるようにウィンクした。わざとクララと二人っきりにしてくれる。
つまり、貸しイチということだ。いつか倍返し要求が来るだろうけど、借りは必ず返す。それがフェアだ。
クララを外に待たせて、僕は控え室に戻った。せめてシャワーを浴びたい。こんな汗臭い格好では、クララに近寄れない。
「どこに行ってたんだ。探したぞ」
「お前こそ、こんなとこで何してるんだよ。殿下の護衛は?」
控え室でカイルが待っていた。集中した後は疲弊するので、誰もここに来ないよう言ってあったのに。
「その殿下から伝言だ。話があるからVIPルームに寄ってくれと」
「俺には話すことなんてない」
「最後の一本のことだろ。言い訳を聞いてやれよ」
「それなら尚更だ。バカにしやがって」
「言い過ぎだぞ。殿下には殿下の考えが……」
「いいから放っておいてくれ」
殿下はわざと負けた。僕を侮ったんだ。遠い昔の、果樹園での勝負と同じように。あの日の屈辱を糧にして僕がここまでしてきた努力を、簡単に踏みにじった。
「シャワーを浴びるから、もう出ていけよ」
「ここは水しか出ない。疲れた体にはきついぞ」
「外にクララを待たせてるんだ。ぐずぐずしてられない。」
シャツを脱いで上半身裸になったところで、体がふわっと暖かい空気に包まれた。カイルの浄化魔法。浴槽につかった後のように、体から石鹸の香りが立ち上る。
「お前、人前で魔法は使うなって、あれほど……」
「いいから、早く行けよ。この辺りは治安がいいとは言えない」
「あ、ああ、そうか。悪い」
「後のことは気にするな」
カイルはそう言い残して、すぐに控え室を出ていった。一言も祝いの言葉をかけてこなかったのは、あいつの思いやりだ。
僕を連れずに戻れば、カイルはその理由を殿下に説明することになる。面倒な役目だ。僕の態度をそのまま伝えるには、カイルは僕にも殿下にも優しすぎる。
それでも、今は殿下の話は聞きたくない。聞く気にもなれない。何を言われても、もう殿下を信頼できないと、僕はそう思った。




