21. 許婚の恋人(クララの視点)
火照る頬を両手で押さえても、ドキドキはなかなか収まらない。そのまま図書館前でぼんやりしていると、背後から声がした。
「学園内で何してんだよ。節操ないな」
振り向いて確かめなくても分かる。こんな言い方をするのはカイルしかいない。ローランドの思い人。
腕と足を組んで、カイルは向かいの校舎の壁にもたれかかっていた。
毒舌なのに、その声には柔らかさを感じる。耳に懐かしく響くのは、知っている人の声に似ているから?
つい最近、その声を聞いた気がするのに、それが誰なのか、どうしても思い出せない。
「何もしてないわよ。なんでここにいるの?」
「呼ばれたから」
「誰に?」
「知り合い」
カイルはアレク先輩と知り合いなんだ。意外な組み合わせ。
「じゃあ、入ったら? 中にいるよ」
図書館のドアを指差して言うと、カイルは私の目を見ずに答えた。
「暗いから送ってく。どこ?」
「え、いいよいいよ」
「いいから、行くぞ」
行き先を告げると、カイルは私の前をスタスタと歩きだした。こうなってしまっては、もう黙ってついていくしかない。
確かに歴史あるレンガ造りの学園は、夜はちょっと不気味。こういう時間にはおばけが出そう。
「カイル、あの、ありがとう」
ローランドは嫉妬深いから、カイルにはあまり近づかないようにしている。カイルも私とそれほど親しくしようとはしない。
カイルにとって、私は恋人の許婚。いくら名ばかりと言っても、学園内で公認カップルみたいな扱いに、いい気持ちはしていないと思う。
カイルが別方向へ行こうとしたので、私は弓道場の方向を指差した。
「あ、こっちが近道だよ」
「そっちはダメだ」
「なんで?あ、そうか。まだ弓道場にローランドがいるんだ」
「もうすぐ大会だ。雑念はないほうがいい」
私とカイルが一緒にいるのを見たら、精神集中できないから?そういう気遣いができる人。
カイルはローランドのこと、本当によく分かってるんだ。これが偽の許婚と真の恋人の差……。
迂回路は森が近くて暗いし、石畳なので足場もよくない。私の歩幅に合わせて、カイルが歩くスピードをゆるめてくれた。
さりげない優しさ。ローランドはカイルのこういうところが好きなのかな。私も見習おう。
「そういえばね、さっき、ローランドから結婚の相談をされたよ」
沈黙の気まずさに、私はカイルが食いつきそうな話題を振ってみた。
ローランドは、父親の説得に協力してほしいって言ってきた。許婚の私を味方につければ、うまく話が運ぶと思って。
相変わらずの甘えん坊。私がいないと、何もできないんだから!
「結婚?」
「うん」
「いつ?」
「早くても卒業してから」
「そう」
「カイルもそれがいいでしょ?」
カイルが不意に立ち止まった。そして、ゆっくりと私のほうを振り向く。群青色の瞳が夕闇にキラっと光った。
「別に」
「何それ、無関心」
「俺には関係ない」
「え、なんで? 気になるでしょ? 」
当事者が関係ないわけない。その証拠に、カイルはそのまま固まってしまった。動揺している? もしかしたら、同性愛者だって知られたくなかったとか?
世間体を考えれば当たり前だ。覚悟ができてカミングアウトするまでは、結婚話は進められない。それが普通。
やっぱりローランドが焦り過ぎなの。少し冷静になるまで、結婚のことは先延ばしにするほうがいい。
「カイルの気持ち、分かってる。ローランドには、すぐは無理だって言っておいたから」
なぜかカイルは、意外そうな表情を浮かべる。もしかして、即で結婚したかったとか? 私、間違った?
「確かめもせずに、勝手なことしてごめん。ダメだった?」
「そんなわけないだろ」
カイルが私から目を逸らす。困ったような、苦しそうな声。いつもの無表情が崩れるくらい、カイルはローランドとの道ならぬ恋に悩んでる!
「忘れてくれ。気づかれるって、思わなかったんだ」
ローランドにあれだけ牽制されれば、私どころか誰だって分かるよ? バレバレだったよ。
「私、そんなに鈍感じゃないけど」
「それは誤算だったな」
この恋は茨道。カイルはこれが一般には受け入れ難いって、ちゃんと分かってる。
それなら、私はもう言うことはない。カイルの理性を信じよう! ここは知らないふりをするのが、信頼に則る仁義というものだ。
「分かった。忘れる」
「悪い」
「ローランドの気持ち、知ってるよね」
「あいつには、幸せになってほしいと思う」
ローランドには公爵家継承という使命がある。結婚して子を成すのに、この恋は障害になる。カイルはその事実ときちんと向き合っている。大人だ。
「ヘザーが待っているし、もう行くね」
「ああ」
私は部室棟へ向かって歩き出した。目的地はもうほんの目と鼻の先だ。
「待って」
カイルはそう言うと、ふいに後ろから私の肘を掴んだ。
「今日のことは、本当に全部忘れて」
「う、うん。大丈夫」
「ごめん」
「そんな。当たり前だよ。私たち友達でしょ?」
恋敵じゃなくて友達。腕をつかんでいるカイルの手に、少しだけ力が入った。そのカイルの手を、私は励ますようにポンポンと叩く。
「好きでいるのは自由だよ」
「そうだな。それで十分だ。ありがとう」
「いやいや、全然!」
何が最善かなんて分からない。でも、二人には幸せになってほしい。
「俺は、あんたの味方だから」
カイルはそう言うと手を離して、もと来た道を走っていってしまった。
味方なんて言われると、なんだか心苦しい。ローランドの情熱よりもカイルの判断を後押ししてしまった気がする。
でも、それは同性愛だから。カイルが女子だったら、私は全面的に応援できた……と思う。
ずっと特定の相手を作らなかったローランド。その初めての恋人カイルに、私は息子を取られたみたいな、説明がつかない感情を持ちはじめていた。
『鈍感男爵令嬢クララと運命の恋人 ~ 選ばれし者たちの愛の試練~』の「14. 許婚の恋人」と同じイベントが発生しました。




