01. 賢者の弟子
今になって思えば、不思議な巡り合わせだった。
それは王都の市街地。女子に人気らしい『占いの館』の前。旅行者と思われる団体が、その建物に入ろうとひしめき合っていた。
集団で移動する女子グループが、すれ違いざまに老人を車道側に押しのける。その人が足を踏み外して躓いたというのに、誰も気付かない。
「大丈夫ですか。歩けますか?」
僕はその人を助け起こして、近くのベンチに座らせた。買ったばかりの熱い飲み物を渡して、転んで汚れたズボンの土を払う。
「怪我は?あいつら、ほんとひどいな」
「若い娘さんたちは、楽しいことに夢中ですからな」
「マナーがなってないですよ」
最近、東国からの観光客が増えた。年の頃は14歳くらいで、スカートの丈が恐ろしく短い。破廉恥カフェ女給の慰安旅行なのかもしれない。
「ありがとう。あなたは……」
「ローランドといいます。あやしいものではないので、安心してください」
「そうですか。お手が汚れてしまいましたな」
ズボンをはたく僕の手を取ると、その人はそのまま掌をじっと見つめた。町人風を装ってはいるけれど、僕の手は貴族のものだ。見る人が見れば身分がバレる。
逆に、この品のいい紳士のゴツゴツした大きな手は、紛れもなく労働者のもの。もちろん、年齢的にすでに隠居している可能性もある。
とにかく、怪我がなくてよかった。
「弓ですね。ずいぶんと練習熱心なようだ」
「ええ、まあ」
掌の弓ダコをみて、その人はニコニコと笑う。手を引っ込めようとすると、ぐっとつかまれた。老人なのに、思いがけず力が強い。
「恵まれた運を持っておいでだ。それなのに、決して努力を惜しまない。あなたの美徳ですな」
「もしかして、占い師ですか」
東国には、掌で運命を占う者がいると聞く。見えないものを視るのは魔力。つまり魔術師ということだ。
その人は『占いの館』を指して、こう言った。
「それは私の師匠です。今日はあそこに出ているので、その様子を見に来たんですよ」
「へえ。当たるんですか?」
「それはもう。先見だけは、師匠の右に出るものはおりません」
「興味深い仕事ですね」
未来を見る力。有名なのは賢者の予言だ。過去も未来も時空も超えて、異次元を自由に旅するという賢者も、西国にいる最後の一人を残すだけとなった。その力も伝説の域を出ない。
「特に今日は、道標が立つ重要な日。師匠も張り切っているようです」
「道標?」
「ええ、歴史の分岐点に向けて、選択肢が提示されるんですよ」
歴史の分岐点?選択肢?なんのことだか、さっぱり分からない。たぶん特殊用語。占い師は専門職だ。
「だから、ここにいれば、きっと彼女に会えると思いましてね」
「彼女?」
「運命の女性です」
「奥さんですか?」
「いえ。幼馴染になるんでしょうか」
僕にも幼馴染がいる。生まれたときから家族ぐるみで付き合っている一つ下の女の子。折々の公式行事ではパートナーを務めているけれど、田舎臭くて垢抜けないガキなのに人目を引く。
「あなたにも、そういう存在がおいででしょう」
「幼馴染ですか?」
「いえ、恋する運命の相手です」
「恋……」
「私はね、彼女にずっと恋をしているんです」
「ずっと?」
「ええ、遠い昔から」
思い出を懐かしむように、その人は目を細めた。幾つになってもこんな風に人を思う。なんだかうらやましい気がした。
「遠くから見守るだけで、半世紀以上の時が過ぎてしまいました」
「女って案外、強引に迫られたいらしいですよ。関係を変えたいなら、今までとは違う行動を取るべきじゃないですか」
つい生意気なことを言ってしまった。でも、五十年以上もずっと同じ関係だったのなら、何もしなければこれからも変わることはないと思う。そのままで人生が終わってしまう。
こんな若造の意見なんて、一蹴されてもおかしくない。それなのに、その人は僕に優しく微笑みかけただけだった。
「肝に銘じますよ。でも、同じことをあなたにも言わせてください」
「僕に、ですか?」
「ええ。関係を変えたいなら、違う行動を取る。それはとても重要なことだ。相手に気持ちが伝わらなくては、その思いには意味がない」
「僕のことは、別に……」
「あなたにはチャンスがある」
「チャンス?」
「だが、このままでは、恋のライバルに勝てない。彼女を奪われてしまいます」
「は?それは……」
何を言われているか分からずに困惑する僕を見て、その人は申し訳なさそうな顔をした。
「余計なお世話でしたな。老人の戯言だと思って聞き流してください」
「いえ、心に留めておきます。あの、お名前をうかがっても?」
「アンダーソンと申します」
中等部からの友達と同じ姓。あいつも魔力があるし、魔術師の身内がいてもおかしくない。そういえば、この老人の面差しはあいつによく似ている。
「もしかして、カイルのご親戚ですか?」
「私に身寄りはありません。お人違いでしょう」
「すみません。よく似ていたので」
「その人は、お知り合いですか?」
「はい。すごくいいやつで」
「お友達ですか」
「親友です。すごく大事な」
「私にも、そういう友がおります。人生の宝ですよ」
その人は、とても嬉しそうに言った。占いの館まで送ろうとすると、丁寧に断られた。もう少しこのベンチで、彼女を待ちたいという。
春の日差しが温かい。渡した飲み物もまだ熱いし、しばらくここにいても凍えることはないだろう。
「じゃあ、遅くならないうちに、建物に入ってくださいね」
「ご親切にありがとう。あなたとお話できてよかった。久しぶりに昔を思い出しましたよ」
別れの挨拶をすると、その人は右手をそっとあげた。その仕草がなぜか懐かしくて、僕はなんとも言えず切ない気持ちになったのだった。