SKY 5
じりじりとした陽光が素肌を灼いて、生温い汗を分泌させる。肌を伝う汗はその自重で零れ落ちていって、熱を伴った砂利道に落ちていく。今は七月だからか、太陽の放射熱は一年で一番強いと言っても過言ではない時期であり、最も汗ばむ季節であった。それに加えて昼下がりの日光と来れば、こちらの水分を十分に蒸発させてくれる力を有している。日射病になる前に早いところ動きたかったが、人を待っているので待ち合わせ場所から動くことはできなかった。
小さな町――というか片田舎の一角、これまた小柄な在来線の駅前。駅と言っても、都会の云うそれとはだいぶその様相が異なっている。都会は地下鉄が基本であるものの、ここの駅は地上に構えられていた。複線という概念が存在しないのか単線のみの運用であり、しかも電車は二時間に一本しか来ない。都会であれば一本乗り過ごしただけで遅刻が確定するが、この地域ではあまり町の外部に出ていく人間は少ないので別にそこまで影響はないと言える。ことあるごとに都会の状況と比較してしまう僕だって、基本的には電車を利用して町の外へは出ないのだから。
額を伝う汗を腕で拭う。午前十一時近くという時間帯も相まって、太陽はその高度を限界近くまで上昇させていた。あまり長いこと待ち人などしたくはないが、そもそも僕が規定の時間よりだいぶ早く来ているので、別に文句は言えない。性格上遅刻ができない人間なので、こういった待ち合わせの場合は予定よりも充分余裕を持って待機していることが多い。待ち人が遅刻常習犯だと困るだろうが、前提として僕は友達とあまり遊んだことがないのでこのように時間を決めて会うということ自体が珍しいと言えた。
小柄な駅舎の前で軽く溜息を吐く。駅前というロケーションにありながら、人の気配というものがない。数か月前の僕なら考えも及ばない事態であろうが、最近は少しだけ慣れ始めてしまって、ちょっとだけ恐怖心を覚えている。まぁそれがこの町に馴染んできたという意味なら別に構わないのだが、学校、つまり高校に馴染んでいるとはお世辞にも言えないので、冗談でもあまり笑えなかった。
駅前にはベンチらしきものもない。経費削減という文句が脳裏をちらつくが、利用者が少ない路線は予算を減らすのが当たり前なので、鉄道が通っている時点で喜ぶべきなのかもしれない。そんなことを考えて時間を潰していると、ふと視界の端に白い影が目につく。首をそちらの方へ向けてみると、長い黒髪を伴った少女がこちらに小走りで寄ってきていた。もちろんそれは言うまでもなく水瀬であって、彼女はつばがとても広い麦わら帽子を被っていて、白いワンピースを身に着けている。その服装がどうしても彼女にぴったりで。僕は少しだけ感心してしまった。
慌てた様子で駆け寄ってきた水瀬は、僕の目の前までやってくると、膝に手をついて肩で呼吸をした。そんなに焦って来なくても全然構わないのだが、こちらに気を遣ってくれていることが良く伝わったので、なんだか温かい心持ちになる。
「走って来なくても良かったのに」
若干呆れながらそう呟くと、ごくんと唾を飲み込んだ水瀬がパッと顔を上げた。
「ごめんね、待たせたと思っちゃって」
「待ち合わせの時間は十一時なんだから、大丈夫だよ」
そう返すと水瀬は軽く頷いてくれる。それと同時に被っていた麦わら帽子が軽く前後に揺れて、なんとなくおかしかった。
そう。僕は昨日の水瀬の提案を受けて、彼女による町案内を受けようとしていたのだ。出会って間もない女の子から町案内――というより学校外で待ち合わせをするという事態がなんとなくおかしく思えたが、町について知れるのならばそれに越したことはない。どうせ高校を卒業するまではこの地に居座るのだろうし、ある程度土地勘があった方が後々役に立つかもしれないと思えた。
「それで、先に聞いておきたいんだけど」
口火を切ると、水瀬は不思議そうな表情で軽く首を傾げた。
「失礼かもしれないけど、この町に案内できるような場所ってあるの?」
町についてはほどんど知らないが、それでもこの町に案内できるような場所が存在するとは到底思えなかった。街は南北で二分されていて、北側は比較的学校や住宅街、商店街などがあり多少賑わってはいるが、南側は殆ど畑や田んぼであって目ぼしいロケーションはあまりないように思える。夏場は南北を二分する川で小さな花火大会とお祭りが行われるらしいが、それも期間限定の催しであって常設ではない。言い方は悪いが、このような片田舎に案内できる場所があるとはとてもじゃないが考えられなかった。
そのように聞いてみると、水瀬は少しだけ苦そうな顔をする。彼女の表情から察するに、やはり良い案内場所は思いついていないらしい。水瀬的にもなんとなく話の流れで僕を町案内に誘った節があるので、仕方ないと言えば仕方ないが。
「えっとね、確かにあんまり面白いというか、高校生が好きそうなところはないんだけど……ごめんね、誘う前に言っておけば良かった」
水瀬は少しだけしょんぼりとした表情をして、顔を軽く伏せてしまう。別に責めているわけではないのだが、彼女の対応には共感できる部分があった。すぐに謝ってしまう癖。それは僕にも当てはまっていて、なんとなく彼女に対して更なる親近感を覚えてしまうのだった。
「いや、良いんだよ。せっかく誘ってくれたんだし、もし見る場所がなくても、ちょっと話したり散歩するだけでも良いから」
そう返すと水瀬はパァっと顔を上げて、安心したように小さく息を吐いた。その様子がなんだか少しだけおかしくて、軽く微笑んでしまう。
「――どうしたの?」
不意に水瀬がそのように尋ねてきて、僕は緩んだ表情を元に戻そうと努めた。なんとなくこういった表情を見られてしまうのが恥ずかしく感じられてしまって。相手が女の子と云うのもあるんだろうが、少し体裁を保ちたいというのもあるのかもしれない。
「いいや、なんでもないよ。じゃあどうする? 少し辺りを回ってみる?」
これ以上追及されても恥ずかしいので、素早く話題を転換した。すると水瀬の方も別に違和感を覚えていなかったのか、賛成するように頷いてくれる。
「南の方行ったことある? 畑とか田んぼしかないけど、散歩すると気持ちが良いよ」
僕は生活の殆どを町の北の方で過ごしていたので、あまり南の方へは行ったことがなかった。確かに畑や田んぼしかないだろうが、歩くには最適かもしれない。
「じゃあ南へ行こうか。案内頼むよ」
そうにこやかに告げると、水瀬の方も嬉しそうに微笑んでくれた。
駅前から離れて僕たちは町を南下し始めた。駅を後ろ手に進んでいくと、すぐに商店街の入り口が見えてくる。ここから西側へ進むと僕の家がある住宅街や高校へ続いていて、東側は市の施設などが集中していた。この町での生活は殆ど北側で住んでしまうので、南側を訪れるのは初めてだ。北と南を分断する川には大きな――と言っても都会のそれとは比べものにならないが――橋が架けられていて、珍しく車道が二車線存在する大橋だった。何度が実物を横目で見たことはあったが、実際に渡るのは初めてだ。
商店街の中へ入ると、流石に人気というものが戻って来た。今日が休日ということもあってか商店街の中は多くの主婦で賑わっていて、このような町でありながらある程度の店舗が並んでいるのが見て取れる。昔ながらの町並みと表するのが妥当だろうか。僕は生まれていないが、なんとなく昭和の雰囲気を感じさせた。
「商店街って感じだけど、やっぱり高校生が楽しめるものは少ないよね。隣町へ行けば多少はあるんだけど」
前を進む水瀬が、こちらをちらりと振り返りながらそう呟く。確かに娯楽施設の類は存在しておらず、強いて言えば本屋はあったが、最近の若者は読書をしないので――僕はまぁまぁ読んでいるが――あまり現代向きとは言えなかった。
しばらく商店街を進んでいくと、南側の出口が見えてくる。北側の出入り口から入って一本道の構造になっていたが、やはり年頃の学生が遊ぶには役者不足感が否めない。客層が主婦層というのもあって、遊ぶなら水瀬の言う通り隣町へ行った方が良いのかもしれなかった。
南側の出入り口から外へ出ると、これまた細道が続いていて、少し先に例の大橋が見て取れた。あまり距離もないらしいが、商店街を出た途端に建築物が極端に少なくなるのは田舎らしいと言える。
水瀬の背を追い掛けながら進んでいって、しばらくすると大橋に到着する。確かに町の規模からしたら程々に大きい代物で、橋の下を流れている川の流域面積の広さを示唆していた。ここまで大きな地形的分断が存在していると、南北で様相がだいぶ異なっていることにもなんとなく頷ける。文明開化前の日本は地形的分断によって言葉や風習などが大きく異なっていたこともあって、この町の環境はそういった歴史の縮図と言えるのではないだろうか。
大橋を渡って町の南側に入ると、一気に周囲の空気感が変わってしまったように思える。それは雰囲気が悪くなったとかではなく、辺りが自然に包まれているから肺に溜まる空気が少しだけ清澄になった気がするのだ。そんな大幅に変化することなどあり得ないだろうが、気分的な問題が大きいため別に空気が綺麗だと思えるのならばそのままでも良いように思えた。
「ほら、少しだけ空気が澄んだ感じがしない?」
前を歩いていた水瀬が僕の隣に並んでくる。僕はその場で大きく深呼吸を行って、静かに彼女の方を見やった。
「そうだね。気分的な問題かもしれないけど、頭がすっきりした気がするよ」
笑顔で返事をすると、水瀬も何度も頷いて同意してくれた。
「とにかくこの辺りを歩こっか。天気も良いし気晴らしになるよ」
水瀬の提案に首肯を返して、僕たちは自然豊かな田舎道をのんびりと歩き始めた。