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WING  作者: 柚月 ぱど
SKY 後編
14/31

SKY 12

 旧道はその名の通り旧びていて、全く整備が行き届いていない。何とか一人ずつなら通れる道筋はあったものの、足場が悪く下手をすれば滑り落ちてしまうことも考えられた。僕たちは互いに互いを庇いながら――手を差し伸べ合いながら、旧道をゆっくりと進んでいく。ここまで来ればもう発見される可能性は低いはずだ。だからこそ安全に進むことができたが、隣町までどれほどの時間がかかるかわからなかった。もちろん夕方になるまでには辿り着けるだろうが、体力の消耗も激しいのであまり時間はかけたくない。できるだけ素早く抜けて行きたかった。

 お互いに助け合いながら進んでいると、少しずつ道の傾斜が緩やかになっていく。どうやら山頂近くまでやって来られたようで、歩調も少しだけ速くなっていく。当然のことながら山道は下りの方が断然楽だ。だからこそ早く山頂まで登り切りたかったが、飛鳥に聞いたところ流石に山頂まで登ったことはないので、その構造はわからないという。人が通れない状態になっていたら困るが、そこはやはり天命に任せるしかなかった。

 そんなこんなで僕たちはしばらくして、山頂まで辿り着く。木々が生い茂っていて景色は一切楽しめないが、もっと気を引くものがそこにはあった。それは山頂にある木々が少しだけはけている場所。そこには黒いスーツに身を包んだ女性――それは言うまでもなく、僕らの高校に侵入して接触を図ってきたあの女性――が手持無沙汰そうに佇んでいた。

 緊迫のボルテージが急激に上昇していく。広場に佇んでいるあの女性はまだこちらに感付いていないように思えたが、どちらにせよ旧道の存在は連中に露見していたらしい。あまり土地勘のない集団だと高を括っていたが、相手もある程度情報収集に際しては長けている部分があるようだ。見たところ彼女一人しか確認できないが、周りに何人隠れているかわからない。絶対に接触は避けるべきだ。そう思ってはいたが、内心少しだけ詰みの予感がしていた。それは昨日学校で女性と遭遇した際に彼女がこちらに素早く気が付いていたからで、もしかしたら既にこちらの居場所がバレているのではないかという恐怖がある。その感情で少し身体のコントロールがおぼつかなくなってしまうが、どう転んでも早く逃げた方が良い。そう思った僕は、背後で息を飲んでいた飛鳥に下がるよう指示を出して――

「このやり取りは二回目かしら? ――隠れていないで出てきなさい。位置はもうわかっているわよ」

 背筋を氷から融かした水のような冷たさが伝った。それは背後の飛鳥も同様なようで、彼女も再度大きく息を飲んだ。こちらの居場所が既にバレている――昨日の学校でのやり取りのリピート。この状況下で見つかってしまうのは最悪の事態であると言えた。

 しかし今はほぼ詰みのような状況だ。位置が知られている状態で逃げても応援を呼ばれたらお終いである。そう思うと大人しく姿を見せて女性に従順である姿勢を見せた方が身のためかもしれない。損得を冷静に勘定して、僕は後ろにいる飛鳥に目配せする。すると彼女もこちらの意図をしっかりと把握したのか、緊張した面持ちで頷いてくれた。

 僕は飛鳥と共に、女性のいるちょっとした広場に姿を晒す。日の光は今のところ入ってきていないので女性の表情は良く見えなかったが、それでも余裕そうな態度をしていることはわかった。

「良い子ね。もう逃げたって無駄なことくらいはわかっているでしょう。逃げるのならば昨日のうちにしておくべきだったわね。まぁ、そもそも逃がすつもりなんてなかったけど」

 昨日のうちに逃げておけばと言っても、前提として女性たちは飛鳥を今朝から張っていたのだ。そうなると逃げるとすれば昨日空を飛ぶ練習が終わった後そのままということになり、真夜中のいう時間帯も相まって現実的ではない。女性の口ぶり通りやはり逃がすつもりなどなかったようで、そういう一面から大人の狡猾さというのが垣間見える。

 僕たちは無言で女性の言葉を聞いていた。彼女はこちらが何も言わなかったことに興が削がれたのか、つまらなそうな表情を浮かべて、片手だけポケットの中に手を突っ込んだ。その動作がどういう意味を示しているのか一瞬わからなかったが、一拍おいてその意味を理解する。

「やっぱり少しは賢いようね。そうよ、広野大地。これであなたたちの現在地が仲間に周知された。まぁ単純に無線機で知らせているだけだけどね。だけど、表情に出やすいのが玉に瑕かな。せっかく出来るのに、若さが邪魔してるわね」

 相変わらず鼻につく言い方をする女性だが、そんなことはどうでも良かった。女性の言うことに嘘はないだろう。そう考えると既に僕たちの居場所は町に展開していた連中にも知らされたことになり、本格的に逃げ道が塞がれたことになる。後退することもできないとなると、基本的にはもう正面突破しか残されていない。しかし女性は無線機を使って応援を呼んだが、それでわかったことが一つだけある。それは周囲に女性の仲間がいないことだ。近くに仲間がいるなら声を出して真っ先に呼べるはず。しかしそれをしなかったということは付近に連中がいないことを顕著に語っていた。ほぼ詰みのような状態だが、それでもまだ活路はある。そのためにはまず正面にいるあのうざったい女性をどうにかする必要があった。

「ガキのくせに中々頭が回るから、色々調べておいて正解だったわ。まさか旧道があるなんてね。あんたのことだから使う可能性を鑑みて張っていたけど、大当たりよ。ここまでわかりやすいなら、そこまで人員を割く必要もなかったかもね」

 嘲るように口角を持ち上げた女性に対して少しだけ怒りの感情がこみ上げてくるが、静かに堪えた。慎重に状況を見極めろ。道は必ずあるはずだ。あのふざけた女に振り回される必要はない。お前はいつだって冷静だったのだから。

「……つまらないわね。何か言いなさいよ。もう詰んでいるんだから、少しくらい泣き言でも言わないのかしら?」

 ふと、僕たちのいる広場に光が差した。それは比喩ではない。木々に隠れていた陽光が、その高度を上げて広場に差し込んだのだ。その瞬間、太陽と僕ら、そして女性の立ち位置を分析して、神がいるのならば感謝を捧げたい気持ちになる。まだ天命は僕らに味方しているようで、活路というのはいかなる時でも見出せることを悟った。

「――そうですね。なら一言だけ」

 僕は口を開いて、女性を真っ直ぐ見つめた。もちろん目は見られないが、それでも顔を見ながら。急にこちらが喋り出したことに違和感を覚えたのか、彼女は歪に眉をひそめた。

「――人を馬鹿にするのは程々にしておいた方が良いですよ」

 刹那。広場に差し込んでいた陽光がその角度を微妙に変えて――西側へ向かって――その照らし出す面積を広めた。すると今まで広場の端しか照らしていなかったが、僕たちが相対している場所まで光が届く。僕たちは太陽を背にしているので問題はないが、女性は急に視界を陽光で邪魔されることになる。案の定彼女は急に網膜を灼いた光に目がくらんで瞼を少しだけ閉じた。そう、決定的な隙を見せてしまったのだ。

 僕は女性が目を細めた瞬間、振り返って飛鳥の腕を掴み走り出していた。それは女性のいる方向ではなく、僕たちが登ってきた後方へ向かって。飛鳥は急に腕を掴まれたことに驚いていたようだが、すぐにペースを合わせてくれて何とか転ぶようなことはなかった。

「――待て! 逃げても無駄よ!」

 女性が怒号を上げるが、そんなもの構う必要はない。先手を打てたのはこちらだ。女性はこの場所に一人でいるからこそ、僕たちを見失うわけにはいかない。そうなると僕たちが逃げれば追いかける必要があるのだ。だからこの瞬間的な策謀は成立する。彼女はどうしても僕たちを追わなければならないのだ。

 僕たちは女性から後退しつつ、木々の中へ紛れ込んでいく。しかし木々の隙間に入った途端、走るのを止めて手頃な木の背後に隠れた。飛鳥が慣性で吹っ飛ばされないように抱き寄せながら。すると女性から見れば僕たちが走りながら山を下っていったように見えるわけで。飛鳥を抱きながら木の後ろに隠れていると、広場の方から慌てたような足音が響いてくる。僕は女性がどの辺りから顔を出すか予想を立てながら、その方向へ向かって足を伸ばした。そうしてその瞬間。

 速度を落とさずに木々の隙間へ入り込んだ女性は、もちろん下方に置かれた僕の足なんかに気が付く余裕はない。彼女は勢いよく僕の足に引っかかって、そのままバランスを崩す。もちろんこのままでは転ぶだけだが、現在地を考えてみると今この場所は山の傾斜だ。足を滑らせたらどうなるかなど言うまでもない。

 女性はそのまま山の傾斜を勢いよく転げ落ちていって、多くの障害物に身体をぶつけながら転落していく。崖のように大きく地形が削がれている場所はなかったものの、彼女はそのまま進行方向に鎮座していた大木に後頭部をぶつけて、そのまま沈黙した。

 山に静寂が訪れる。聞こえるのは僕と飛鳥の息遣いだけ。先の大立ち回りが脳を凪の状態へ誘ったのか、少しだけ思考が停止してしまう。だけれど僕の中で目前の脅威が去ったことだけは理解できた。

「――生きてるよね」

 確かめるような口調で飛鳥が尋ねてきた。少しだけ心配しているようなそぶりを見せるのが彼女の優しさだと言えよう。自分たちを追っている相手に温情などかける必要ないのだが、そこはとても飛鳥らしかった。

「うん。あの落下ペースなら気を失ってるだけだよ」

 そう信じたい部分もあったが、客観的に見ても気絶しているだけだろう。少し可哀そうなことをしたかもしれないが、ちょっとくらいバチが当たっても構わないくらいには人を馬鹿にしていた女だった。少しお灸を据えたくらいだと考えて良いだろう。

 一安心したところで、僕は飛鳥が恥ずかしそうにしていることに気が付いた。一瞬どうしてそんなに顔を赤らめているのかわからなかったが、すぐに僕が彼女を抱き締めているからだと気が付く。僕は慌てて飛鳥から離れて、勢いよく陳謝した。

「ご、ごめん! 必死で気が付かなかった! 本当にごめんね」

 頭を下げてそう謝り、様子を確かめるために顔を上げる。すると飛鳥はまだ恥ずかしそうにしていたが、

「う、うん。ちょっとびっくりしたけど、大丈夫だよ。――ありがとう、助けてくれて」

 どうやら理解してくれたようで、安堵感が胸を包んだ。そのまま地面に転がりたい衝動に駆られるが何とか耐え忍ぶ。このままのんびりしているわけにはいかない。あの女性が応援を呼んでしまっているし、すぐに隣町へにげなければならなかった。

「――行こうか、追手が来る」

 静かにそう告げると、飛鳥も真剣な面持ちになってしっかりと頷いてくれる。


 それから僕たちは山の山頂にある広場へ戻り、そのまま隣町へ向けて下山を開始した。やはり山道はかなり急だったものの、登りより下りの方が楽なことは言うまでもない。登った時と同じようにお互いを助け合いながら下山したので、どちらかが怪我するなどといった事態にはならなかった。多少服が枝で擦り切れたり靴が泥で汚れたりしたけれど、そんなことは大したことではない。そんなこんなで僕たちは旧道を制覇することに成功していて、日が傾いてくる前には隣町へ到着することができた。

 僕は隣町へは来たことがなかったが、雰囲気的には僕の住んでいる町の北側に似ているらしい。片田舎という言葉が似合ってはいるが、人が少なすぎるわけでもなくある程度人気がある。本音を言えば山を越えてきたわけだし少し休んでおきたいところではあったが、時間的にもあまり余裕はない。遅くなる前に僕たちの町からある程度離れておく必要があったし、追手も着実にこちらへ迫ってきている。ここで捕まってしまうほど馬鹿なこともないので、できるだけこの町からは素早く離脱しておく必要があった。

 僕たちは息を吐く間もなく山を下りてきた足で駅へ向かう。このまま駅へ向かうのは危険性があったが、あの女性が旧道に僕たちがいると連絡をしてくれたお陰で、先に電車を使って隣町で待ち伏せしようという意識は芽生えていないだろう。そこが唯一の救いであったが、だけれど時間はあまりかけられない現状がある。なるべく急ぐべきだろう。

 旧道から駅までは大して離れていなかったようで、すぐに到着することができた。一応待ち伏せがないか確認したが、人がそもそも僕たち以外いなかったので、取り敢えずは安心だと言える。あと気になることと言えば次にいつ電車が来るかだが、その心配は無用なようだった。僕たちは取り敢えず終点まで行けるだけの切符を購入して駅の構内へ入ったが、次の電車が来るのは数分後らしい。そこに関しては僥倖と言えたが、万が一次の電車に連中が乗っていることを考えると気は抜けなかった。

 一応飛鳥に確認を取ったが、彼女も彼女で家を出る前にお金を余分に持って来ていたらしい。町から離れるにあたって無一文になるのは危険過ぎるが、僕もお金を持ってきたことだし、しばらくは大丈夫そうだ。食事が摂れないやら寝床がないやらなっても困るだけだし、お互いの危機意識に感謝といった具合か。

 そんなことを確認している内に、構内に設置されていたスピーカーが次の電車が来ることを知らせ始めた。それに伴って緊張感が先走る。やはり電車に連中が乗っている可能性はゼロではないのだ。まもなく電車が構内に滑り込んできて、僕たちの目の前で停車する。そうしてゆっくりとその大きな口を開いていった。僕たちはすぐにでも逃げられるように改札口付近で待機していたが、電車は人を一切吐き出さない。どうやら追手の心配は杞憂だったらしい。安堵感から溜息を吐いて飛鳥に視線を送る。彼女も現状に安心したようで、ほっとしたような表情を浮かべていた。しかしこのまま電車を乗り過ごすわけにはいかないので、僕はそのまま飛鳥と共に電車へ乗り込んだ。電車に入ってわかったが、この町で降りる人もいないしそもそも乗っている人も皆無らしい。ある意味安心ではあるが、少し物悲しくもなる。それは都会に住んでいたことからかけ離れてしまったからかもしれない。だけれど今は隣に飛鳥がいた。だからこそ郷愁的な気分というより、これからのことを考えて気が遠くなっていると言える。先のことはあまり考えたくないが、しばらくは電車の中で休めるだろう。

 僕たちは隣同士で席に座ると、同時に電車が口を閉じた。そしてそのままゆっくりと電車は前進を始めて、僕たちを見知らぬ地へ運んでいく。この電車は恐らく北へ向かっているようだが、その詳細はわからない。とにかく追手をしばらく巻けることに安心感を覚えてしまって、僕たちは電車の座席に身を委ねる。

 それからしばらくは、電車に揺られるだけで時間を過ごす。飛鳥は朝から慌ただしかったわけだし、電車に乗って間もなくで眠りに落ちてしまった。彼女は軽い寝息を立てながら頭を僕の肩の方へ寄せていたが、その姿勢が安心できるのだろうか。僕としては別に構わないのだが、少しだけ恥ずかしさが先行する。かといって肩をどかすつもりもないので、そのままの状態で維持することにした。今のうちに疲れを取っておくのは大事だ。これから何が起こるかわからないし、電車に乗っている間だけは安全なはずなので、眠るのはかなり優先される事項かもしれない。

 そんなことを考えていると、僕も僕で大立ち回りを行ったからか少しずつ眠気が押し寄せてきた。本音を言えば電車に乗っている間に今後のことを少し考えておきたかったが、人は強い眠気には打ち勝つことができない。最初は眠気と戦おうと努力していたものの、隣で気持ちよさそうに眠る飛鳥の存在も相まって、段々と不利な状況へ押し込まれていく。そうこうしている内に僕はいつの間にか揺らぎの国へと誘われたようで、現実感を完全に喪失していた。

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