SKY 0
今までの人生を一通り回顧してみて、一番に想起される言葉は『失墜』だと思えた。蒼く澄み渡った大空を羽ばたく鳥が、なんらかの拍子に大地へ墜ちていく。気持ちよさそうに天空を駆ける飛行機が、意図しない原動機の故障で地表へ落下する。失墜という言葉にはそのようなイメージが湧く。高い位置に存在するものが、そのまま勢いよく落下する感じ。イカロスの翼という伝説がある。蝋の翼を得たイカロスが太陽まで到達しようと地面から羽ばたき、そして太陽の熱で翼を溶かされ墜落するあの有名な話だ。この伝説は人間の傲慢さを表現していると学術的には解釈されているものの、一部では人間の勇敢さを表しているという意見もある。元は同じ伝説であるのにここまできっぱりと主張がわかれるのも奇妙なものだが、ここで大事なのは果たしてイカロスは傲慢だったのか、それとも勇敢であったのかという一点に尽きるだろう。これに関しては人によって意見が異なるだろうし、明瞭な解答をはじき出すことは難しい。例えるのならば、答えのない問題について思考させる道徳の授業のようなものだ。物事に明白な答えがあることはむしろ珍しいし、きっと大人になるにつれて答えなんて曖昧な夢物語はどうでも良くなるのかもしれない。しかし僕はまだ十七の子どもであって、そんな先のことは現時点ではわからなかった。答えが見つかるのは子どもの内だけだと大人は言うけれど、件の子どもだって日々迷い、傷つき、だけど死ぬことはできずに生きている。誰だって死ぬのは怖いんだ。今の社会では自殺という行為はどこか美化されていて、ある意味神格化されているように思えるけれど、痛みの伴わない自殺は僕の住む国では今のところ認可されていない。死のうと思うならばある一定までの苦痛を覚悟する必要があるし、自殺を実行する上での決意が不可欠であった。逆説的に言えば自殺に関して痛みを伴う必要があるからこそ、自殺という行為そのものを事前に予防できているのかもしれないが、自殺をしようとしている人間からしたらそれはもう有難迷惑としか評することができない。社会的に自殺が増えるということはそれ即ち住んでいる世界が生き難いわけであって、その問題を自殺者個人に求められてもそれはお門違いというものだ。自分で選択して生まれてきたわけではない僕たちは、自分の死に場所さえも他人に強要されなければいけない。望まれて生まれてきたから――そうでない場合も往々にして存在するが――と言って、僕たち自身が生を望んだわけではないのだ。確かにイカロスは生まれてきて自分の生き方を選択し、傲慢であれ勇敢であれ天に上り、そして失墜した。彼が一体何を思って翼を羽ばたかせたのかは知る由もない。だけれど、僕にでも一つだけわかることはある。それは、地面に墜落するまでの間、翼をはためかせて大空を駆けている間だけは、自分が地に墜ちることを考えもしなかったということだ。
空は憎い。きっとそれはこの世界に生きている人間に共通することであって、普段は認識できていないものの、恐らく誰しもが心の内に内包する黒い感情である。それも特に一度失墜を経験したものにとっては、身に染みるように知覚することができるだろう。空、即ち高所というものは基本的に変わらず僕たちの上に存在していて、僕らに安易な憧れを抱かせるけれど、その安い希望は人々に場違いな向上心を抱かせて、そして空へ上り始めた人間を否応なく叩き落とす。確かに空に上り続けられる人もいなくはないが、それはごく少数だ。空に憧れた殆どの人間は、あの美しかった景色から墜とされ地上の土を啜ることになる。そうして人々は天上に恨みを抱くようになり、そのうち希望そのものを見出さなくなって、どうしようもない矮小な一個体として漫然と時を過ごすのだ。しかしその普通の生き方を悪だと断じてしまうのは早計過ぎる。そうともなれば空を周遊する人間たちだけが肯定されてしまう社会になってしまうわけで、それは他の巨大なマジョリティを無視してしまう結果に陥るだろう。僕はそのように難しいことを考えず、ただ与えられた物事をこなして、多少の娯楽に身を委ねて、そうやって生きていくことが間違いだとは思わない。だけど一つ言えることは、一度空から失墜してしまった人間は一度空の景色を知ってしまっているということだ。言い換えれば、空の心地よさを知ってしまったとも言えるだろう。よくある話だ。一度いい思いをした人間は、その場所に依存する傾向が生まれてしまう。つまり今までの生活では耐えられなくなってしまうわけで、どうしても空へ戻りたいと思ってしまうのだ。その感情、胸を手繰りで締めつけ、蒸らすように焦げ上がるその気持ちは本当に耐えがたいものがある。言うまでもなく僕もその失墜した一人であって、今の世界に上手く適応できなかった不適合者というわけだ。僕は高い場所――空に限りなく近しい場所から足を引かれるように失墜して、このような現状を生きている。今の状況に不満がないと言えば噓になるが、だけどそれ以上に僕はあの心躍る景色を――あのどこまでも蒼い空を駆け巡りたいと思ってしまうのだ。その感情は今となっては所在の無いものであって、明確な依存心から生ずる衝動であるわけだけれども、どうしてもその思いを抑え込むことができない。胸の内に燻ぶる空への憧れは日に日にその勢力を増していって、僕を再度大空へと飛び立たせようというのだ。だけどそれが不可能であることは、僕自身が一番よく理解していた。だって、僕の背中にはもう翼がないのだ。あの青かった大空を自由に羽ばたける白い翼は折れてしまった。そう、蝋でできた翼を太陽の放射熱で溶かされたイカロスのように。僕の背中に確かに存在していた大翼は、たった一つのきっかけで崩れ落ちてしまった。きっと誰だって同じようなものなのかもしれない。大きな何かを作り上げようとした時、積み木を組み立てていくのは時間も労力も必要になり、つまりコストがかかってしまう。しかし逆はどうだ。一生懸命作り上げた積み木の城を、破壊するには何が必要だ。それは積み木を乗せ集めたその手のひらと、壊そうと云う意思だけだ。時間も労力もかからない。世の中はそんなものだ。作り上げるには大変な時間と労力が不可欠だが、壊れるのは一瞬。何年もかけて集めたアンティーク・スタンプを、夜食を作るために開けたガス栓の不始末で焼き落とすのは簡単なのだ。だから僕たちは積み上げてきたものを必死に守ろうと努力するし、時にはそれらを守るために汚い手段を採ることも少なくない。だけど世の中には盛者必衰という言葉があるように、殆どの人間は人生の酸いを味わう羽目になる。そういうわけでその辛酸を舐めているのが現状の僕であって、醜くも状況に対して不満を垂れ続けているというわけだ。そう、これは栄光の物語ではない。空へ羽ばたいて失墜して、そして大地でしか生きられなかった、醜く、そして儚くも美しい人間の物語だ。