家族写真
コインロッカーの中で衰弱死していた赤ん坊を見つけた時、私は家族写真を撮ってあげようと思った。一度も家族の愛というものを知ることができなかった、この子のために。
私は乾いた毛布で包まれた赤ん坊の死体をそっとロッカーから取り出し、優しく胸で抱きしめた。赤ん坊の身体は冷たく、腐った果物のようにぶよぶよとした感触がした。頭上では駅の構内アナウンスが鳴っている。周囲を行き交う人々が私と赤ん坊に気がつくことはない。私は赤ん坊を抱き抱えたまま、自分の家へと歩き出す。途中、すれ違った一人の中年男性が、腐ったような臭いに対して不愉快そうに眉をひそめた。
赤ん坊の死体を家に持ち帰った後で、私は家族写真を撮るための計画を立て始める。私は独り身で、両親も数年前に亡くしたばかり。恋人はおろか、家族写真の撮影を手伝ってくれるような友達すらいない。しかし、だからと言って、諦めるという発想は不思議と湧いてこなかった。私は赤ん坊を座布団の上にそっと置き、外へ出かけるために上着を羽織った。
私は車を走らせ、地元では自殺の名所として有名な海岸沿いへと向かった。空は分厚い灰色の雲に覆われ、潮の匂いが生暖かい風に運ばれてやってくる。丘の上の小さな公園のそばに車を停め、崖の近くまで歩いた。私は崖の上から白く泡立つ波を見下ろし、それから柵に沿って歩き出す。公園から十分ほど歩いたところで、柵の下に女性用の靴が綺麗に揃えられた状態で置かれているのに気がつく。私は足を止め、それから崖の下を確認した。そして、崖にできていた窪みに、女性の死体がちょうど引っかかるように横たわっているのを見つける。女性は三十代前半で、頭を打ち付けたのか、長い黒髪は血でべっとりと赤く濡れていた。私はその死体をじっと見つめた後で、近くにあった階段を降り、女性の死体の元へと近づいていった。
女性の死体を一度家に持ち帰り、次は近所の公営住宅へと向かう。心当たりがあるわけではなかった。しかし、普段は決して目にも留めないようなことでも、意識して探してみると、色んな兆候に気がつくことができる。いや、普段は意識して目に留めてないというよりも、無意識のうちに目に留めないようにしていると言った方がいいのかもしれない。締め切られた窓。郵便受けに溜まった新聞。埃とゴミが溜まった玄関先。私はそんな部屋を一つずつ訪ねていく。チャイムを鳴らし、ドアノブを回してみる。それを繰り返し行なっているうちに、鍵のかかっていないドアに行きあたった。
私はそっと玄関のドアを開け、家の中へと上がり込む。強烈な腐臭に耐えながら、ゴミで足場のなくなった廊下を進み、6畳ほどのリビングに入る。床に敷かれた布団の上には老人の死体があった。背中は腐って爛れ、そこからは蛆虫が湧いている。私は鼻を抑え、ゆっくりとこの部屋で孤独死してしまった老人の身体を抱き上げる。それと同時に老人の身体に止まっていた蠅が一斉に飛び上がり、大音量の羽音が狭い部屋の中に響き渡った。
老人を自分の部屋へ連れ帰り、私は家電量販店へカメラを買いに出かけた。その帰り、私は偶然通りかかった空き家に目が留まる。車を路肩に停め、何かに導かれるようにその空き家へと入っていく。空き家は何年も前に家主が売りに出したままとなっており、庭には雑草が生い茂り、荒れ放題になっていた。そして、庭の片隅にあった犬小屋で、鎖に繋がれたまま餓死していた犬を見つける。私は鎖が繋がれていた杭を抜く。それから右手にぶら下げた家電量販店のレジ袋を左手に持ち替えて、右腕全体を使って犬を抱き上げた。
赤ん坊。女性。老人。犬。そして、私。家族写真を撮る準備が整った。赤ん坊を女性の腕に抱かせて、老人はその左後。犬は二人の膝下に移動させる。私はレンズ越しに彼らの配置を確認した後で、タイマーを設定し、彼らの元へと小走りで駆けていく。私は女性の横に座り、彼女の肩に手をかけた。しばらくするとカメラのシャッター音が切られる音がして、安っぽいフラッシュが焚かれる。
私は立ち上がり、カメラから吐き出される写真を確認する。真っ黒なフィルムをじっと見つめていると、現像が始まり、写真が少しずつ浮かび上がってくる。家族というものを知ることなく死んでしまった赤ん坊の、最初で最後の家族写真が。
そのタイミングで玄関のチャイムがなる。写真を机の上に置き、玄関のドアを開けると、そこには二人組の警官が立っていた。彼らのうちの一人が近隣から腐臭の苦情が届いているという旨の説明をして、それから私の肩ごしに室内へとちらりと視線を向ける。その瞬間、警官の表情が険しくなり、中に入ってもいいかと尋ねてくる。
私が承諾すると、二人組の警官はずかずかと部屋の中へと入ってきて、私の家族がいるリビングへと向かった。リビングに入った一人の警官が口を押さえ、床に吐瀉物を撒き散らす。もう一人の警官は遅れてリビングに戻ってきた私を睨みつけた後で、胸元にかけていた無線で誰かと何かを話し始める。
「異常だよ」
無線での連絡を終えた警官が仲睦まじく並んだ彼らの姿を見た後で、ぽつりと呟く。私ははあ、と呟き、彼らの方へと視線を向けた。コインロッカーで衰弱死した赤ん坊。若くして自ら命を絶った女性。誰からも気が付かれることなく孤独死した老人。飼い主に見捨てられて餓死した犬。私は彼らをじっと見つめた後で、警官に尋ねる。
「すいません……。異常っていうのは、どれのことを言ってます?」
お前に決まってるだろ。警官がそう吐き捨てて、私の肩を強く掴んだ。詳しい話は署で聞こうかと彼は高圧的な言葉で私に呟く。そして、私は家族と、そしてその家族写真を残したまま、自分の家を後にするのだった。