最後の依頼
数日後の昼間、隆一と裕美は町外れのアパートに来ていた。
もっともアパートとは名ばかりで、今は廃墟に近い。住人は立ち退き大家も亡くなっており、建物だけが残っている。取り壊されるのを待つだけの状態だ。立入禁止のロープが張られているが、隆一は無視して入っていく。裕美は、恐る恐る後に続いた。
雑草が伸び放題の庭を、二人は進んでいく。やがて、ひとつのドアの前で立ち止まった。
「このドアの向こうに、あんたの息子を殺した川本栄一と山崎健介がいる。二人とも、縛り上げて動けなくした。あとは、あんたがその手で殺すだけだ。念のため、入ったら中から鍵をかけろ。もし何かトラブルがあったら、すぐにスマホに連絡してくれ」
「は、はい」
「あとな、全て終わった時もスマホで呼んでくれ。俺が、死体をきっちり始末する。髪の毛も残さないようにな。前にも言った通り、死体さえ出なければ、ただの行方不明だ。警察から追われることもない。あんたは、人生をやり直せるんだ。もちろん、やり直す前に金はきっちりいただくけどな」
そこで、隆一は言葉を止めて裕美の反応を見る。彼女の顔は、青ざめていた。体も震えている。緊張のせいだろう。
少しの間を置き、隆一は口を開いた。
「あんた、いくつだ?」
「は、はい?」
思わぬ問いに、裕美は戸惑い口ごもる。隆一は、面倒くさそうにもう一度尋ねた。
「あんたは何歳か、って聞いてるんだよ」
「よ、四十五です」
「四十五か。今は、人生百年て言われてる。あんたの人生は、まだ半分以上残ってるんだ。こんなことは忘れて、人生をやり直すんだ。死んだ息子の分まで生きるんだよ」
そう言うと、隆一はドアに鍵を差し込む。がちゃりという音の直後、ドアは開いた。
中は、六畳ほどの広さだった。当然ながら家具の類いはない。ボロボロになった畳の上には、二人の男が転がされていた。
川本と山崎だ。どちらも両手両足をガッチリ縛られ、口にガムテープを貼られている。身動きは取れない。
その目からは、大量の涙を流している。隆一と裕美に、表情で何やら訴えかけていた──
「こんな鬼畜みたいなクズでも、自分が死ぬ時は涙を流すんだよな」
隆一は、誰にともなく呟いた。直後に裕美の方を向く。
「念のため、両手両足はへし折ってある。万が一のアクシデントでロープが外れても、抵抗は出来ない。動くことする出来ないはずだ。一昨日から何も食わしてないから、動ける体力もないだろう。あとは、あんたがとどめ刺すだけだよ。終わったら、スマホに連絡してくれ」
事務的な口調で言うと、隆一は部屋を出ていく。
だが、裕美が追ってきた。彼の手を掴み、声をかける。
「ちょっと待ってください。なぜ、ここまでしてくれるんです?」
「はあ? ンなこといいから、早く終わらせてくれ。こっちだって暇じゃねんだからよ──」
「私にもわかります。たった六十万で、こんなこと引き受けてくれる人はいません。なぜ、ここまでしてくれるんですか?」
裕美の体は震えていたが、青ざめた顔には強い意思が浮かんでいる。教えてくれない限り手を離さない、とでも言わんばかりの様子で、隆一を見すえていた。
隆一は、フウとため息を吐く。少しの間を置き、口を開いた。
「俺の母親は十年前、通り魔に殺されたんだ」
その途端、裕美の顔が歪む。隆一はというと、無表情で淡々と語った。
「母親は、醤油を買って来てくれと俺に頼んだ。俺は、面倒くさいから嫌だと言った。そしたら、母親は自分で醤油を買いに行った。そこで、通り魔に滅多刺しにされた」
一切の感情を交えず、その時にあった事実のみを語った。
直後、隆一はくすりと笑った。無論、楽しくて笑ったのではない。
「俺はな、母親が殺された時にスマホをいじってたんだよ。どうしようもねえよ」
その時、裕美はかぶりを振った。
「それは、あなたのせいじゃない」
搾り出すような声だった。しかし、隆一はそれには答えず、再び語り出した。
「俺は、通り魔をこの手で殺すと誓った。ところが、通り魔は死刑にされた。俺は、殺すべき相手を永遠になくしちまったんだよ。あんたには、俺と同じ思いをしてほしくない」
そこで、隆一は言葉を止める。久しぶりに、感情の起伏を覚えた。母親が死んで以来、感情のうねりなど忘れていたのに。
裕美は黙ったまま、じっと彼を見つめている。その顔には、憐れみの表情が浮かんでいた。
それに気づいた時、隆一は顔を背ける。
「全部片付いたら、スマホで呼べ。あとの始末は、俺がきっちりやってやる。あとな、連絡がなくても二十四時間が経過したらここに来るぞ。それまでに、きっちり終わらせとけ」
冷たい口調で言い放ち、隆一は去って行った。
翌日、隆一は面倒くさそうな顔でアパートに入っていった。
結局、昨日は連絡が来なかった。ひょっとしたら裕美は、二人を殺した後にさっさと行方をくらませたのかもしれない。
六十万の金を払わず逃げる……本来ならば、絶対に許されないことだ。いつもの隆一なら、どこに逃げようが探しだす。そして、六十万円に見合う苦痛を与えているところだ。
しかし今の隆一は、逃げたのなら逃げたで構わないと思っていた。そもそも普段の仕事なら、二人をさらうだけでも六十万以上は取っている。ましてや三人の死体処理ともなれば、百万でも引き受けない。それを六十万という値段で引き受けること自体、ただ働きのようなものなのだ。惜しくはない。
むしろ、その六十万円を人生をやり直す足しにして欲しい、とさえ考えていた。
だが、その予想は外れた。部屋のドアは、鍵がかかっていたのだ。となると、裕美はまだ中にいるのかもしれない。
二人を殺した後、疲れて眠ってしまったのか。まあ仕方ないだろう。人を殺すという行為は、映画やドラマのように簡単ではない。肉体的にも精神的にも、尋常ではない疲労感に襲われる。恐らく、中でぐったりしているのだろう。
それとも、窓から逃げたか。
その、どちらの予想も違っていた。ドアを開けた瞬間、隆一は愕然となった。
まず目に入ったのは、死体と化した川本と山崎だ。縛られた状態で、滅多刺しにされていた。
そして、裕美もまた倒れている。彼女の首にはタオルが巻かれ、タオルの端はトイレのドアノブに巻かれている。
裕美は、首を吊ったのだ──
もう、手遅れなのは明らかだった。死体を嫌というほど見てきた隆一には、一目でわかった。
さらに、床に一枚の紙が置かれている。バッグが重しのように乗せられており、何か書かれていた。
震える手で、隆一は紙を拾いあげる。それは、遺書だった。
・・・・
春山隆一様
本当に申し訳ありません。やはり、私は死ぬことにしました。三人の人間を殺しておきながら、人生をやり直すことなどできません。もはや、私も彼らと同じ罪人なのです。犯した罪への罰は、受けなくてはなりません。
自首することも考えました。しかし今自首したら、あなたに迷惑をかけることになります。私は、警察の取り調べに耐えられる自信がありません。あなたのことを、ベラベラ喋ってしまうことでしょう。全てを丸く収めるには、私が死ぬのが一番いいのです。
お金は、バッグの中に入っています。百十万円あります。私に残された全財産です。足りないでしょうが、これで私の死体も始末してください。最後まで迷惑ばかりかけてしまい、本当に申し訳ありません。
これで、天国にいる博に会うことができます。母さんは、あんたの仇を討ったよ……そう言ってあげられます。
最後になりますが、あなたにお願いがあります。
あなたは今も自分を責めているのでしょう。私には、その気持ちは痛いほどわかります。この仕事をしていることで、世の中にやりきれない気持ちをぶつけているようにも見えます。こんな運命を与えたもうた神に対する、あなたなりの復讐なのかもしれませんね。
でも、はっきり言わせていただきます。あなたは悪くないんです。これ以上、自分を責めるのはやめてください。これ以上、罪を重ねるのもやめてください。
そして、人生をやり直してください。お母様も、あなたが真面目に生きてくれることを望んでいるはずです。
お願いですから、こんな仕事はやめてください。真人間として生きてください。お母様や博や私の分まで生きて、幸せになってください。あなたは、まだ若いのです。もう一度言います、人生をやり直してください。あなたなら出来ます。
これは、あなたへの最後の依頼です。
・・・・
読み終えた隆一は、膝から崩れ落ちる。
その目からは涙が溢れ、口からは嗚咽が洩れていた──