9 あおはる ④
春の気候になったとは言え、まだ夜は冷え込む。肌寒い暗闇の中を、サオリを追いかけながら進んだ。
「兄上、もう少しで着きますから。」
何処に向かっているのだろう?
月明かりはあるが、木に遮られているので電灯が無ければ暗い。
そんな中を明かりも付けずに、僕の前をサオリは歩いていく。
ギリギリ姿が見えるため後は追えるが、よく迷いもせずに歩けるものだと驚いた。
暫く歩くと、少し開けた場所に辿り着いた。
「ここが目的地だったんだ。」
「はい。」
昼間に皆でお花見に来た場所だ。周りが暗くて僕には向かう先が解らなかったが、ここに来たかったのか。
「どうしても、夜に見てみたかったんです。」
「なるほど、夜桜ね。」
「あたし一人だと怖かったので、姉上に頼んだのですが、兄上を連れて行けばいいって。」
イオリは知ってるって事か。サオリと二人きりだと前はヤキモチ妬いていたのに、最近イオリの意図が読めない。
「確かに一人だと僕も怖いけど、暗い所を明かりもつけないでサクサク歩いてなかった?」
「それは調整の影響ですよ。あたし達の感覚器官ってちょっと鋭いので、あたしは強い匂いとか苦手なんです。動物の匂いは平気だったので多少個人差というか、好みはあるでしょうけれど。後、見えてても怖いものは怖いですよ。」
ニカワを作っている時、近づかなかったのはそのせいか。先程やけに真剣な顔していたのは、怖かったからみたいだな。
「それなら、明かりを付けたらよかったのに。」
「明かりを付けちゃうと、逆に照らした所以外が見えなくなって余計に怖いんです。それに今日は月明かりもありましたから、充分見えていましたし。」
「なるほどね。なら、帰りはもう少しゆっくりだと助かるかな。かなり暗くて追いかける事で精一杯だったから。」
猫みたいだなとか思いながら言うと、僕の発言を聞いたサオリはハッとした表情になる。
「ごめんなさい兄上。あたしが見えていても、兄上には同じように見えていないって気づかなくて。」
「大丈夫だよ。戻り道は手を引いてくれると有り難いね。それより、折角来たんだから桜を見よう。」
「はい。昼間凄く綺麗だったので、夜にも見てみたいなって思ってました。」
僕とサオリは、並んで桜の広間の真ん中に立つ。
昼間は鮮やかな薄桃色だったこの場所は、月光の青白さを浴びた花びらが白く輝くような色に変わり、神秘的にさえ感じる。
「綺麗ですね。これが夜桜ですか。」
「本当に綺麗だね。照明の光に照らされた夜桜とは全く違う光景だ。」
月明かりも再現されたものではあるけど、機械的な明かりとはまるで違う景色だった。
「夜桜を見た事あるんですか?」
「うん、でも方舟に来てからは初めて夜桜を見たよ。それにこんな光景は僕の住んでいた街じゃ無理だ。」
人工的に再現されていると思っていたから、最近まで気付かなかった、草花の自生している姿や、温泉での景色を見るまでは。だから、気にも止めてなかった。
「そうですか・・・。なら・・・。」
そう言いながら、サオリは數歩前に出てこちらに振り返る。
「あたしと、兄上だけの。思い出、ですね。」
月光に照らされながら、はにかむような笑顔を僕に向けるサオリを見て、僕の心臓はドクンと強く脈打つ。
なんて、綺麗なんだろう。
言葉が出なかった。
彼女の見た目が美しいからとか、そんな事ではない。
僕との思い出が出来た事が、嬉しくて笑っている。その表情が綺麗だと思った。
「兄上?どうかしましたか?」
「あ、いや、サオリが綺麗だなって。」
思わず口から飛び出した言葉に、自分の顔が真っ赤になるのを感じる。
「っ!あ、兄上!やめてください!恥ずかしいです!」
「ごめん。違うんだ。ボーっとしててつい。」
「否定されると傷付きますよ。」
「いや、そうじゃなくて。サオリの笑顔が綺麗だなって。」
僕は慌てていてどんどん口を滑らせてしまい、それを聞いた彼女は俯いてしまう。
「兄上、それはズルいですよ。あたし、待てなくなっちゃう。」
「サオリ?」
彼女が俯きながら何かを呟くが、よく聞き取れなかった。
「何でもありません!兄上、冷えるのでそろそろ帰りましょう!」
「う、うん。帰ろうか。」
怒らせてしまった。それにしても僕はよく口が滑るというか、考えている事がすぐに口に出てしまう。気をつけないと。
僕が帰る事に同意した後、サオリは僕に近づき、僕の手を握った。少し冷たいけれど、女の子らしくて、柔らかい。
「さ、サオリ?」
「あ、兄上がさっき言ってたじゃないですか!手を引いてくれって!」
確かに言った。でも、先程サオリの笑顔を見てから、ドキドキするのが止まらない。
更に、手を握られたから余計に高鳴ってしまい、まともにサオリの顔が見れなくなる。
「兄上、帰りましょう?」
穏やかな声で、僕に再び微笑みかける彼女に顔を向けた時、また心臓が強く脈打つ。
今僕は、自分のこの感情が何なのか理解した。
「うん。」
僕は短く返す事で精一杯だった。




