8 がっこう ⑨
以前寝たフリをしていた時キスをされた事はあったが、きちんと起きている間には無い。
サオリの気持ちを知っていたのに、僕は迂闊な行動を取ってしまった。
思わず顔を離すと、サオリは酷く表情を歪め、涙を零し始める。
「あたしは、ダメなんですか?」
彼女が漏らした一言に、僕の心臓はギュッと鷲掴みにされたように痛む。
「ダメじゃないよ。けど時間をくれないかな。」
何を言ってるんだ僕は。恋人が居るのに。
「はい。兄上を困らせたいわけじゃないんです。待ちますから。」
僕の答えに泣き笑いをしながら待つと告げ、涙を拭ってから掴んでいた腕を離し、サオリは自分の席に戻っていく。
僕は、サオリにキスをされた事よりも、自分が彼女に言った言葉に呆然としていた。
「だんなさま!できたよーみてー!」
「ボクもできました!」
マホとシホの呼ぶ声に、僕は我に帰る。
「今行くよ。」
なんとか返事を返し振り向くと、マホ達の向こうに居るイオリが僕を見ている事に気付く。見られたのか。
そう思い、内心凄く焦るけれど、イオリの表情は怒りではなく、安心したような穏やかな顔で、サオリの頭を撫でていた。
あの表情は、どういう事なんだろうか。
とりあえず、僕は自分の机を持ち上げてサオリの机と交換すると、マホとシホの様子をみる。
先程よりも上手に書けるようになっていた。
なんて吸収の早い子達なのだろうか。
「マホもシホもサオリも凄いね。こんなに早く書けるようになるなんて。少し休憩にしようか。イオリは今見るから少し待っててね。」
「はい、だんなさま。」「はーい。」
「わかりました兄上。飲み物とって来ますね。」
サオリはマホとシホを連れて、お茶でも煎れてきてくれるのだろう。暖かくなっては来たけど、まだ風は少し冷えるから。
「イオリ、ちょっと見せてね。」
そう言って彼女の書いていた紙を見ると、やはり穴だらけだが、先程よりも書けるようになっていた。
「サオリの方が少し上手いかな?意外だけど。」
『意外だなんて、サオリちゃんに言っちゃダメですよ?』
「あ、うん。気をつけるよ。」
『サオリちゃんは繊細なんですから。泣かせたらダメです。』
やはり見ていたんだね。イオリが怒らなかった理由はわからないのだけれど。
泣かせるなって言うわりに、なんでそんなに穏やかな笑顔なのだろうか。その事を尋ねようとした時、3人が僕達の分も飲み物を作って戻ってきた。
サオリ達から飲み物を受け取り、少し休憩をしてから改めてイオリの書取りを見る。
「イオリもサオリと一緒な理由だね。筆圧が強くて、机の細かいミゾに引っかかってしまうんだね。サオリの机よりかはミゾが少ないみたいだけど。あ!ちょっと待っててね。」
下敷きを用意すればいいと言う事にやっと思い当たり、部屋に手頃なものがないか探しに行く。
模型作成用のプラ板があったので、それを人数分持って戻る。
「これを下に敷いて書いてみて。」
イオリ達に下敷き代わりにプラ板を渡し、改めて書いてもらうと、皆大分書きやすくなったようで、イオリもまだ筆圧は強いみたいだが紙が破れるような事はなかった。
『私には、サオリちゃんみたいに教えてくれないんですか?』
「いや、大丈夫そうに見えるけど?」
『ご主人様、私よりサオリちゃんが大事なんですね。』
「姉上、兄上をからかうのは程々にしてあげてください。」
顔は笑ってはいたが、目が笑ってないように思えたのだけど、本当にからかって居たのだろうか?
書き方は大分安定してきたから、これなら漢字で名前を書けるだろう。
マホとシホはまだ難しいかもしれないけれどね。
「じゃあ、そろそろ名前を書いてみようか。」
「はい、だんなさま。」
「はーい!マホがんばる!」
「わかりました兄上。」
『ご主人様よろしくお願いします。』
「漢字での名前って書いて見せてなかったよね。僕が書いて見せるから、自分でも書いてみてね。」
僕は一人ずつ名前を書いて行く。
伊織
沙緒理
詩穂
真穂
『これが私達の名前なんですね。』
「うん。マホやシホはまだ難しいかもしれないけど、書いてみてね。」
「はい、だんなさま。」「はーい。」
二人とも早速机に持って行って自分の名前を書き始める。
「そう言えば、兄上の漢字はどう書くんですか?」
サオリは僕の名前の漢字も知りたいようだ。
「僕も?僕の字はね。」




