第92話 父、考えを巡らせる
「そうだ。相手の思考を見極め、思い切り踏み込め」
「はいっ!」
ラディオと手合わせをするレンカイ。
自分の意志で鬼人解放出来る様になってから4日、動き方も随分と洗練されて来た。
師匠から繰り出される攻撃を受け止め、いなしては、隙を狙う。
「はぁぁッッ!」
瞬間、右から大きくユウダチを振り抜いたレンカイ。
しかし、ラディオは容易くその手を掴み取る。
「それでは大振り過ぎ――成る程」
だが、感心した様に笑みを零したラディオは、頭をズラしてギリギリで刃を躱す。
掴まれた腕を軸にしてユウダチを離したレンカイは、即座に右手に持ち替えていたのだ。
そして、新たに得たリーチを利用し、ラディオの喉元を掠めさせる。
(あの子に負けない飲み込みの早さ。いかん……はしゃいでしまうな)
愛弟子との日々を思い出し、頬を緩ませるラディオ。
しかし、きっちりと腕は捻り上げる。
その結果、少年の体はくるんと回転させられ、地面に大の字になってしまった。
「うわぁ! くっそぉ〜!」
「惜しかったな。一旦休憩にしよう」
「くぅ〜……次は負けません!」
「あぁ、その意気だ」
午前中の組手を終え、穴から出るラディオ達。
外では、ベビーチェアに座ったグレナダが待っていた。
周囲に数匹の小竜のオーラが舞っているが、テーブル部分に顎を乗せて、尻尾をプラプラさせている。
眉根を寄せ、険しい顔で。
だが、ラディオを見とめると、テーブルを叩いて途端に上機嫌になった。
「ちちっ♡ ちちっ♡」
「ただいま。待たせてしまったね。ご飯にしよう」
ラディオに頭を撫でてもらうと、グレナダは満開の笑顔を咲かせた。
全神経を頭に集中させ、大好きな体温を満喫する。
すると、もう我慢が出来なくなり、ラディオに向かって両手を大きく広げた。
抱き上げられると、何かを確認する様に、分厚い胸板に頬を擦り付けるのだ。
「あっ! ちちっ! ごはんたべたら、ごほんよんでほしいのだ〜♡」
「勿論良いとも。どの本にする?」
「レナン、おそらのやつがいいのだっ!」
目一杯甘えながら、おねだりをするグレナダ。
『おそらのやつ』とは、この間買ったモワトリムの最新作である。
『天空』をモチーフとした絵本で、グレナダは非常に楽しみにしていた。
「分かった。その代わり、ご飯を沢山食べるんだよ」
「あいっ――きゃははっ♡」
娘のおねだりを快諾したラディオは、頬を緩ませながら、小さな顎をくすぐる。
すると、グレナダは幸せに満ちた笑い声を上げるのだ。
「レンもお腹が空いたろう? 帰ろう」
「あっ! 俺が持ちますよ!」
「そうか……有難う」
娘を抱きながら、ベビーチェアを担ごうしたラディオを見て、レンカイが手を挙げる。
これに限らず、少しでも師匠の負担を減らそうと、普段から率先して手伝ってくれるのだ。
弟子の優しさに心を温めながら、歩き出すラディオ。
その後ろに付いたレンカイは、大きな背中に尊敬の眼差しを向けていた。
(そうだよな。師匠は俺と戦いながら、ずっとレナンの様子も見てたんだよな……高いなぁ)
想像を遥かに超えた、未だ見えぬ頂。
だが、いつか必ず自分も其処へ……そう想いながら、少年も後を追った。
▽▼▽
昼食を終え、後片付け中のラディオとレンカイ。
台所に並んで立ち、食器洗いをしている。
その後ろでは、グレナダがソワソワしながら待っていた。
椅子の上に立って様子を伺ったかと思えば、今度は足の間に顔を突っ込み、ラディオを見上げる。
その手に、絵本をしっかりと抱き締めながら。
「もう少し待っててね」
ラディオは、娘の無言の圧力―非常に活発な行動を伴っているが―を受けながらも、優しく微笑みを零した。
横で食器を拭いていたレンカイも、思わず笑ってしまう。
その時、玄関をノックする音が聞こえて来た。
「レン、すまないが出てくれないか。手伝ってくれたお陰で、皿洗いも終わるから」
「分かりました! じゃあ、ちょっと見て来ますね」
レンカイは持っていた皿を拭き上げ、食器棚にしまってから、玄関へと駆けて行った。
「はいはい、今出るよ」
止まらないノックの音に、レンカイはやれやれと首を振りながらドアを開ける。
現れたのは、空色のサイドテールを揺らした、少女の顔だった。
「遅いっスよ〜! 何十回ノックさせるんスか〜?」
「何十回もしなくて良いんだよ」
「え? じゃあ今度からノックしなくて良いって事っすか?」
「いやノックはしろよ! 数回で良いだろ数回で! 久し振りに会ってもこれかよ!」
「あははははっ!」
ニヤリと笑いながら茶化してくるのは、勿論ロクサーナだ。
反応すればする程、少女が饒舌になっていくのは知っている。
だが、やはりレンカイはツッコまずには居られなかったのだ。
「レンカイ、久し振り!」
「リィはそうでもないけど、4日振りぐらいだね♡」
「おっ、クレインは本当に久し振りだな。リィも元気か? てか、皆で来るなんて何かあったのか?」
「うん、僕達たまたま午後から休みになってさ。レンカイはどうかな〜って向かってたら、門の前でバッタリ合流したんだよ」
「弟子入りしてから10日、やっとの休みっス〜! これはもう遊びに行くしかないっスよね〜」
「リィもレミアナ様からご許可を頂けたの! 『たまには息抜きも必要だから』って。はぁ〜……レミアナ様♡」
「そっか。皆も頑張ってんだなぁ」
レンカイは仲間の姿を見て、誇らし気に頷いた。
ロクサーナはすべての指に包帯を巻き、クレインの持っている本は既に擦り切れ始めている。
リータも杖を握る手に、沢山のマメが見て取れた。
しかし、皆一様に眩しい笑顔を見せている。
一歩一歩、着実に成長を実感しているのだろう。
「だからさ、行こうよ!」
「悩んでる時間が勿体無いっスよ〜?」
「レン?」
口々に少年を誘い出す仲間達。
だが、目線が色々と動いたレンカイは、急にムスッとした顔になってしまった。
そして、頭をポリポリ掻きながら、こう言い放つ。
「あー……俺はいいかな。皆で行って来いよ」
「「「えぇっ!?」」」
「何でだよ〜!?」
「センス無いっスよ!」
「何処か調子悪いの?……頭、とか」
「だから頭は普通だっつの! ほら、俺は休みじゃないしさ。それに……試験も近いし」
「いやいや! 試験ならウチらも出る――あ〜……そういう事っスか〜」
口籠るレンカイを見て、ロクサーナが閃いた。
ニヤァっと頬を吊り上げると、自慢気に巻いているバンダナを触り始める。
「な、何だよ」
「レンカ〜イ、これが羨ましいんスよね〜?」
「ばっ!? ち、違ぇよ! そんなん全然羨ましくなんか……ば、ばーか! ばーか!」
「何だよ〜。そんな事関係無いじゃん」
「そうだよ、レン。私達は貰って、レンが貰ってないのは確かに変だけ――」
「リータぁぁぁぁ!!」
「ぷはぁー! リータヤバいっス〜!!」
心配気な瞳で、グサリと言葉を突き刺す獣人の少女。
そう、レンカイは羨ましくて仕方が無かったのだ。
親睦会をやった日の夜から、リータ達の持つ『弟子の証』が。
あの日、家に集まった子供達は、それぞれに顔を輝かせていた。
貰った証を、嬉々として見せ合いながら。
クレインは、エルフ族の好む刺繍の入ったローブを。
ロクサーナは、【無頼の鍛治工】の紋章が入った群青色のバンダナを。
そして、リータは教会の正規神官である女神像を象った金ネックレスと、『側仕え』の証である銀のブレスレットを。
しかし、レンカイだけが何も無かったのだ。
大切な仲間が喜んでいる姿は、勿論心から嬉しい。
だが、レンカイはまだまだ子供であり、男の子である。
そういった証に憧れを持つ事は、至って普通なのだ。
「くっそぉ……あーそうだよ! 羨ましいよ!」
「ホント素直じゃないよね〜」
「だったら、レンカイも師匠に頼めば良いじゃないっスか」
「そうだよ。ラディオ様なら、きっと叶えてくれるよ?」
「そんな事、言える訳ねぇだろ。稽古をつけてくれて、家に置いて貰って、部屋までくれて……これ以上迷惑掛けてどーすんだよ」
レンカイの言葉に、子供達も『イジり過ぎた』と反省する。
すると、噂をすれば何とやら。
グレナダを抱いたラディオが、此方にやって来きたのだ。
「ラディオさん、レナンちゃん、こんちはっス〜」
「こんにちは!」
「ラディオ様、レナンちゃん、お元気そうで何よりです」
「こんにちは。皆揃って、レンに用事かな?」
「……こんにちはなのだ」
朗らかに挨拶を返したラディオ。
しかし、グレナダは頬をぷくっと膨らませて、少しご機嫌斜めだ。
ラディオの服を片手でギュッと掴みながらも、もう片方の手でしっかりと絵本を抱えている。
来客の声に反応したラディオが、途中で読むのを止めてしまった事が原因なのは、間違いない。
「あれれ? レナンちゃんご機嫌斜めっスね〜。じゃあ……こうしちゃうっスよ〜」
「……う〜〜……へ、へへっ……きゃははっ!」
「可愛い〜♡ 今日の着ぐるみさんも良く似合ってるよ」
そんなグレナダの異変に気付くのは、やはり少女達だ。
即座に近付き、嫌がらない様にスキンシップをはかる。
すると、堪えていたグレナダも、次第に笑い声を上げてくれた。
そんな中、クレインがラディオに話し掛ける。
「ラディオさん、午後からレンカイを借りても良いですか?」
「ちょっ! 何言ってんだよクレイン!」
「ふむ、と言うと?」
レンカイは慌ててクレインを羽交い締めにするが、柔らかく微笑んだラディオに宥められた。
そして、午後の休みを貰った事を知る。
『成る程』と頷いたラディオは、少年の肩に手を置いて語り掛けた。
「レン、折角のお誘いだ。今日は休みにしよう」
「えっ! 良いんですか!?」
「あぁ。友と過ごす時間も、とても大切な事だからね。だが、あまり遅くならない様に」
「はい! ありがとうございます!」
「やったね、レンカイ!」
「いや〜、言ってみるもんスね〜」
「ロクサーナが言った訳じゃないけどね」
盛り上がる子供達を、優しい瞳で見つめるラディオ。
すると、思い出した様にロクサーナが声を上げる。
「あっ! そう言えば、親方から伝言っス。『いつでも準備は出来てるぜ! だっはっはっはっ!』だ、そうっス」
「そうか……有難う。さぁ、今日は良い天気だ。楽しんでおいで」
「「「は〜い!」」」
「師匠、行ってきまーす!」
賑やかに歩いて行く背中を見送ったラディオは、暫し考えを巡らせる。
そして、娘を下ろし、しっかりと目を見て話を始めた。
「レナン、私達もお出掛けしよう」
「えっ! おでかけ……でも、ごほんは……?」
久し振りのお出掛けは、とても魅力的な提案だった。
だが、絵本もまだ途中。
眉根を寄せて、必死に考え込むグレナダ。
ラディオはそんな愛くるしい娘を見て、頬を緩々に綻ばせる。
「では、こうしようか。お出掛けをして、夜寝る前に一緒に本を読もう」
「……おやくそく?」
「あぁ、お約束だ」
「じゃあ、レナンおでかけするのだぁ♡」
「良かった。では、準備をしよう」
「あいっ♡」
こうして、ラディオ達も外へ行く事になった。
『ちちくん』と絵本を詰め込んだリュックを背負い、幸せ一杯のグレナダ。
ラディオと手を繋ぎ、尻尾をフリフリしながらランサリオンへ向かう。




