第88話 父、決して許さない
夕食とデザートを終えたラディオ達は、今は各々寛いでいる。
大人達は弟子の事で盛り上がり、子供達はそれぞれに貰った『証』を自慢していた。
そんな中、1人テラスに座り、月を見上げていたレンカイ。
其処へ、ラディオがやって来た。
「隣に座っても良いかな?」
「あっ、勿論です!」
笑顔で頷いた少年にジュースを手渡し、隣に腰掛ける。
同じく月を見上げながら、慎重に言葉を選ぶ。
「……夕食はどうだった?」
「とってもウマか――じゃなかった。美味しかったです!」
「良かった。そうだな……少し、話をしないか?」
「はい? どうしたんですか?」
「言いたくない事は言わなくて良いが、私はもっと君を知りたい。良ければ教えてくれないか……君の母君の事を」
「あ……えと……」
分かっていた問い掛け。
しかし、思わず口籠もってしまう少年。
「すまない。やはり、不躾だったね。この話はまたいずれ――」
「いえ! その……大丈夫です。でも……少し、ゆっくりでも良いですか……?」
「勿論だ……有難う」
渡されたジュースを一気に飲み干し、『ふぅ』と息を整える。
少しの間を置いて、少年は月を見上げながら言葉を紡いだ。
「俺の最初の記憶は、ランサリオンです。母ちゃんは、8年くらい前って言ってたから……2歳から住んでる、と思います」
(……少し時差があるな)
レンカイの話を聞きながら、ラディオは思案に耽る。
「母ちゃんは、1人で……一生懸命、俺を育ててくれました。でも2年前、体を壊しちゃったんです……ぐすっ」
コップを持つ手を震わせ、俯く少年。
だが、ラディオは何も言わずに、次の言葉を待った。
「……母ちゃんの病気を治すには、いっぱいお金が必要でした。でも、その時俺も病気になっちゃったんです。母ちゃんは、自分の事は全然考えずに……俺の為に、角を差し出したんです……! 自分も病気だから……働けなかったから……あの時、俺が病気なんかにならなきゃ……!」
紅玉の瞳に溜まった涙は、今にも零れ落ちそうだった。
その時、不意に肩に回された大きな腕。
力強く温かなその腕が、心から想う声が、少年の体に染み込んで行く。
「……良く頑張った。君の母君を想う心は、必ず届いている。何故なら、君はこんなにも真っ直ぐで……美しいのだから」
「師匠ぉ……! はいっ!」
涙を拭い、くしゃっと微笑みを浮かべた少年。
明らかに無理をしているものだが、その心に感嘆を禁じ得ない。
だが同時に、ラディオに電流が走った。
「レン、君の母君は……モモという名ではないか?」
「え……母ちゃんを知ってるんですか?」
何故今迄気づかなかったのか。
レンカイの髪や瞳の色、そして顔立ちは『ホウレン』そのもの。
しかし、良く見れば瞳の形が全く同じ。
そして、何よりもくしゃっと笑ったその顔は、紛れもない『モモ』のそれだった。
「そうか……いや、そうなのだろうな。中断してしまってすまないが、私の話を聞いてくれるか?」
「はい……?」
「嘗て、私は『五国五年』の修行に出ていた。その内の1つが『幽玄郷』。そこで出逢ったのが、君の母君と――」
「母ちゃんと……?」
「兄姉の他に各国に1ずつ、私には師と呼べる人々が居る。幽玄郷で出逢いしは、【桜鬼】と呼ばれた護鬼筆頭。その方は、歴代でも群を抜いた強さと……果ての無い愛に溢れた御仁だった」
少年に面影を映し、穏やかな笑みを浮かべたラディオ。
そして、『鬼人の友』との想い出を語り始める。
▽▼▽
数十年前――
サニアの元を巣立ってから数ヶ月後、ラディオは雷霆竜に導かれ、極東の島国に降り立った。
そこは、小さいながらも大国と変わらぬ活気に満ち溢れた、鬼人の国『幽玄郷』。
国を治めているのは、『殿』と呼ばれる領主の一族。
ラディオが赴いた目的は、自己研鑽の為。
五体の竜が庇護を授ける国々に、それぞれ1年ずつ住まうと言うもの。
故に『五国五年』と呼ばれ、其処で目覚めし『竜装』の力は、後にラディオの大きな財産となっていく。
幽玄郷は、最初の国だった。
平屋の家々が立ち並び、着物と言われる独特な服装をした鬼人達。
大きな石造りの階段を上っていくと、見えて来たのは立派な城。
その背後には、えも言われぬ神々しさを放つ巨大な一本の樹。
それは、『桜』と呼ばれる幽玄郷固有の植物。
見事に色付いた薄紅色の花弁が、凛々しく咲き誇る様は荘厳な一言。
その美しさは類を見ず、『桜色』と呼ばれる程。
国では御神木として崇められ、それを護る任に就く事は、大変な名誉であった。
雷霆竜と共に城に通されると、早速殿に挨拶をするラディオ。
すると、その横に座る10歳程の少女が、くしゃっと笑い掛けて来た。
名をモモと言い、次代の領主となる姫君である。
モモは天真爛漫な人柄で、直ぐにラディオと仲良くなった。
城の案内を申し出るや、ラディオの手を引っ張り走り出す。
そんな娘の姿を見て、膝を叩いて笑う殿の声は、今でも良く憶えていた。
畳の部屋を幾つも越え、長い廊下を幾つも渡り、やがて城の裏手に辿り着く。
すると、今ままで元気溌剌だった姫が急にモジモジし始めた。
耳まで真っ赤に染め上げ、陶酔しきった瞳で一点を見つめる。
其処には、御神木の前で刀を振るう人影が在った。
美しい紅玉の瞳と、整えられた光沢のある黒髪を持つ青年。
彼の名はホウレン。
御神木を護る任を帯びた『護鬼』の1人にして、それらを纏め上げる『筆頭』。
その圧倒的な実力から、【桜鬼】と呼ばれる『侍』だった。
モモはひたすらにホウレンを見つめ、溜息を漏らす。
一瞬理由を考えたが、直ぐに納得した様に頷いたラディオ。
『確かに。あれだけの剣技を奮える者は、稀な存在だ』と。
この頃から既に、壊滅的な鈍感さを有していたのである。
その時、此方に気付いたホウレンが、揚々と歩いて来た。
黒髪の青年と、『きゃっ……』とその背中に隠れた顔見知りの姫に、快活な声で挨拶をする。
ラディオも挨拶を返し、素晴らしい剣技を褒め称えた。
すると、朗らかに笑みを浮かべたホウレンは、『手合わせしよう』と木刀を投げ渡して来た。
これは良い経験とばかりに、ラディオも快諾する。
『かの雷霆竜様が連れて来た弟か。楽しみだ!』
『貴方の剣捌きは、素晴らしい。手合わせ出来る事、光栄に思います。いざ尋常に――はぁぁっ!』
掛け声と共に駆け出したラディオ。
だが、ホウレンは動かなかった。
じっと剣先を見つめ、ラディオの見た事の無い構えを取っている。
そして――
『踏み込みは良い。剣の使い方も知っている。でも、刀は知らないみたいだな。それじゃあ、『桜の国』の『侍』には勝てないぜ!』
気付けば、ラディオは空を見上げていた。
憶えているのは、瞬きと同時に眼前に迫っていた切っ先。
ズラされた軌道と、同時に襲い来た手首と鳩尾への激痛。
足を払われ、回転しながら地面に倒れ込んだ事。
しかし、起き上がったラディオの顔には、感動が刻まれていた。
世界はこんなにも広く、強者に際限が無い。
それを教えてくれた母の愛に感謝し、出逢いをくれた雷霆竜に感謝する。
そして、『強者』にも最大の賞賛と感謝を送るのだ。
これが鬼人、これが『侍』の力なのかと。
この時、ホウレンもまたラディオの底知れぬ力を感じ取っていた。
刀の扱いを教えれば、直ぐに国の侍頭にも引けを取らぬ様になるだろうと。
固い握手を交わした青年達は、互いに笑顔を浮かべる。
その瞳に、煌々と燃える興奮を携えながら。
こうして、雷霆竜とホウレンの指導の元、『侍』というものを学んだラディオ。
半年後、遂に『竜装』の力を顕現させる。
現れしは、蒼百の雷を纏いし純白の刀。
それは正しく、【桜鬼】との友情の証だった。
そこから半年は、技の習熟に費やす事になる。
名を《十式》。
ラディオ用にアレンジされた、【桜鬼】が編み出した連撃剣術だ。
あっという間に1年は過ぎ、別れの時がやって来る。
生涯の友となったホウレンとモモ姫、そして幽玄郷の鬼人達に見送られ、ラディオは次の国へ旅立って行った。
必ずまた会いに来ると、友に誓いを立てて。
▽▼▽
「こうして、私はかけがえのない友を得る事が出来た。2人は、私に抱えきれぬ程の想い出もくれた。他愛も無い会話に興じ、共に汗を流し、祭りで騒ぎ。私は、あの笑顔を決して忘れない……【桜鬼】と、『桜の姫君』の笑顔をね」
「母ちゃんが、姫だったなんて……」
「モモ・オウカ……君の母君は、幽玄郷の領主の一人娘。レン、君はその正当後継者だ。それに……」
「【桜鬼】が……俺の、父ちゃん……」
ラディオは穏やかな笑みで頷いたが、またも顔を伏せた少年。
愛する母の想い出を聞けた事は嬉しい。
だが、顔も憶えていない『父親』への怒りが、どうしても消えない。
無意識に小刀を握り締め、迷いの中に沈んでいく。
「でも、とお――アイツは、俺と母ちゃんを捨てたんです。じゃなきゃ……何で母ちゃんはランサリオンに来たんですか!? 国の姫様なら、そんな事しないですよね!? それに、母ちゃんの事愛してたなら……様子を見に来る筈だ……! でも、母ちゃんが死んでも……アイツは何も……!」
「……私もその部分が不可解だった」
「母ちゃんの話を聞けたのは嬉しかったです、ありがとうございました。でも、俺はアイツを許す気はありません。母ちゃんは……俺が取り戻します! その為に強くなります!」
「……そうか。君の想い、私が必ず成就させよう」
「はいっ! 頑張ります!」
少年は朗らかな笑顔を見せると、一礼してリビングへ駆けて行く。
残されたラディオは月を見上げ、深い溜息を漏らした。
(ホウレン殿……一体何が――)
娼館街でレンカイと再会してから、ずっと疑問に思っていた。
ホウレンの人となりを知っているからこそ、その息子が『枷者』に堕ちている事が信じられなかった。
イトに情報収集の依頼を出す程に。
そして今日、やっと内容を知り得た。
だが、書かれていた事が、余計にラディオの頭を悩ませる。
『国家転覆を企てた首謀者は、殿と一人娘を殺害してはります。
でも、駆け付けた護鬼によって、その首はあっさりと討ち取られたらしいですわ。
これが、7年前に起きた悲惨な事件の全容……『桜鬼の反乱』の顛末ですわ』
幽玄郷は島国であるが故に、普段から余り情報が出て来ない。
加えて、国の中心人物が反乱を起こしたとあっては、対外的にも示しが付かない。
故に、出回っている情報は、多少の身内争いがあったという程度。
噂は耳にしていたラディオだったが、核心が欲しかった。
知らされた真実は、到底信じ難いもの。
しかし、不可解な点もある。
殺害されたという『姫君』は生きていた事が分かったし、『レンカイの存在』も明記されていなかったのだ。
(……現在の領主が『ゲッコウ』一族である事も含め、重大な秘密がある事は間違い無い。一度、幽玄郷に出向く必要があるな)
月を見上げながら、ラディオは亡き友へ手を合わせた。
必ず真相を暴いてみせる。
そして、紡がれた命を護りきる……そう、心に誓って。
▽▼▽
「ちーちっ♡ エルがよんでるのだ!」
暫くテラスに座っていると、グレナダが駆けて来た。
走る勢いそのままにラディオの背中に飛び込み、肩越しに頬を擦り付けながら、目一杯甘える。
「もうこんな時間か。皆を見送って、歯を磨こうか」
「あいっ♡」
ラディオは娘を背負ったまま立ち上がり、リビングへ戻った。
既に帰り支度を整えていた面々は、愉快だった夕食の事を喋りつつ、順々に外に出ていく。
「今日は集まってくれて有難う。帰り道、気を付けて」
「ばいばいなのだ〜!」
街道に消えて行く背中に、ブンブンと手を振るグレナダ。
完全に姿が見えなくなった頃、ラディオの前に立ったレンカイが、徐に頭を下げた。
「師匠、今日は本当にご馳走様でした。俺……俺、こういうの本当に久し振りで……楽しかったです!」
「それは良かった。只、明日からは修行が始まる。私も精一杯やらせて貰うよ」
「はいっ! 明日は何時ぐらいから始めますか?」
「そうだな……早朝からやりたいと思っている。起きられるかな?」
「早朝……分かりました! じゃあ、失礼しますっ!」
挨拶を済ませ、走り出そうとしたレンカイ。
しかし、驚いた顔のラディオに腕を掴まれた。
「レン……何処へ行く?」
「えと、今日の宿を探しに……」
成る程。
ラディオは少年の心を推しはかり、眉根を寄せた。
「レン、その必要は無い。今日から此処で寝ればいいんだ」
「……でも、ご迷惑が掛かりますし……その……」
そう言って俯いた少年を、ラディオは力強く抱き締めた。
「君が『強い』事は知っている。でもね、まだ子供で居て良いんだ。それは、君の大事な権利なんだよ」
「権利……」
「そうだ。師弟とは一心同体、つまり『家族』だ。だからこそ、敢えて厳しい事を言わせて貰う。どんなに修行が辛くとも、君の帰る家は此処に在る」
「うっ……!」
「母君を失ってから、どれ程の我慢を、どれ程の遠慮をしてきたのか……私には分かる。でもね、君はもう十分に堪えた。これから先、遠慮も我慢も必要無い。そんな事は、私が決して許さない……良いね」
「師匠……ぐすっ……うわぁぁぁぁん! うわぁぁぁぁん!」
心に溜めこんでいた悲しみが、涙と共に溢れ出す。
ラディオは気付いていた。
ギルドで見せたレンカイの瞳が、大広場で見せたその背中が、『家族』の温かさを求めている事を。
だからこそ、『家に帰ろう』と言ったのだから。
「さぁ、帰ろう。私達の家に」
「にーちゃ! ねんねするまえにはみがきするのだ!」
「ひぐっ……うぅ……!」
涙を拭う少年の両手が、温かな感覚に包まれる。
大きな手と小さな手が、ギュッと握り締めてくれたから。
「うっ……うわぁぁぁぁん! うわぁぁぁぁん!」
玄関脇には、ラディオが1人で買いに行った大きな荷物が置いてある。
その中には、レンカイの為に買った日用品が、山の様に入っていた。




