第87話 父、家路へと
「いらっしゃいませー!」
「はーい、お伺いしまーす!」
元気の良い声が響く、『ドルチェ・デ・テンティオネ』。
ショーケースのケーキはあれよあれよと言う間に無くなり、奥の座席は女性達で埋まっている。
その間を忙しく動き回る店員達。
持ち帰りで買った者、席で舌鼓を打つ者。
そんな幸せに満ちた顔を、嬉しそうに眺めながら。
「あっ、いらっしゃーい!」
其処へ、また1組の客が入って来た。
宝石と見紛う紅い瞳をキラキラと輝かせ、少年の手を引っ張る幼女。
ショーケースに張り付くと、鮮やかに彩られたケーキを眺め、尻尾をブンブン振り始める。
「にーちゃ! はんぶんこっなのだ!」
「あぁ……良い匂い……」
やって来たのは、グレナダ達だ。
目的は2つ。
1つは、晩御飯のデザートを買う為。
もう1つは、『家族』を紹介する為。
すると、グレナダの声に奥に居た店員が反応を示し、此方に駆けて来た。
「ラディオ、様……いらしゃい、ませ♡」
「あぁ、お邪魔するよ」
はち切れんばかりに実ったメロンメロンが、左右からはみ出てしまっているエプロン姿のカリシャ。
何と、誕生日旅行の次の日から、この店で働き始めていたのだ。
その事をレミアナから聞いていたラディオは、穏やかな笑みを浮かべる。
「相変わらず盛況な店だね。仕事の方はどうかな?」
「は、い……楽し、です!」
「……そうか」
尻尾をブンブン振りながら、笑顔を見せるカリシャ。
これだけ良い顔をしてくれるのならば、ラディオも安心出来る。
すると、カリシャに気付いたグレナダが此方にやって来た。
「カリシャ〜♡」
「レナン、ちゃん! いらしゃい、ませ♡」
カリシャに抱き締められ、嬉しそうに甘えるグレナダ。
その時、少し緊張した面持ちで近付いて来た少年が目に入る。
グレナダの頭を撫でながら、カリシャは首を傾げた。
「だ、れ……?」
「カリシャ、此方はレンカイ。今日から私の弟子となった子だ。レン、此方はカリシャ。私達の大切な『家族』の1人だよ」
「あ、えと、宜しくお願いします!」
「おねが、い……ます!」
ラディオからの紹介を受け、互いに挨拶を交わすカリシャ達。
すると、今度はラディオの足に絡みつき、グレナダが甘え出した。
「ちーちっ♡ レナン、めろんとちょこがいいのだ〜」
「そうか。レンは何か好みの物はあったかな?」
「え……俺も、良いんですか?」
「勿論だとも」
「うわぁ! えと、じゃあ……モンブランが良いです」
「分かった。今日は沢山買っていくからね。レナンと一緒に選んでやってくれないか?」
「はいっ!」
子供達を促すと、またショーケースに駆けて行く。
先程よりも、もっとキラキラと瞳を輝かせながら。
優しい微笑みで2人人を見ていたラディオは、ハッと気付いた様にカリシャの方へ向き直る。
「所で、今日は仕事終わりに予定はあるかな? 親睦会も兼ねて、レミアナ達と食事をする予定なんだ」
「あ……えと、その……今日、は……」
問い掛けられたカリシャは、俯いてモジモジし始めてしまう。
疑問に思ったラディオが声を掛けようとすると、カウンターから1人の店員が出て来た。
疲労困憊といった顔で、カリシャの肩にうな垂れる。
「あぁ〜! つーかーれーたー! ラッシュはキツイわ〜。カリシャが来てくれて本当に助かってるよ〜」
カリシャの首元に抱きつき、ふにゃふにゃする店員。
「あ、でも今夜は楽しみだね! カリシャの歓迎会なんだから、パーっと食べて飲んで騒がなきゃ!」
「う、うん……あの、でも……今日、は……」
成る程、そういう事か。
ラディオは嬉しそうに微笑むと、カリシャに絡んでいる店員に頭を下げた。
「カリシャがいつもお世話になっております。娘達もここのケーキが大好きなので、普段から利用させて頂いています。この子は、本当に素直で優しい心の持ち主です。どうか……宜しくお願い致します」
中年の突然の行動に、キョトンとする店員。
だが、チラリとショーケースの方を見やると、着ぐるみ姿の幼女が1人。
背負っている小ぶりのリュックには、ジッパーに『レジェンドシリーズ』が付いていた。
一拍置いて、ニヤリとした店員。
「カリシャ〜……例の人だな〜♡」
すると、顔を真っ赤に染め上げたカリシャ。
目を泳がせ、耳をピクピクと震わせる。
しかし、小さくではあるが、確実にコクンと頷いた。
「『直談判の日』に休みだったの後悔したけど、やっと知れて良かった〜♡ へぇ〜、ふ〜ん……あっ、ごゆっくり〜!」
ニヤニヤとカリシャを眺めていた店員。
しかし、空気を察し、またカウターの奥へと引っ込んでいった。
残されたカリシャは、未だ熟したトマトの様に赤いまま。
何も察せない中年は首を傾げたが、改めてカリシャに声を掛ける。
「今日は歓迎会だったんだね。君が受け入れられて、私も嬉しく思う。食事には、また今度誘わせてもらうよ。思い切り楽しんで来ると良い」
「ラディオ、様……は、いっ♡」
カリシャは幸せ一杯に微笑むと、仕事に戻って行く。
少しの間、その仕事ぶりを眺めていたが、娘達の呼ぶ声が聞こえて来た。
2人の意見を存分に取り入れつつ、ケーキを選ぶラディオ。
その心を、じんわりと温めながら。
▽▼▽
「ちちっ♡ たかいのしてほしいのだぁ♡」
バザールを歩いていると、グレナダが此方を見上げおねだりをして来た。
右手をラディオ、左手をレンカイと繋ぎ、ニコニコと満開の笑顔を咲かせる。
人の邪魔にならない所まで移動すると、ラディオは少年に声を掛けた。
「レン、すまないが協力してくれるか?」
「はいっ! レナン、いっくぞ〜! せーのっ!」
「いや〜♡ きゃはははっ♡」
両方から持ち上げられ、ふわりと宙に浮かぶ小さな体。
聞こえる笑い声に、ラディオ達の頬も自然と緩んでいく。
『もういっかいなのだぁ♡』と、グレナダがおねだりをした時、何かが此方に飛来して来るのが見えた。
「〜〜〜〜♪」
ラディオの顔に張り付くと、全身を使ってスリスリし始める。
「やぁ、ピー。元気かい?」
「〜〜〜〜♡」
そう、飛んで来たのはイトの使い魔である。
昔から、何故かラディオに懐いているので、今も絶賛愛情表現中と言う訳だ。
すると、ピーが背負っている羊皮紙が気になったラディオ。
使い魔の体長を超え、中々に分厚く丸められている。
「ピー、これは?」
「――! 〜〜〜〜♪」
ラディオの言葉に、ハッと気付いたピー。
会えた喜びで我を忘れてしまった様だ。
身振りで、羊皮紙を外してくれと伝える使い魔。
ラディオが外してやると、それを読めと促す。
「……いつもながらに早いな。やはり……そうなのか」
内容を確認すると、ラディオは重苦しい表情を見せた。
しかし、直ぐに笑顔を作り、感謝を込めて使い魔の頬を撫でる。
ピーはデレデレして喜ぶが、その時ブルっと体が震えた。
見ると、ぶら下げているネックレスが淡く発光をしている。
「ーーーー!!」
「わざわざすまなかったね。イトにも宜しく伝えてくれ」
そう、送り主は勿論イトである。
羊皮紙を外して一定時間が経つと、ネックレスが発光する仕組みにしていたのだ。
でなければ、いつまで経っても使い魔が帰って来ないから。
ピーはラディオの頬に全身をスリスリしてから、名残惜しそうに飛び去って行く。
見えなくなるまで見送っていたが、ラディオの瞳はとても物憂げな光を灯していた。
「師匠、あのちっさいのは?」
ラディオが振り向くと、子供達が同じ顔でキョトンとしていた。
羊皮紙をバックパックにしまいつつ、ラディオは説明を始める。
「あの子はピーと言ってね。『情報屋』の使い魔の1人だよ」
「情報屋……あっ! それってあの時の?」
「そうだ。彼の名はイト。私は、何度無く彼に助けられている。私にとって、紛れも無い『家族』の1人だ」
そう言いつつ、イトの店の方向を見上げたラディオ。
情報屋の仕事の速さに感心し、心遣いに感謝を送って。
「さぁ、行こうか」
「あいっ♡」
「はい!」
徐々に沈み始めた太陽を背に、ラディオ達は再び歩き出す。
▽▼▽
「にーちゃ〜! みて〜!」
「お! じゃあ俺も――そらっ!」
「きゃはははっ♡ つめたくてきもちいいのだ〜!」
大広場の噴水で、互いに水を掛け合う子供達。
『此処でレナンの遊び相手をしてやって欲しい』と頼まれてから、一時間程が経過していた。
「あははっ! あっ、レナン!?」
すると、突然走り出したグレナダ。
瞬間、ラディオから聞いていた忠告を思い出す。
『この子は中々足が速い。一度逃げられたら、捕まえるのは骨が折れるかも知れないね』
確かに速い。
だが、レンカイの反応速度も負けてはいなかった。
後を追いかけ、程なくしてグレナダを捕まる。
すると、満開の笑顔を咲かせて、幼女は笑い声を上げるのだ。
「いや〜♡ きゃはははっ♡」
「急に走ったら危ないだろ〜。全くレナンは――あはははっ!」
グレナダに腹をくすぐられ、思わず笑ってしまった少年。
因みに、グレナダが走り出す事に特に理由は無い。
只々、追いかけて来て欲しいだけである。
そんな事を繰り返しながら、ラディオを待っていると、もう太陽が沈みかけていた。
「もう帰るわよ〜」
「えぇー! もう少しだけ〜」
「だーめ。ほら、お腹空いたでしょう? お家に帰ってご飯にしましょう」
その時、周囲から聞こえた親子のそんな会話。
見ると、周りで遊んでいた子供が親に連れられて、家路へと向かっている。
その姿を眺めていた少年は、寂しさを顔に落とし込み、噴水の縁に腰掛けた。
「……にーちゃ?」
「…………」
突然元気が無くなったレンカイ。
何事かとグレナダが問い掛けるが、反応を示さない。
「にーちゃ!」
「え……あぁ、ごめんな。おいで」
大きな声に気付くと、グレナダが眉根を寄せて此方を見ていた。
その小さな両手を、大きく広げて。
レンカイは優しく微笑むと、グレナダを抱き上げ膝の上に乗せた。
思い出すのは、母の事。
自分が幼い頃、こうしていつでも温かさをくれた。
(母ちゃん……)
少年は、幼女に悟られぬよう声を押し殺す。
頭を撫でられ、ご機嫌に尻尾を振っている事が救いだった。
1人、また1人と子供達が親の元へ行く中、沈み行く太陽を見つめるレンカイ。
(ぐすっ……待ってて、母ちゃん……)
紅玉の瞳から溢れそうになる雫は、茜色に染まる光が目に染みただけでは無いだろう。
その時、とても温かな声が聞こえて来た――
「レナン、レン、待たせてしまったね。家に帰ろう」
振り向くと、大きな荷物を抱えたラディオの姿が其処にあった。
優しい笑顔を浮かべて、手招きをしている。
もう我慢が出来ずに、一目散に走って行ったグレナダ。
そして、涙を拭い笑顔を見せたレンカイ。
「兄さんに遊んでもらって、楽しかったかい?」
「あいっ♡ たのしかったのだぁ〜♡」
「そうか。レン、本当に助かった。お陰で買いたい物も揃える事が出来たし、発注も掛けられた。さぁ、帰ろう」
「……はいっ!」
娘と同じく、少年の頭を撫でるラディオ。
夕暮れの中、3人は互いに微笑み合う。
そして、家路へと向かうのだ。
仲良く手を繋ぎながら、ゆっくりと娘の歩幅に合わせて。




