第84話 父、迷惑でなければ
数日後――
ランサリオンに帰って来たラディオ達は、いつもの日常へ戻っていた。
とは言っても、旅行の前後で変わった事が2つある。
1つは、家族から貰ったプレゼントが家を彩り、親子の首には大切なネックレスがぶら下がるようになった事。
もう1つは、『ペット』が居なくなった事だ。
最初は、『メイドとして常にご主人様のお側に侍るのが、私の使命ですわ!』と言って聞かなかったが、それについては大神官長に断固阻止されている。
そこで、カリシャの様に教会の空き部屋を用意したが、元暗殺者が神聖な場に居るのは相応しくない、と断った様で。
何やら含みのある笑みを零しながら、下段の宿でここ数日を過ごしている。
「レナン、準備は出来たかな?」
「まってなのだー!」
玄関で娘を待つラディオ。
今日は『約束の日』、遅れる訳にはいかない。
程なくして、グレナダがとてとてと駆けて来た。
満開に笑顔を咲かせ、大きく手を上げてラディオに報告する。
「じゅんびできたのだー!」
「……本当にそれで行くのかい?」
「あいっ♡ 『ちちくん』といっしょなのだぁ♡」
「……そうか」
ラディオは少し遠い目をしながら、娘にフードを被せた。
今日の着ぐるみは、垂れ耳の犬・夏仕様である。
相変わらず顔は不細工だが、それよりも気になるのは娘の背中。
ケーキのキーホルダーを付けた、竜の羽飾りのあるリュックを背負う娘。
そこまでなら、何ら問題は無い。
しかし、その中に詰め込まれ、首元をギュッとリュックの口で閉じられた『人形』が、此方を見つめているのだ。
(…………まぁ、良いか)
勿論、レミアナ自慢の『1/5スケールラディオ様人形DX』である。
しかし、娘がいたく気に入っているので、無碍には出来ない。
ラディオは頬をポリポリと掻きながら、玄関を出た。
「そう言えば、春節の前にアルラン山に戻ろうか。ばぁばが待っているからね」
「しゅんせつ?」
「うん、何と言えば良いか……新しい年が始まる時、レナンがまた1つ大きくなれる年の事だよ」
「あいっ! ばぁばとあそぶのだ〜♡」
意味を良く分かっていない様だが、嬉しそうなので良しとしよう。
因みに、何故里帰りをしようとするのかというと――
『春節は必ず帰ってくるのじゃぞ! 必ずじゃ、分かるな! 絶対じゃからな!……絶対の絶対じゃからなっ!!』
ラディオ達と離れたくなかったが、いつまでも山を空ける訳にもいかない。
しかし、言わなければ里帰りがいつになる事やら。
という事で、キツく言い聞かせたのである。
「それとね、今日はお仕事で行くんじゃないだ。会いたい人が居てね。レナンも、会ってくれるかな?」
「あいっ! おともだちなのだ!」
「そうだね……そうなってくれると良いね」
親子は手を繋ぎ、約束の時間に遅れぬ様、街道を歩いて行く。
▽▼▽
タワー1階・『ギルド受付』――
「うーん……はぁぁ……緊張するなぁ……!」
談話スペースをひっきりなしに歩き回る、1人の少年。
横には、クスクスと笑いを堪えながら、ソファーに座る2人の仲間の姿。
すると、スカイブルーの髪をサイドテールに纏めた女の子が、我慢出来ずに吹き出してしまう。
「ぷふぅ! くっく……もうダメっす……! 面白過ぎるっスよぉ! 何なんスかレンカイのそれぇー! あははははっ!」
「な、何だよ! 身だしなみだろ!?」
『会いたい人』の正体は、勿論レンカイの事である。
ラディオの配慮によって、良く食べ良く寝られたのだろう。
髪や肌のツヤが娼館街の時とはまるで違うし、服も綺麗に洗濯してある。
これなら、身だしなみを整えたと言って良い……似合う似合わないは別として。
「え……お、おかしくないよなっ!? なっ!? クレイン!!」
「え、え〜とぉ……う、うん……僕は良いと……ぷははっ!」
燃える様な紅蓮の瞳に焦りを浮かべながら、問い掛けるレンカイ。
しかし、堪えた笑いで体が小刻みに揺れてしまうクレインは、ずり落ちる眼鏡を直すので精一杯だった。
「もぅ! 2人共笑い過ぎ。レン、それ変じゃないよ?」
「リ、リータぁ……!」
今日のレンカイは、いつものボサボサ頭では無い。
宿屋にあった整髪剤を使って、ピッチリテッカテカの七三分けに整えて来ていた。
出合い頭にこれを見せられ、ロクサーナとクレインは撃沈したという訳である。
しかし、リータだけが唯一の救い――
「うん、全然おかしくない。髪型はね。まぁ、そもそもレンには全然似合ってないけ――」
「リータぁぁぁぁ!?」
「ぷはぁー! リータが一番辛辣っスよ〜! あははははっ!」
にはならなかった。
瞳と同じくらい顔を真っ赤にしたレンカイは、グシャグシャと頭を擦り始める。
少年の繊細な心に、真顔の少女の否定は中々に突き刺さった様だ。
グッタリとソファーに倒れ込み、仲間達を睨むレンカイ。
クレインが『まぁまぁ』とレンカイを宥めていると、ロクサーナが玄関口の方を指差した。
「ちょっとちょっと! あれ見るっス!」
「師匠かっ!?……何だよ、違うじゃねぇか」
何故か髪を撫で付けながら、飛び上がったレンカイ。
だが、別人と分かると、またもソファーに倒れ込んだ。
「でも、こんな時間に【女帝】さんが来るなんて珍しいよね。いつも朝から潜ってるイメージだけど」
眼鏡を持ち上げながら、クレインは首を傾げる。
現れたのは、フードを目深に被り、ハイウエストパンツに鎧のグリーヴのみを装着した、トリーチェだった。
ラディオから指定された時間は正午。
丁度、人が入れ替わる前のタイミングである。
「ん〜? じゃあ、今日は訓練でもするんだろ」
トリーチェを一瞥し、軽装からそう判断したレンカイ。
『成る程〜』とクレインが感心していると、今度はリータが声を上げる。
「ねぇ見て〜♡ あの子可愛い〜♡」
「師匠……な訳ねぇか。可愛いって……うん、確かに可愛いな」
リータ達の目線の先には、トリーチェに駆け寄る幼女の姿があった。
良く分からない顔の着ぐるみである事を差し引いても、短い足でとてとてと走る様は、とても愛らしい。
「あんな小さいのに、【女帝】さんと知り合いとはやるっスね〜、あの子」
「知り合い……よりも、もっと近いんじゃないかな? 2人共凄い笑顔だよ」
「そう言えば、トリーチェ様も良く教会に来てた様な……?」
「やっぱ来るの早過ぎたかな〜。まだ半刻もあるもんなぁ――あっ!!」
たわいも無い会話に興じていたその時、レンカイが声を上げた。
電流が走った様に立ち上がり、大きく深呼吸をし始める。
その瞳は玄関口に釘付けとなり、其処には穏やかな顔を見せる『中年』が歩いているのだ。
そして、幼女の側まで行くと、愛に溢れた微笑みで優しく抱き上げている。
更に、【女帝】までもがフニャフニャし始め、ぎこちない動きになった。
極め付けは、此方に向かって歩き始めた事。
直立不動のレンカイに、どうやら気付いたらしい。
「やぁ、待たせてしまったかな? こんなにも早く来ているとは思わなくてね。すまなかった」
「いえっ! お待ちしてました! あっ違う……全然待ってません!」
絡繰人形の様にギクシャク歩き、遂にラディオと対面したレンカイ。
お互いに挨拶を交わすが、微妙に噛み合っていない。
すると、リータ達も此方にやって来た。
ラディオは和かに微笑み、改めて挨拶をする。
「初めまして……では無いかな。いや、ちゃんと話すのは初めてだね。私はラディオ、縁あってレンカイに稽古を付ける事になった者だ」
「えと、初めまして! クレインと言います!」
「ロクサーナっス! 宜しくお願いするっス〜」
「初めまして、ラディオ様。私、由緒ある教会で神官見習いを務めさせて頂いています、リータ・カリエティと申します」
子供達はそれぞれに、しっかりと挨拶を交わす。
ラディオは感心した様に頷くと、腕の中に収まっていた娘を、子供達の前に下ろした。
「この子は私の娘で、グレナダと言うんだ。まだまだ甘えん坊だが、仲良くして貰えると嬉しいな。レナン、お姉さん達に挨拶をして」
「あいっ! レナンなのだっ!」
「レナンちゃん♡ 可愛い〜♡」
「ホントっスね〜。近くで見るとお肌ツルツルプニプニっスよ〜♡」
「そのリュックに入ってるのは……ラディオさん!?」
やはり、年齢が近い事は大きな助けになる。
子供達は早速グレナダを囲み、ワイワイと楽しげに会話を始めた。
だが、レンカイは未だに直立不動のままである。
すると、ラディオが娘を連れてレンカイの前に立った。
「さぁ、レンカイお兄さんにも挨拶をしようね」
「あいっ……にーちゃ?」
微動だにしないレンカイを見て、不思議そうに首を傾げるグレナダ。
それにつられる様に、レンカイもギィィっと首を傾げる。
「にー、ちゃ……?」
「あいっ! ちょっとちちににてるのだ! だからにーちゃなのだ〜♡」
確かに、ボサボサの黒髪はラディオに似てなくも無い。
この時、レンカイは忘れる筈も無い記憶の面影を、グレナダに少し重ねた。
すると、ラディオが申し訳なさそうに口を開く。
「いきなりすまない。只、娘は君の事を気に入った様だ。迷惑でなければ、そう呼んでも構わないかな?」
「…………はっ! 迷惑だなんてとんでもないです! 此方こそ宜しくお願いしますグレナダさんっ!!」
閑散としたホールに響く、レンカイの声。
一瞬の静寂の後、子供達から笑い声が漏れ出し、ラディオも吹き出してしまった。
しかし、グレナダだけはぷくっと頬を膨らせ、レンカイに向かって大きく両手を広げる。
「え……これは……?」
戸惑うレンカイ。
だが、ラディオは嬉しそうに頷いていた。
恐る恐る手を伸ばしグレナダを抱き上げた瞬間、小さな手で両頬を押さえられてしまう。
「レナンはレナンなのだ!」
「は、い……レ、ナン?」
名前を呼ばれ、グレナダはニコッと笑顔を咲かせた。
すると、不思議と肩の力が抜けたレンカイ。
「きゃははっ♡ にーちゃなのだ〜!」
「……ははっ! 宜しくな、レナン!」
「あいっ!」
やっと緊張が解れたレンカイも、子供らしい無邪気な笑みを溢す。
『にーちゃ』に高く抱き上げて貰うと、グレナダは本当に嬉しそうに笑い声を上げるのだ。
新たに出来た小さな友達に、改めて自己紹介をするリータ達。
その姿を、少し後ろで眺めるラディオ。
その顔には、娘に負けないぐらいの『喜び』が浮かんでいる。
1つ、大きな事を忘れている事にも気付かないまま――
「あ、あの〜……自分も居ます、よ……」
完全に取り残された【黒百合の女帝】。
ランサリオンで知らぬ者等居ない程、彼女は超有名人である。
ボソッと呟かれた声に、ラディオが反応を示した。
トリーチェから見えるのは背中だが、耳元で囁かれたかの如く、『しまった……』という空気が見て取れる。
「すまない、私の落ち度だった。皆、勿論知っていると思うが、此方は『金時計』の――」
「やだぁ〜ん♡ リーひゃんじゃにゃ〜い! ラジオひゃんにレニョンちゃんもぉ〜♡」
ラディオが説明しようとした時、呂律の回っていないドスの効いた声が響いて来た。
振り向くと、大層ご機嫌なドレイオスが、階段の壁にもたれ掛かっている。
「レイ!? どうしたんだ、そんなに酔っ払って!」
ラディオとトリーチェは、直ぐ様ドレイオスに駆け寄り、肩を貸した。
「うぅ〜ん、ひょ〜〜っとねぇん♡ 『お祭り』のひゅんびで帰ってきたりゃ、やーちゃんが居たのよぉん♡ そりゃかりゃ〜、まいにちゅいっひょなひょにょ〜ん♡ 」
最早、何を言っているのか全く分からない。
だが、このまま放置するなど以ての外。
『金時計』のこんな醜態を晒す訳にはいかないのだ。
「くっ、飲み過ぎだぞレイ! 主殿、自分は一旦離れます」
「勿論そうしなければ。それより、私も手伝った方が良いだろう」
「いえ、主殿にはレナン殿と子供達が居ます。コレをベッドに捨てたら、直ぐ戻って来ますので」
「……分かった。レイ殿、沢山水分を取って、お大事に」
ラディオが心配しつつ、行方を見守っていると、突然ドレイオスが真顔になった。
そして、プイッとそっぽを向いて一言――
「ラディオちゃん……もっとシても……良いんだからねっ!」
ドレイオスの言葉が理解出来ず、無言で固まってしまったラディオ。
しかし、その横では口をパクパクさせながら、顔を真っ赤に染め上げる者が――
「な、な、な、何故それを知っているッッ!?」
「おほほほほほっ♡ アタシュはにゃ〜んでもしってりゅのよぉ〜ん♡」
「くぅおんのぉっ!――ちッッ!! 待てぇぇぇぇ!!」
神速の右アッパーを、意図も簡単に躱したドレイオス。
酔っ払いとは思えない足取りで、階段を駆け上がって行くではないか。
その後を追い、トリーチェ共々一瞬にして姿が見えなくなってしまった。
(大丈夫……だろうか?)
嵐の様に現れ、過ぎ去っていった『金時計』達。
残されたラディオは、どこか後ろ髪を引かれながらも、子供達の元へ戻るしか無かったのであった。




