第82話 父、信じている
「こうして、私はアルラン山に帰還出来たんだ。崩れ去る城の中、何かに助けられたんだよ。これは、後々バログア様が教えて下さった事だけどね」
ラディオが語り終えると、一同から溜息か漏れ出る。
漸く明かされた魔界での出来事、予想だにしない魔王との邂逅、そしてグレナダの出生の秘密。
不思議な余韻に包まれ、皆口を閉じている中、口火を切るのはやはり彼女だった。
「ラディオ様……転生させた技というのは、何か、その……制約は無いのですか?」
祈る様に両手を組みながら、レミアナが恐る恐る問い掛ける。
《護虹竜心》に関して、詳しく説明をしなかったラディオ。
発動に要求されるもの、そして『もう寿命が殆ど残っていない』という事……やはりこれだけは伝えられなかったのだ。
しかし、レミアナは英雄の一行として名を馳せた身で有り、師匠は【翡翠の魔剣士】である。
転生という甚大な効果を及ぼす技が、何のリスクも無しに使える事など有り得ない。
ラディオは一瞬目を伏せたが、いつもの微笑みを浮かべると、ポリポリと頬を掻きつつ口を開いた。
「あの時、私は……全ての魔力を持っていかれた。文字通り、絞り尽くす様に一滴残らずね」
「だ、大丈夫……何ですか……?」
「あぁ。そのお陰で、私は7年程昏睡状態だったがね」
「7年も……!」
レミアナの瞳にじわりと涙が溜まっていく。
しかし、ラディオが面白そうにクスクス笑うのは何故なのか。
「そうだ。昔の……そう、サニア様に拾われる前の私に教えてやりたいよ。睡眠など殆ど取れず苦しかったが、『大人になれば、嫌という程眠れるぞ』とね」
「えっ……も〜! ラディオ様〜!」
ぷくっと頬を膨らませたレミアナ。
だが、1番聞きたかった答えが聞けて、心が安心で満たされていく。
席に座り直し、『もぅ!』とラディオを一瞥しながらも、嬉しさを爆発させた笑顔を浮かべていた。
だが、レミアナは知らない。
ラディオが、普段全く冗談を言わない事を。
もし言った時は……『嘘』を吐く時である事を。
ラディオが目覚めた時、サニアとバログアの見立てでは、10年生きるかどうかの状態だった。
それから3年が経ち、更に《五色竜身・天紫》によって余計に寿命を削ってしまっている。
あの時は、竜王の力で何とか凌いだだけの話。
加えて、サニアの《護虹竜心》は既に使用されている。
故に、ラディオを転生させる事も叶わず、只々竜族の魔力の侵食を止めたに過ぎなかった。
ラディオに残された時間は……5年がせいぜいだろう。
その事実を知らぬ弟子の隣では、旧友達がギリっと歯を噛み締めていた。
2人はラディオの癖を熟知している。
そして、《護虹竜心》についても。
だからこそ、エルディンは再開した時ラディオを怒鳴り、ギギは涙を流したのだ。
しかし、互いに目配せをし、頷き合う2人。
その瞳に諦めの色は微塵も無い。
だが、天をも焦がす想いを一旦しまいながら、エルディンが口を開く。
「それで? 『刻印者』と『魔王の器』、『世界の命運を担う者』についての説明はまだか?」
「あぁ、それについても詳しく話すよ」
話の流れも考え、その事については後で説明するとしていたのだ。
これに関しては、レミアナやトリーチェも前のめりになって耳を澄ます。
「魔王とは、『器』と『魂』によって生成された存在なのだそうだ。『刻印者』と戦い、互いに極限まで高めた魂を注入する事で、『器』に命を吹き込むのだと」
「と言うことは、お前が対峙した魔王は……」
「そうだ。先代の英雄と魔王の魂によって、生み出されたものだ」
語られた衝撃の事実。
エルディンは眉間に皺を寄せ、ギギはドンッと膝を叩く。
レミアナも口を手で覆い、ニャルコフは俯いてしまう。
カリシャは首を傾げるだけだが、一拍置いてトリーチェの目が見開いていく。
それを見たラディオは、悔しさと安堵を滲ませながら、しっかりと頷いた。
「そう……もし、私があの場に行かなければ……レナンが生まれて来てくれなければ……『ナーデリア達と先の魔王の魂』、そして『この子』を媒介に、新たな魔王が誕生していただろう」
「そんな……そんな事って……!」
レミアナが悲痛な声を漏らす。
世界を護る為に、その命を賭して戦い抜いてくれた歴代の英雄達。
だがその実、その行為は新たな魔王を生み出していたに過ぎなかったという訳だ。
故に、先の魔王は『不毛な芝居』と一蹴したのだから。
「だが、考えてみれば合点がいく。【宵鬼】ヨミ、【天馬】スゼル、【大賢者】マーリン、【獅子王】ラオ、そして【白竜】ダンテ様。知らぬ者など居ない程に、轟き敬われる名だたる英雄達。だが、その後の話が一切無いのだから」
「確かにそうだ。しかし、先の魔王は何故その事を溢した? こんなにも続く戦いの歴史の中で、何故今になって?」
「あの人は言っていた。『私は出来損ない』だと。魔王として覚醒する前に、自我が芽生えて来たのだと。それ以前の魔王達がどうだったかは、私にも分からない。だが、あの人は『何か』に縛られ、私の一撃によって『解放』されたと言っていたよ」
「だが、何故だ? 何故お前の攻撃がそんな効果を及ぼした?」
「それについては、妾が補足するのじゃ。幾分かは、推測も混じるがな」
疑問を呈したハイエルフに、竜王が言葉を返す。
その瞳に溢れんばかりの感謝と愛、そして埋めようの無い寂しさを携えながら。
「それはな、先の魔王には……我が愛しの君、ダンテの魂が宿っていたからじゃろう」
満点の星空を見上げたサニア。
その両頬を、すっと流れる煌めく雫。
だが、その顔には安らかな笑みを浮かべていた。
「本当に……其方は妾の心を掴んで離さぬ。『必ず帰ってくる』と、妾に約束したあの顔を……忘れた時などないのじゃぞ? 長い長い時、永遠に感じられた時間……妾は待ったのじゃ。じゃが、其方は約束を果たしてくれたな。妾の愛しい息子の命を護り抜ぬき、こうして想いを託してまで……」
サニアの震えた声が、周囲の心をキュッと締め付ける。
想いを感じ取ったグレナダは、そっとサニアの手を握った。
竜王は優しく微笑むと、愛しい孫のおでこに自分の額を合わせ、瞼を閉じた。
「ダンテには、ラディオ同様妾の加護を授けてあった。それは竜王の力、魔王と同格の『四王』の力じゃ。更に、ダンテは刻印者であったが故、『神王』の力も受け継いでおる。その絶妙な均衡が、先の魔王に影響を及ぼした事は間違いない」
「さっきも言ったね? 戦いの中で、私は大きな力を感じたと。それは、献身的な竜の力。そして、魔王城から私を連れ出してくれた『何か』も、同じ温かさだった。それはつまり――」
「ダンテ様が、ラディオ様の攻撃で……ううん、お義母様を感じて、戻って来た……?」
「ふふっ、妾はそう確信しておる。彼奴は、息子と同格の鈍い感性をしていたのでな。少々手荒な事でもしないと、気付かなかったのじゃろう……♡」
「あぁ……心から分かります、その気持ち」
レミアナの言葉と同時に、女性陣が一糸乱れぬ賛同を見せた。
そして、ジトりと中年を睨み……見つめ始めてしまう。
急に注目を浴びる事になったラディオは、少し考えてからハイエルフに問い掛けた。
「……私の顔に何か付いているか?」
「……良いから話を続けろ」
エルディンの大きな溜息が、余計にラディオを混乱させる。
しかし、一向に答えは出ないので、言われた通りにするしかない。
「どこまで話したかな……そう、あの人と同時に、ダンテ様も『解放』されたのではないか、と私達は考えている。そうすると、問題は――」
「誰が何の目的で縛っていたのか、という事だな」
「鍵を握るのは『教団』で間違いない。何時から存在していたのか不明だが、 事実を総合すれば最初から居た事になる。しかも、目的は世界の破滅等ではなく、別の何か……恐らくは、『魔王そのもの』である可能性が高い」
「それはどういう――」
「馬鹿弟子、だからお前は馬鹿弟子だと言うのだ」
レミアナを遮り、師匠の鋭い声が割って入った。
『何ですかぁ〜!?』とプンプンし出した弟子は、カリシャとニャルコフに宥められる。
「考えてもみろ。奴等は毎度魔王復活の際に現れた。潰しても、潰してもだ。だが、逆を言えば必ず潰される……なのに、また出て来る。これは、裏に真の目的を持ち、その準備を進めていたのだと思わんのか?」
「私達が倒した教皇、あの時も感じていたが……余りに稚拙で脆弱ではなかったかな?」
「確かに……そうかもです」
これこそ、ラディオが抱えていた腑に落ちない点の1つ。
レミアナも記憶を手繰り寄せ、納得した様に頷いている。
そう、嘗ての教皇は余りにも弱過ぎたのだ。
まるで、倒される前提で動かされていた、消耗品の様に。
「あの人が言っていた『気取られる前に』という文言、復活を果たしたゼノと教団……どうやら、その者は想像を遥かに超えた力を持っている様だ。それこそ、『魔王』を操る程のね」
「そうか……兄貴の『やらなければならない事』ってぇのは、これなんだな」
ギギはアマツマラの前で、ラディオが言った事を思い出す。
「そうだ。その者の真の目的はまだ定かではない。だが、その手段としてレナンを狙っている事は確かだ。ならば、私のやるべき事は1つ……この子を護り抜き、その者を打ち倒す事だからね」
「そこに関しても、妾達は動いておる。ラディオが目覚めて数ヶ月後から、じぃやが竜界に赴き情報を集めているのじゃ。歴代竜王の魂が眠る『墓所』でな」
語られた全貌を受け、皆それぞれに反応を示す。
何かを覚悟した者、不安を拭い安堵する者、何も関係無いと言わんばかりに愛の眼差しを送る者……そして、怒りが消え失せ、戸惑いに包まれた者。
トリーチェを真っ直ぐに見つめながら、ラディオが言葉を紡いだ。
「確かにレナンは魔王の証を持ち、事実として転生体でもある。だが……もう『魔王』では無いんだ。寧ろ、この世界に残された唯一の希望だと、私は信じている。長くなってしまったが、これが言い訳だ」
トリーチェは更に困惑してしまった。
世界を揺るがしかねない事実を、ラディオは言い訳だと言う。
これを超える『本当の理由』等あるのだろうか。
「分かりません……主殿の仰った『言い訳』は、正当性が有ります。しかし、それならば何故……自分に話してしまったのですか……! 自分は、自分は……『金時計』なのですよ……!」
そう、トリーチェは元公女であり、正義感溢れる英傑として名を馳せる『金時計』である。
ランサリオンの秩序と平和を護り、ひいては世界の平和を願う身。
だが、グレナダの正体と魔王の真実を知ってしまっては、混乱するのも無理はない。
本来であれば、世界を護る為にグレナダを……その幼い命を、摘み取らねばならない筈だ。
しかし、ラディオはその想いを理解した上で、この事を話している。
「君に、ランサリオンに迷惑を掛けたくは無い。『金時計』として、私達に出て行けと言うならば、私は何も言わずに出て行こう。でもね、どうか……どうか、レナンをありのまま見てやって欲しい。世界を見たい、生きたいという、素直な願いを。私はその願いを叶えると誓った。それが、君に真実を話した『理由』だよ」
「そんな……それでは……!」
「あぁ……私は君を信じている。フランカ姫でも無く、【黒百合の女帝】でも無い。いつも一生懸命で、甘い物が好きな君を。私達の良き友人であり、大切な家族であるトリーチェ・ギーメルを……心から」
トリーチェはハッとして、顔を伏せる。
心の奥から湧き上がる温かな感情が、身体中を満たしていくのを感じながら。
「主殿……それは、ズルいです……」
世界を揺るがす事実を『言い訳』と呼び、今際の際に残した願いを『理由』と呼ぶ。
そして、肩書きや憐れみ等では無い。
1人の人間として、自分を信じると言ってくれた。
やはり、【漆黒の竜騎士】は想い描いた通りの人。
トリーチェは呼吸を整えると、グレナダの前にしゃがみこんだ。
その顔に、晴れやかな笑顔を携えて。
「レナン殿、自分は謝らなければなりません。不届きな考えを抱いた事、お許し下さい」
「あい?」
「ですが、自分はもう……大丈夫です。主殿が信じてくれたトリーチェ・ギーメルを、自分も信じます! 心からの祝福をレナン殿に! お誕生日おめでとう御座います!」
そう言うと、トリーチェは綺麗にラッピングされた包みを手渡す。
「おぉ〜! かわいいのだぁ♡」
早速包みを破ると、中から小ぶりのリュックが出て来た。
純白と桃色のグラデーション、側面には小さくはためく竜の羽。
月明かりを浴びてキラキラと輝くその様は、まるで宝石の様。
トリーチェが迷宮43階層に篭り、やっと手に入れた【ジェムドラゴン】の皮で作られた一品である。
「トリーチェ、ありがとうなのだっ!」
満面の笑みを咲かせたグレナダ。
それを見たトリーチェも、安心と喜びに包まれるが――
「「「あぁーーーーッッ!?」」」
「え?……はっ!? あぁーーーー!!」
響き渡る女性陣の悲鳴。
ビクッとしたトリーチェも、見る見る内に顔が青ざめていく。
それもその筈、勢い余って最初に渡してしまったのだから。
『ラディオに最初に渡して貰おう』、と決めていた誕生日プレゼントを。
「「「トリーチェーーッ!!」」」
「あ、あ、あのぉ……ごめんなさぁぁいっ!」
女性陣に揉みくちゃにされ始めたトリーチェ。
思わず吹き出してしまったラディオの元へ、旧友達がやれやれと首を振りながら、それぞれのプレゼントを取り出して来た。
「全く、計画が台無しだな」
「だっはっはっ! 構いやしねぇよ、順番なんざぁな! いつ渡そうが、兄貴を除けば俺のが1番喜ぶからよ」
「寝言も大概にしろ。小さき王は、私の贈り物が良いに決まっているだろ」
「ちょっと、そこの2人! 勝手に話を進めないで下さい! レナンちゃんは私のプレゼントが最高なんですからねっ!」
「僕、の……頑張る、渡、す……いち、ばん!」
「お嬢様は私が居れば、どんな物より利便性を感じてくれますわ!」
「レ、レナン殿ッ! 自分3日程迷宮に篭って参りましたので〜!!」
エルディン達に乗っかる様に、我れ先にと動き始めた『家族達』。
トリーチェのフライングにより、プレゼント大合戦が幕を開けたのであった。




