第81話 父、間違い無くその命を
「お待ちかねの時間がやって来ましたよ〜♡」
食事も終わり、ドームの天井を開けて夜空を見上げていた一同。
其処へ、レミアナが嬉しそうに声を掛け、それぞれが用意していたプレゼントの準備に入る。
「兄貴、注文の品だぜ。俺の渾身の一作だからよ、受け取ってくれ!」
「……すまない、有難う」
ギギがこっそりと渡して来た小包を受け取ったラディオは、感謝で一杯の笑顔を見せる。
『最初に渡すのは、やはり……』、そんな周囲の期待を込めた眼差しを受けながら、ラディオは娘を膝の上に乗せた。
そして、全てを包み込む愛を持って、小さな体を抱き締める。
「父はずっとずっと、レナンの味方だよ。何があっても、どんな事をしても……君を護るからね」
「あいっ♡……あぁ! ちちっ!?」
瞬間、ラディオは娘の麦わら帽子を取り払ったのだ。
グレナダは『お約束』をしっかり理解しているので、焦るのも当然であろう。
この場には、まだ『角』を見せていない人物が居るのだから。
それを知っている者達でさえ、どういう反応を示すのか不安に駆られてしまう。
「……?」
小首を傾げ、周りの変化に不思議がるカリシャ。
奴隷として生きてきた彼女は、『魔王』はおろか『魔王の証』の意味さえよく知らない。
カリシャからすれば、頭にあるのが耳か角かの違い程度。
しかし、空気が変わった事は察し、その理由が分からず首を傾げたのだ。
「そ、それは……まさか!?」
息を飲んだのは、もう1人の方。
正義溢れる英傑としてその名を馳せ、【深淵教団】に国を……家族を滅ぼされた元公女。
混乱に苛まれ、トリーチェは拳をギュッと握り締めた。
「そうだ。レナンの角は、紛れもなく『魔王の証』であり……この子自身も、先の魔王の転生体だ」
魔王の転生体。
ラディオの口から、初めて明確に説明されたグレナダの正体。
これにより、サニアを除く全員が、様々な反応を見せる。
エルディンとギギは悔しそうに歯を噛み締め、レミアナはどこか納得した様に頷いて。
ニャルコフとカリシャは普段通り。
だが――
「くっ……何故、ですか……!」
苦悶を浮かべ、言葉を搾り出したトリーチェ。
国を、家族を、身勝手に奪われた悲しみや怒り。
教団に対する止めどない憎しみと、グレナダへの愛情。
色々なものが織り混ざり、やっと出て来た言葉だった。
「君の想いは、痛い程に理解出来る。だが……先ずは言い訳から聞いて欲しい」
ラディオは凛とした瞳で、真っ直ぐにトリーチェを見つめる。
『何故』という文言に含まれた、沢山の感情を汲み取っているからだ。
トリーチェは何とか拳を解くと、無言のまま頷いた。
「有難う。10年前、私は魔界に赴き、魔王と対峙した。全ては、世界を……家族を護る為に。その時の私は、『戦いは熾烈を極めるだろう』、と思っていた。だが、結果はまるで違っていたんだ」
語り出されたのは、知られざる魔界での戦い。
これには、トリーチェは愚かエルディン達でさえも、息を飲んで耳を傾けた。
▽▼▽
10年前、1人魔界へと降り立ったラディオ。
そこは、荒涼とした平野が何処までも続く、枯れた土地だった。
周囲に生命反応は感じない。
すると、ラディオは少しの躊躇も見せず、前方へ飛び立った。
目指すは、鮮血の様に紅く染まる『魔王城』である。
城の前まで来ると、ラディオは地面に降り立ち、全身からオーラを溢れさせる。
城門の前に立っている者を、倒す為に。
それは、煌めく純白の髪と、滾る紅の瞳を持つ男。
最後に立ちはだかったのは、【戦神】ゼノだった。
2人は互いに睨み合い、一歩また一歩と距離を詰めていく。
段々と駆け足になるや、互いに譲れぬものの為、空中で拳を激突させた。
極限の戦いを繰り広げる2人の男。
それは、一瞬とも、永遠とも思われた時間。
だが、遂にその時がやってくる。
全力を出し切った戦いを制したのは、ラディオだったのだ。
ゼノの胸部を貫いた拳を引き抜き、歩き出す竜の子。
輝きを失った紅の瞳を持つ骸は、どこか満足している様に見えた。
この時、ラディオはかなり消耗してしまったが、今までに無い程研ぎ澄まされる感覚を覚える。
死力を尽くした戦いを経て、更なる高みに到達したのだ。
(これなら、或いは……《五色竜身》)
全身に魔力を張り巡らせるラディオ。
すると、爆音と共に大気を染め上げる程の、五色のオーラが溢れ出して来た。
瞳に虹色の光彩を浮かべ、ラディオは城の中へ入っていく。
目に飛び込んで来たのは、ガランとした踊り場。
鮮血に染まった結晶が至る所から突き出し、ある種恐怖を煽る様に、ギラギラと輝いている。
そのまま歩を進めると、巨大な大広間に辿り着いた。
その最奥に鎮座するのは、禍々しい装飾の見事な玉座。
其処に座るは、1人の女。
結晶が濁って見える程に、煌々と輝く深紅の長髪。
永劫の闇を思わせる漆黒の瞳、縦に割れた深紅の瞳孔。
血管の様にヒビが入り、紅く煌めきながら胎動する、黒々とした両角を携えるその姿……『魔王』である。
「私の名はラディオ、敬愛なる竜王様より賜わりしその意味は、『竜の子』。愛する者を護る為、その首貰い受ける!」
「……待ち侘びたぞ」
雄弁に名乗り口上を上げ、ラディオは魔王に向かい疾走した。
此処で全てを終わらせる為に。
あの子の幸せを願い、自分に出来る最後の仕事をこなす為に。
竜のオーラを纏い、全霊を込めた拳を魔王の眼前に突き出す――
「足りぬ」
が、届かなかった。
見えない壁に阻まれる様に、ラディオの拳はピタリと止まってしまったのだ。
どんなに力を込めても、微塵も動かない。
すると、ゆっくりと立ち上がった魔王が、手を一払いした瞬間――
「ぐはぁッッ――!!」
ラディオの拳も、想いも、全て吹き飛ばされてしまった。
壁面に叩きつけられ……いや、圧倒的な力で抉られていくラディオ。
そのまま床に落下し、瀕死の状態になってしまった。
「ゔぅ……かはっ……フッ……」
だが、全身から血を溢れさせたラディオは、あろう事か笑みを零す。
『痛み』を感じるなど、いつ以来だろう。
只の一撃で積み上げて来たモノを全て刈り取られ、不甲斐なくも満身創痍になってしまったと言うのに。
それでも、ラディオは笑みを浮かべるのだ。
(あの子の為に……私は、まだ……戦える……拳を、振るう事が……出来るんだ……!)
ラディオは想う。
この『痛み』を、この『戦い』を、愛弟子に背負わせずに済んだと。
幸せに生きて欲しい、その為にはこんな記憶は不要だと。
竜王に名を賜り、世話係に護られ、兄姉達に鍛えられた。
何よりも大きな愛を持って。
他種族の『兄弟』と出逢い、護りたいと想える『愛弟子』に出逢えた。
新たな『家族』として、愛を育んで。
ラディオは、巡り巡って訪れた『運命』に、心から感謝していたのだ。
「私は……諦めない……必ず、必ず……この手で護ってみせる……!」
指一本動かすだけで、全身を貫く激痛。
それでも、黒曜石の瞳は輝きを失う事は無い。
その時、ラディオから金色のオーラが止めどなく溢れてきたではないか。
それは《絶対王者》、愛する者への想いの証。
再び力を漲らせたラディオは魔王を見据え、一筋の流星の如く飛び出した。
今度は、先程とは違う。
ラディオの嵐の様な連撃が、魔王を追い詰めていくのだ。
この時、ラディオは大きな大きな力を感じていた。
その身を包み込む、献身的な竜の力。
ラディオは竜王達に感謝しながら、更に攻撃を激しくしていく。
そして遂に、渾身の一撃が魔王の角を捉えたのだ。
ヒビ割れが大きく裂け始め、黒々とした表皮が崩れていく。
「ぐぅぅ……! はぁ……はぁ……これで、やっと……!」
すると、頭を抱えた魔王が一瞬微笑んだ。
瞬間、ラディオは刹那の戸惑いを見せてしまい、その隙に魔王が掌を此方に掲げた。
そして、ラディオの意識が遠くなっていく。
▽▼▽
(此処は……?)
目覚めたラディオは、周囲に視線を巡らせる。
魔王城とはまるで違う空間。
何処を見ても淡く朧げな光だけ、上も下も無い不思議な世界。
(……駄目か)
軽く溜息を吐いたラディオ。
どうにかしようにも、上手く力が入らないのだ。
まさか、あの一撃で死んでしまったのか。
それにしては、意識がハッキリし過ぎている気もする。
ラディオが頭を悩ませていると、ゆっくりと此方に歩いてくる影が1つ。
「やっと、お話が出来ますね。しかし、時間は限られています。気取られる前に……伝えたい事があるのです」
ラディオは驚愕を覚えた。
語り掛けて来たのは魔王……いや、魔王だったと思われる女性。
黒々とした表皮は消え去り、宝石と見紛う見事な深紅の両角。
温かさを溢れさせた、深紅の瞳。
携えた微笑みは、ラディオに既視感を突き刺したのだ。
「貴女は、まさか……!」
「いいえ……でも、あの子は私と対なる存在として生み出されました。だからこそ、私は自我を取り戻す事が出来たのです。あの子の血を巡らせた、貴方の攻撃によって」
そう、魔王の姿は『魔族の女』に瓜二つだったのだ。
凄惨な奴隷の時を、確かな愛を持って護ってくれたあの人に。
黒曜石の瞳から、一筋の雫が零れ落ちる。
「貴方のお陰で、あの子は幸せでした。私はずっと感じていましたよ。本当に有難う」
「そんな……! 私は……私は……只見ている事しか……!」
「そんな事は有りません。貴方の想いは、しっかりと伝わっていますよ」
魔王に優しく抱き締められ、脳裏に浮かぶ『魔族の女』。
ラディオは何も言えず、只々涙を零す事しか出来ない。
すると、魔王は穏やかに微笑みを見せ、ラディオの耳元で囁いた。
語られた真実は、世界の理をひっくり返すもの。
『魔王』とは何なのか。
『刻印者』とは何なのか。
そして、世界の『命運』を担っているのは誰なのか。
聞き終えたラディオは、余りの衝撃に視界がグラグラしてしまう程だった。
「そんな事が……! 私は……私はどうすれば良いのですか!」
「これは、私の手では破壊する事が出来ません。それを、貴方にやって頂きたいのです……平和な世界を創る為に」
そう言うと、魔王は何処からともなく大きな球体を出現させた。
その中には、うっすらと丸まった胎児が見て取れる。
ラディオはこの胎児こそ、次代の魔王の器であると確信した。
「本来であれば、刻印者と共に私は散る筈でした。『魔王』として縛られた私には、他の選択肢が無かったのです。しかし、私の前に来たのは、貴方でした。あの子の血を受け継ぐ、貴方が。だからこそ、私は一時の間でも解放されたのです。これが私の運命……そう信じて止みません。この不毛な芝居を終わらせる事が出来るのですから」
朗らかに微笑んだ真紅の瞳から、涙が零れ落ちる。
「貴女はそれで良いのですか! やっと自由になれたのに!」
「……良いのです。最後に、私としてお話が出来て幸せでした。さぁ、もう猶予はありません。彼方に戻ったら、私にとどめを。そして、首を持ち帰り戦勝報告の後、それを破壊してください。大丈夫、それに自我は有りません」
「……貴女の願いを教えて下さい」
「……何と?」
ラディオは項垂れる事を止め、真っ直ぐな瞳で魔王を見つめた。
これだけは、絶対に聞かなければならないからだ。
「貴女の願いは何ですか? 魔王ではなく、只の貴女としての願いは?」
「……言っても意味が有りま――」
「どうか、私に聞かせて下さい。どうか……!」
真剣な言葉が、魔王の心に染み込んで行く。
「……貴方は、不思議な人ですね。私は、世界が見てみたい。色んな人に出逢って、色んな所に行って……色んな物を食べて。もっと、もっと……生きたかった…!」
「それが、貴女の願いなんですね」
今度は、ラディオが魔王を強く抱き締めた。
微笑みが消え去り、ポロポロと大粒の涙で頬を濡らす、か細い体。
しかし、直ぐに顔を離した魔王。
再び見せた笑顔には、覚悟を決めた強い意志が秘められていた。
「……さぁ、もう戻らなければ」
「そんな! 待って下さい!」
叫びも虚しく、魔王はどんどん遠ざかっていく。
追いかけようにも、力が入らない。
ラディオは自分の無力を呪いながら、必死に喉を枯らした。
だが、その声さえも最早出てこない。
すると、魔王が小さく呟いた。
「1つだけ、憶えておいて欲しい事があります……私とは違い、運命に抗ったあの子の名を……それは、シン――」
決して忘られぬ名が響いてくる。
唇をギュッと噛み締め、ラディオはゆっくりと頷いた。
今迄で最高の笑顔を見せた魔王が、光と共に消えていく。
同時に、ラディオの意識も遠退いていくのであった。
▽▼▽
再び目覚めると、ラディオは城内に戻っていた。
側には、託された球体と……喉を搔き切り、自害した魔王の亡骸。
片方の角が折れ、しかし安らかに眠っているかの様な、美しい魔族の王の姿。
(私がとどめを刺せないと、分かっていたのですね……)
そう、魔王は感じ取っていた。
対話をした事で、ラディオの甘さを。
だからこそ、最後の力を振り絞って自ら命を絶ったのだ。
頬を伝う涙を噛み締め、最大の敬意を持って王に首を垂れる。
そして――
(唯一にして、最大の禁じ手を破る事をお赦し下さい……はは)
ラディオの瞳に、再び虹色の光彩が浮かび上がる。
体の奥底から湧き上がる『竜王』の力を今、解放しようとしているのだ。
ふと目線を落とし、ラディオは亡骸に微笑み掛ける。
(貴女が護ってくれたからこそ、世界は生きていけます。ですが、其処には貴女も居なければ。真に平和を願った貴女には、この世界を精一杯幸せに生きる権利……いや、義務があるのですから)
魔王の額と球体にそれぞれ手をあてがい、全ての魔力を爆発させる。
「貴女の願いを叶えて見せる……決して死なせはしない! 《護虹竜心・輪廻竜王》!」
咆哮と共に虹色に輝く竜のオーラが現れた。
それは亡骸をひと撫ですると、球体に覆い被さって融解し始める。
「竜よ! 私の全てを持っていけ! 血の一滴、魂の一筋まで!」
これは、治癒や回復の類では無い。
『輪廻竜王』にだけ許された、『転生の術』である。
だが、竜王でさえ生涯に一度しか使えぬ秘術中の秘術。
何故なら、この術の対価は凄まじい。
己の生命力、寿命と引き換えに行うものなのだ。
竜族は途方も無い寿命を持つが、ラディオは人族……この術を使えば、間違い無くその命を枯らすだろう。
「まだ、だ……全部残らず……その子に捧げよ!!」
だが、ラディオは止まらない。
段々と輝きを放ち出した球体。
ゆっくりと、しかし確実に、胎動を始める。
ラディオは弱々しく微笑むと、懐から綺麗な結晶を取り出した。
(エル、ギギ……助かった、よ……)
旧友達が贈ってくれた、特別な魔結晶に術式を組み込んだ『転移結晶』。
それを発動すると、球体と亡骸は、寄り添いながら光の渦に呑まれていく。
計った様に城が瓦解を始めると同時に、ラディオは床に倒れ伏した。
(さぁ、お前も飛び立つんだ……バログア様……後を、頼み……ま……)
最後の力を振り絞り、記憶を封じ込めた分身体を飛ばす。
その体は、もう動かない。
髪も肌も瞳も、鈍い灰色に染まり『石』と化したまま、横たわるだけ。
粉塵と落石の中、崩れ行く城と共にその生涯に幕が落とされる――
「……まだだ」
意識の遥か彼方、微かに感じた温かな声。
城が崩れ去る中、石化したラディオを抱え、天に向かって流星が飛び出していく。
それは、まるで大きな竜の様だった。