第80話 父、決意を固めて
昼過ぎ、ロッジの裏手にある森を散策していた父娘。
ちちと手を繋ぎ、尻尾をブンブン振ってご機嫌なグレナダ。
それとは対照的に、少し思い悩んだ様子のラディオ。
(……本当に良いのだろうか)
ロッジの方を振り返り、軽い溜息を吐く。
本来ならば、誕生日の準備に追われている筈なのに。
実際、料理の仕込みや飾り付けの用意は、昨夜の内に終わらせており、後は最終確認をするだけなのだが。
(やはり……戻るべきか?)
実は、レミアナ達にロッジを追い出されていたラディオ。
『準備はお任せ下さいっ♡』と、素敵な笑顔で言われては、無碍にも出来なかった。
しかし、どうにもソワソワして落ち着かない。
ふと足を止め考えに耽っていると、下から楽しげな声が聞こえ来た。
「ちーちっ♡」
見ると、グレナダがキラキラした笑顔で、ラディオの膝あたりをツンツンしている。
何事かと思い、娘を抱き上げたラディオ。
すると、グレナダはキョロキョロしながら、ラディオに問い掛けた。
「ちちっ! きのこないのだ?」
「……きのこ?」
「あいっ! レナン、ツンツンしたいのだっ♡」
ラディオの髭をツンツンしながら、辺りを見渡すグレナダ。
この時、ラディオは自然と笑顔が溢れた。
レミアナ達の思いやりを理解し、心が温まっていく。
(そうか……レナンとの一時を、私にくれたのか)
そう、これは『家族』がくれた2人きりの時間。
ラディオが意識を取り戻してからというもの、グレナダはずっと我慢をして来た。
数日間、常にラディオが側にいたが、2人の時間は無かったのだ。
アイトゥビーチに来てからも、沢山遊んではいたが、ラディオは何かと忙しく動き回っていた。
だが、今日はそれではいけない。
親子にとって、とても大切な日なのだから。
2人で森に来てから、グレナダは本当に幸せな顔を見せている。
ラディオは娘をギュッと抱き締めると、心からの感謝を『家族』に送った。
(有難う、皆。今日は……甘えさせて貰うよ)
「きゃははっ♡ ちちがギュってしてくれるの、だいすきなのだぁ♡」
ちちに抱き締められ、グレナダはもう嬉しく堪らない。
ふにゃりと顔をトロけさせ、ラディオの首元にしがみ付く。
「これだけ大きな森だからね。きのこも生えてるかもしれない。父と探しに行こう」
「あいっ♡」
親子は互いに笑い合うと、また手を繋いで歩き出す。
幼い娘の歩幅に合わせ、ゆっくりと。
生い茂る木々が風に揺れる音の中には、2人の笑い声が絶えず響いていた。
▽▼▽
一頻り森で遊んだ後、木の蔓や皮を使ってハンモックを作ったラディオ。
そこで、夕方過ぎまで娘と共に昼寝をしていた。
すると、突如として足元が光り出したのだ。
それは、エルディンの転移魔法陣。
そのまま飲み込まれ、着いた先はロッジの部屋だった。
『勝手に動くな』と言わんばかりに、消えていく魔法陣。
一応ドアノブを回してみたが、ガッチリと鍵が掛けられている。
(……どんな仕掛けを施しているのやら)
ラディオはポリポリと頬を掻くが、その顔には穏やかな微笑みが浮かんでいる。
すると、寝起きのグレナダが駆けて来た。
ラディオの足に絡みつき、両手を上げて此方を見つめている。
そのまま娘を抱き上げると、鼻筋に付いた泥汚れが目に入った。
(……そういう事か)
恐らく、誕生日の準備は終わっているのだろう。
待っているとしたら、『時間』と『此方の準備』という訳だ。
確かに、気合いを入れて遊んでいたので、親子は顔も服も泥だらけ。
ラディオは納得した様に頷くと、娘を連れてシャワールームに向かった。
▽▼▽
汗と汚れを流し、着替えを済ませた親子。
ラディオは珠の様に輝きを放つ娘の姿に、頬をゆるっゆるにして微笑んでいた。
「とても良く似合っているよ、レナン」
「えへへぇ♡」
燃える様な真紅のドレスは、オフショルダーのトップに、バルーンスカート。
アクセントに大きなリボンを帯代わりに使い、背中に向けて結び目を誂える。
可愛く動き易い仕様に、グレナダもとても満足気だ。
因みに、ラディオはいつものカットソーにズボン姿である。
「ちちっ! おぼうしかぶるのだっ♡」
ラディオから貰った麦わら帽を抱いて、グレナダはニコニコと笑みを溢す。
この時、ラディオは凛とした表情で頷いた。
「あぁ。でも、後で――」
そう言いかけた時、ガチャンと鍵が開く音が響く。
どうやら、向こうの準備も完了したらしい。
ズポッと帽子を被った娘を抱いて、ラディオは部屋の外へ出た。
「〜〜〜♪」
「〜〜〜♫」
「うわぁ〜♡」
「……何とも手が込んでいる」
迎えてくれたのは、楽し気に歌いながら、所狭しとロッジ内を飛び回る何百という妖精達。
妖精が通った後には、キラキラと星屑の道が出来上がり、真っ暗な室内を幻想的に彩っている。
すると、階段から玄関まで一直線に光の道が出来上がったではないか。
妖精達と戯れながら、ゆっくりとその道を歩いていく父娘。
自然と開かれた玄関を抜け、砂浜まで続く階段で足を止める。
だが――
「くらいのだぁ……」
「大丈夫。ほら、妖精さんも出て来てくれたよ。皆一緒だからね」
そう、月明かりに照らされている筈の海岸が、漆黒の闇に包まれていたのだ。
ロッジから飛び出て来た妖精達と共に、一段一段降りて行く。
階段は淡い光を発しているので踏み外す事は無いが、グレナダはギュッとラディオにしがみ付いていた。
「今度はどうなるのかな?」
「あっ! ちちっ! みてっ!」
砂浜に降り立つと、妖精達は空に向かって一斉に飛び上がって行く。
間も無く、足元が煌々と光り始めた。
そして――
「きゃははっ♡ きれいなのだぁ〜♡」
「本当に……綺麗だ」
妖精達は火や雷、風や水の小さな玉を無数にばら撒き、夜空を明るく染め上げていく。
そして、足元で何重にも展開された魔法陣が発動すると、海岸までの道が浮き出て来たのだ。
深い群青色の道に足を踏み出すと、優しい光が斑点模様の様に追い掛けて来る。
すると、周囲の景色も変化を見せた。
ブクブクと気泡が浮かび、淡い水色に染まる大気。
様々な魚の形をしたオーラも、そこかしこから生まれ出て来た。
さながら海中にいるかの様。
ラディオ達は、エルディンが用意した『ブルーロード』を堪能しながら歩いていく。
終着点は、大きなドーム状のオーラだった。
クリスタルの様に煌めく表面からは、中を見る事が出来ない。
ラディオ達が辿り着くと、ドームの一部が揺らめいて消えていく。
そこで待っていたのは、一様に笑顔を携えた『家族』だった――
「せーのっ!」
「「「レナンちゃん、お誕生日おめでとう〜!!」」」
大きな拍手と、妖精達が上げる祝砲に包まれた親子。
ドーム中には、ギギが丹精込めて仕上げたウッドテーブルと椅子が人数分。
ラディオとグレナダのものは、一際豪勢に作られていた。
「うわ〜! レナンちゃん可愛い〜♡ そのドレス、スッゴく似合ってるよ〜」
「かわ、いい……お姫、さま……だね♡」
「流石レナン殿ッ! 何をお召しになっても可愛いですね♡」
「うふふ、お嬢様ならば当然ですわ♡」
誕生日席にグレナダが座るやいなや、女性陣が寄って来た。
ラディオの渾身の力作であるドレスは、やはり刺さる様だ。
頭に手をやり照れている娘を見つつ、ラディオはドームの中を隅々まで観察する。
時折、『ふむ』と感嘆の声を漏らしながら。
(内部も、まるで深海に居る様だ。不規則且つ継続的に動く魚群のオーラ……流石だな)
そして、テーブルや椅子に目をやったラディオは、更に頬が緩んでしまう。
(細部の拘りは、いつもの様に素晴らしいの一言。それに、その造形も)
テーブルや椅子の随所に見られる、海中をモチーフにした彫刻の数々。
これは2人の旧友の優しさ。
『うみがみたい』と言った娘の言葉を、こんな所にまで反映してくれた。
ラディオは心からの感謝を伝える為、頭を下げる。
「エル、ギギ……本当に有難う。私は……私は、とても幸せだよ」
何食わぬ顔でラディオの横に座っていた2人。
反応を確かめる為にチラ見をしていたのだ。
だが、ラディオに屈託の無い笑顔を向けられると、ゆっくりと反対方向に顔を背ける。
「……別にお前の為では無い」
「……これに関しては、へんくつハイエルフと同意見だぜ」
ゴニョゴニョと喋るしかめっ面と髭面。
耳まで赤くしている所を見ると、どうやらラディオのこの反応は予想外だった様だ。
それを見ていたサニアは、やれやれと首を振る。
すると、徐に立ち上がり、皆の視線を集めた。
「主役が来た所で、早速始めようではないかぁ〜! 其方達、ほれほれ、盃を手に取るのじゃ♡」
わちゃわちゃとグレナダを囲っていた女性陣もハッとして、グラスに酒を―グレナダにはジュースを―注いでいく。
全員に行き渡った所で、盃を高々と掲げたサニアが音頭を取った。
「良いか? では、始めるのじゃ。妾の愛しい息子と孫の誕生を祝して! かんぱ〜いっ♡」
「「「かんぱ〜いっ!!」」」
8個のグラスが高々と掲げられ、ガチャンと擦れ合う小気味良い音が響く。
しかし、肝心の1個のグラスは呆然と胸の前で持たれたまま。
時が止まってしまったかの様に、1点を見つめる黒曜石の瞳。
そう、ラディオだ。
「サニア様……これは、一体……?」
訳が分からず、椅子に座り込んだラディオ。
すると、腕に置かれた感触に目線を移す。
そこには、幸せ一杯の笑顔でラディオを見つめる娘の姿。
そして、その後ろには同様の笑顔を見せる女性陣。
「ここまで本当に長かったです。でも、やっと言えます♡」
「僕、も……がま、ん……した、ました♡」
「ひっひっふーーーー♡」
「あぁ……メイドとしてこの上ない喜びですわぁぁ♡」
それぞれが瞳にハートマークをくっきりと灯し、困惑している中年を凝視している。
だが、誰よりもハートマークを灯しているのは真紅の瞳。
椅子の上に立つと、ぴょんっとラディオの膝へダイブするグレナダ。
そして――
「ちちっ♡ おたんじょうびおめでとうなのだっ♡」
「「「おめでとうございま〜すっ♡」」」
「これでお前も40か……何だまだ子供ではないか」
「だっはっはっ! 違ぇねぇ!」
未だ言葉が出てこないラディオ。
すると、サニアがテーブルを軽やかに跳び越え、息子の前へ舞い降りる。
そして、柔らかな褐色のメロンにむにゅんと顔を押し付けると、最大の愛を持って抱き締めた。
「ラディオ、妾の愛しい息子よ。其方の誕生を祝えて、妾は本当に幸せなのじゃ〜♡」
一層メロンに押し込みながら、息子の頭に頬ずりを始める竜王。
程なくして、酸素を必要とした息子に剥がされてしまったが。
「……ぷはっ! サニア様……私には何がどうなっているのか……」
「ラディオ、レミアナ達に其方の誕生日を教えていなかったじゃろ?」
片方の眉を上げ、探る様な目付きをしている竜王。
これこそ、サニアが頼んだ2つ目のお願いである。
息子が何も言ってない事を悟ったサニアは、本人に内緒でレミアナ達に準備をしてもらっていたのだ。
図星を突かれたラディオは、口籠ってしまう。
何故なら、グレナダが生まれた日は、ラディオが魔界から帰還し、目覚めた時と同じ日。
それは奇しくも、ラディオの誕生日だったのだ。
だが、ラディオは『カゲ』となってから、自分の事を話すのを辞めている。
それ故に、途中から英雄の一行に加わったレミアナは、誕生日すら知らなかった。
更に、ランサリオンに訪れてからは、誰にもその事を話していない。
「それは……ですが、私には――」
ラディオは途中で言葉を切った。
『残された時間は少なく、無意味だ』と、言いそうになってしまったからだ。
だが、その事実を告げるには、時が悪過ぎる。
娘の前では、絶対に言えない事だ。
すると、息子の頭を撫でながら、サニアが優しく語り掛ける。
「其方の想いは痛い程に分かる。でもな、それと同じ……いや、それ以上に妾はレミアナ達の気持ちが分かるのじゃ。愛しい者が生まれ出た日を祝いたいという、気持ちがな。其方もそうであろう? レナンを始め、家族の祝い事は、心から祝福するじゃろう? 皆も同じ想いなのじゃぞ、ラディオ」
「……!」
レミアナ達を見ると、皆笑顔で頷いている。
だが、そこには少しの寂しさが滲んで見えた。
「ラディオ、告げぬ事は愛では無い……なればこそ、精一杯寄り添うのが愛なのじゃ」
「……申し訳ありませんでした」
ラディオは強く瞼を閉じた。
何て愚かなのか。
また独り善がりに走ってしまっていた。
これでは、伝える事もままならない。
(精一杯寄り添う事が愛……それは、レナンにだけでは無い。消え行くからこそ……私から歩み寄らねばならないんだ)
ラディオはバツの悪そうな顔で立ち上がり、レミアナ達に向き合った。
「今迄言わずに来た事を謝りたい。本当にすまなかった」
叱責を覚悟したが、聞こえて来たのは優しい声。
心から喜びを表した、それでいて少し震えた声だった。
「いいえ……私は嬉しいです! ラディオ様の、愛しい人の誕生日を知って、それを祝えるなんて! 教えてくれなかった事は、ちょっとプンプンしますけど……でも、でも本当に幸せですっ♡」
「……そうか」
ラディオは申し訳無く思いながら、レミアナの目尻を拭う。
すると、本当に嬉しそうにレミアナは笑ってくれた。
グレナダも満開の笑顔を咲かせて、ラディオを見つめている。
「さぁ、言うべき事は言った! 先ずは食べて飲んで騒ぐのじゃ〜!」
「「「お〜っ!!」」」
サニアの掛け声と共に、一同は忙しく動き始める。
出来上がっている料理を各自に取り分け、空いたグラスに酒を注ぐ。
ドーム内は、直ぐに笑い声に包まれた。
ラディオが娘に前掛けをしていると、レミアナが横に座り、腕を絡ませ嬉しそうに喋り掛ける。
「プレゼント楽しみにしててね、レナンちゃん♡ ラディオ様もっ♡」
「あいっ♡」
「……あぁ」
料理に舌鼓を打ち、他愛も無い会話に花を咲かせる。
酔っ払ったドワーフが上機嫌に歌い出せば、眉間に皺を寄せたハイエルフの魔法が飛び交う。
それを見て、更に笑い声は大きくなっていく。
『家族』の愛に包まれながら、ラディオは改めて決意を固めた。
(皆、本当に有難う。私は、この笑顔を護り抜いて見せる。どんな事をしても……必ず)




