第79話 父、話はこれで終わり
「はぁぁぁぁ!」
交差して振り抜かれた魔導剣から、炎雷と氷風が巻き起こる。
この魔法の嵐撃を避けるのは不可能。
そう判断したラディオは、《五色竜身・蒼》を発動し、ドーム状の防御結界を形成する。
しかし、それも長くは持たないだろう。
吹き飛ばされた左腕と、致命傷となり得る体の斬撃痕は再生している。
いや……それしか再生出来なかったのだ。
圧倒的な魔力不足、不完全に発動してしまった《黒ノ逆鱗》の対価によって。
「何時迄殻に篭っている!」
「くっ……!」
止まない猛攻。
しかし、この時ラディオに疑問が生じた。
それは、エルディンの真意が何処にあるのかという事。
本当に殺す気であれば、一撃で勝負は着いていただろう。
だが、エルディンはわざと―針の穴を通す様なものだが―隙を作り、致命傷を避けている。
それ故に、満身創痍のラディオでも、間一髪で凌いでいられるのだ。
本気で怒っている事は間違いない……だが、本気で殺そうとは思っていない。
ならば、言わんとしている事は何なのか。
(これ以上、私に何が……)
何も護れない自分に、出来る事など無いというのに。
そんな考えを見透かする様に、エルディンの攻撃が防御結界に綻びを生じさせた。
小さく入った亀裂は瞬く間に広がり、やがて結界を霧散させてしまう。
「これで止めだ! ラディオぉぉ!!」
エルディンから膨大なオーラが迸り、両手の長剣を一振りの大剣へと変化させる。
身動きの出来ないラディオをしっかりと見据え、魔導剣を力の限り振り抜く――
「もう止めてぇぇぇぇ!!」
寸前、ラディオを背に、両手を広げて立ちはだかった少女。
2人がこんな馬鹿げた事をしている理由は分からない。
それでも、大切な人を死なせたくなかった。
「ナーデリア! 此処から離れるんだ! 今の状態では君を――いや……」
ラディオの脳裏に、虚ろな瞳をした少女の姿がよぎる。
「どんな状態であろうと……私では……誰も護れない……」
すると、エルディンの顔が更に険しくなっていく。
ギリっと歯を噛み締め、間に立つ少女に言い放った。
「そこを退けっ! お前が庇う男は、最早抜け殻だ! 生かしておく価値は無い!」
「そんな事ない! お兄ちゃんは……お兄ちゃんはいつだってアタシの大好きなお兄ちゃんなんだからっ!」
「どうあっても退かないか!」
「何があっても退かない!」
「良いだろう。ならば、お前ごと葬るまで。せめてもの慈悲だ……一撃で決めてやる!」
そう言うと、エルディンは魔導剣を地面に突き刺し、詠唱を始めた。
膨大な魔力が列を成し、空間を埋め尽くしていく。
それは『超長文詠唱』、何百という章節を歌う様に奏でる、非常に時間の掛かるもの。
一振りで超級以上の魔法を放てる筈なのに、何故わざわざそれを選んだのか。
この時、少女は本能的に理解した。
今、ラディオの心を救えるのは自分だけ。
少女はラディオの元へ駆け寄り、その太い首に手を回した。
「逃げるんだ……あの攻撃を防ぐ術は無い。私はどうなってもいい……君だけは……」
「ううん、アタシは何処にも行かないよ。お兄ちゃんはいつもアタシを護ってくれた。だから、お兄ちゃんが辛い時は……アタシがお兄ちゃんを護ってあげる。それが『家族』でしょ?」
「……!」
「アタシはずっとずっと一緒に生きていきたい。でも、それが無理なら……終わる時も一緒がいいもん。だから、何処にも行かないよ」
優しく言葉を紡ぎ、穏やかな笑みを咲かせた少女。
幸せに溢れたその顔は、ラディオに心からの愛を伝えてくれた。
「そうか……そうだったのか……有難う、ナーデリア」
ラディオは力の限り少女を抱き締める。
そして、再び立ち上がったのだ。
その瞳に強い光を宿し、凛とした表情を浮かべて。
(やっと気付いたか……大馬鹿者め)
絶えず詠唱を続けていたハイエルフの口元が、ゆっくりと綻びを見せる。
まだまだ幼い異種族の弟分は、やはり世話が焼ける。
しかし、それだけ育て甲斐があるというものだ。
(間違いを犯し、失敗を繰り返そうとも、人族はそれを正していける。我々の様な長命種は、どうにも意固地になってしまいがちだからな。間違いを犯しても認められ無くなってしまう……私の二の舞になるな、ラディオ)
ハイエルフの心を貫く、苦い記憶。
自らの力の無さを嘆き、大切な者を諦めてしまった過去。
それから何年経とうとも、この後悔が消える事は無かった。
可愛い弟分には、そんな想いをして欲しく無い。
だからこそ、ラディオの言葉に怒りを抑えられなかった。
だが、今立ち上がって見せた男の顔に、嘗ての後悔を感じさせる所は1つとして無い。
後は、もう一押ししてやるだけだ。
「覚悟は決めたか! お前達の最後の時だぞ!」
旧友の言葉が心に響く。
その真意が分かった今、ラディオは絶え間無い感謝を抱いていた。
「愛を『教えよう』なんて……やはり、私は驕っていたよ。この想いは、そんな偉そうなものではない。私が君を想う心は、この子を想う心は……滲み出てしまうもの。それは自然と『伝わり』、心に届いていくものなんだ」
「……お兄ちゃん」
「だから、私はもう逃げない。何度挫けようと、何度倒されようと、その度に立ち上がってやるさ。何があろうとも……私は大切な者を護ってみせる!」
「ふっ……分かりきった事を『伝える』のは骨が折れたぞ。ならば、お前の覚悟見せてみろ!」
「あぁ、私は君の想いから逃げる事は無い。真正面から向き合うさ」
互いに微笑み合う2人。
その瞬間、ラディオの眼前にエルディンが現れる。
転移魔法を使った戦術だ。
だが、ラディオは微動だにしない。
再び微笑んだエルディンは、ラディオ目掛けて大剣を振り下ろす――
「…………済まん、限界だ」
倒れ込んだ旧友を、ラディオはそっと受け止めた。
エルディンの放った一撃は、ラディオの左頬をギリギリ掠めてしまっている。
だが、そんな事はどうでも良かった。
こんなにも疲弊してまでも、想いを伝えてくれたのだから。
「……有難う、エル」
「ふっ……世話の掛かる愚弟だな」
旧友をそっと地面に降ろし、ラディオは申し訳無さそうに眉尻を下げた。
実は、魔導剣を発動すると、エルディンは2〜3日寝たきりになってしまう。
全ての魔力を使って発動するのだから、それも当然といえば当然だが。
強大な力には、それ相応の対価が伴うのである。
更に、最後の一撃は完全に外す予定だった。
しかし、ラディオの《五色竜身・蒼》を削る為に、魔法を乱発していたエルディン。
その反動で、ギリギリ狙いがズレてしまったのだ。
『魔力が回復したら治せばいいか』……そんな事を考えていたが、現実はそんなに甘くは無い。
何故なら、ラディオの背後から憤怒のオーラを発した物体が躍り出て来たからだ。
「あーー! お兄ちゃん怪我してるっ! エル! どういう事!!」
「ナーデリア、エルもしたくてした訳では――」
「お兄ちゃんは黙ってて!」
「……」
こうなっては、手が付けられない。
少女は、ラディオの事になると色々と見えなくなってしまう傾向がある。
仰向けでピクリとも動かないエルディンに馬乗りになり、頬を膨らませてポカポカと胸を叩き始めた。
「もぉー! 何で怪我させたの! 自分で力加減ぐらい分かるでしょ! 何なの? バカなの!?」
「おい、止めろ! 動けないのを良い事に……イタタ! おいラディオ! お前の弟子を止めろ!」
口調だけはいつもの様に流暢だが、蛹の如く硬直したままの体。
無駄に整った顔立ちで凄みながら、幼い少女に馬乗りになられているとは……何ともシュールな画である。
思わず笑ってしまったラディオだが、少女を抱き上げ、旧友の助けに入った。
「ナーデリア、『竜族』にとって傷はとても価値のあるものなんだよ。フーア兄さ……【豪炎竜】ファフニール様を始めとした『火竜』には特にね」
「……どういう事?」
「どういう経緯で負ったかにもよるが、傷とは記憶であり、証であり、誇りなんだ。私は今日という日を決して忘れない……その為にも、火竜のしきたりを踏襲して見ようと思う」
「ん〜〜! 分かんない!」
「見ててごらん……《竜印》」
ラディオは掌に魔力を込めると、左頬に当てがった。
紅く迸るその光は、さながら焼印を押すかの様。
程なくして、ラディオの左頬に『斜め十字の傷痕』が刻印された。
「縦の傷は、戒めと驕りへの対価として。横の傷は、覚悟と誓いへの証として。私は、これからこの傷と共に生きていく」
「…………」
しかし、ラディオの説明を聞いても、少女は頬を膨らませたまま。
まさか、負い目を感じてしまっているのだろうか。
すると、焦りを見せるラディオの裾をチョンと引っ張り、上目遣いで語り掛ける少女。
「……痛くない?」
「あぁ、全く」
「その傷って……アタシを助ける為に出来たの?」
「いや、これは私の落ち度だ。何も気にしなくて良い」
「……そーじゃない」
もっと不機嫌な顔になってしまった少女。
すると、背後で蛹と化しているハイエルフが、口パクで何かを訴えて来た。
口の動きを追うと、『うんと言え!』と何度も言っている様に見える。
「そ、そうだな……結果的に君に何ら落ち度は無いが……要因の1つではある、かも知れな――」
「ホント!? じゃあじゃあ、アタシとお兄ちゃんの証って事!?」
「……そう言えなくも無い、か」
「うわぁ……! じゃあその傷好きっ♡」
満開に笑顔を咲かせた少女は、ラディオの首元に抱き付いた。
分厚い胸板に顔を埋め、幸せ一杯だ。
突然機嫌が直った理由が分からなかったが、傷を受け入れてくれた事でホッとした中年。
その後ろには、微動だにしない蛹。
やれやれと肩を竦めている様に見えるのは、気のせいでは無いだろう。
それから暫くして帰って来たギギは、硬直した蛹に荒れ果てた大地に目を丸くしてしまう。
だが、少女がハイエルフの所業を告げ口すると、ここぞばかりにニヤけるのだ。
こうして、蛹はもう一悶着こなさなければならなかったのである。
▽▼▽
「丁度、今の君と同い年ぐらいの頃だね。その時の私は若く、愚かで、傲慢だった。それを正してくれたのが、君の師匠だったんだよ」
レミアナは顔半分を腕に埋めながら、ラディオの話を反芻していた。
完璧に思える愛しい人にも、そんな過去があったのだ。
悩み、挫け、間違えた過去が。
それでも立ち上がり、己の信念を確固たるものにしていく姿。
心が、じんわりと温かくなっていく。
(ラディオ様でも間違える……それを言いたく無い過去だと恥ずかしがる……私とおんなじなんだなぁ)
チラリと横を見てみると、ラディオは海を眺めていた。
此方から見えるのは、顔の左側。
今は髭で見えにくくなっているが、その下には『斜め十字の傷痕』がある。
レミアナは愛しさが込み上げると同時に、嫉妬心も抱いていた。
(そっかぁ……『自分が原因』の意味はこれか。そう言えば……少し笑ってたかも。ていうか……これ、絶対アレだよね)
レミアナの気掛かりは、話の中心にいた『少女』の存在。
どうやら、大きな大きな勘違いをしていたらしい。
あの時、ラディオを拒絶した理由は分からないが、ライバルは外にも居たと言う訳だ。
それも、恐らく未だに。
(あの態度について、エルディンさんやギギさんが何も言わなかったのは、2人は知ってたからなんだ。ラディオ様に言わない様に口止めして。私に言わなかった理由は……同じ想いを抱いていたからだよね)
女の勘は鋭い。
それも、恋をしているのであれば尚更に。
レミアナが過去を思い返し、色々と悶々としていると、ラディオがすっと立ち上がった。
「私の話はこれで終わりだ。間違えても良い、失敗しても良い、それは正す事が出来るんだ……『家族』と共にね」
「……ひゃいっ!? ラディオしゃま〜♡♡」
レミアナの頭を撫でてから、ロッジへと戻って行ったラディオ。
やはり不意のスキンシップはズルい。
だが、レミアナの心はもう沈んではいなかった。
(うん……私も間違えたって良いんだ。それは正していける。だって、私は1人じゃないんだから!)
レミアナは立ち上がると、うーんと大きく伸びをした。
そして、力一杯息を吸い込み――
「あーーーーーー!! ふぅ……よしっ!」
朝陽を受けて輝くクリアブルーの瞳に、もう迷いは無い。
晴れやかな顔になったレミアナは、ロッジへと駆けて行く。
▽▼▽
レミアナがリビングに入ると、皆もう集まっていた。
すると、ニャルコフが気まずそうに此方に歩み寄ってくる。
目を泳がせながら、モジモジと腕を交差させる姿は、認めたくは無いが可愛らしかった。
「レミアナ、その……あの、昨日は……その」
「ううん、良いの。私こそ本当にごめんなさい。『家族』にやって良い事では無かったわ」
「そんな……私の方こそ、申し訳ありませんでしたわ。ご主人様を想う余り……出過ぎた一言でしたわ」
2人は握手を交わし、笑顔を見せる。
次は師匠の元へ行かなければ。
レミアナはエルディンの前に立ち、潔く頭を下げた。
「言い訳はしません。本当にすみませんでした!」
「……分かりきっている事を『伝える』のは骨が折れる。次の修行、覚悟しておけよ」
聞こえてきたのは、穏やかで優しい声。
更に、レミアナは驚愕に襲われる事となる。
決して褒める事をしなかったあのエルディンの手が、ふわりと頭に置かれたのだ。
「……はいっ! 宜しくお願いします!」
少し興奮しながらも、レミアナはラディオ達の元へ向かった。
「レミアナ! おはようなのだっ!」
「お早う、レナンちゃん! 私ね、レナンちゃんに言いたい事があるんだけど、聞いてくれるかな?」
「あいっ?」
「皆も集まってくださ〜い!」
レミアナの号令にピンと来た一同。
しかし、グレナダはキョトンとして首を傾げている。
「良いですか? いきますよ〜! せーのっ!――」
「「「お誕生日おめでとう〜!」」」
「レナン、誕生日おめでとう」
ちちの笑顔でようやく理解したグレナダは、瞳をキラキラさせて頷いた。
「あいっ♡」




