第77話 父、恥ずべき過去を
2日目・早朝――
すやすやと眠る娘を、サニアの部屋に連れて行ったラディオ。
起こさぬ様に母に寄り添わせ、静かに1階へ降りて行く。
まだまだ朝も早いが、心配事があったのだ。
リビングには、未だ大きないびきをかいて寝ているギギ。
そして、思い悩んだ様子でじっと座るハイエルフ。
深い溜息を漏らし、海側に面した大窓を見つめている。
「お早う、エル」
「……あぁ」
ハイエルフの横へ並び、ラディオも窓の方へ視線を送る。
雄大に広がる海が良く見えるが、2人の眼差しは其処より手前に向けられていた。
波打ち際にポツンと座る、落ち込んだ背中に。
「……私も昨日の事をニコに聞いてみたが、容量を得なかった。原因を聞いても、『自分が悪い』としか言わないんだ」
「…………」
「レミアナもそうだったんじゃないか? お互いにしか解らぬ何かがあったんだろう」
「……そういう問題では無いのだ。原因等、些細な事。問題は……『仲間』に対して力を使ったという事だ」
エルディンの眉間に、どんどん皺が寄っていく。
拳を握り締め、わなわなと体を震わせながら。
やるせ無い……静かな口調の裏で、ハイエルフの心がそう叫ぶ。
エルディンは、レミアナに対し3つのルールを課していた。
1つは、提示された修行はどれだけきつくとも、完遂する事。
1つは、自ら魔法を覚えようとはせず、教えられたもののみ扱う事。
これにより、レミアナは攻撃魔法では《ファイヤーボール》しか使えない。
まだまだ未熟な内は、これだけでも充分過ぎるからだ。
最後の1つは、自身の命若しくは愛する者を護る時のみ、この力を使う事。
例え、その過程に置いて自らの信念を曲げようとも。
これらを絶対とし、この10年エルディンは育成に励んできたのだ。
「今回の件は、己の欲望に従った行動……許されるものでは無い。それ程に、アイツの力は絶大なものなんだ。それをアイツは……!!」
エルディンは本当に悔しそうに唇を噛んだ。
すると、じっと考え込んでいたラディオが口を開く。
「師匠の君が言うのであれば、理由はそうなのかも知れない。だが、その欲望が……自身の命と同価値だった場合はどうなる?」
「……何を言っている?」
「レミアナにとって、その欲望が本当に大切なものだったとしたら? 例え話だが、それを踏み躙られそうになった場合、私なら全力を出して護ろうとするだろうね」
「…………」
「これはタラレバの話だが、今回の件はそういう事だと私は思う。それに、彼女はまだまだ若い。間違いも失敗もして当然だ。だからこそ……良き師匠が居るのだろう?」
ラディオは穏やかに微笑みながら、旧友の肩に手を置いた。
「それを気付かせるのは、君の得意分野じゃなかったかな? 嘗て……目を覚まさせてくれた事を、私は昨日の事の様に覚えているよ」
左頬を指でトントンと叩くラディオ。
それを見たエルディンは、ようやく笑みを零した。
「……ふっ、確かにな。あの時のお前は本当に馬鹿だった。下手をすれば……今の馬鹿弟子以上にな」
「……私が話して来ても良いかな?」
ラディオの問い掛けに、エルディンはゆっくりと首を縦に振った。
「……甘やかすなよ」
「私は説教をしに行く訳ではないよ。只、思い出話をするだけだ。だが……最近様々な人から言われていてね。私の性格は、『辛さ』の正反対にある様だよ」
ラディオがニコッと微笑むと、エルディンは『はぁ』と軽い溜息を漏らした。
やれやれと首を振り、旧友を追いやる様に手を払う。
しかし、玄関を出て行くラディオの背に、深々と頭を下げた。
「……宜しく頼む」
ポツリと呟いた一言が、リビングの大いびきに掻き消されていく。
▽▼▽
「座っても良いかな?」
波の音の合間に聞こえて来た、温かな声。
いつもであれば、直ぐに反応してしまうのに。
悲しげに海を写すクリアブルーの瞳は、声の主を見る事が出来ない。
膝を抱えたまま、コクリと小さく頷いた。
「……有難う」
ラディオはレミアナの右隣に腰を下ろす。
この時、緩やかに登り来る朝日に目を細めながら、レミアナは不安に駆られた。
何故、ラディオは一言も喋らないのか。
何かを言いに来たとばかり思ったのに。
いや、もしかしたら――
(……言う事なんてある訳無いよね。こんな失態を犯した私に……呆れてるんだ……)
最早、掛ける言葉も無いのだろう。
そう思うと、余計に惨めで悲しくなってしまった。
海からやって来る浜風が目に沁みる。
居ても立ってもいられず、腕の中に顔を埋めてしまった。
(せっかくの誕生日なのに……私なんて居ない方がいいのかな……でも……でも……)
レミアナは罪悪感で押し潰されそうだった。
膝を抱く手に力が入る。
その時、ふわりと香る匂いに、緊張が解きほぐされていくのを感じた。
(ラディオ様の匂い……大好きな、大好きなラディオ様の……うん、やっぱり言わなきゃ)
浜風が運んでくれたのだろうか。
隣に居るラディオの匂いが、レミアナの心を幸せで満たしていく。
この時、レミアナは意を決した。
先ずは、しっかり謝ろう。
自己満足と言われれば、そうなのかも知れない。
だが、今はそれが最善に思えたのだ。
息を整えたレミアナが、ラディオの方を向く――
「ラディオさ……きゃあぁぁ!? な、なな、何をしてるんですかぁ!?」
レミアナは思わず悲鳴を上げ、後ずさってしまう。
それもその筈、ラディオの顔が鼻先数センチにあったのだ。
確かに隣に居る事に変わりはないが、ここまで近距離だなんて。
普段なら即座に気付き、歓喜に震える所だが、今の心境では無理だった。
「いや、すまない。少し感慨に浸っていたんだが……迷惑だったかな?」
「い、いえ……迷惑だなんて……ちょっとだけ、驚いただけです。それに……お顔が近いと……恥ずかしいし……」
ブツブツと呟きながら、乱れた髪を耳に掛けるレミアナ。
嬉しそうに笑顔を咲かせたラディオは、ゆっくりと問い掛ける。
「そうか……では私も一つ、恥ずかしい事を教えてあげよう。それで、おあいこにしてくれないか?」
「……恥ずかしい事、ですか?」
「そうだ。私の過去……この十字傷についての話だよ」
レミアナはハッと目を見開いた。
10年前、出逢った時からその左頬に付いていた大きな傷。
数多の戦闘を無傷でこなす男に、唯一残っている大きな傷。
原因は『自分』であると、ナーデリアから結果だけ聞いた事がある。
それ以上の事は知らないし、聞いても良いものなのか、幼い頃はずっと迷っていた。
だが、それ以上にレミアナには疑問がある。
『五色竜身』によって、無くなった四肢さえ回復出来る男が、何故只の十字傷を治さないのか。
「……い、良いんですか?」
「余り話したくないのは事実だ。何故なら……私の人生において、唯一の恥ずべき過去だからね」
「それなら……」
「だが、今は君に聞いて欲しい。誰にでも間違いはあって、それは正す事が出来る……完全では無いが、私がそう出来た様にね」
少しバツが悪そうな顔したラディオを見ていると、何故だが安心感に包まれた。
完璧だと思っていた憧れの人でも、こんな顔を見せてくれるのだ。
少し俯いてはいたが、レミアナはしっかりと頷いた。
「そうだな……先ずは、君の師匠について少し聞いてみようか。【翡翠の魔剣士】という二つ名について、何を知っているかな?」
「え……? あの、えっと……『剣技も扱う魔導士』では無いんですか? 普段から二振りの短剣を使ってますし」
「ふむ、正解だ。只、現在の一般的な認識で見れば、だが」
「現在の……?」
「そう、あの名の本当の意味を知る者は、数えるぐらいしか居ない……と言っても、私も一度しか見た事が無いんだがね。【魔剣士】とは、『魔導剣を扱う者』という意味なんだよ」
聞いた事の無い言葉に、レミアナは首を傾げた。
「魔導の……剣、ですか?」
「そう、『魔導剣』とはエルの最大にして最強の力。彼がこの力を使う時は、それ程に強大な敵が現れた時……若しくは、本気で怒った時のみだ」
今、レミアナの頭の中は疑問で一杯だ。
『魔導剣』という知らない単語然り、『本気で怒った時』という文言然り。
数時間前まで、正に本気で怒られていた筈なのに。
だが、ふと閃きが走った。
ラディオ達は旧知の仲で、敵同士になったという話は聞いた事が無い。
そして、ラディオは言った……『一度しか見た事が無い』と。
とするならば、その理由は――
「ラディオ様に……本気で怒った、という事ですか?」
恥ずかしそうに眉尻を下げながら、頷いたラディオ。
一度呼吸を整えてから、エルディンの二つ名の意味、そして十字傷についての過去を語り始めた。
▽▼▽
今から17年程前、ラディオ達は北方の平野へと降り立つ。
広大な自然の中、生活を営む遊牧民族が暮らしていた。
ラディオにとっては、【乾坤竜】と修行をした懐かしい場所でもある。
雄大に聳え立ち、頂を雪化粧で染める山々、腰程も高さのある草原、山の麓には齢を重ねた見事な森。
そんな思い出の地を、幼い愛弟子に見せてあげたかった。
だが、その想いは脆くも崩れ去る事となる。
ラディオ達の眼前に広がっていたのは、枯れ果てた草木と、戦闘の跡が残る抉れた地面。
そして、酷く損壊した腐乱死体の山。
中でも一際目を引くのは、歪な三角錐の巨大な塔だった。
ラディオとエルディンは即座に臨戦態勢を取り、周囲に神経を張り巡らせる。
すると、塔の地下から異様な気配と魔力を感じた。
ギギに愛弟子の保護を頼み、調査に出向こうとしたラディオ達。
だが、ここで腕を掴まれた。
見ると、愛弟子が懇願しているのだ。
『私も一緒に連れて行って』と。
ラディオは即座に首を横に振った。
引き取ってから3年が経ち、確かに愛弟子は強くなっている。
ベテランの冒険者や、歴戦の王国騎士にも引けを取らないだろう。
だが、危険に晒したく無い。
それでも、愛弟子は諦めなかった。
『離れたくない!』と。
大いに迷った末、ラディオは絶対に自分から離れない事を条件に、連れて行く事にした。
何が来ようとも、自分が護り通して見せると意気込んで。
塔に入り込んだラディオ達は、またもや目を疑う事になる。
赤黒い壁面からは、醜く変形した肉塊が所狭しと突き出ていたのだ。
脳天を貫く様な、強烈な鉄分の匂いを我慢しながら、階下へ進んで行く。
もう何m下って来たのだろうか。
下へ潜る程、壁の肉塊は悍ましくその量を増やしていく。
すると、階段の先にアーチ型の出口が見えた。
ラディオ達は壁に張り付き、そっと中の様子を伺う。
そこは、広大な円形の部屋だった。
恐らくは塔の中心部なのだろう。
天井から突き出たドリル状の物、そして、その下には真っ黒なフードを被った『何か』が居た。
側には虫の息となった遊牧民族。
すると、『何か』は徐に遊牧民族の男を持ち上げた。
そして、天井のドリルに向かって放り投げたのだ。
突き刺さった男は、断末魔の悲鳴を上げる。
更に、ドリルが徐々に変形していくではないか。
花弁が開く様に口を開けたドリルは、男を咀嚼し始める。
ゴリゴリと骨をすり潰す音が聞こえなくなると、壁面に新たな肉塊が現れた。
そして、『何か』が高らかに言い放つ――
「深淵教団の礎となれ! 七人衆復活の血肉となるのだ!」
そう、この非道な行いは『深淵教団』の儀式だった。
魔界の動きが活発していたのは、噂で聞いていた一行。
だが、今正に目の前で『魔王軍幹部七人衆』が復活しようとしているのだ。
すぐさま部屋に躍り出たラディオ達。
これが、『深淵教団』との因縁の始まりである。
フードを被った『何か』は、異様だった。
突然の敵襲にも焦る事無く、淡々と作業を続けていく。
その傍らで、膨大な量のアンデッドを召喚したかと思えば、その内の10体にドス黒い珠を埋め込んだのだ。
だが、只のアンデッドでは、ラディオ達を止める事など出来はしない。
しかし、余りにも数が多い事と、未だ生きている遊牧民族の事を気遣っていた事で、思う様に近付け無かったのだ。
更に悪い事に、同様のフードを被った者達が2人現れる。
すると、その内の1人がフードを脱ぎ去り、一目散にラディオへ突進を仕掛けて来たのだ。
それは、白髪に紅い瞳を持つ精悍な顔立ちの男。
ラディオと凄まじい攻防を繰り広げながら、笑みを零し口を開く――
「フハハハハハッ! 素晴らしいな……我が名はゼノ、貴様を殺す男だ。覚えておけ! ラディオ!!」
これ以降、幾度無くラディオ達の前に立ちはだかる事になるこの男。
深淵教団三大枢機卿が1人、【戦神】ゼノとの邂逅だった。




