第69話 父、全く同じ
『皆お揃い』の贈り物の夜から、あっという間に時間は過ぎて、旅行当日の朝が来た。
まだ外が薄暗い中、既に起きていたラディオ。
諸々の準備はとっくに終わり、その確認作業に入っていた。
(持ち物は……これで良い。予約も滞りない……レナンのドレスの確認だ)
すやすやと眠る娘達を起こさぬ様、物音を立てずに行動する。
綺麗に纏めた荷物を広げ、中身を一点一点丁寧に数えると、また綺麗に纏めて今度はダイニングへ向かった。
(朝食は軽い物で……水着の裁縫は完璧……レナンのドレスの確認だ)
何と、またリビングへ戻って来た。
先程調べたばかりなのに、また荷物を広げている。
因みに、この確認行為は100回を超えており、前日の深夜からやり通しだ。
グレナダも昨日はソワソワしていたが、それは初めて見る海への興奮によるもの。
ラディオは、それ以上にソワソワしていたのだ。
寝室のドアが開き、流れるプラチナブロンドが此方に歩いて来た。
「う〜ん……ラディオ様〜?」
「すまない、起こしてしまったね」
眠たそうに目を擦りながら、ラディオの横へちょこんと座り込むレミアナ。
お馴染みのカットソー―下着は履いていない―に身を包み、確認作業をボーッと眺める。
「ラディオ様? 昨日の夜に……ふわぁ〜……終わりましたよね?」
「あぁ。だが、不備があってはならない。確認は大事だろう?」
ラディオのキリッとした眼差しが、寝起きのレミアナに突き刺さる。
だが、そんな事はどうでも良かった。
どんな状況であれラディオと共に過ごせるなら、こんなに幸せな事は無いのだから。
「……そうですね♡」
(これは久々のチャンス到来かぁーーー!)
いや、起きていた。
寝起きに見えたのは、得意の演技である。
大神官長は、いつ何時も準備を怠らない。
何故なら、ラディオの性格を熟知しているから。
「ラディオ様、私にも何か……お手伝い出来る事はありますか?」
(ふひひっ♡ これで密着する大義名分が出来た……今回はチラリズムで勝負よっ!)
わざわざ少し胸元の開いたカットソーを選んでいたレミアナ。
それをさり気無く広げ、たわわに実ったメロンの谷間を惜しげも無く披露する。
だが、披露している時点で、チラリズムとは程遠い事に、本人は気付いていない。
そして、今のラディオの関心は確認だけという事も忘れている。
「いや、大丈夫だ。まだ時間も早い。もう一度寝ておいで」
ラディオは優しくそう告げるが、レミアナは一向に動かない。
(ラディオ様! こっち見て! ほら、もう全部見えるから! こっち見てぇぇ!)
胸元が伸びきってしまうんじゃないかと思う程、指で広げている。
最早、チラリズムの欠片も無い。
更に、ラディオはブツブツと独り言に終始していると、寝室から最大のライバルが起きて来てしまった。
「ん〜……ちちぃ〜」
「煩かったかな。ごめんよ、レナン」
オタマジャクシのヘアキャップを被ったグレナダが、ラディオ目掛けてとてとてと駆けて来た。
完全に瞼は閉じているが、ラディオの気配と匂いがあれば問題無い。
ソファーや広げられた荷物を器用に避けて、ラディオの胸の中へダイブする。
「まだ早いから、もう少し寝ようね」
「……あい」
大きな胸板に顔を埋め、グレナダはニヤけ顏で眠りに落ちていく。
ラディオは愛を込めて頭を撫でると、娘を抱き上げ、ソファーへ横になった。
すると、レミアナがすっと立ち上がり、ラディオの隣に潜り込む。
「私も……もう少し……寝ま、す」
(結果オーーラーーイッッ♡)
「あぁ、おやすみ」
大神官長は、決してめげない。
ラディオが、これぐらいの事は拒否しないと知っているのだ。
グレナダと共に満足気な笑みを浮かべながら、暫しの眠りに落ちていく。
▽▼▽
「忘れ物は無いかな?」
早めの朝食を済ませ、準備万端となった一向。
ラディオは皆に確認を取りなが、玄関を閉める。
そこへ、街道を走ってくる影が1つ。
大きなリュックを背負った、縦に小さく横に大きなその姿。
「兄貴ー! すまねぇ、ちぃと遅れちまったぜぇ!」
ギギだ。
ラディオ達の前に来ると、リュックを降ろし一息入れる。
「お早う。私達も、今出て来た所だよ」
「なら良かったぜ〜。何とか間に合ったな」
ギギは額の汗を拭いながら、ラディオに目配せをした。
すると、ラディオがピクリと反応を見せる。
「それは……そういう事、で良いのか?」
「もっちろんよぉ! 兄貴の依頼通りだ! がっはっはっはっ!」
「そうか……無理を言ってすまなかった」
ラディオが命を懸けて灯した、最強の高炉『アマツマラ』。
ギギはあれから工房に篭り、グレナダへのプレゼント製作に打ち込んでいたのだ。
そして、何とか完成にこぎつけ、合流したという訳である。
「ギギ、心から感謝を贈りたい。本当に有難う」
「良いって事よ! ま、ブツは向こうでな!」
ラディオとギギは握手を交わしながら、笑顔を見せる。
すると、横に居たレミアナが、大きく溜息を吐いた。
とても苛立っている様子で、キョロキョロと辺りを見回している。
「ギギさんは時間に正確なのに……私の師匠と来たら……はぁー」
「来な、い……の?」
「そんな事は無いだろう。元英雄の一向にして、主殿の盟友なのに……?」
既に集まっていたカリシャとトリーチェが、不安気な顔を見せる。
だが、ラディオは落ち着いていた。
「エルは必ず来るさ。彼が約束を破った事など、一度も無いからね」
「そうですけど〜! 何か興味が惹かれる事があると、すーぐそっちにフラフラしちゃんですから!」
レミアナは頬を膨らませ、腕組みをしてプンプンし出した。
ギギがうんうんと頷くと、ラディオも頬をポリポリ掻き始める。
エルディンが約束を反故にする様な男では無い事は、重々承知だ。
だが、確かにそういう一面がある事も否めない。
「まだ少し時間がある。気長に――」
そう言いかけたラディオは、背後を振り返った。
そして、やれやれと首を振りながら微笑みを浮かべる。
だが、レミアナの文句は止まらない。
「修行中だってそうだったんですよ? 私が頑張ってるのに、興味が惹かれた依頼を受けると、中断しちゃうんです! 本当に自分勝手なんだから!」
「レミアナ、もう……止め、て」
「そ、そ、その辺にしといた方が……」
カリシャ達が止めに入るが、日頃の鬱憤が溜まっているせいで、レミアナは更に饒舌になっていく。
「いーえ! 1回ガツンと言わなきゃ分かんないんだから! 1000年以上も生きてるのに、そういう所は本当に只の子供で――」
「悪かったな」
背後から響いて来た声に、レミアナの心臓が波打った。
壊れた人形の様に首を回し後ろを見ると、冷や汗が流れ落ちる。
そこには、ニヤリと口角を吊り上げ、翠色の瞳をギラギラと光らせたハイエルフが立っているのだ。
「エル、ディン……さん……お、おはようございま〜す」
上ずった声で、とりあえず朝の挨拶をしたレミアナ。
その横では、サニアが腹を抑えて笑いを堪えている。
しかし、先程のレミアナの様に腕組みをしたまま、弟子の眼前に近付いていくハイエルフ。
「貴様ぁ……! 私に師事している身で随分だなぁ?」
「え、えーーとぉ……何時から、居ました?」
「最初からだこの馬鹿弟子! 次の修行が楽しみだな!」
「そんな〜!? 私情を挟むのはズルいですよ〜!」
「黙れ! 私は只の子供だからな……根に持つ性分なんだよ!」
「うわ〜〜ん! ラディオ様〜!!」
師匠の意地悪な笑みが、レミアナの記憶を蘇らせる。
ラディオに泣きついたが、何故か納得した顔を見せていた。
「良い関係を築いているね」
「何処がですかぁ〜!?」
願い通り、『家族』が全員集まってくれた。
これ以上無い幸せだ。
ラディオは一人一人の顔を見つめ、深い感謝を示す。
母から娘を受け取りギュッと抱き締め、笑顔を咲かせた。
「さぁ、海へ行こう」
「あいっ♡」
諸々の最終確認を済ませると、エルディンが転移魔法を展開した。
目指すは南部にある高級ビーチリゾート、『アイトゥ』。
ラディオ達は一人、また一人と転移陣に吸い込まれて行く。
▽▼▽
アイトゥへ降り立ったラディオ一向は、一旦別れる事にした。
女性陣の着替えには時間が必要だろう、という配慮の結果だ。
待ち合わせ場所は、街からビーチ続くアーチの前。
「アイトゥを選ぶとは、お前らしいな。だが、私達の分まで払う必要は無かったのだぞ」
「そうだぜ。ここは高級リゾート、幾ら掛かったんだ?」
早々に着替えを済ませ、通り沿いにある店のテラスに座る男性陣。
今回の旅行の日程は3日間。
そして、2日目がグレナダの誕生日にあたる。
そこまでのプランと費用は、全てラディオが請け負っていた。
「良いんだ。君達には、私の我儘で来てもらっている。私は、レナンと共に過ごしてくれるだけで……かけがえの無い物を貰っているからね」
「……お前らしいな」
「全くだぜ」
ラディオの答えに、エルディン達はやれやれと微笑みを見せる。
だが、一番良い笑顔をしているのはラディオだ。
言葉通り、『家族』として娘の誕生日を祝ってくれる事が、何よりも幸せだったのだ。
「お待たせ致しました。冷たいお飲み物をお持ちしましたわ」
その時、水着姿の女性がドリンクを運んで来た。
ラディオの背後から品物を置く所作は、優雅の一言。
だが、ここでラディオは疑問を覚える。
女性陣と合流してからと思っていたので、まだ注文をしていない。
「すみません、私達はまだ――」
「ち〜ち〜♡」
だが、途中で言葉が途切れる。
麦わら帽子を被った、愛娘の姿が見えたからだ。
ラディオは頬を綻ばせ、気付けばグレナダの元へ駆けてしまう。
「ちーちっ♡ じゅんびできたのだ〜!」
「レナン、本当に良く似合っているよ。帽子も被ってくれたんだね」
「あいっ♡ ちちがくれたから、レナンおぼうしだいすきなのだぁ♡」
抱き上げた水着姿の娘は、幸せ一杯に顔を輝かせ、帽子のつばを掴んでいる。
その光景は、ラディオの心を鷲掴んで離さなかった。
何て愛らしいのだろう。
上から下にかけて、桃色のから紅色へとグラデーションになったワンピース型の水着。
腰には、スカートを模したフリルが付けられ、更に可愛さを増していた。
ラディオが夜なべして縫い合わせた穴も、グレナダの尻尾にジャストフィットしている。
「ラディオ様〜♡ お待たせしました〜」
宝石と見紛う輝きを放つ娘に魅入っていると、レミアナの声が聞こえて来た。
お揃いのフード付きのケープを羽織っている為、水着はまだ見えない。
だが、それでもスタイルの良さは隠し切れず、道行く男性達が思わず振り返ってしまう程だ。
「レナンの準備をしてくれて、助かったよ。それと、やはりレミアナ達に水着の選定を頼んで良かった」
「いえいえ〜、レナンちゃんが選んだんですよ♡ それより、私達の水着も楽しみにしてて下さいね♡」
悪戯っぽくウインクするレミアナ。
ラディオが穏やかに頷くと、その背後から懇願するサニアの姿が見えた。
「ラディオ〜、妾は其方がくれたコレだけで良いのじゃが?」
息子に貰ったガウンを羽織っているサニア。
前は閉めていないので、実り過ぎたばいんばいんが丸見えとなっている。
一応、水着は着ているものの、少し動くだけで、我儘に跳ね回るのだ。
最早、視覚への暴力である。
「サニア様、折角レミアナ達が選んだくれたものですから。それに、とても良くお似合いですよ」
「え……う、うむ……其方がそう言うなら……これでも良いのじゃ〜♡」
息子に褒められた途端、ニコニコと上機嫌になったサニア。
ラディオに腕を絡め、満足そうに頭を預ける。
そのせいで、息子の頬に角が突き刺さっているのだが、ラディオは何も言わなかった。
すると、ラディオが足元をキョロキョロし始める。
「ラディオ様? どうしたんですか?」
「いや……ニャルコフの姿が見えないんだ」
「あれ……そう言えば、部屋にも居なかった様な……?」
「妾も覚えが無いのじゃ」
カリシャやトリーチェに聞いても、見ていないと言う。
これはおかしい。
転移陣に入る時は、確実に一緒に居たのだから。
「レナン、ニャルコフを見なかったかい?」
「にゃるこふ? そこにいるのだ!」
娘の言葉に、ラディオは周囲を隈なく探すが、やはり見当たらない。
その時――
「此方ですわ」
聞こえて来た艶やかな声に、ラディオ達は一斉に振り向く。
其処に居たのは、1人の女。
前髪が内側にカールした、シルバーグレーの美しいショートカット。
大樹を思わせる深い碧色の瞳を携えた、端正な顔立ち。
鮮やかな褐色の肌と、長い耳……ダークエルフだ。
「……君は、先程の店の?」
そう、ラディオにドリンクを提供した人物である。
ダークエルフは両手を前で組み、深々とお辞儀をした。
ラディオは訳が分からない。
だが、ダークエルフが頭を上げた時、聞き覚えのある音が響いたのだ。
チリーーン
「やっと……やっとお目にかかれましたわ、ご主人様♡」
ラディオを見つめ、恍惚に染まった瞳を向けるダークエルフ。
その首元には、星飾りの付いた碧色のリボンが巻かれている。
それは、ニャルコフに贈った物と全く同じだった。
 




