第68話 父、感性が鈍いから
翌朝、ラディオは玄関前で、迎えに来てくれたレミアナ達と挨拶を交わしていた。
「ではでは、レナンちゃんお預かりしますね。ラディオ様♡」
「あぁ、宜しく頼む。レナン、レミアナ達の言う事を良く聞いて、良い子にしているんだよ」
「あいっ! いいこにするのだ♡」
腕の中で満開に笑顔を咲かせる娘を見て、頬が緩々になるラディオ。
ギュッと強く抱き締めてから、レミアナに託す。
そして、腰布から取り外した巾着を渡そうとするが――
「ラディオ様、多過ぎるって言いましたよね?」
「そうか……すまない、これでは駄目だな」
ラディオは申し訳無さそうに眉尻を下げながら、巾着から数枚の白金貨を取り出した。
溜息を漏らしながら微笑むレミアナへ、頬をポリポリ掻きながら金を渡すラディオ。
「これでも多いですけ……え?」
だが、手に落ちた感触は『チャリン』では無かった。
『ズシッ』っと白金貨がパンパンに詰まった袋の重み。
抜き取った数枚が、ラディオのポケットの中へ吸い込まれていく。
「今日は、私も少し必要だった。では、それでお願いするよ」
「ラディオ様〜! この前も言いまし――!? はふぅ……はふぅぅぅぅん……♡」
抗議をしようとした大神官長が、突然鼻息を荒くし始めた。
何故なら、ふいにラディオの首筋が、眼前に登場したからである。
抱かれている娘に頰ずりを始めた事で、必然的にレミアナの顔にも接近してしまったのだ。
「きゃははっ♡ ちち〜♡」
(……すーーっ! はーーっ!)
「気に入った物が見つかると良いね」
(……すーーっ! やっべぇ♡……はーーっ! ラディオ様の匂い♡……すーーっ! やっべぇぇぇ♡……はーーっ!!)
大神官長にとって、この上ないご褒美でしかない。
透明感溢れるクリアブルーの瞳は今や劣情で濁り、口をわなわなと震わせている。
ラディオの首筋に噛み付きたくて仕方がない、とでも言う様に。
「すまないが、昼食もレナンと食べてやってくれないか? 私も、夕方までには帰って来ようと思って……レミアナ?」
娘とのスキンシップを終え、レミアナに語り掛けたラディオ。
しかし、当の本人はギラギラした瞳で、此方を睨み付けて―ラディオにはそう見えた―いるだけ。
「じゅる……え、あ、ふぁい!?」
心配そうに見つめるラディオに気付き、やっと我に返った大神官長。
あわあわしながら、表情を作り直している。
程なくして、いつもの慈愛に満ちた笑顔が出来上がった。
「な、何でしょうか、ラディオ様?」
「いや、レナンと昼食を共にして欲しかったんだが……迷惑だったかな?」
「とんでもないですっ! 私レナンちゃん大好きですからっ!」
「……そうか」
その言葉を聞いたラディオは、本当に嬉しそうに微笑みを見せる。
「はいっ! なのでぇぇ――うへ、うへへへ♡」
感謝を込めながら、レミアナの柔らかな頬に手を置くラディオ。
そのせいで、せっかく作った笑顔は脆くも崩れ去り、再び劣情に駆られる事になるのだが。
「昼食代はここから出して欲しい。それと、君達の水着の分もね」
「はいっ!……え? そんなそんな! ちゃんと自分で払い、まぁぁすかりゃぁぁ……♡」
ラディオが提案とした同時に、頬を撫でられたレミアナ。
遠慮しようとしたが、触れられている幸せには勝てなかった。
顔をふにゃりとトロけさせ、アホ毛がハートを形作っている。
「これはせめてもの気持ちだから……受け取って欲しい」
「ふぁ〜い……分かりまひひゃ〜♡」
「良かった。勿論、2人もね」
満足そうに頷いたラディオは、レミアナの背後に語り掛けた。
そこには、羨望の眼差しを送る元お姫様と猫耳が1人ずつ。
(レミアナ……しあ、わせ。いい、な……)
(う、羨ましい〜〜!!)
2人はレミアナを凝視している為、ラディオの話が入って来ない。
「カリシャ、トリーチェ、レナンを宜しく頼む」
「え……あ、はははいッ! お、お、お任せ下さいませッッ!!」
「だい、じょぶ……です!」
此方も漸く我に返った2人。
ぎこちない動きで歩いていく3人を見つめていると、ラディオは少し心配になってしまう。
だが、遠くから聞こえる娘の楽しげな笑い声が、その思いを消してくれた。
街道から姿が見えなくなるまで、ラディオは笑顔で見送っていた。
▽▼▽
(……分からん。ファイザル家とは一体……)
昼過ぎ、雲の上を凄まじい速度で飛びながら、ラディオは頭を悩ませていた。
娘達を見送って直ぐ、法国領地にあるファイザル家自治領へ赴いたのだが、目にしたものは予想と少しばかり違っていたのだ。
オルフェの言う通り、こじんまりとした領内は『普通』だった。
日々の仕事に精を出す領民、近くの街から来る馬車に乗った商人、領地の中を走り回る子供。
どれを取っても『普通』の日常。
だが、衰退の影は見られず、隆盛と言うには心許ない。
目立たぬ様に馬車に乗って訪れたラディオは、何よりも違和感を拭えなかった。
この『普通』すぎる光景……ともすれば、どこか惰性的な雰囲気に。
勿論、領主であるファイザル家の館にも足を運んだ。
と言っても、気取られぬ様に隠密に動いてはいたが。
決して大きくはない館の中庭で発見した1人の少女。
恐らくは、迎えられた遠縁の子女。
ここでも、ラディオは違和感を覚える。
特筆すべき点が見当たらないのだ。
ランサリオンで邂逅した男の拠点が、本当に此処なのかと疑う程に。
家紋は同じであり、情報とも大筋は相違ない。
だが、男から感じたエネルギーが見えてこなかったのだ。
(……引き続き調査が必要、か)
大きく溜息を吐くラディオ。
これは、オルフェに一杯喰わされたかも知れない。
確かに得た情報は『嘘』では無かったが、『本質』は違っている様に見えた。
この結果になる事を見越したからこそ、簡単に口を割ったのかも知れない。
(彼女の言う通り……まだまだ甘い)
ラディオは、自分の不甲斐なさを悔やんだ。
すると、地平線の彼方から、青々とした光景が広がって来たではないか。
(一先ずは置いておこう……レナンの誕生日が何よりも最優先、失敗等有り得ない)
頬をパンパンと叩いて気合を入れる。
気持ちを切り替えなければ。
徐々に高度を落とし、海に一番近い町付近に降り立つ。
すると、ラディオの顔が少し綻びを見せた。
(此処まで潮の香りが来ているな。これなら……喜んでくれるだろうか)
ラディオは娘達の顔を思い浮かべながら、街へ入って行く。
▽▼▽
「この水着があれば、ラディオ様も……くひひっ♡」
ランサリオンの空が茜色に染まり出した頃、レミアナ達はラディオの家へ戻っていた。
新品の水着を広げながら、瞳をギラギラと輝かせる大神官長。
その姿を背後から覗いているのは、トリーチェだ。
(……本当にアレを買ったのか)
店に入り、レミアナが一番最初に手に取った水着。
しかし、トリーチェから『破廉恥だ』と待ったが入る。
数十分の押し問答の末、レミアナが棚に戻したのを見届けた……筈だったのに。
(あれは水着ではない……只の黒紐だ)
そう、レミアナが買ったのは只の黒紐。
そう言って差し支えない程に、肢体を隠す布面積―店員曰く、ハイレグ型水着らしい―が無いのだ。
たわわに実った2つのメロンと突起部分、腹、下腹部、背中、臀部に至るまで丸見えだ。
「あ、カリシャ〜! どう、これ? すっごく可愛くない?」
グレナダを抱きながら、此方にやって来たカリシャ。
レミアナに感想を求められてしまい、何とも言えない微妙な表情になってしまう。
「えと、僕……分かん、ない……から」
「えぇ〜? こんなに可愛いのに〜」
カリシャの言葉に、大神官長は頬を膨らませる。
だが、この一言は最大限にオブラートに包んだ結果である。
すると、今度はカリシャの膝の上に座るグレナダに照準を定めた。
「レナンちゃ〜〜ん、これ可愛いよね〜〜?」
上ずった声を出しながら、グレナダに感想を求める。
すると、ニカッと眩しいまでの笑顔を咲かせながら、元気良くグレナダは答えた。
「へんなのだっ!」
「…………」
最早言葉を発する事が出来ない。
無邪気であるが故の、クリーンヒット。
流石のレミアナでも、傷心する――
(……レナンちゃんには、まだ早いか)
訳無かった。
大神官長に、羞恥心等存在しない。
関心があるのは、これを着た姿を見て、ラディオのラディオが反応するかどうかのみ。
他者に感想を求めたのが間違いだったと言わんばかりに、レミアナは無駄に納得した顔を浮かべている。
「かわいいのだぁ♡」
レミアナがブツブツと独り言を言っている他所で、袋から水着を引っ張り出したグレナダ。
褒めていたのは、カリシャが選んだもの。
すると、三角耳が嬉しそうにピクピクし始めた。
「これもかわいいのだぁ♡」
「お、おぉ! それは有難いお言葉です! レナン殿!」
もう一着引っ張り出した物は、トリーチェが拘って選び抜いたもの。
未だブツブツ言っているレミアナを差し置き、3人は互いの水着を褒め合い始める。
「あっ! ばぁば〜! はいっ、あげるのだぁ♡」
「何じゃ何じゃ〜、妾の分もあるのか。礼を言うぞ、レナン♡」
「あいっ♡ きゃははっ♡」
次に取り出したのは、サニア用の水着。
それを持ってキッチンへ駆けていくグレナダ。
サニアは孫を抱き上げると、満面の笑顔で激しい頰ずりをお返しする。
嬉しそうに笑い声を上げるグレナダ。
しかし、突然その動きが止まった。
玄関の方を凝視し、尻尾もソワソワと動き始める。
「ばぁば! ばぁば! おりるのだっ!」
「よしよし、そんなに急くでない。ほれ、転ばぬ様に気を付けるのじゃぞ」
優しく微笑み、孫を床に降ろしたサニア。
グレナダは袋をガサガサと漁り、小さな水着を出して来た。
それをギュッと抱き締め、一目散に玄関へ駆けて行く。
レミアナ達も、いつもの反応に笑顔を浮かべる。
そして――
「ただい――おっと」
「ちちぃ〜〜♡ おかえりなのだぁ!」
玄関の戸が開けられた瞬間、ラディオに飛び付いたグレナダ。
荷物を玄関脇に置き、飛び込んで来た娘を片手で抱き上げる。
すると、グレナダは尻尾をブンブン振り回し、ラディオの胸に顔を埋めて甘え始めた。
「ただいま、レナン。今日は良い子にしてたかな?」
「あいっ! レナンいいこにしてたのだ! えらい?」
「そうか、偉かったね」
ラディオに頭を撫でられると、グレナダは嬉しくて堪らない。
瞳をトロンとさせると、抱えていた水着を広げて見せて来た。
「ちちっ! レミアナたちがえらんでくれたのだ! レナンのみずぎなのだっ♡」
「とても可愛いじゃないか。良かったね、レナン」
「あいっ♡」
ちちの胸に頭を預け、一生懸命お喋りするグレナダ。
ラディオは頬を緩々にしながら、うんうんと頷いている。
娘と共にリビングに入ると、方々から声が聞こえて来た。
「おかえりなさいませっ、ラディオ様♡」
「おか、える……な、さい♡」
「おおおお疲れ様で御座いましたですぅぅぅ♡」
「良く帰ったのじゃ、ラディオ♡」
「サニア様、有難う御座います。それとレミアナ、カリシャ、トリーチェ、今日は本当に有難う」
「「「はいっ♡」」」
ラディオが頭を下げると、レミアナ達は笑顔を見せた。
▽▼▽
夕食を囲みながら、互いにどんな1日を過ごしていたのかと報告をし合うラディオ達。
水着選びに苦戦しつつも楽しんだ事、宿泊先の予約が出来た事、昼食に食べた物等々。
勿論、ファイザル家の事は伏せながら。
「レミアナ達のお陰で、レナンは本当に嬉しそうにしているよ」
「いえいえ〜♡ 私達もすっごく楽しかったですよ♡」
「それなら良かった……そうだ、ちょっと待っててくれ」
「はい?」
すると、徐に立ち上がり、玄関へ向かったラディオ。
戻って来たその手には、先程の荷物が握られている。
「海沿いの店で見つけてね。気に入ってくれるかどうか……私は感性が鈍いから。先ずは、レミアナ」
眉尻を下げながら、ラディオは買って来た物を手渡した。
それは、貝殻を材料に作られた星型のイヤリング。
レミアナの瞳の様に、何処までも透き通ったクリアブルーがとても美しい。
「受け取ってくれるかな?」
「ラディオ様……♡ はいっ! とってもとっても嬉しいですっ!」
受け取ったイヤリングを握り締め、幸せ一杯に笑顔を咲かせるレミアナ、
ラディオも安堵した様に微笑みを浮かべ、次の人物の前に移動する。
「カリシャ、君にはこれを」
渡したのは、大きなリボン。
光沢のある金色が艶やかに輝きを放ち、アクセントで付けられた貝殻の星が、可憐な雰囲気を醸し出す。
「君の髪色に似合うと思ったんだが……」
突然の事にポカンとしていたカリシャだったが、ハッとすると、首をブンブン振り始めた。
「僕、嬉しい……です……嬉しい、です♡」
早速リボンを耳に付けている姿を見て、微笑むラディオ。
次に待っているのは、トリーチェだ。
「トリーチェ、好みが合えば良いが」
渡したのは、淡い色彩のブレスレット。
貝殻を使った眩い紫色の星が、濃淡のバランスを見事に取っている。
トリーチェは、涙目になりながら満面の笑顔を見せた。
「自分の……一生の宝物です♡」
ラディオは『ふぅ』と安堵の溜息を漏らし、次はサニアの前にやって来た。
渡したのは、漆黒の薄手のガウン。
純白の星柄が随所にあしらわれた、夜空の様に幻想的な一品である。
サニアは早速ガウンを羽織ると、息子の顔をたわわなばいんばいんに押し込んだ。
「ラディオ〜♡ 嬉しいのじゃ、嬉しいのじゃ〜♡」
「良かっ……ゴホッ……良かった、です」
暫し窒息の憂き目に遭ったが、ラディオは尚も笑顔のままだ。
そして、満を持してグレナダの元へ。
「レナン、父からはこれを。海に行ったら、沢山遊ぼうね」
渡したのは、つば広の麦わら帽子。
巻かれたリボンは瞳と同じ紅、横に取り付けられた貝殻製の星は桃色だ。
直ぐ様帽子を被ったグレナダは、キラキラと笑顔を咲かせた。
「ちちっ! ありがとうなのだっ♡」
「どういたしまして。とても似合っているよ」
その時、ラディオの足元に擦り寄って来た影が1つ。
ニャルコフだ。
「にゃ〜」
「勿論、ニャルコフにもあるよ。いつもレナンと共に居てくれる君を、忘れる訳が無いだろう?」
袋から最後の品を取り出すラディオ。
それは、鮮やかな碧色に染まったリボン。
貝殻で星を模った中には、鈴が仕込まれている。
ニャルコフの首に巻きながら、ラディオは優しく語り掛けた。
「これで、もうおかしな輩に何も言わせはしない。君も、大切な『家族』の一員なんだからね」
「にゃ〜♡」
艶やかな毛並みの頭を撫でてやると、ニャルコフは嬉しそうに一鳴きする。
すると、女性陣の『可愛い』や『嬉しい』と言った声が、食卓を彩り始めた。
椅子に座り直したラディオは、家族の顔を眺めながら、心に広がる充足感に微笑みを零す。
(……良かった)




