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第66話 父、こんなに簡単に

 階段の先は直線の長い廊下。

 そこを渡ると、至ってシンプルな造りの襖に辿り着いた。

 ラディオ達は一旦そこで足を止める。


「イト、さっき言った事にくれぐれも注意してくれ」


「えぇ、了解ですわ」


 襖を開けると、30畳程の和室が広がっていた。

 灯りは無く、向かって正面の壁の両端に備えられた丸窓から、淡く月明かりが漏れているだけ。


 だが、2人は此方を見据える視線を、しっかりと感じ取っていた。

 左右の丸窓の丁度中央に置かれた、一段高い台座と白い肘置き。

 其処にもたれかかり、足を投げ出して座る1つの影。

 此方をじっと見つめる緋色の両眼からは、只ならぬ気配が立ち昇っている。


 まるで、瞳自体が光を放っているかの様に、煌々と暗闇の中で輝いているのだ。

 更に、二重の円の形をした珍しい瞳孔が、余計に言い知れぬ不安を煽る。

 すると、三階で耳にしたあの声が響いて来た。


「会いたかったぞ、ラディオ。ウチの()はどうだ? 中々器量が良いだろう」


 言葉と同時に、甘ったるい匂いが此方に流れて来る。

 だが、ラディオは一切動じる事は無く、淡々と答えを返した。


「問答をする気はありません。私の興味は、貴女が持つ情報のみです」


 ラディオの感情の無い声に、影は含み笑いを漏らす。

 この時、イトは2つの事に驚きを覚えていた。

 1つは、これ程までに嫌悪感を露わにするラディオを、未だ嘗て見た事が無いという事。

 もう1つは、その嫌悪感を向けられて尚、影は本当に嬉しそうに笑っているという事だ。

 一体、2人の間に何があったのか。


「ふふふ……変わらないな、本当に。だが、先ずは顔が見たい」


 影は幾つかの丸い炎を生み出し、台座の左右に備えられた白いぼんぼり、天井に乱雑に吊るされた白い提灯、それぞれに火を灯していく。

 これにより、室内は赤味を帯びた妖しげな光を帯び始めた。


「あぁ……余を蔑んだその瞳……いつ見ても美しいな」


 薄暗い中に姿を現したのは、獣人の女。

 右半分が金色(こんじき)に、左半分が純白に染まった滑らかな長髪。

 大きく尖った耳を持ち、配下の霊獣と同様、額や目の下に赤い波の様な模様が刻まれている。


 身に纏っているのは、赤い着物。

 だが、両肩はおろか、豊満な胸の谷間が全て晒け出される程に着崩している。

 手には煙管(キセル)を持ち、先程の甘ったるい匂いを放つ煙を燻らせていた。


 特徴的な緋色の瞳は、溢れる想いを伝えるかの様に、ラディオにだけ視線を注ぐ。

 微笑みを携えるその顔は、雪の様に白く艶やかであり、その美貌たるや正しく絶世。

 だが、その『美女』に会う事を楽しみにしていた情報屋は、別の場所を注視していた。


(《先祖返り》……()()()()()()やな)


 イトの視線の先は女の背後、不規則に蠢く九つの尾である。

 すると、煙管から含んだ煙を吐きながら、影はラディオに手招きをした。

 体から異様な質のオーラを溢れさせながら。


「ラディオ……こちらに来い。余にもっと良く顔を見せろ」


 その時、イトの口から小さく溜息が漏れる。

 ただ座っているだけの彼女が発するオーラに、思わず圧倒されてしまったのだ。


 艶瞳族の祖たる【神獣・白面金毛九尾の狐】の力を顕現せしオルフェ・ビコ。

 一族の中で唯一にして最強の『九尾の狐の獣人』である。

 その力は絶大であり、最上位精霊や元素の竜と同格かそれ以上。

 正しく『化物』の域に達している事は、間違いない。


「取引がしたいのだろう? ならば、もっと近くに寄れ。話は聞いてやる」


 ラディオはイトと目配せをしながら、ゆっくりとオルフェの方へ近寄っていく。

 数mまで距離を詰め、淡々と言葉を発した。


「私が知りたい事は――」

「ファイザルの事だろう? みなまで言わずとも知っている。それで、余に何を差し出す?」


 言葉を遮り、オルフェが瞳を妖しくギラつかせながら、語り掛ける。

 ラディオの眉根が段々とより始め、険しい顔になっていくが、ママは微笑みを崩さない。


「ラディオはん、この話は対等じゃありまへん! 一旦策を練りな――」

「誰の許可を得て口を開いた!」


 商売人としての勘から、危険な匂いを嗅ぎ取ったイトが止めに入ろうとした。

 しかし、またしてもそれを遮り、オルフェの声が部屋中に木霊する。

 先程までとは打って変わり、止めどない怒りを露わにして。


「貴様如きが余の眼前に来るだけでもおこがましいと言うものを! あと一言でも発してみろ……肉塊となるのに時間は掛からんぞッ!」


 オルフェに凄まれ、イトは押し黙ってしまった。

 彼女は、自分が心惹かれた者以外に興味が無い。

 むしろ、それ以外の者は心底見下している。

 その為、イトが言葉を発した事で激昂したという訳だ。


「……すまなかったな、ラディオ。とんだ邪魔が入った。話を戻すが、お前は何を差し出す?」


 問い掛けるオルフェの声は、また透明感溢れるものに変わっていた。

 視界からイトを消し去り、恋慕するラディオを見つめる事で機嫌が直ったのだ。

 その時、険しい顔をしていたラディオが、静かに微笑みを浮かべる。


「何を勘違いしているのか……私は取引等と一言も言ってはいない。そして、貴女に差し出すものも、何一つとしてありません」


「何だと?……そうか、お前の狙いは……」


「察しだけは良いので助かります。さぁ、相手を用意して下さい。『組手』を要請します」


 2人は互いに睨み合い、不敵な笑みを浮かべた。

『組手』とは、オルフェが昔から行っている『遊び』の1つである。

 オルフェから何かを得たい者と、オルフェが用意した相手で試合を行うというもの。


 これは、彼女にとっては暇潰しでしかないが、相手に取っては有益である事が多い。

 自らの能力が高ければ、何も失う事無く欲しいものが手に入るのだから。

 しかし、『勝てれば』の話である事を忘れてはいけない。

 そして、オルフェは『組手』で負けた事が無い。


「霊獣を呼びますか?」


 ラディオが全身からオーラを発し、戦闘態勢へと移行する。

 しかし、オルフェは煙管を咥えたまま、微動だにしない。

 確かに、ラディオが相手であれば、霊獣でも勝ち目は無い。

 そこに勝算があると踏んだのだろう。

 だが――



(ラディオ、お前は甘いな。相変わらず……甘い)



 オルフェはニヤリと頬を吊り上げた。

 そして、指を向け『此方に来い』と動かし始めたのだ。

 ラディオは訳が分からない。

 オルフェの行動を訝しんでいると、突然違和感に襲われた。

 どうやっても、足が前に出ないのだ。


「……私に何をした」


「くくく……あははははっ! 本当にお前は可愛い奴だ! 純粋で真っ直ぐで愚かな所がな。お前が余の対策を労していた事は分かっている。成長が見れて嬉しく思うぞ。だがな、それはお前だけでは無い!」


「……そういう事か」


 ラディオは、自らの体に纏わり付いている煙を見て、合点がいった。

 以前までの煙の役割は、嗅覚を介し相手を魅了する為のもの。

 今の段階でラディオはその気配は感じていなかったが、其れこそオルフェの狙いだったのだ。


「余の煙は、今や触覚にまで作用する。触れた者は身体の自由を奪われるのだ。『魅了』とは『洗脳』……お前の意思が脳に行き着く前に、お前の筋肉と神経を籠絡させて貰ったぞ。ふふふっ、大人しく其処で見ていろ」


 オルフェは裂けたかと思う程頬を吊り上げ、狂気を瞳に宿し始めた。

 だが、ラディオは疑問が拭えない。

 此方は身動きが取れないと言うのに、オルフェは未だ指で手招きをしているのだ。

 しかし、その疑問も直ぐに打ち砕かれる事となる。


「お前の相手は……此奴だ」


 ラディオの横を、虚ろな瞳をした男が通り過ぎていく。


「イト! 貴様……!」


 そう、オルフェが選んだ相手はイトだった。

 ラディオと同様、煙によって気付かぬ内に、身体の自由を奪われていたのだ。

 言われるがまま、フラフラと台座の前に跪くイト。

 すると、オルフェはイトの頬を撫で、掛けている丸眼鏡を取り去った。


「余の瞳を見ろ! 骨の髄まで余の物となれ!」


 二重に重なった円の瞳が、激しい光を放ち始める。

 イトは体をガクガクと震わせ、陶酔しきった顔を晒してしまう。

 そして、自らの口に手を突っ込むと、赤い丸薬を取り出してしまった。


「ふふふっ、虚しい小細工だ。この程度で、余の力を防ごうとは。イトと言ったな? お前の主は誰だ?」


「あ……あぁ……マ、マ……」


「そうだ。お前の敵は誰だ?」


「あ……あぁ……」


 イトは天を見上げたまま、指だけをラディオに向けた。

 身動きの取れないラディオは、うな垂れて、歯を噛み締める事しか出来ない。

 そして、ポツリと声を漏らした。


「こんな……こんなに簡単に……」


 それを聞いたオルフェは、ブルッと体を震わせる。

 その瞳に映る狂気を色濃くしたかと思えば、呼吸が乱れていくではないか。


「はぁ……はぁ……余の力を持ってすれば、当然だ……! ふふふ……遂にお前を我が物に出来ると思うと……堪らないなぁ!!」


 下腹部を抑え、流れる快感に酔いしれるオルフェ。

 独占欲の塊の様な彼女にとって、手も足も出ないままに、己の傀儡に出来るという事は、この上無い喜びなのだ。


「望み通り、『組手』を始めるぞ。お前が勝てれば、情報を教えてやる。だが……此奴を殺す事が出来るなら、な」


 オルフェは、石像の様に動かなくなったイトの頬を再度撫で上げる。

 そして、耳元に顔を近付け、甘い声で囁きかけた。


「余は一切の手を出さぬ。お前がラディオを殺す事は不可能だが、それはあやつも同じ事。精々楽しませろ……行け」


 オルフェの手が離れると、イトはダランと頭を下げた。

 そして、ゆっくりと立ち上がり、ラディオの元へ歩み寄っていく。


「あ……あ……あぁ……」


 一歩、また一歩と距離を詰めるイト。

 ラディオの眼前まで来ると、その太い首に両手を巻き付けた。

 背後ではオルフェの尋常では無い吐息が響いている。

 ラディオの苦悶に呻く姿が見たくて仕方が無いのだ。


「やれ! 余のラディオを嬲れ! 余に平伏し、助けを懇願するまで嬲るんだぁ!!」


 オルフェの歓喜に満ちた叫びが木霊する。

 イトは再びダランと頭を下げると、両手に力を込めていく。

 そして――



「あ……あ……あ……あーぁ、降参ですわ。僕の負けでっせ〜……うっわ、首ふっと!」


「……は?」



 気の抜けた声が部屋に響く。

 今の今まで虚ろな瞳をしていたイトが、いつもの調子に戻っているのだ。

 ラディオの首を摩り、丸太の様な太さに顔をしかめている。


「何をしている!? 余の言う事が聞けないのか!! 屑に期待したのが間違いだ……これは!?」


 激情のままに、イトに詰め寄ろうとしたオルフェ。

 だが、体がピクリとも動かない。

 その上、身の回りの大気が徐々に震え出したではないか。

 すると、体を締め上げる様に竜のオーラが姿を現した。


「いつの間に……貴様ぁ……! 余に何をした! いや……その屑は何故『魅了』が効かないのだ!!」


 その時、ラディオの体からオーラが溢れ出した。

 纏わり付いていた煙を吹き飛ばし、イトと共にオルフェの前に立ちはだかる。

 そして、静かに微笑みながら一言呟いた。


「こんなに簡単にいくとは……貴女の負けだ、オルフェ殿」

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