第65話 父、遊びに来た訳では無い
規制区域を進んむと、前方に大きな赤い柵状の門が見えてきた。
その奥に堂々と建てられているのが、規制区域最大にして最高級の店、『不夜城』。
煌びやかな灯りを放つ店からは、妖艶な音楽が絶えず聞こえて来ている。
「はぁ〜、近くで見るとホンマデカいですね。うっわ……あの辺の造りとか、幾ら掛けたんやろ」
店の面構えを見て、溜息を漏らすイト。
途方も無い額を注ぎ込んでいる事が容易に想像出来る程、何処を見ても豪華絢爛の一言だ。
「此処は初めてか?」
「そらそうですよ〜! 『不夜城』は金を積めば入れる訳ちゃいますねん。この店は所謂VIP専用、僕みたいな一介の情報屋なんて門前払いですわ。見て下さい、あの見張り達」
イトが肩を竦めながら、店の方を顎で指し示す。
不夜城の門前には、等間隔で黒服の従業員が配置されている。
更に、木造三階建ての店の随所に、同じ様に黒服が置かれ、目を光らせているのだ。
「蟻一匹侵入なんて出来ませんわ。まぁ……ママの店でイザコザ起こそうなんて奴は、元々居ないんですけどね」
確かに、客を見ているとそれも頷ける。
顔を隠した者も多いが、所作の端々に気品なり傲慢さが見て取れるのだ。
明らかに力を持った者、或いは金を持った者の動き方である事は間違いない。
すると、ラディオは少し考え込んだ様子で、イトに問い掛けた。
「……彼女に会った事が無いとも言っていたが、それは他の客も同じか?」
「恐らくは。前ギルドマスター時代から店を構えてますけど、表舞台に出て来た事は無いですね。個別に訪問する奴は居るかも分かりませんが、僕のトコに情報は入って来て無いですね。それ所か、本名すら知りませんわ」
「そうか。門前払い……言い得て妙だな」
店の屋根より上、何も無い夜空を見上げながら、納得した表情を見せたラディオは、ポケットから毒々しい赤色の丸薬を2つ取り出した。
その内の1つをイトに渡し、もう1つを自分の奥歯へと仕込む。
「さぁ、君も同じ様に仕込んでくれ」
「え。何ですのこれ?」
「何と言われても……先程買った丸薬だ。見ていただろう?」
「いやいや! これを何で奥歯に仕込むのかと聞いているんやないですか! あんなけったいな問屋で買うた訳の分からんもんですよ!?」
「これは唐辛子を丸めたもので、体に害は……無い。本来の用途は不明だがな」
「ちょっと間空きましたやん! 嫌ですわ僕〜!」
イトはプルプルと首を振り、拒否反応を示している。
ラディオは周囲に目を配らせると、イトの肩に手を置き、耳元で囁き始めた。
「『ママ』はかなりの闇属性魔法の使い手だ。特に凄まじいのが『魅了魔法』。触れられるのは元より、視覚、嗅覚、聴覚、果ては味蕾の1つ1つでさえも手玉に取ってしまう。この丸薬はその為の保険だ」
「マジですか……味蕾をどうこうするって、人間業じゃ無いですよ?」
「だが、事実だ。君が思うより何百倍も……彼女は狡猾で危険なんだ。私が合図を出したら、必ず噛み砕いてくれ。良いね?」
「……了解ですわ。あーん……うっわ、この段階でクソ不味いですやん」
奥歯に仕込んだ丸薬の味に、イトは顔をしかめながら、ブツブツと文句を言い始めた。
だが、『ママ』の手から逃れる術だと言われては、従う他無い。
「それで、店へはどうやって入りはるんです? そりゃ、ラディオはんは本気になれば侵入出来るんやろうけど、僕は無理ですよ? そもそも、僕らの格好じゃどう見ても入れませんて」
イトはヨレヨレのローブ姿、ラディオはいつもの平民の格好。
不夜城の客はおろか、普通に見ても綺麗とは言い難い。
だが、ラディオは全く気にしていない様子だ。
「心配は要らない。正々堂々、正面から入れて貰うさ」
「ん? 入れて……あっ! ちょっと待って下さいよ〜!」
静かに微笑み、スタスタと歩いて行ってしまったラディオ。
置いていかれぬ様に、イトもその後を急ぎ足で追う。
しかし、柵状の門に辿り着くと、2人の前に黒服が立ちはだかった。
「……御名前を伺っても?」
特に目立った点は無く、普通の体格をした黒服。
しかし、その目は獰猛な獣の様に荒々しく、纏ったオーラは煌めくナイフの様に研ぎ澄まされている。
相当な手練れである事は、誰の目にも明らかだった。
「ラディオはん……入れて貰うんじゃ無かったんですか? むっちゃ睨まれてますやん。通してくれる気さらっさら無いですやん」
イトは渋い顔をしながら、ラディオに耳打ちをしてきた。
予約なんてしていないし、名前を言った所でどうにかなるとは思えない。
何故なら、ラディオはしがないEランクであり、イトは情報屋でしかないのだから。
しかし、ラディオは微笑みを崩さない。
「大丈夫、彼女は既に気付いている。私達がこの区画に入って来てから……いや、私がランサリオンに訪れたその日からな」
「全然分かりませんわ。分かりませんけど……ラディオはんの言った通りみたいですね」
話してる間、黒服達は微動だにせず、此方を見据え続けている。
だが、イトは小指で耳をほじりながら、ニヤリと妖しい笑みを零した。
すると、黒服達がピクリと動きを見せる。
そして、突如として地面に片膝をつき、頭を下げたではないか。
「長うお待たせしまして。こっからは、あてが案内させて貰います。おまはんら、もうええで」
頭を下げた黒服達が作ったアーチを歩いて来たのは、全身に青い炎を纏った1匹の狐。
真っ白な体毛に4本の尾を持ち、至る所に赤い波の様な模様が刻まれている。
流暢に人語を介し、男達を下げさせると、金色の瞳孔が煌めく真っ黒な瞳をラディオ達に向けた。
「あては、ここで遣手やらしてもろうとります、アマネどす。ラディオはん、それとお付きの方、ほな此方へ」
アマネは恭しく頭を下げると、前足を店の方へと向け迎え入れる所作を示した。
ラディオが頷くと、先頭に立って歩き始めるアマネ。
すると、ピンと来たイトが再び耳打ちをしてきた。
「ラディオはん、この狐って……まさか……」
「その通り。彼女はママが使役する『霊獣』の1体、『天狐』だ」
「マジですか……想像以上の『化けもん』ですね、ママ。下手したら……ラディオはんと同レベルちゃいます?」
イトが驚くのも無理はない。
『霊獣』とは、神格を持つ獣の総称であり、その力は下位精霊若しくは上位精霊と同等。
中でも個体能力が抜きん出ているものは、『神獣』と呼ばれ、獣人族の祖となっているのだ。
『十大部族』の者達は、特にその血統が強い事で知られている。
そして、霊獣は一様に強大な力を有し、人語を操り、人型への変化を得意としている。
モンスターとはまったく別次元の存在である霊獣を使役してしまう『ママ』。
イトが『化けもん』と言った事も、あながち間違いではない。
だが、ここで異を唱える男が1人――
「……ちょっと待ってくれ、何故そこで私の名前が出てくる?」
ラディオが怪訝な顔で問い掛けると、イトは呆れ笑いを浮かべながら答えた。
「え? そのままの意味ですけど?」
「それは……どういう事だ?」
「えぇ? 『竜王』に甘やかされて、『始源の竜』が世話係で、『元素の竜』が兄姉なんて化けもん以外何ですの?」
「そういう事か。いや……しかしだな、それだとサニア様達が化物だと言っている様に聞こえるぞ?」
「まぁ、そう言いましたんで」
「それは違うぞ、イト。確かに、サニア様達は強大無比な力と、その美しい肢体によって、理解し難い存在かも知れない。だが、決して化物などでは――」
「僕はどんなんか知ってますけど、一般人から見たら『化けもん』ですよ? 良い意味でも悪い意味でも」
「そう……なのか?」
「そうですよ?」
「そう……なのか」
「そうですよ」
どこか納得のいかない顔を見せるラディオ。
対して、やれやれと肩を竦めるイト。
すると、前方を歩くアマネから、堪えきれなかった笑いが漏れ聞こえて来た。
「くっくっく……えらいすんまへんなぁ。せやけど、おもろくて。さぁさぁ、着きました」
丸い飛び石の上を渡り、大きな縦太浅の玄関をアマネが開ける。
同時に、広大なスペースと煌びやかな灯りが目に飛び込んで来た。
「「「おこしやす〜」」」
入って早々、艶やかな色気溢れる遊女達が、2人に挨拶をする。
磨き抜かれた木材で造られた玄関兼受付は、外観を圧倒する程に豪勢だ。
アマネに連れられ、中央にある階段を上がっていくラディオ達。
すると、イトがふとした疑問を呈する。
「ラディオはん、僕ら初見でこない汚い格好なのに……『おこしやす』言われましたよ?」
「そら勿論どす。この店は、初見さんにも礼を尽くしますさかい。何故なら、その方々が一見さんになる事がありませんで」
「成る程……元々が選ばれた者しか入れんし、これだけの店に通えると言うのは、ある種ステータスなんや」
「そう言わはって頂けるなら、有難いお話どす。それに……」
「今回に限っては、『彼女の言い付けである』という事でしょう?」
言葉尻をラディオが拾うと、アマネは口角を上げながら頷いた。
まるで何かを試している様な、薄ら寒くなる笑みを浮かべて。
「……此方どす」
アマネはそれ以上喋る事は無くなり、淡々と案内に従事し始めた。
足早な狐に続いて、店の二階に上がってきたラディオ達。
長方形に造られた室内は、一階よりも更に広い。
中央部分は吹き抜けとなっており、風情ある中庭が廊下から一望出来る様になっていた。
等間隔で配置された襖には、様々な動物が描かれており、遊女と客が情事を行う部屋となっている。
長い長い廊下を渡り、左右に黒服が立つ襖へと辿り着いた。
アマネが頷くと、音も無く襖が開かれる。
すると、またもや階段が姿を現した。
ラディオ達はアマネに従い、三階へと足を踏み入れる。
ここも、二階とほぼ同じ造り。
だが、置いてある物、襖に使われている装飾、廊下を照らすランタン、その全てが二階の物より一段階上なのだ。
VIPの中のVIPだけが、ここに通う事が出来るのだろう。
先程と同じ様に廊下を渡ると、一際絢爛豪華な襖に辿り着いた。
すると、アマネがこちらを向き、恭しく頭を下げる。
「お待っとうさんどした。此方に『ママ』がいてはりますさかい」
アマネに言われるがまま、襖の奥に入って行く。
中には更に幾つかの襖があり、その最奥の畳が敷かれた部屋に、1人の女性が座っていた。
きめ細かやかな薄紫色の髪と瞳を持ち、縦長で尖った三角耳を持つ獣人。
黒を基調とした着物に身を包み、4本の尾をゆらゆらと遊ばせている。
珠の様な柔肌を晒し、溜息が漏れる程の美しい顔だ。
ラディオ達を見とめると、透き通った声で挨拶をする。
「よくぞ参られた。久しいな、ラ――なっ……!?」
名を言いかけた獣人だったが、突然言葉を詰まらせる。
それもその筈、対面している中年から、圧倒的な魔力が溢れ出して来たのだ。
部屋を埋め尽くす程にオーラを滾らせ、その顔に呆れと怒りを混在させて。
「……先程、アマネ殿は、『彼女の言い付けである』という私の問いを肯定しました」
冷たい声で、淡々と言葉を紡ぐラディオ。
だが、その凄まじさに獣人は冷や汗を流し、アマネは震えて部屋の隅に行ってしまっている。
「ならば、この茶番も『彼女の言い付け』なのでしょう。ですが、私は遊びに来た訳ではない。これ以上続けるなら……容赦しませんよ」
ラディオのオーラが一層膨れ上がっていく。
空間が鉛と化したと錯覚してしまう程に、室内は重鈍な空気で充満し始めた。
「それとも……私が床を撃ち抜いた方が良いですか?」
「いやいや、ラディオはん。そんなんされたら、僕らまで被害被ってしまいますやん」
自分達が立つ畳に目をやり、ブルルっと体を震わせる。
「……ラディオはん?」
だが、ラディオが指差す方向を見やると、イトは首を傾げた。
何故なら、滾るオーラを纏う指は、床では無く『天井』に向けられていたのだ。
訳が分からないイトが確認を取ろうとした瞬間、どこからとも無く艶やかな声が響いて来る――
「ふふふ……それぐらいで良いだろう。相変わらず、遊び心に欠けた奴だ」
脳内に直接語り掛けらているかの様な、透明感溢れる声。
これだけで、心を鷲掴まれてしまいそうだ。
「カイナ、アマネ、ご苦労だった。仕事に戻ってくれ。ほれ、お前も気を鎮めろ……ラディオ」
冷たい眼差しのまま、天井を見据えるラディオ。
だが、大きく溜息を吐くとオーラを収束させた。
すると、身体の硬直が解けたのか、獣人とアマネは脱兎の如く部屋を出て行ってしまう。
「ふふふ……『天狐』のみならず、『空狐』ですらあの怯え様とはな。やはりお前は……素晴らしい。児戯は終わりだ、上がって来い」
楽しげに弾ませた声と共に、カチカチと歯車が噛み合う音が響き渡る。
すると、天井の一部が開き、隠し階段が降りて来た。
「ラディオはん……最初から気付いとったんですね」
「店に入る前からな。『幻術による隠蔽』は、彼女が得意とするものの1つだ」
そう、『不夜城』は三階建てではなく、四階建てだったのだ。
ラディオが何もない夜空を見上げていたのは、景色の中に完全に同化していた四階部分に気付いた為。
そして、『床を撃ち抜く』と言って、天井を差したのもこれが理由だ。
「色々と規格外なんは、大分伝わってきましたわ。所で、ママについてもう少し説明が欲しいんですけど?」
階段の前に横並びになりながら、イトが問い掛ける。
ラディオは少し考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「そうだな……娼館街元締、通称『ママ』。その本名は、オルフェ・ビコ……【白面の魔女】と言われた先代帝国の英雄の一行だ」
「なっ……!?」
「加えて、十大部族の1つ、『艶瞳族』の族長にして、《先祖返り》を果たしている猛者だ」
『やっぱり化けもんやん……』と、イトが生唾を飲み込みながら呟く。
それを聞いたラディオは、困った様な微笑みを浮かべ、軽く頷いた。
2人は互いに顔を見合わせてから、階段を上がっていく。




