第62話 父、新発見をする
ラディオが裏通りを駆けて行くと、建物が入り組んだ密集地帯が見えてきた。
通路は細く歪で、重なり合った外壁が幾つもの暗い影を作っている。
ニャルコフらしき影も、男達の姿も無い
ラディオは周囲に視線を配りながら、手に魔力を込めた。
「《翠竜の軌道》」
夕暮れの風に乗せて、込めた魔力を拡散していく。
少し先で幾つもの反応を確認すると、ラディオの眉根が寄り始め、警戒心が上がっていく。
(これは……確認が必要だな)
男と騎士達、そしてニャルコフと共に居る一際巨大な魔力反応。
ここまで大きなものは滅多に居ない。
大きなトラブルにならなければいいのだが。
ラディオは気配を消し、気付かれぬ様に現場へと向かう。
▽▼▽
「お嬢さん、その猫を此方に渡して頂けませんか?」
スーツの男が、無表情のまま眼前の少女に声を掛けた。
護衛達はジリジリと逃げ道を潰しながら、男と少女を囲んでいく。
だが、少女は全く気にする様子を見せず、腕に抱いたシルバーグレーの猫の頭を撫でて御満悦だ。
「お前大人しいな〜。気に入ったゾ!」
美しい蒼と碧のオッドアイがキラキラと輝き、元気溢れる褐色の肌と相まって、とても可愛らしい顔立ち。
着ている白のワンピースと、銀色の長髪が更に可憐さを引き立てる。
しかし、頭に生えた大きな耳と、腰で振られているふさふさの尻尾を携える姿からは、ある種の威圧感が見て取れた。
「度胸が良いのは嫌いではありません。ですが、此方も命令でして……やれ」
男の言葉とほぼ同時に、護衛が一斉に斬りかかった。
チラリと横目で確認した少女が、体に魔力を込める。
猫を小脇に抱え直し、戦闘態勢に入ろうとしたその時――
「「「ぐわぁぁぁぁぁぁ!!」」」
護衛達が、全員弾き飛ばされた。
少女は肩を竦め、また猫の頭を撫で始める。
そして、自分と男達の間に立つ背中に向かって話し掛けた。
「おっさん中々速いな! でも、別に大丈夫だったゾ!」
「えぇ、ロゥパ殿ならそうでしょう。しかし、年端もいかぬ少女を只見ているという事は出来ませんでした」
穏やかに微笑みながら、一礼をしたのはラディオだ。
囲まれている少女を見つけた瞬間、体が動いていた。
振り下ろされた大剣を全て弾き返し、その衝動によって護衛を吹き飛ばしている。
「おっさんロゥパの事知ってるのか! でも、ロゥパは知らないゾ?」
「私の娘達を護って下さったお方を、忘れる訳がありません。それに、私は新米ですので知らないのも当然です」
少女の正体は、ロゥパ・イニビト。
現役SSランク冒険者にして、【神憑きの金毛】と呼ばれる金時計の1人だ。
すると、ロゥパは頬を膨らませながら、尻尾を逆立て始める。
「Eランク? おっさん、嘘は良くないゾ!」
あの動きでEランクは有り得ない。
そう思ったロゥパだが、ラディオが胸元で見せたプレートを見て首を傾げてしまう。
確かに、白色のそれはEランクの証。
耳を垂らし、ロゥパは顔をしかめ始める。
「んん〜? 分かんないゾぉ!」
「それよりも、ニャルコフをお願い出来ますか? 私は少し話がありますので」
「それなら良いゾ! お前はモフモフしてて気持ち良いからな〜」
ラディオが男達に向き直る。
既に態勢を立て直していた護衛達だが、襲って来る気配は無い。
ラディオの発するオーラに当てられているという事もあるが、一番は男の統率力によるものだった。
(あの男……出来る。油断も慢心も見られない)
左手を上げて護衛達を制しながら、此方をじっと見据えるスーツの男。
無表情なその顔からは何も読み取れない。
SSランクの金時計に対し、部下を斬りかからせているにも関わらず、汗一つかいていないのだ。
ラディオは、男から底知れぬ狂気の様なものを感じていた。
「……随分と義侠心の強いお方の様だ。我々が誰に仕えているかご存じ無い?」
すると、唐突に男が喋り出した。
感情を込めず、淡々と発せられた声。
だが、その言葉はラディオの懸念をズバリと射抜いていた。
護衛達の鎧には、家紋の様な紋章が刻まれている。
これは、どこかの貴族に仕えている証だった。
「申し訳ないが、分かり兼ねます。私は自分の家族と少女を、凶刃から庇護したまでですので」
「そうですか、それはそれは……いえ、良いでしょう。それよりも、その猫は貴方の家族と言いましたか」
「そうですが」
「では、商談と参りましょう。その猫を是非とも売って頂きたい。たまたま街で見かけたお嬢様が、大変お気に召されまして。そうですね……金貨、いや白金貨200枚で如何で――」
「御断りします」
男の問い掛けに、即答で答えるラディオ。
それを聞いて、無限の闇を体現するかの様な瞳を向ける男。
両者の間に、ビリビリと互いを威圧する空気が充満していく。
「はて……自ら仰った様に、貴方はEランクなのですよね? まぁ、その身なりを見れば一目瞭然ではありますが」
「如何にも。それが何か?」
「白金貨200枚と言えば、数年は豪遊出来る額です。たかだか猫1匹の値段としては、決して悪い話では無いでしょう?」
「では、お聞きします。貴方の御令嬢を私が買いましょう。白金貨1000枚で如何ですか?」
「……お嬢様を侮辱すると? 金で買えるとお思いで?」
「そっくりそのままお返しします。私の家族も金で買えるものでは無い。幾ら積まれようとも、誰にも渡しません」
今や空間が歪む程のオーラを発しながら、じっと睨み合う2人。
互いが腹の中を探り合いながらも、その手、その足の動きに注意を払い続けている。
後ろでは、相変わらずロゥパはニャルコフをモフモフしているが。
「……私がお嬢様を落胆させるなど有り得ない。誰が相手でも、です」
「それは残念、今日がその日となるでしょう」
「……怪我じゃ済まないぞ」
「……やってみろ」
両者が戦闘態勢に入った。
拳を構え、今にも激突する――
「はぁ〜い♡ そこまでよぉん、お二人さんっ♡」
かと思われた瞬間、ドスの効いた低い声が路地裏に響いた。
カツンカツンとハイヒールを鳴らしながら現れたのは、ドレイオスだ。
背後に治安部隊を引き連れ、笑顔で近付いて来る。
「喧嘩はだぁ〜めっ! ここは穏便な事を済ませましょん♡」
治安部隊の登場にも、男はやはり焦らない。
無表情のまま、淡々とドレイオスに一礼をした。
「これはこれは、治安部隊長殿。この方を捕らえに来て下さったのですね」
「何の話かしらぁん? アタシはランサリオンの揉め事を未然に防ぐのがお仕事なのよぉん?」
「ならば話はお分かりでしょう。此方のEランクの方は、あろう事かファイザル家の所有物である騎士達を傷付けたのです。これは……外交問題になるのではありませんか?」
『う〜ん』と唇を尖らせながら、顎を指で叩くドレイオス。
チラリと横を見ると、何も言わないラディオの頭が目に入った。
「あらぁ〜♡ 随分サッパリしたじゃなぁ〜い! 男前がグッと上がったわねぇん。リーちゃんが大変な事になっちゃうわぁ〜♡ おほほほほほっ!」
「お久し振りです、レイ殿……トリーチェに何かあったのですか?」
ドレイオスに一礼したラディオは、『大変な』という言葉を聞いて首を傾げた。
すると、ドレイオスは腹を抱えて笑い始める。
「んいやだぁ〜ん! おほほほ、ゴホッゴホッ! こんなにお鈍感さんなのぉん? おほほほほっ!」
ラディオの肩をバンバン叩きながら、蒸せ返るドレイオス。
ラディオは微動だにしないが、やはり言葉の意味が分かっていない。
その時、男が割って入って来た。
初めて感情を出し、苛立ちを少し含ませた声で。
「下らぬ馴れ合いは他所でやって頂きたい。さぁ、後ろの部下は飾りでは無いでしょう。私の要求を飲めば、この件は不問に致しますが?」
「ゴホッゴホッ! ふぅ……あらあら、せっかちな男はモテないわよ?」
息を整えたドレイオスの目付きが変わる。
クルンとカールしたもみ上げを弄りながら、鋭い眼差しで男を見据え始めたのだ。
「じゃあアタシも聞くけど、ウチのローちゃんに斬りかかったのは何故かしら? この子が貴方達に何かをしたと言うなら、教えてちょうだい?」
「…………」
「ファイザル家は勿論知っているわ、古〜い名家よね。でも、ローちゃんが『吠牙一族』族長の孫娘だって事はご存知? 獣人族の十大部族の一つって事は?」
「……存じ上げていますが?」
「なら、それこそ外交問題じゃない? 何もしてない女の子に斬りかかったんですもの。アタシにはEランク冒険者が助けただけに見えるけど?」
「……それで良いのですね?」
「良いも何も事実よね? それとも、ファイザル家は吠牙一族とギルドを相手取りたいのかしら?」
ドレイオスは腕を組み、並々ならぬ威圧感を出した。
これが冒険者であったならば、すぐに捕らえていただろう。
だが、相手は旧家の名門。
外交問題に発展する事は避けなければならない……最初の段階では、だが。
「良いでしょう。此方もまだ準備不足……日を改めるとします。行くぞ」
男はスーツの襟を直し、歩き始めた。
護衛の騎士達も剣を収め、その後ろを隊列を組んで歩いていく。
だが、男がラディオの真横に来た時、小声でこう呟いた。
「また会いましょう、ラディオ殿」
その後は、振り返る事も無く、路地裏から消えていく男達。
この時、ラディオの中には疑問と警戒心が渦巻いていた。
あの男は何故、自分の名前を知っていたのか。
一度も名乗っていない事に加えて、ロゥパはラディオの名を知らない。
しかも、ドレイオスでさえ気を遣って名前を呼んでいないと言うのに。
(ファイザル……調べる必要があるな)
男の態度と騎士達に感じていた違和感の正体を探らなければ。
そう考えていると、ドレイオスが肩に優しく手を置いてきた。
「ラディオちゃん、ごめんなさいね。ちょっと使わせて貰っちゃったわ」
「いえ、此方こそ助かりました。ロゥパ殿を先に送って頂いた事、感謝致します」
「知ってたのか!? おっさん、やっぱりEランクじゃないゾ!」
そう、ドレイオスはたまたま通りがかった訳では無い。
ロゥパと焼き菓子店に訪れた時、レミアナから今回の一件を伝えられたのだ。
その時、レミアナも鎧に付けられた家紋に気付いている。
貴族が相手では、思うように動けない。
それに、ラディオはもう向かってしまっている。
そこで、嗅覚が鋭く万が一があったとしてもギルドとして言い訳の立つロゥパに、斥候として現場に向かって貰ったのだ。
その間に、治安部隊達を召集していたという訳である。
「ロゥパ殿、私の家族を護って頂いたのは、これで2度目です。本当に有難う御座いました」
深々と頭を下げるラディオ。
すると、ロゥパが下から覗き込んで頬を膨らませて来たではないか。
「違うゾ! 獣人族にお礼をする時は、耳を撫でるんだゾ!」
「……初耳ですが」
「おほほほほっ! ローちゃんはまだまだ子供だからぁん、触られるのが大好きなのよぉ〜ん♡」
ドレイオスはニヤニヤしながら、眉毛をピクピクと動かしている。
だが、ラディオはどう触ったら良いか分からない。
すると、ロゥパが耳を立たせ、ラディオの顔の前に突き出して来た。
「早く〜! ロゥパ我慢出来ないゾ!」
「いや、しかし……」
「ラディオちゃん、やさ〜しく撫でてあげてぇん? 女の子なんだから、強くしちゃダメよぉん。やさ〜しく、やさ〜しくねぇん♡」
「……では、失礼致します」
戸惑いながらも、銀色に輝くフサフサの耳に手を当てた。
すると、ロゥパの体がビクッと反応を示す。
「申し訳ない……痛かったですか?」
ロゥパはブンブンと首を振ると、もっとやれと言う様に、耳をピクピクさせた。
ラディオは言われた通り、やさ〜しく下から上に向かって指を這わせていく。
「んん……♡ ふ、あ……ん〜♡」
(獣人族の耳がここまで感触の良い物だとは……新発見だな)
予想を遥かに超えた触り心地に、ラディオはいつの間にか夢中になっていた。
その間もロゥパは体を震わせ、頬を赤らめながら、指の感触に陶酔していく。
それを悪い顔で見つめるドレイオス。
(あらあらぁ〜♡ ほーんとにおタラシさんねぇん、ラディオちゃん♡ これで、ローちゃんも少しは女の子らしくなってくれると良いんだけどぉん♡)
暫くすると、ロゥパが切ない声を出し始めた。
そこで、ハッと我に返ったラディオ。
「申し訳ありません、つい夢中になってしまいました」
「はぁ……はぁ……おっさんの指……気持ち良いゾ……♡」
「おほほほほっ! ローちゃんも満足した事だしぃん、帰りましょ〜ん!」
「そうですね。お2人共、本当に有難う御座いました」
ロゥパからニャルコフを受け取ったラディオ。
すると、碧色の美しい瞳が何かを訴えている様に見えた。
「ニャルコフ? 怪我でもしているのか?」
「……にゃー!」
ニャルコフが珍しく強めに鳴いたかと思うと、ラディオの胸に顔を埋め始める。
見ると、耳だけはピンと立ちラディオの眼前に向けているではないか。
少し考えたが、ラディオは良く分からず頭を撫でてやる。
「にゃ〜〜!!」
すると、ラディオの胸に猫パンチが炸裂した。
余計に訳が分からなくなってしまうラディオ。
だが、ドレイオスはドンドン歩いて行ってしまう。
グレナダ達も待たせている事だし、ラディオもとにかくその後を追った。
最後尾を付いていくロゥパ。
自分の耳を撫でながら、さっきの感触を思い出しピクッと震えて。
その瞳には、必死にラディオに何かを訴えているニャルコフの姿。
(分かるゾ……あの指は、癖になるからな……♡)
同じ獣の血を持つロゥパだけが、シルバーグレーの猫の願望を悟っていた。




