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第61話 父、言葉を詰まらせる

「――こうして、人々は幸せに暮らしましたとさ」


「おぉ〜! みんなおともだちなのだぁ♡」


 ちちに絵本を読んで貰い、満面の笑みを浮かべるグレナダ。

 目覚めてから3日目の昼過ぎ、ラディオは未だベッドの上―サニアからの厳命故に―だったが、グレナダも『ちちはねんねしていなければならない』と理解している。

 しかし、ど〜〜してもラディオに甘えたかったグレナダは、絵本を抱えて寝室の扉の影からチラチラと此方を伺っていたのだ。


 そんないじらしい姿を見せられては、親バカの頬が緩まない訳が無く、直ぐに娘を呼び寄せる。

 すると、花を咲かせる様に笑顔を満開にしたグレナダも嬉々としてベッドへダイブし、ラディオの膝の上にちょこんと座ったという訳だ。

 しかし、絵本を読み終えたラディオは、何とも言えない顔を見せている。


「……レナン、絵本は終わってしまったよ?」


「あい♡ たのしかったのだぁ♡」


 美しい紅玉の瞳をキラキラと輝かせながら、グレナダは嬉しそうに頷いている。

 しっかりとラディオの目を見つめながら。


「……しまってもいいかな?」


「あいっ♡」


 そう、グレナダは絵本の方を見ていない。

 読み聞かせている間中、一度も。

 只ひたすらにラディオの顔を見ては、恍惚の眼差しを送るだけだったのだ。

 ラディオが頭を撫でてやると、グレナダは尻尾をブンブン振って喜びを表す。

 そんな娘を見ながら、ラディオは徐ろに前髪を掻き上げた。


(……やり過ぎたか?)


 しかし、サニアの案では無碍にも出来ない。

 実際問題どちらでも良かったのだが、娘の反応がラディオの不安を煽る。

 すると、扉を叩く音……を掻き消すように、上ずった声が外から響いて来た。


「ラ〜ディ〜オ〜さ〜ま〜♡ ラディオ様ラディオ様〜♡ レミアナです気付いてますよね知ってます入れて下さいもう我慢出来ませんは〜や〜く〜入れて下さい入れて下さいラディオ様〜♡」


 畳み掛けられた言葉の節々に狂気が宿っている。

 身内でなければ、即座に通報されるだろう。

 だが、ラディオは穏やかに微笑むと、グレナダを抱き上げ玄関へと歩いていく。

 サニアは今、夕食の買い出しに出掛けているのだ。


「いらっしゃい、レミアナ」


「レミアナなのだ!」


「あはぁ〜♡ お早うございますぅ〜! ラディオ様、レナンち……!!」


 優雅に完璧にお辞儀をしたレミアナだが、顔を上げると動きが止まった。

 ラディオを凝視したまま、体が震え始める。

 そして、ゆっくりと頬が吊り上っていき、瞳に欲情の色を浮かべたのだ。


「か……かか……かっ……!」


「……レミアナ?」


「カッコいいカッコいいカッコいいカッコいいカッコいいぃぃぃぃ♡♡♡」


 全身からハートマークを飛ばし、アホ毛がビンビンに動き回り始めた。

 見つめる先は、短くなった漆黒の頭。

 実は、今朝方サニアによって、ラディオは髪を切られていたのだ。

 幼少期の頃の様にサイドと後ろを刈り上げ、七三分けで前髪を立ち上げたスタイルに。


 そして、グレナダが絵本を全く見なかった理由もこれである。

 久し振りに見るちちの短髪に、心を奪われたという訳だ。

 孫の誕生日の前に綺麗にさせたいと、サニアがいきなり切ると言い出した。

 確かにそれは一理あると、ラディオも納得して切っている。

 しかし実際は『こちらの方が愛いから』、という理由である事を、ラディオは知らない。


「ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい――あっ」


「これは大変だ。少し待っててくれ」


 レミアナが全身を使って悶えていると、()()()を迎えてしまったらしい。

 ラディオは突如として噴き出した鼻血を見て、直ぐ様タオルを取りに戻ろうとする。

 しかし、音と鼻血が出たタイミングが微妙にズレている事に気付いていない。

 更に――



「ん?」



 地面に水っぽい物が落ちた音が、ラディオを引き留めた。

 直ぐに振り向き下を確認しようとした所、鼻血面の猛烈な邪魔が入ってしまう。

 両手で顎を持たれ、強引に上を向かせられたのだ。


「……どうした?」


「いえっ! 何でも有りません! えと……ほ、ほら! 鼻血を出した時は、強く押さえないといけませんよね!」


「いや……それは私の顎ではなく、君の鼻筋ではないか?」


「え、そうですか? えーとっ……そう! 上を向かなければならないじゃないですか!」


「……それも君がやらなければならないし、本来そこまで効果の無いこ――」

「あぁ! ラディオ様! タオルを下さい! 今すぐ! 大至急でッッ!!」

(こんな所見られたら……我慢出来なくなっちゃうぅぅぅぅ♡♡♡)


 大神官長(ヘンタイ)の力技に負け、首を傾げながらも玄関を後にするラディオ。

 レミアナに背中を押されている間、また同じ音が聞こえたが、もう何も言わなかった。

 地面に出来た半透明のシミは、太陽光を浴びてギラギラと輝いている。



 ▽▼▽



「さて、ばぁばは何処に居ると思う?」


 久し振りにランサリオンへと訪れたラディオ。

 サニアに任せっきりなのも悪いので、せめて迎えに行こうという話になったのだ。

 左手で娘を抱え、右手を大神官長(ヘンタイ)に抱えられながら。

 そして、左右から強烈な熱視線を常に浴びながら。


「あっちなのだ!」


 グレナダは勢い良くバザールの方を指差した。

 あながち間違いでは無い……間違いでは無いが、指先は焼き菓子店の方を向いている。

 そんな娘を見て、『暫く買って上げられていないから、それも良いか』と、ラディオも静かに微笑みを浮かべる。


「そうだね。では、あっちに行ってみようか」


「あいっ♡」


 今日の着ぐるみは、雪色の生地を使い誂えた物。

 ポイントは背中にある小さな両翼と、フードから生やした両角だ。

 尻尾をゆらゆらと遊ばせる姿は、正しく幼い竜そのもの。

 ラディオの渾身の自信作、サニア・夏仕様である。

 いつもの様に顔が不細工な事は、置いておこう。


「レナン、とても似合っているよ」


「ホントに! レナンちゃん可愛いよぉ〜♡」


「えへへぇ♡」


 ちちの胸に頭を預け、トロンとした瞳で髭をツンツンするグレナダ。

 すると、腕を絡ませている大神官長(ヘンタイ)が声を上げた。


「あっ! あれ? おかしいな……今確かに……?」


「どうした?」


「いえいえ、何でも有りません。多分……私の見間違いですね♡」


 レミアナはニコッと微笑むと、少し汗をかいた谷間にラディオの腕を押し込んだ。

 最早こんな事で動じる訳が無いという事は知っている。

 レミアナの目的はそこでは無い。


(はぁ……はぁ……やっべぇ♡ ラディオ様の腕……やべぇ固ぇぇぇぇ♡♡)


 大神官長(ヘンタイ)は、時間と場所を選ばない。

 玄関先で愛欲の塊を産み落としてから、微妙に息が荒いままなのだ。

 そして、心なしか肌のツヤが上がっている。

 すると、ラディオが何かを考え込む様な顔を見せた。

 言ってもいいものか迷う、そんな顔だ。


「ラディオ様?」


「うん……すまなかったね、レミアナ」


 すると、ラディオが申し訳無さそうに微笑みながら、謝り始めたのだ。

 レミアナは訳が分からない。

 謝られる様な事はされていないし、こんなにも幸せ一杯なのに。

 だが、ラディオの眉根を寄せた笑顔に、心がキュッと痛むのは何故なのか。


「ラディオ様が謝る事なんて何もありませんよ?」


「サニア様が教えて下さったんだ。私の過去を聞いたのだろう? その事で……余計な気を使わせているんじゃないかと思ってね」


「そんな事……」


 ラディオはこの3日間ずっと気にしていた。

 過去の話を聞かれた事ではない。

 それによって、要らぬ気を遣ってしまうんじゃないかと心配していた。

 自分はどうでもいいが、ことグレナダに関して。


 いつも娘に自然体で接してくれる事が、ラディオは何よりも嬉しかった。

 だからこそ、幼い頃の境遇を憐れみ、偽善的な優しさを向けて欲しくなかった。

 レミアナ達はそんな事しないと信じているが、やはり話の重さが不安を煽ってしまう。


「カリシャやトリーチェにも言わなければ。己の過去を恥じている事は無いが……お世辞にも綺麗とは言えない。サニア様に拾われる前の話だがね。本当にすまな――」

「そんな事有りませんっ!」


 レミアナがラディオを遮った。

 腕を掴む手を震わせ、見つめるクリアブルーの瞳に涙を浮かべて。

 すると、大きな声に驚いたグレナダが不安気な声を上げる。


「どうしたのだぁ……!」


「大丈夫、何でもないよ」


「……レナンちゃんごめんね。本当に何でもないから」


 グレナダは少しの間2人を見つめ、そっと瞼を閉じた。

 小さな手で、ラディオの服をギュッと握り締めながら。

 罪悪感で一杯になってしった2人に嫌な空気が流れたが、それを壊したのはレミアナだった。


「私は……私はラディオ様のお話を聞けて本当に……本当に嬉しかったんです。でも、それと同時に許せなかった」


「……私の手が汚れている、という事がだろう?」


「違います。ラディオ様の手は、いつでも大きくて優しくて温かいです。大好きです」


「……では、どういう?」


「私は……私が許せなかったんです。ラディオ様の事を何も分かって上げられなかった自分自身が。壊れる事を恐れて、何も聞けなかった自分が許せなかったんです!」


 レミアナは眉根を寄せて、本当に悔しそうな顔をした。

 ラディオは何も声を掛けてあげられない。

 だが、レミアナはゆっくりと此方を向き、穏やかに微笑みを見せた。


「でも、今は違います。ラディオ様の事を沢山沢山知る事が出来ました。こんなに幸せな事は有りません。それに一杯一杯感謝しています。ラディオ様を愛で満たして下さったお義母様、バログア様、御兄姉、そして……『魔族の方』に」


「そう、か……」


 瞬間、言葉を詰まらせるラディオ。

 まさか、サニア達だけでなく、『魔族の女』にまで感謝を向けてくれるなんて。

 この世界に置いて、『魔族』は蔑みの対象になっている事が多い……何故なら、『魔王の眷属』だから。


 勿論、全ての魔族が魔王に加担していたかと言われれば、それは違う。

 友好的な者も少なくなく、魔王軍は全ての種族で構成されていたのだから。

 だが、やはりイメージというものは何処までも付き纏う。

 故に、金時計であるアニエーラでさえ、幼い頃は相当の苦労をしてきている。


 だからこそ、ラディオはランサリオンを選んだのだ。

 此処では、人族だろうが魔族だろうが竜族だろうが関係無い。

 色々な考え方が有るが、住人達は差別しないからだ。


「……レミアナ、すまなかった」


「ラディオ様! 私は何も気にして――ひゃいっ!?」


 今度は、ラディオがレミアナを遮った。

 感謝を込めて、力一杯抱き締めたのだ。


「ラ、ラ、ラ、ラディオしゃまぁぁぁぁ!?」

(死んじゃう死んじゃう良い匂い死んじゃう胸板半端ねぇ死んじゃう死んじゃう死んじゃうぅぅぅぅ♡♡)


「どれ程君に感謝しているか……伝える事が出来ない私を許してくれ」


「じあわぜでじんじゃいまじゅ〜♡♡」


 優しく微笑むラディオに頭を撫でられ、大神官長(ヘンタイ)はもう昇天寸前だ。

 すると、左側からの視線に気付いたラディオ。

 見ると、グレナダが穏やかな笑顔を浮かべている。

 ラディオ達の空気を感じ取り、やっと落ち着いた様だ。


「ごめんよ、レナン」


「あいっ♡ きゃははっ♡」


 ラディオに頬ずりをされ、グレナダは歓喜の笑い声を上げる。

 放心状態のレミアナを半ば介護の様な形で引っ張りながら、ラディオ達はバザールへと向かった。



 ▽▼▽



「ちちっ! ちちっ! レナンめろんがいいのだ!」


「あぁ、好きな物を選べば良いんだよ」


「えぇ〜、じゃあ私はミカンにしようかな〜♡ レナンちゃん、また半分こにしない?」


「おぉ〜♡ はんぶんこっなのだ!」


「それは良い。さぁ、ばぁばを探しに行こう」


 焼き菓子店でたっぷりとケーキを買い込んだラディオ達。

 道中、サニアの姿は見つけられていない。

 余計なトラブルを避ける為、完全に魔力を消していたのだ。

 広いランサリオンでの捜索は困難を極めるが、ラディオの顔は綻んでいる。


(暫く遊んでやれなかったからな。こうしてレミアナも来てくれている。久し振りの外は、本当に楽しい様だ)


 娘達の笑顔で心を温めながら、サニアが行きそうな場所を考えていたラディオ。

 すると、視界の端で見覚えのある影を捉えた。

 直ぐに振り向くと、路地の裏にすっと消えていくしなやかな尻尾が見えた。


「……ニャルコフ?」


「にゃるこふ? どこなのだ?」


 ラディオの一言で、グレナダがキョロキョロし始める。

 すると、レミアナが納得した表情を見せた。


「やっぱり……見間違いじゃなかったんだ」


「レミアナ、どういう事かな?」


「バザールに入る前に、ニャルコフの後ろ姿を見た気がしていたんです。すぐに人混みに紛れちゃいましたけど、ラディオ様も見たんですよね?」


「あぁ、今し方そこの路地へ消えていった」


「にゃるこふ〜! かえるのだぁ!」


「表通りは良いですけど、裏通りは何かと不穏な噂もありますよね」


「……その様だ」


 ラディオの目線が鋭く変わった。

 レミアナがその方向を見ると、全身鎧の護衛を数人連れたスーツ姿の男が、路地へと急いでいる。


「……すまないが、レナンと共に店で待っていてくれないか。危険かも知れない」


「分かりました。ラディオ様も気を付けて下さいね」


「ちちぃ……」


「大丈夫、ニャルコフを連れて直ぐに帰って来るから」


 白桃色の頭を撫でてから、娘をレミアナに託したラディオ。

 そして、男達が消えていった路地へと駆けて行った。

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