第60話 父、真に理解できるのは
「こうして、ラディオは妾の元を巣立って行ったのじゃ」
サニアが話し終わると、一同から溜息が漏れ出てきた。
それ程に凄惨で、温かくて、幸せな濃い物語だった。
随所に挟まれた『如何に息子が愛いのか』という小話の多さはさておき、ラディオという人物の根幹が披露されたのだから。
勿論、まだ言えない部分は端折っていたが、それでも心を打つものがあった。
「ラディオ様は、やっぱり何時でも……ぐすっ……ラディオ様なのですね」
目尻を拭いながら、柔らかな微笑みを見せたレミアナ。
サニアと出逢う前の話は、正直聞いた事を後悔する程、悲惨だった事は間違いない。
だが、母達の大きな愛に育まれた少年は、レミアナが知る愛しい人そのもの。
『大切な者を護りたい』と願い、常にそれを実行して来た強い意志。
出逢った時から一片も変わらぬ輝きを放つ、『ラディオ』そのものだったのだ。
「本当に、ありがとうございます……お義母様……!」
レミアナは竜王の手を握り締め、頭を下げた。
幼き日のラディオに愛を授け、育て上げてくれた。
心から溢れる感謝を、どうしても伝えたかったのだ。
すると、プラチナブロンドの頭に優しく手を置き、サニアは首を振る。
「言ったじゃろう? 妾にさえ、甘えてきたのは最初だけと。あの子は、加護を……《竜王の系譜》を覚醒させてからは、一切の弱みを見せなくなってしまったのじゃからな」
レミアナの頭を撫でながら、竜王は困った様な微笑みを浮かべる。
「じゃがな、其方達と出逢いラディオは変わった。頼れる者を……新たな『家族』を見つけたのじゃ。礼を言うぞ、レミアナ」
「……はいっ♡」
満足気に頷いたサニアは、今度はカリシャの方を見ながら頭を下げた。
驚いたカリシャは、首をブンブン振り始める。
『竜王』に礼を尽くされてしまい、どうしていいか分からなかったのだ。
「其方には辛い話であったじゃろう、済まなかったな。それでも、ラディオは己と同じ境遇であった其方を助けられた事に、誇りを感じておる筈じゃぞ……感謝する」
「そん、な……! ラディ、オ様……僕より、ずっとずっと……大変、だた……です。でも……それ、でも……助け、てくれ……ました……僕、幸せ、です……♡」
カリシャは頬を赤らめ、耳をピクピクと震わせる。
自分とは比べるべくもなく、ラディオの生活は凄惨なものだった。
普通なら、思い出したくもないだろう。
しかし、常に優しい笑顔を浮かべ、見ず知らずの自分を助けてくれた。
ラディオの境遇を知った今、カリシャは今迄以上に想いを募らせる。
「兄貴はな、関わった奴らをみーんな虜にしちまうのさ。あの真っ直ぐな瞳と意志に、憧れねぇ奴なんざいねぇのよ! 俺を含めてな! だっはっはっは……っと、こりゃすまねぇ!」
モジモジしていたカリシャの細い腰を、上機嫌なドワーフの分厚い紅葉が襲う。
急いでカリシャを助け起こし、ペコペコと頭を下げるギギ。
カリシャは気にしていないが、ギギは貫かれる様な鋭い視線に気が付いた。
「ほんっと乱暴なんですから!」
「お、おぅ……たまたま勢い余っちまっただけだろうよ!」
「カリシャは女の子なんですからねっ! ラディオ様はぜ〜ったいにそんな事しませんよ! 『兄貴ぃ』なんて呼んでるくせに、何処に憧れてるんですか!」
「そ、そこまで言う事無ぇだろうがっ! 言っとくがな、お前さんより俺の方が付き合いが長ぇのを忘れんな!」
「関係ありません〜! 私の方が密度が濃いんです〜! それに、お義母様のお話の中で、ひとっこともギギさん出てきませんでした〜〜!!」
「この野郎っ……気にしてた事を言いやがってぇ〜!!」
大神官長と親方は、バリバリと火花を散らし始めた。
それを見ていたカリシャとサニアは、お互いを見合わせ、大きな笑い声を上げる。
「あっはっはっはっ! 其方達、本当に仲が良いのじゃな」
「良く有りません!」
「良くねぇです!」
「…………」
そんか和やかな空気の中で、険しい顔の者が1人。
眉間に皺を寄せ、美しい蒲公英色の瞳に疑問を浮かべたトリーチェだ。
顎に手をやり、サニアの話の中で感じた違和感について、深く考え込んでいる。
(竜王様から直接御話を賜れるなんて、凄い事だ。これで、あの『詩』は本物という事になるが……どういう事だ?)
トリーチェは、サニアと初めて会った時の事を思い出していた。
グレナダを抱き、自分の『孫』だと言った時の事を。
これは、【漆黒の竜騎士】について文献を漁っている中で見つけた、ある『詩』に起因している。
遥か昔の吟遊詩人が綴ったもので、竜王とその家族について書かれたものだった。
(詩に出てきた竜とその想い人は、竜王様と『ダンテ』という御人で間違いない。しかし、そこに主殿が登場し得る筈が無い……年代が違い過ぎる)
その詩は、何処かに住む純白の竜と青年の恋の物語。
そして、育まれた愛の結晶を讃える物語だった。
しかし、サニアの話の中での『息子』はラディオの事。
ここに関して、トリーチェは引っかかっている。
最初に見た時、孫という記述が無かったと思い出したのもその為だ。
(竜王様は、明らかに何かを伏せながら御話をされていた。そして、主殿を新たな希望だと言う……では、最初の希望は今何処へ……?)
思案を巡らせていると、急に気配を感じたトリーチェ。
見ると、竜王が不思議そうに顔を覗き込んでいたのだ。
心臓が止まる程驚いたトリーチェは、反射的に体を仰け反らせてしまう。
ゴチンッ!!
「あ、あ、あああの……な、何か御用でしょうかッ!?」
「いや、その前に頭は大丈夫か? 物凄い音がしたぞ」
「え……あぁ! 痛いぃ……!!」
壁を背にしていたので、後頭部を強打していたのだ。
サニアに言われ、徐々に激痛の波が大きくなっていく。
両手で頭を摩りながら、涙目になってしまったトリーチェ。
何とも天然な姿を見ていると、思わずサニアの頬も緩んでしまう。
「ふふっ……済まぬ、笑ってしまったのじゃ」
「と、と、とんでもございませんですッ! こここれは自分の落ち度であ、あります故! とと突然竜王様の御顔が、こんなにもお、お、お近いものでついッッ!!」
緊張と羞恥心で、トリーチェはもうちぐはぐだ。
クスクスと笑いながら、トリーチェにも頭を下げるサニア。
それにより、元お姫様は更に精神を乱していく。
「なななな何をなさっているのですかッ!? あ、あ、頭を……はっ!? お頭をお上げになって頂きたく存じ申し上げますッッ!!」
「ぷっ……あっはっはっはっ! これ以上笑わせてくれるな、腹が痛いのじゃ!」
瞳をグルグルと回転させながら、訳の分からない言葉遣いをしてしまうトリーチェ。
そんな元お姫様の艶やかな黒紫の頭に手を置く―笑いを堪えながらではあるが―と、感謝を込めて優しく撫でるサニア。
「はぅぅ……!?」
「くっくっ……ふぅ〜。其方の迅速な対応あったからこそ、息子は一命を取り留める事が出来た。礼を言うぞ、トリーチェ」
「き、き、き、恐縮ですッッ!!」
顔を真っ赤に染め上げながら、トリーチェは頷いた。
糸が絡まった操り人形の様にカクカクとぎこちない動きだが、竜王にはしっかりと伝わっている。
(ラディオ……其方の幸せが、妾の幸せじゃ)
サニアは満足気に微笑みながら、リビングを見渡した。
お互いに笑顔を浮かべながら、未だ言い合うレミアナとギギ。
ソファーに座りながら耳をピクピク震わせ、顔を赤らめるカリシャ。
壁に張り付き、口をパクパクさせているトリーチェ。
一気に騒がしくなった室内。
だが、この騒がしさがサニアは嬉しかったのだ。
(ん? あれは確か……)
しみじみと感慨に耽っていたサニアは、床を横切る影に気が付いた。
すーっと軽やかな足取りを披露するは、シルバーグレーの美しい毛並み。
宝石の様な碧色の瞳を携えた猫、ニャルコフだ。
リビングの喧騒を他所に、一目散に寝室へと駆けて行く。
そして、扉をカリカリとやり始めた。
すると――
「うわぁぁぁぁぁぁん! ちぃちぃぃ! ちぃちぃぃぃぃぃぃ!! うわぁぁぁぁぁぁん!!」
全ての力を込めた泣き声が、寝室から響いて来た。
一瞬の静寂に包まれたリビングに、歓喜の波が広がっていく。
互いが互いに顔を見合わせ、自然と頬を綻ばせて。
「どうやら……目を覚ました様じゃな!」
「あぁ……ラディオ様……!!」
この一言が合図となり、全員が扉へと走り出す。
取っ手に手を掛け、いざ入らんとするが――
「ちょっと……ギギさん! 後にして下さいよ〜! 体太いんですからぁ〜!」
「何を! お前さんこそ、その無駄にデカい乳袋をどうにかしろっ!」
「せま、い……です……!」
「これぇ〜! 尾が詰まるではないかぁ〜!」
(竜王、様……お胸で……息がっ……!!)
枠に引っかかり、ごちゃごちゃし始めた5人。
ラディオの体が常人より逞しいと言っても、ある程度の平均というものがある。
3人の成人女性に、太い尾を持つ竜、そして筋骨隆々なドワーフが一度に通れる様な扉は付けていない。
一斉に部屋に入ろうとすれば、こうなるのは当然である。
そして――
ドシーーン!
物凄い音を立てながら、全員が床に倒れ込んだ。
すると、心配を滲ませた穏やかな声が聞こえて来た。
ずっとずっと求めていた、愛しい声が。
「……大丈夫か?」
「にゃ〜♪」
「あぁ……ひぐっ……!」
床に大の字になっていたレミアナが顔を上げる。
自分では笑顔を作っているつもりだった。
それなのに、瞳から頬を伝う雫が止まらない。
上に乗っかっている全てを跳ね除けて、ベッドに飛び込んだ。
「ラディオ様ぁぁ! ラディオ様ぁぁぁぁ!! うわぁぁぁぁぁぁん!!」
「……すまなかった、また心配を掛けてしまったね。私はもう大丈夫……大丈夫だ」
家に来た時は、全身に青紫の血管を走らせ、真っ黒に焦げた手をしていた。
意識は無く、服には吐血の跡が残り、生きているとは到底信じられなかった。
だが、今は違う。
いつもと変わらぬ、元気な姿が其処にある。
娘に髭を思い切り引っ張られながらも、優しい笑顔を携えるラディオの姿が。
「うわぁぁぁぁぁぁん! ラディオ様のばかぁぁぁぁ! うわぁぁぁぁぁぁん!!」
「ちぃちぃぃぃぃ! うわぁぁぁぁぁぁん!!」
「……すまなかった」
申し訳なさそうに眉尻を下げながら、頬をポリポリと掻くラディオ。
必死に服を握り締め、胸に顔を埋めて泣くレミアナの頭を優しく撫でてやる。
すると、温かさが身体中を駆け巡り、レミアナは一層泣き声を大きくしてしまった。
「2人共、本当にすまなかった」
自分にしがみついて泣く2人を、ラディオも力の限り抱き締める。
すると、続々と立ち上がった『家族』が此方に寄って来た。
「ラディ、オ様……本当、に……良か、た……!!」
「主殿ぉ……自分は……自分は……うえ〜〜ん!!」
「おっと……すまなかったね」
カリシャとトリーチェも涙をポロポロと零しながら、ラディオの横に立つ。
だが、ラディオの謝罪の念を込めた顔を見てしまえば、我慢など出来る訳も無く。
レミアナ同様にラディオに飛び付き、わんわん泣き始めたのだ。
しかし、これだけでは終わらない。
「うぉぉぉぉ! 兄貴ぃぃぃぃ!!」
特大の重石がベッドへダイブして来た。
潰されぬ様に、レミアナ達を片手で引き寄せるラディオ。
シーツを握り締め、ギギもうつ伏せで滝の様な涙を流す。
「君にも心配を掛けてしまった。だが、私は信じていたよ……有難う」
「うぉぉぉぉぉぉん! うぉぉぉぉぉぉん!!」
まるで騒音の様な声を上げる旧友にも、ラディオは何も言わない。
すると、ベッド脇に座る気配を感じた。
その直後、ぐいと引き寄せられ、柔らかな手が首に回される。
「……本当に申し訳ありませんでした。御心配をお掛けしてしまった事をお赦し下さい。そして、再び私の命を救って下さった事……心より感謝致します」
「……何を言う。息子を護るのは、母の務めじゃぞ」
息子の首元に顔を埋め、一筋の涙を光らせるサニア。
その顔に、安堵と幸せを浮かべて。
ラディオは母に感謝を込めて、頭に頬を乗せた。
そして、未だ髭を引っ張る娘を見つめながら、ありったけの愛を込めて言葉を紡いだ。
「レナン」
「ひぐっ……ぐすっ……あい……?」
「父はね、夢を見ていたよ。其処にはばぁば達が居て、レミアナ達が居て……そして、レナンが居たんだ。だからこそ、父は帰って来れた……帰りたいと強く想えたんだ。有難う、レナン」
娘のおでこに、自分の額を合わせるラディオ。
そして、精一杯の力で抱き締める。
グレナダの存在が、どれ程大切なのか。
この世の何を持ってしても、替えられるものなどない。
この想いを真に理解出来るのは、君だけだと伝える様に。
「レナン、父はずっと側に居るよ。幼い頃、父がそうしてもらった様にね」
「……あいっ♡」
グレナダはやっと落ち着きを取り戻し、ちちの胸に顔を埋めて甘え始めた。
しかし、直後に不満気な声が周囲から上がる。
不思議に思ったラディオが見渡すと、娘以外全員が頬を膨らませ、一斉に喋り始めたのだ。
「ラディオ……もらったとは何じゃ、もらったとは! 今現在も妾は側に居るではないかぁ〜! このぉ……愛い奴め〜♡」
「そうですよ! ぐすっ……ラディオ様のお側に常に寄り添っているのにヒドいですぅ! もう、ラディオ様〜♡」
「僕、僕……ラディ、オ様の……物、がいい……です……♡」
「あああ主殿ッ! 自分は一生を捧げると誓ったみ、み、身なのですッ! どうか〜ッ♡」
「兄貴の弟分は俺しかいねぇよな! そうだよなっ!? 兄貴ぃぃ!!」
代わる代わる羽交い締めにされていくラディオ。
少し言葉を間違えてしまった……そう思いつつも、『幸せ』を噛み締めるその顔は、キラキラと笑顔で輝いていた。




