第59話 竜の子、笑顔の為に
「何を言うのだ! そんな事出来る訳が無い!」
「左様で御座います。決して、その様な事を望んではいけません」
ラディオの言い放った言葉に、2人は動揺を隠し切れない。
だが、此方をじっと見据える黒曜石の瞳からは、只ならぬ覚悟が漂っていた。
「僕が、護るです……ははを護るです……!」
絞り出す様に言葉を紡いだラディオ。
それを見たバログアは、顎に手をやり考え込んでしまう。
(この幼さで強さを、『護る為の力』を求めるとは……やはり、『運命』なのでしょうか。歳は違えど、お嬢様を魅了してしまった事に、納得してしまいますね)
世話係の脳裏に浮かぶ、過去の映像。
それは幸せ一杯に笑うサニアと、1人の男の姿。
黒髪に黒目を携えた、端正な顔立ちの青年だ。
(お嬢様の『加護』を受けられている以上、遅かれ早かれ避けられぬ事ではあります。なれば、いっその事……)
バログアは思案を巡らせていると、じっとラディオを見つめていた豪炎竜が口を開いた。
「本気、なのだな?」
「……はいっ!」
「そうか……お前の想いは分かった。バログア殿、これより我は弟に稽古を付ける事とする。10数年も経てば、見違える様になるでしょう!」
笑顔を見せながら、弟の肩に手を置いたファフニール。
しかし、バログアは固い表情のまま。
暫くそのままだったが、やがて意を決した様にラディオの前に跪く。
「ラディオ様、もう一度お伺い致しますが……『覚悟』はお有りなのですね?」
この時、ラディオは思わず生唾を飲んだ。
此方を見つめるバログアの瞳が、全ての迷いを見透かす様に鋭く光っているからだ。
だが同時に、世話係が何を言わんとしているのか、本能的に感じ取ったラディオ。
しっかりと目を見据え、力強く頷いて見せる。
「……はい!」
「かしこまりました。では、僭越ながら私が御相手させて頂きます……殺す気で参りますので、どうかお気を確かに」
「なっ!? バログア殿まで何を言われるのか!」
衝撃的な言葉に、ファフニールが怪訝な顔を見せる。
この世話係は乱心でもしたのか……しかし、その眼差しは真剣そのもの。
最早訳が分からないが、可愛い弟の危機を見過ごす事など出来はしない。
「ラディオの事なら、我が責任を持って面倒を――」
「それでは遅いのですッ!!」
シンとした部屋に響いた、切なる想い。
世話係が声を張り上げなるなど、いつ以来だろうか。
思わず、ファフニールも押し黙ってしまう。
「……失礼致しました。ですが、10数年では遅いのです。私は今の問答で確信致しました。ラディオ様は、間違い無くお嬢様の……竜王サニア様の御心を受け継いでおられるのだと。それはまるで……ダンテ様の様に」
「それは、どういう……?」
「ラディオ様は、お嬢様から『加護』を授かっております。それはひとえに……《絶対王者》を発現させたが故」
「まさか……!? 成る程、どうりで我が友……ダンテの名が出る訳だ」
「左様で御座います。これは、まだ『お歴々』には知られていない事。しかし、先程も申し上げました様に、ラディオ様は母君の御心を継いでおられます。求めるモノに、真っ直ぐ真摯に向き合う御心を。そうなれば……遅かれ早かれ、『加護』を覚醒させるのは時間の問題で御座いましょう」
「ふむ……そうすれば、『お歴々』がラディオに目を付ける。嘗ての……あの子の様に」
「間違い無いでしょう。そればかりが、ダンテ様の二の舞になる事を恐れ、今度は直接ラディオ様を狙って来るやも知れません」
「バログア殿の思惑、理解した。ラディオが己で覚醒させる前に、此方が数ヶ月で叩き起こす……という事でありましょう?」
「左様で。少々荒療治ではありますが、幸いにも『お歴々』が目覚めるまでには、まだほんの少しの猶予があります。その間に、我々でラディオ様を鍛え上げて差し上げる事が責務なのです。どんな相手が来ようとも、立ち向かっていける強さを身に付けさせる事が」
「ラディオは、サニア様を『護る』為に力を求めている。これこそ……《絶対王者》に不可欠な想い、か」
そう言うと、豪炎竜はそっと瞼を閉じた。
思い出すのは、約束を交わした友の姿。
そして、それを全う出来なかった自分の不甲斐なさ。
「ですので、ファフニール様にもお手伝いして頂きたいと思います。どうか、私が責務を果たすまで……お嬢様をお願い出来ませんでしょうか?」
これからやろうとしている事を、サニアが許す訳が無い。
だが、ラディオの為にはやらざる負えない。
それまでファフニールに足止めを申し出る為、バログアは深々と頭を下げる。
「バログア殿、我の兄姉達を今すぐ呼んで頂けますか?」
「そうですね、カンナカムイ様達にも御協力頂ければ幸いで御座います。では、ファフニール様には御説明を--これはこれは」
ポンと手を叩き、早速元素の竜達を呼び寄せようとしたバログア。
その瞬間、ファフニールから凄まじい魔力が溢れ出して来たのだ。
波紋の様に広がり、空間を圧迫していく紅蓮のオーラ。
その瞳が見つめる先には、覚悟を漲らせた弟の姿。
「その役目、我が引き受けた。バログア殿には、兄姉達への説明をお願いしたい」
「良いのですか? お嬢様は、分かっていても怒りを抑えられるかどうか。ファフニール様はまだお若い……私の様な枯れ枝が適任かと思いますが」
「良いのです。今こそ、我が友との約束を果たす時! 今度こそ、何に替えても……この子を護ってみせましょう! それで例え、サニア様に屠られようとも、将来のラディオが強く逞しく生きていく礎になるならば……これ以上の誉れなどありましょうか?」
「……かしこまりました。では、私も全身全霊を懸けて、お嬢様に疎まれましょう。ラディオ様の存在は、この数百年でやっと見出した希望の光……もう、お嬢様に失って欲しくありません」
互いに頷きあう2人の竜。
己の信じるモノへの覚悟と共に。
「ラディオ、我はこれより本気でお前を殺しにかかる。サニア様を、母を護りたくば……想いを見せてみろ!」
「……はい! お願いします!」
部屋の中央に移動したラディオとファフニール。
迸る紅蓮のオーラに当てられながらも、ラディオも強い眼差しを見せる。
そして――
「来いッッ! ラディオッッ!!」
「うわぁぁぁぁ!!」
もう何も失わない為に、ラディオは豪炎竜へと駆けて行く。
▽▼▽
「ラディオが、そんな事を……!」
説明を聞いて、項垂れてしまったサニア。
こんなにも幼いのに、息子はもう自分の意志で立とうとしている。
それを理解してやれなかった事が、只々悔しかったのだ。
「ラディオ様も、ファフニール様も、懸命に闘っているのです。互いに護りたいモノの為に……命を懸けて。お嬢様も、『覚悟』をなさって下さい。『お歴々』が目覚める前に、ラディオ様を育て上げるという『覚悟』を」
「うぅ……嫌じゃあ! 妾はあの子と離れたくないのじゃあ!!」
しかし、子供の様にダダをこねるサニア。
それを見たバログアの視線が鋭くなり、大きく息を吸った瞬間――
パァァァァンッ!!
「な、何じゃ……?」
「いつまで……!」
突然、頬を思い切り叩かれた事に、戸惑いを隠せないサニア。
だが、バログアはわなわなと体を震わせ、声を荒げる。
「いつまで甘えているのですかッ! 本来であれば、あの役は貴女がやらなければならない事の筈でしょう!」
「それは……」
指差された方を見れず、俯いてしまうサニア。
だが、バログアは許さない。
サニアの肩を掴み、強引に顔を向けさせたのだ。
「いけません! 見るのです! さぁ、しかと目を開いて! ファフニール様を見るのです!!」
「うぅ……あっ……フーア……!」
すると、ファフニール達を見つめる銀色の瞳から、大粒の雫が零れ落ちる。
豪炎竜は胸の前で腕を組み、仁王立でピクリとも動かない。
立ち上がろうとしているラディオを、じっと見つめているだけ。
だが、その瞳を涙で濡らし、組んでいる腕には指が突き刺さっていたのだ。
「分かりますか! ファフニール様は、断腸の思いで彼処に立って居られるのです! 誰が可愛い弟を痛ぶりたいと思いますか! 誰が可愛い弟を死の淵に追いやりたいと思いますか! それでもラディオ様と……貴女の為に心を殺して立って居られるのです!」
「うぅ……」
サニアは、もう何も言えなかった。
バログアの言う事は、一言一句その通りなのだから。
ラディオを引き取ると決めた時、いつかこうしなければならないと分かっていた事。
《絶対王者》は諸刃の剣、使い方を間違えれば死に至る。
だが、可愛い息子を死なせたくない。
その一心で『加護』を与えた……いや、与えてしまったのだから。
「お嬢様、どうか……どうかお願い致します! 『覚悟』をなさってください! ラディオ様の為に!!」
サニアの心が揺さぶられる。
ラディオと出逢った時、一人前に育て上げたならば、此処を巣立たせると決めた。
だが、やっと見つけた希望の光は余りにも愛おしかった。
このままではいけない……サニアが覚悟を決める様に、そっと瞼を閉じたその時――
怒轟ッッッッッッ!!
耳を劈く爆音が轟いた。
ファフニールのオーラによって壁面に叩きつけられたラディオ。
口から血を噴き出し、瓦礫と共に地面に落ちていく小さな体。
サニアの心が、ドス黒い怒りで埋まっていく。
「あぁ……あぁぁぁぁ!!」
瞬時に反応した竜達によって、再度押さえつけられるサニア。
その瞳は漆黒に染まり、縦に割れた瞳孔が姿を現す。
「うぁ……あぁ……! ラディ、オ……!」
心とは裏腹に、暴れ出そうする体を必死に抑えこむサニア。
それを見たラディオは、悔しそうに地面を毟った。
また、母の笑顔を護る事が出来なかった……ポロポロと涙が手の上に落ちていく。
「うぅ……はは……僕は……」
しかし、もう体も思う様に動かない。
意識も保っていられない。
ラディオが諦めかけたその時――
「諦めるな! ラディオ! お前の想いはそんなものなのか!」
鉛の様な頭を持ち上げると、ファフニールが激励を飛ばしてくれていた。
更に――
「ラディオ君、君は弱くなんか無い! 誰かを護ろうとするその想いは、決して弱くなんか無いんだ!」
「ラディオ、お前は立派な『竜』になれ!」
「応援したぁい♡ ラディオきゅんなら、だぁいじょうぶ♡」
「ラディちゃ〜ん! ファイトだよ〜!」
「ラディオ様、じぃやがお側に居りますぞ!」
次々に聞こえて来る声。
今や竜達は、手を振り上げラディオを応援してくれている。
そして――
「頑張れ……頑張るのじゃ! ラディオぉぉぉぉ!!」
大好きな母の声が、ラディオの体に染み渡る。
何て温かいのだろう。
奴隷であった自分に授けてくれた、『竜の子』という名を呼んで貰えるだけで……力が漲っていく。
よろけながらも立ち上がり――
「僕が……僕がははを護る……うぁぁぁぁぁぁ!!」
天高く咆哮を上げるラディオ。
その瞬間、小さな体から金色のオーラが溢れ出す。
満身創痍だった顔に力が漲り、魔力が限界を超えてどんどん膨れ上がっていくのだ。
初めて《絶対王者》を発動した時は、『憎しみ』によるもの。
だからこそ、曲がりなりにしか発動出来なかった。
しかし、今は違う。
大切な者を護る為に力を求めるその想いは、純粋な『愛』。
これこそ《絶対王者》の真の発動条件だったのだ。
「そうだ……! それでこそ我が弟だ!!」
この時、ファフニールは武者震いが止まらなかった。
数百年の時を経て、友と同じ力を目の当たりに出来るとは。
金色のオーラを纏う少年の、何と美しい事だろう。
しかし、更にファフニールは驚愕に襲われる事となる。
何と、ラディオの傷が見る見る塞がっていくのだ。
これは正しく――
「あぁ〜! ラディちゃんが目覚めたよ〜!」
アウシュラビスが嬉しそうにサニアに駆け寄って来る。
見ると、その胸には淡い光が灯っているのだ。
サニアも、そしてバログアでさえもこれには驚きを隠せない。
まさか、1日で『覚醒』させるとは。
「ウチも来た。ラディオはやっぱり、良い『竜』になるな」
すると、横に居たティアマトの胸も灯りを灯したではないか。
バログアはもう何が何だか理解出来ない。
同時に『二色』など、有り得ないのだ。
しかし、これだけでは終わらない。
「素晴らしい……僕の事も感じてくれるとは」
「んふ〜♡♡ 抱き締めたぁい♡ ラディオきゅんやばぁい♡」
カンナカムイとイルルヤンカシュの胸も光を帯びた。
となれば、当然の様にもう1人。
「はっ……はははははっ! 何と眩い輝きか! 我は、兄はお前が誇らしいぞ! ラディオ!」
ファフニールの胸にも光が灯っていた。
見れば、ラディオの体からは、五色のオーラが止めどなく溢れている。
そして、黒曜石の瞳に虹色の光彩が浮かび上がっているのだ。
「《五色竜身》を1日で全て覚醒させ、尚且つ『竜化』までやってのけるとは……正しく竜王の御子息にふさわしいですな、お嬢様」
「……何を今更! あの子は妾の息子、『竜の子』ラディオじゃぞ!」
涙を拭いながら、満開の笑顔を咲かせるサニア。
その瞳に、愛する息子の姿を映して。
「さぁ来い! お前の全力を見せてみろ、ラディオ!」
ファフニールは心からの笑顔を浮かべ、構えを取った。
対峙するのはもう弱い少年ではない。
想いの強さを敬うべき、1人の『男』なのだから。
溢れ出る五色のオーラは形を変え、広げた両翼、雄々しい尻尾に、燦然と輝く一対の角を出現させている。
さながら、小さな竜の様に。
「兄さま……行くです! うぁぁぁぁぁぁ!!」
踏み込んだ地面が轟音と共に割れ、弾丸の様にラディオは飛び出した。
ありったけの力を込めて拳を握り、ファフニールに迫っていく。
▽▼▽
「良く頑張ったのじゃ……ラディオ」
疲れ果て寝息を立てている息子を、優しく包み込むサニア。
その瞳に溢れんばかりの愛を宿し、柔らかな黒髪を撫でている。
背後には、跪いた6人の竜の姿があった。
サニアが竜達の前に向き直ると、ファフニールがいの一番に口を開く。
「サニア様、此度について申し開く事は有りません。大事な御子息を傷付けたのは事実、如何様にも罰をお与えください」
そう言うと、ファフニールは頭を下げた。
見れば、両腕に指の穴を開け、胸には大きな傷跡を作っている。
だが、その顔はとても誇らしげだった。
「サニア様、それでしたら僕達も同罪でしょう。弟一人に背負わせる訳にはいきません。どうか、我々も共に」
カンナカムイの言葉を受け、他の元素の竜達も頭を下げた。
すると、バログアが穏やかに語り出す。
「若い命を散らすのは賢明とは言えません。全ては私の我儘によるもの。新たな御子息の成長を見れた今、最早心残りは御座いません。何卒、元素の竜達にご容赦を。この老いぼれの命1つで賄って頂けませんか?」
バログアも頭を下げた。
しかし、サニアは何も答えない。
気持ち良く眠る息子を見つめ、柔らかな微笑みを浮かべている。
しかし、突然寂しげな顔をしたかと思えば、ギュッとラディオを抱き締めた。
(少し親離れが早すぎるぞ……ラディオ)
愛を込めて優しく頬ずりした後、そっと息子の額に口づけをする。
そして、雄大なオーラを放ちながら、竜達に宣言したのだ。
「……妾も覚悟を決めたぞ。この子を立派に育て上げて見せる。其方達、協力してはくれんか?」
6人の竜達は、竜王の偉大な波動を受けて身が引き締まる思いだった。
それぞれが、凛とした表情を見せると、改めて頭を下げる――
「「「仰せのままに、我が主」」」
それ以降、元素の竜達と世話係、そして竜王に鍛え上げられていくラディオ。
厳しくも愛に溢れた修行の中で、その力を際限なく高めていく事となる。




