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第56話 竜の子、笑顔を咲かせて

 竜王宮殿の天井には、2本の大きな結晶がある。

 其処から柔らかな朝日が宮殿内に降り注がれる頃、部屋を勢い良く横切る少年が1人。

 円の段差をものともせずに跳び越え、玉座の間をすり抜けて漆黒のベールの中へ消えていく。


 その先は竜王の寝室。

 部屋の中央に配置された大きな天蓋付きのベッドの上には、豊満な肢体を惜しげも無く披露しながら眠るサニアの姿があった。

 ベッド脇に到着した少年は、サニアを揺さぶりながら元気良く声を掛ける。


「ははっ!」


「う〜ん……むにゃむにゃ……」


 サニアはチラリと声のする方を確認するが、起きる気配は無い。

 しかし、少年はキラキラとした瞳でサニアを見つめながら、揺さぶる事を止めなかった。


「はは、朝です。起きるでーす!」


 サイドと後ろを綺麗に刈り込んだ、癖のある漆黒の髪。

 見る者を吸い込んでしまいそうな、黒曜石と見紛う瞳。

 艶やかな肌は少し日に焼け、幼い顔の割にしっかりと筋肉が付いた体をしている。


「う〜〜ん……妾はまだ……んにゃ、もう……駄目かも知れぬのじゃ……」


 すると、眉間に皺を寄せながら、喉元を両手で押さえ込んでしまったサニア。

 それを見た少年は大層焦り出した。

 直ぐ様ベッドに乗っかり、サニアの肩を揺らす。


「ははっ!? どこか痛いですか!?」


 すると、サニアは少年の方を向き、眉根を下げて困惑の表情を見せる。


「うむ……痛いのじゃ……痛いのじゃ〜」


「ははぁ! えと……ち、ちー……ち? あれ? えとえと……あっ! 『ちゆ』するですか!?」


「必要じゃ〜! 治癒が必要じゃ〜!」


 必死に考え、やっと『治癒』という言葉を思い出した少年。

 しかし、不安気に顔を覗き込んだ瞬間――



「はは!?」


「治癒が必要じゃ〜! 妾を起こした息子の頬ずりが必要なのじゃ〜♡」



 ニヤリと微笑んだサニアに捕まり、抱き寄せられてしまったのだ。


「あ〜! また嘘ついたです――あはははっ!」


 途端に、激しいスキンシップの餌食となった少年。

 痛いと嘘をついた事に頬を膨らませたが、強烈な愛情表現を受けて思わず笑ってしまう。


「其方が愛いのがいけないのじゃ! ラディオ〜♡」


 そう、サニアを起こしに来たのは成長したラディオ。

 このやり取りは、朝の日課となっている。

 毎度息子は心底心配してくれるので、サニアは嬉しいやら可愛いやらでいつもからかってしまうのだ。

 言葉も覚え、体も年相応に成長し、よく笑うようになったラディオ。

 竜王サニアに引き取られてから、もうすぐ1年が経とうとしていた。



 ▽▼▽



「お早う御座います、お嬢さ……はぁ」


「ふぁ〜……うむ、今日も良い目覚めであったぞ♡」


 息子と手を繋ぎながら寝室を出て来たサニアは、バログアと朝の挨拶を交わす。

 しかし、今日も朝から世話係の溜息が止まらない。

 何故なら、サニアのスッケスケのガウンがはだけきっていたからだ。

 何度言っても直らないこの脱ぎ癖に、バログアは1000年以上手を焼いてる。


「……最早何も言う事は御座いません。ラディオ様、本日も『お勤め』お疲れ様で御座いました」


 諦めた様に首を振るバログア。

 その代わりにと、しゃがみ込んでラディオの目線に合わせ、ニッコリと頭を下げた。


「本当に母君には困ったものです。しかし、ラディオ様がすくすくとご成長為されて、じぃやはとても嬉しく思いますぞ」


「はいっ!」


「『しかし』って何じゃ〜! ラディオは妾に瓜二つであろう!」


 サニアの反論に、すっと立ち上がったバログア。

 脱ぎ癖が過ぎる主の眼前まで詰め寄ると、無表情でポツリと言葉を発する。


「本気で仰っていますか?」


「も、勿論じゃ! 何度でも言うぞ! 妾に瓜二つで――」

「ほ・ん・き・で!! 仰っていますか?」


「…………」


 サニアの完敗である。

 バログアはやれやれと首を振ると、ラディオの手を取りテーブルの方へ歩き出す。

 大事な跡継ぎに朝食を提供しなければならないのだ。


 一方、頭をポリポリ掻きながら、遠くを見つめていたサニア。

 すると、手を掴まれる感触がした。

 視線を落とすと、愛しい息子が眩しい笑顔を見せている。


「はは、一緒に朝ご飯食べるですか?」


「う〜〜……ラディオぉ〜! 妾の味方は其方だけじゃぁぁ♡」


 いつもの朝の光景も終わり、テーブルに着席する頃には、バログアによって朝食の準備が完璧に終わっていた。

 母子仲良く手を合わせ、大きな声で挨拶をする。


「頂くのじゃ〜!」


「頂きますっ!」


「ふぉふぉふぉ。どうぞ、召し上がれ」


 今日の朝食は、クロワッサンにハムエッグ、数種類を使ったサラダにスープ。

 そして、ラディオのプレートにだけ、良く分からないプルルンとした球体が1つ。


「相変わらず訳の分からない色じゃ……」


 しかし、サニアですら知らない材料で作られたこの球体を侮るなかれ。

 この得体の知れない物体のお陰で、ラディオは栄養不足から一転、年相応の体つきに戻ったのだから。


「はむっ! もぐもぐ……ははも食べるですか?」


「え……いやぁ〜、母は大丈夫かも知れんのじゃないかな〜?」


 球体を手掴みで頬張るラディオが、キラキラした笑顔で半分差し出して来た。

 だが、サニアは何とも言えない微妙な表情で、やんわりと拒否をする。

 不思議そうに首を傾げながら、後の半分を一口で頬張るラディオ。


「ご馳走様でした!」


「う、うむ! お粗末なのじゃ」


 奇妙なモノを毎日食べさせられているというのに、とても満足気な顔を見せる息子が、サニアは少し心配になってしまう。

 すると、バログアから催促が入った。


「お嬢様も早く召し上がって下さらないと困ります。本日は、予定が詰まっているのですから」


「そうか……そうじゃったな。ラディオ、妾達は少し用があるのじゃ。暫しの間……留守番、を……たの、たの……!」


 プレートをバログアに持って行こうとしている息子を見ながら、サニアはお願いをする……いや、しようとした。

 だが、言葉とは裏腹に、見る見る眉毛が八の字に曲がっていく。


「お嬢様、お気持ちは十分理解しておりますが、本日は『儀式』の詰めをするという、ブラド様とのお約束が御座います」


「う、うむ……ラディオ……すーっはーっ! 妾とじぃやは他国に赴かなければならないのじゃ。ま、ま、待っていて……」


 バログアの助け舟も虚しく、サニアは尚も言葉に詰まる。

 すると、一瞬寂しそうな顔を見せたラディオ。

 だが、直ぐにニコッと微笑むと母へ駆け寄り、その柔らかな手を握り締めた。


「はは、気を付けるです!」


「ぐはぁぁぁぁ♡」


 息子の健気な姿に、いつもの様に心が撃ち抜かれたサニア。

 強烈な頬ずりが始まると、言おうか迷っていた言葉を口にする。


「でも……早く帰ってくる……ですか?」


「ぶはぁぁぁぁぁぁ♡♡」


 正にトドメの一撃。

 サニアの心はもう粉々―勿論、良い意味で―だ。


「もう止めじゃ〜! 妾は何処にも行かぬぞ〜! ラディオから離れるなど無理なのじゃぁぁ♡」


 身体中からハートマークを飛ばし、息子の至る所を撫で回すサニア。

 しかし、無表情な世話係によって直ぐに引き剥がされる。


「馬鹿な事を……それに、本日はもっと大事な予定も入っているではありませんか。お忘れな訳では無いでしょう?」


「其方こそ馬鹿を言うなっ! 妾が忘れる事など断じて有り得ないのじゃ! ラディオ、何か欲しい物はあるか?」


 ばいんばいんに埋もれてしまった息子に、サニアが問い掛ける。

 谷間から何とか這い出たラディオは、一旦息継ぎをしてから、何の事かと首を傾げた。


「ぷはっ……はい?」


「今日はな、其方の誕生日なのじゃ〜♡ ほれほれ、欲しい物があれば何でも用意するぞ?」


「ラディオ様、じぃやもお聞きしたいですな。是非とも教えて下さいまし」


 自分を見つめる2人の顔は、全てを包み込んでくれる様な温かさに満ちていた。

 すると、満開の笑顔を咲かせたラディオは、幸せ一杯に即答した。


「ははとじぃやが居るから、何にもいらないですっ!」


「ラディオぉぉぉぉぉぉ♡♡♡」


「……これはこれは」


 キラキラした瞳でそんな事を言われては、竜王は元より世話係でさえデレデレしてしまう。

 だが、お互いを見ながら頷いた2人。

 すると、背中に何かを抱えたバログアが、ラディオに向かってお辞儀をした。


「ふぉふぉふぉ。掛け替えの無い宝物を頂いてしまいましたが、我々にも贈らせて下さいまし。ラディオ様、じぃやからは此方を」


「おぉ……おぉ〜! じぃやスゴいです!」


 差し出されたのは大きなぬいぐるみ。

 強靭な体躯を持ち、雄々しく翼を広げた純白の竜の姿。

 自分の体程もあるぬいぐるみをサニアに見せようと、嬉しそうに掲げたラディオ。


「はは! 見るです! じぃやがくれるです! 『はは』ですっ!」


「……じぃや、何じゃこれは」


 ウキウキしている息子とは対照的に、これ以上無いジト目を見せるサニア。


「はて? 何処からどう見ても……お嬢様では御座いませんか?」


「これのどこが妾なのじゃ!」


 体躯は良い、翼も見事だ。

 頭に燦然と輝く一対の角も、細部まで拘っている事は認めよう。

 だが、肝心の『顔』に大いに問題がある。

 まるで、赤子がぐちゃぐちゃにした粘土をそのままくっ付けたのかと思う程、途方も無く不細工なのだ。


「本当に其方は昔からこういう才能が欠如しておるな!!」


 そう、バログアには可愛いモノを作る才能が無い。

 その他の事は全て出来ると言うのに。

 いや、むしろ完璧超人であるが故の唯一のデメリットなのかも知れない。

 しかし、どんなに贔屓目に見ても壊滅的に不細工なのだが、ラディオは本当に嬉しそうにぬいぐるみを抱いていた。


「嬉しいです! じぃや、ありがとうございます!」


「いえいえ。ラディオ様のそのお言葉こそ、至上の(さち)と言えましょう」


「くっ……ラディオの笑顔に免じて、この話は後じゃ!」


 サニアは全く納得していないが、息子があれだけ喜んでしまっては無碍にも出来ない。

 苦々しい顔でバログアを一瞥してから、ブンブンと首を振り気を取り直した。

 ラディオに愛溢れる眼差しを向けながら、両手に魔力を込める。

 すると、空中に白と黒の牙の形をしたネックレスが出現した。


「ラディオ、妾からはこれを贈ろうぞ」


 サニアは息子の首にネックレスを掛け、その上から掌を重ねた。

 そして、雄大で慈愛に満ちた魔力を込めていく。


「これは、妾の牙から作りし『護符』じゃ。其方に何かあれば、直ぐ様妾が駆け付けられるようにな」


「うわぁ……! ありがとうございます! ありがとうございます!」


 魔力の込められたネックレスは、着けているだけで『母』を感じる事が出来た。

 それだけで、幸せな気持ちが溢れてくるのだ。

 ラディオは精一杯の感謝を伝えようと、何度も何度もお礼を言う。

 サニアは優しく微笑むと、今日一番の愛を込めて息子を抱き締めた。


「妾の愛しい息子……元気に大きく育つのじゃぞ♡」


「はいっ!」


 うんうんと頷いていたバログアだが、チラリと天井の結晶に目をやった。

 気付けば、日がもうこんなに高く昇っている。

 そろそろ行かなければ。


「お嬢様、お時間で御座います」


「うむ……ラディオ、直ぐに帰って来るぞ。そうしたら、今宵は宴じゃからな♡」


 最後にもう一度息子を抱き締めてから、サニアは体の上を手で振り払う。

 すると、スッケスケのガウンが純白のドレスへと形を変えた。

 壁際では、既に『来賓用』に誂えた転移陣にバログアが手を翳し、魔力を込めて起動させている。


「では行ってくるぞ!」


「はい……いってらっしゃい! いってらっしゃーーい!!」


 必死に手を振る息子に後ろ髪を引かれながらも、サニアは前を向き凛とした顔を見せた。

 大切な夜の予定の為、今は責務を果たす事を心に誓い、陣の中へ消えていく。

 指をパチンと鳴らしたバログアも、ラディオに一礼してから姿を消した。


 転移陣が消え去ると、少し寂しくなってしまったラディオ。

 だが、首をブンブンと振り、直ぐに笑顔を浮かべる。

 ぬいぐるみを抱きかかえ、竜人のオーラ―バログアが出現させた護衛―と連れ立ってテーブルに座ると、文字の勉強を始めのだ。

 この寂しさも、サニア達が帰って来るまでの辛抱である。



 ▽▼▽



 数時間後――



 テーブルが置いてある円には、一面にフカフカの絨毯が敷き詰められている。

 その上で丸くなり、暫しの休息を取っているラディオ。

 ぬいぐるみをしっかりと抱き締め、竜人のオーラに見守られて。


「すー……すー……」


 寝返りをうって乱れた毛布を、竜人のオーラが直ぐに形を整える。

 仕事が完了し、またラディオの側に座り込もうとしたその時――



 怒轟ッッッッ!!



 突然轟いた爆音。

 同時に、空間全体がぐにゃりと歪んでいく。


「な、何ですか……!?」


 異変に気付き、目を覚ましたラディオ。

 すると、爆音の発生源から太陽と見紛う程の巨大な火炎球が姿を現した。

 瞬間、跡継ぎを護るべく駆け出した竜人のオーラ。

 しかし、火炎球に触れる事すら出来ずに蒸発してしまった。


「うぅ……はは……!」


 恐怖と困惑で固まる中、想い浮かぶのは母の顔。

 すると、火炎球が徐々にその形を変えていくではないか。

 程なくして、溶岩の様にドロドロとした橙色の顔が現れ、言葉を発したのだ。


「貴様……此処で何をしている!」


 形を変え続けながら、此方に詰め寄って来るドロドロの顔。

 だが、ラディオは意識を保つのが精一杯。

 何故なら、この顔からはバログアと同じ空気を感じるのだ。

 どう足掻いても埋めようの無い、天と地程の力の差を。

 そして、ラディオに対し明らかな『敵意』を持っている事を。


「僕、は……僕は……」


「此処は竜王宮殿……人如きが足を踏み入れて良い場所では無いぞ!」


 猛る怒りを咆哮に変え、ドロドロの顔が眩い閃光に包まれた。

 息を飲んだラディオの前に現れたのは、鮮烈な紅色の巨大な体躯。

 金色(こんじき)の両角を携え、荒ぶる焔を纏いし竜だった。


「死を持ってその罪を贖え! 小僧ッッ!」


 何も出来ずに怯えるラディオに向かって、竜は無慈悲な火炎球を撃ち放つ。

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