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第55話 竜の子、母に包まれて

 古城・研究室――



(閣下の持ち物に手を出すなど……愚の骨頂だな)


 窓から外を苦々しく見つめ、『フン!』と鼻を鳴らすドク。

 先程届いた『買主』からの催促と、音信不通となった飼育員。

 大方、商品に手を出し損壊させ逃げたのだろう。

 奴隷街ではままある事だが、『高級品』を扱うこの城では初めての事。


(全く、馬鹿の考えは分からん。閣下の恐ろしさを理解出来ないとは……しかし――)


 元々、飼育員を見下しているドクにとって、何ら驚く事は無い。

 それよりも、今は気に触る事があるのだ。


(この嵐は何とかならんのか!)


 突如崩れた天気はあっという間に嵐となり、弾丸の様に強烈な雨が窓を打ち付けていたのだ。

 加えて、凶悪な迄の暴風が古城を揺らし、時折の落雷が一層の煩わしさを感じさせていた。

 気怠そうに溜息を吐き、毒々しい色の液体が詰まった注射器を手に取るドク。


(まぁ良い、試作の第一段階の確認だ)


 注射器を指で弾き、空気を抜く。

 液体を眺め初めた途端、醜悪な迄に恍惚に染まる顔。

 部屋の奥には、半身が膨れ上がった姿を晒す奴隷が吊るされていた。


「次はこれを打ってやろう。どんな反応を示すのか……い〜ひっひっ――」



 怒轟ッッッッ!!



「……ちっ、面倒な」


 その時、爆音が轟いた。

 どうやら、古城に程近い所で落雷があった模様。

 それと同時に、部屋内の松明が消えてしまったのだ。


(此方は真っ暗闇でも、雷のお陰で視界が確保出来るとは何たる皮肉……何だ?)


 その時、窓の外に巨大な影が見えた。

 しかし、大きな十字の様にも思えたそれは、一瞬で消え去ってしまう。

 首を傾げながら、壁際のランプに手を伸ばすと――



「ぐわぁ!?」



 突然窓が砕け散り、暴風が雪崩れ込んで来た。

 破片をもろに浴びたドクは、勢い余って後ろに倒れてしまう。

 城の古さに苛立ちながら立ち上がった時、ドクは異変に気が付いた。

 暴風雨の轟音に混じって、城内から怒号が聞こえてくるのだ。


「何だ! どうしたんだ!」


 すると、研究室の扉が勢い良く開かれ、飼育員の1人が血相を変えて飛び込んで来た。

 息も絶え絶えになった飼育員の瞳には、恐怖が色濃く浮かんでいる。

 状況が見えないドクは、イライラしながら怒鳴りつけた。


「これは一体何の騒ぎだ! 状況を説明しろ!」


「はぁ……はぁ……じ、城内に侵入者が現れました……! 城門は『何か』で破壊され、一目散に地下へと向かっています!!」


「何だとっ!? 目的は……奴隷解放か! 何としても阻止するのだぁぁ!!」


 報告に憤慨したドク。

 床でガタガタと震える飼育員を脅しながら、2人は地下へと駆けて行った。



 ▽▼▽



 古城・地下――



「はぁ……はぁ……な、何だ……!」


 折れ曲がった腰で必死に螺旋階段を下りて来たドクは、我が目を疑った。

 踊り場に居る筈の見張りの姿は無く、丸テーブルらしき消し炭が散乱しているだけ。

 更に、壁際には未だ燻りながら、人型の焦げた跡がくっきりと残っている。


「一体、何が……!」


 此処に来るまで誰1人としてすれ違った者は居ない。

 塔を下っている途中で、怒号もピタリと止んでしまっていた。

 ガランとした城内に、この人型の焦げ跡が幾つも残されていただけなのだ。


 地下を朧げに照らしていたランタンも、全て割られている。

 だが、真っ暗闇ではない。

 十字の通路の先、奴隷達の牢屋がある区画の奥に、何やら影が見えるのだ。

 炎の様な輪郭で黒紫の光を放つそれは、此方を睨みつけるかの様な鋭い視線を発している。


「おい……貴様、確認して来い」


「えぇ!? 嫌ですよ!」


 飼育員は即座に拒否したが、ドクは許さない。


「私の命令に逆らうのかっ! 貴様も奴隷に堕として、実験サンプルにしてやるぞ!」


「それは……!」


 城の序列に置いて二番手であるドクの命令では、飼育員は逆らえない。

 震える体を抑え込み、壁に掛けてあった松明に火を点ける。

 そして、腰から鞭を抜き取り、そろりそろりと牢屋の方へ歩き出した。


「この無能がっ! さっさと行けぇぇ!」


「ぐっ……くそぉ……くそぉ……! うわぁぁぁぁ!!」


 ヤケクソになった飼育員は、大声を上げながら駆け出した。

 すると、ドンドン小さくなっていく松明の灯りが消え去った瞬間――



「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」



 断末魔の悲鳴が木霊した。

 とても人が発しているとは思えない、地獄の底から湧き出た様な、凄まじい悲鳴が。

 体から大量の脂汗が吹き出し、精神を深層から塗り潰す様な恐怖が、ドクを静かに満たしていく。


「あ、な、何だ……ぐぅ……クソォォォォ! 戦慄を与えし愚物――《トロール》!!」


 ドクが召喚魔法を発動すると、5mはあろうかという醜悪なトロールが3体現れた。

 毛が一本も生えていない丸い頭と、不揃いな顔。

 ゆらゆらと動く小さな目には、知性が感じられない。

 盛り上がった筋肉を持つ巨大な腕を支えるのは、突き出た腹をしたこれまた巨大な鉛色の体躯。


「光栄に思え! 貴様らの様な愚物に、これ程価値のある薬をくれてやるのだからな!」


 大木の様な(くるぶし)に注射器を差し込み、真っ赤な液体を流し込むドク。

 すると、白目を向いて痙攣を始めたトロールが、見る見る内に赤黒く変色していくではないか。

 歯が伸びて牙となり、爪が伸びて刃となったその姿から、尋常では無い威圧感を漂わせる。


「ひっひっ……い〜ひっひっひっ! 素晴らしい、素晴らしいぞ! 『狂人薬』によって、貴様ら愚物は進化したのだ! さぁ、私を護り侵入者を引き千切れ!!」


「「「ガァァァァァ!!」」」


 1体のトロールに自らを運ばせ、前方に2体配置。

 その陣形のまま、ドクは牢屋の区画へ足を踏み入れた。

 しかし、左右の牢屋を見て愕然とする。

 檻は全て溶解し、中に居た筈の奴隷が1人も残っていないのだ。


「何たる事だ……! 閣下にどうお伝えすれば……!」


 奴隷が一夜にして全て消えたと知れば、どんな制裁が待ち受けるか。

 それもこれも侵入者のせい……沸々と怒りが湧き上がるドク。

 黒紫の影に辿り着くと、ドクの顔からは恐怖が消え去っていた。


「何だ……貴様ぁぁぁぁ! 此処が誰の所有物が分かっているのだろうなぁぁぁぁ!」


 怒声を撒き散らし、侵入者を威嚇するドク。

 眼前に居たのは、美しい純白の髪を持つ、褐色の肌をした女だった。


「……騒がしい奴じゃ」


「何だぁ! ゴミを屠った程度で良い気になっていたようだが、私は違うぞ! 奴隷共を何処へやった!」


 強化トロールを従えたドクは、自信満々だ。

 女からは相変わらず黒紫のオーラが立ち昇っているが、近付いてみれば何て事は無い。

 これで主に面目が立つと、ドクは意地悪く笑みを零す。


「い〜ひっひっひっ! 手足を千切ってから尋問してやるぞ! 行け! 《バーサクトロール》!」


「「ガァァァァ!」」


 命令に従い、2体のトロールが唸り声を上げながら女に迫って行く。



 斬ッッッッッ!!



 ドクの肌を風切り音が撫でていった瞬間、トロールの巨体がグラついた。


「うわぁ! き、貴様何をやっているんだ! 私を護れと言っただろう! 本当に使えない屑で無能な肉か、い……え?」


 床に投げ出され、怒り心頭のドク。

 だが、直後にその場で固まってしまった。

 視線の先には、首と胴体が切断された物言わぬ巨体が3つ。

 切断面から、噴水の様に血飛沫を撒き散らしているのだ。


「な、な、何が起こったというのだ……!?」


 すると、黒紫のオーラを纏った女が、ゆっくりと此方に歩いて来た。

 その背後に、黒々とした鱗を纏う太い尾を蠢かせながら。


「そうか、貴様か……息子に惨たらしい事をしていたのは……」


「あ、か、あぁ……その姿は……まさか……!」


 その瞬間、ドクは全てを理解した。

 だが、石の様に固まった体は指一本動かせない。

 それなのに、震えが止まらず、液体と言う液体が漏れ出して来る。

 そして、視線が頭から外せないのだ。

 天を穿つ様に生え揃った、一対の雄々しい角から。


「息子は良く堪えた。本来であれば、堪える必要の無いものを、あれ程小さな体で懸命に。余りの凄惨さに、記憶が混濁する程の痛みに……本当に良く堪えたのじゃ」


「……! …………!?」


 最早、言葉すら発する事が出来ない。

 蛇に睨まれた蛙、巨象と蟻、天と地、そんなものでは生易しい。

 知り得る全ての事象を比較しても足りない力の差、『生物』としての優劣によって、ドクの身体機能は完全に狂ってしまったのだ。

 見た者が絶望すら癒しだと思う程に、激情を滾らせる女の瞳に晒されてしまったが為に。


「被害者を救い出し、外道の行いに加担した者を全て殺すと決めて此処へ来た。そして、特に殺そうと思っている奴が2人程居たのじゃが……やっと見つけたぞ……!!」


 女が目の前に到達すると、ドクの体が宙空へ浮かび上がっていく。

 溢れ出る黒紫のオーラが、雷の様な光を帯びて空間全体を覆い尽くす中、ドクは死の狭間で疑問を抱いていた。


 体を動かす事も出来ず、臓器も活動を止めた。

 呼吸は止まり、脳も機能していないと分かる。

 オーラによって、体に激痛が走り続けている事も感じる。

 だが、それなら何故……まだ生きているのか。

 気絶すら許されず、脳すら動いていないというのに、何故視線を外す事が出来ないのか。


「息子を随分と可愛がってくれたのぉ……ふむ、殺すのは止めじゃ。妾は……そこまで慈悲を持ち合わせておらぬ!!」


 縦に割れた瞳孔を鈍く光らせ、女はニヤリと口角を吊り上げた。

 そして、ドクの額を鷲掴んだ瞬間、黒紫の炎が全身を包み込み、声にならない悲鳴を上げさせる。


「――――!!」


「貴様は永劫生かしてやる。喜べ、死を超越出来るのじゃ……我が『黒紫(こくしん)の焔』によってな!!」


 古城を襲ったのは、竜王サニア。

 ラディオを救った時に確定させていた動きの1つを、実行しに来たのだ。

 黒紫の炎は瞬く間に皮膚も肉も焼き払い、ドクを骸へと変えていく。

 しかし、決して燃え尽きる事が無いのだ。

 すると、サニアはもう片方の手を床に向かって翳した。


「これから貴様の住まいは此処となる。この世界が壊れようとも、『貴様』だけは生き延びられるぞ。妾の炎と共にな!」


 サニアの手からオーラが迸ると、床に真っ黒な穴が姿を現した。

 底の見えぬ、光も差さない永劫の闇。

 これは、『四王』だけが創る事を許された《虚無の世界》。

 絶えず声にならない悲鳴を上げ続けるドクを穴に放り投げ、入り口を閉じたサニア。

 だが、その顔には未だ激情が浮かんでいる。


(……用心深い奴じゃ)


 ドクから記憶を読み取っていたが、肝心の奴隷商人の素性が割り出せなかったのだ。

 見た目や声の情報は得られたが、逆を言えばそれだけしか手に入らなかったのである。


(まぁ良い、一先ずは完了じゃな。被害者達も、故郷や聖都に送り届けた……ラディオに会いたいのじゃ)


 何時迄も此処に居ても仕方がない。

 そう考えたサニアは再び漆黒の竜へ姿を変えると、天井を突き破って古城の外へ舞い上がった。

 上空で翼を広げると、巨大な牙が連なる口から特大の火炎球を撃ち放つ。

 古城が一片の消し炭も残らず跡形も無く消え去った事を見届けた後、愛する息子が待つ山へ飛び立っていく。



 ▽▼▽



 アルラン山・『竜王宮殿』――



「お帰りなさいませ」


 床に跪き、帰還した主を出迎えたバログア。

 しかし、2番目の円に着地したサニアは不機嫌な声を出した。


「妾の迎えなど必要無い。息子の側から離れるなと言ったであろう」


 漆黒の竜の姿のまま、円の上に寝そべるサニア。

 今宵は沢山の命を奪った。

 せめて今日だけは、息子に触れたくとも触れてはいけない。

 そう思いバログアを寝室に配置したのに、こうして迎えに来てしまう。

 サニアは切れ長の鼻腔から抗議する様に息を吐き出すが、バログアは穏やかに笑っていた。


「その事なのですが……」


 含みを持たせた言い方にサニアは疑問を持ったが、それは直ぐに解消される。

 老紳士の背後から、小さな影が飛び出して来たからだ。


「ははぁぁ!」


「ラディオ!?」


 瞳に涙を浮かべたラディオが、一目散に母の元へ駆けて行く。

 そのまま大きな鼻面に飛び付くと、がしっと小さな体で抱き付いた。

 嬉しいやら困惑やらで、サニアは戸惑ってしまう。


「じぃや、これは一体どういう事なのじゃ!?」


「はい、お嬢様が出立されて直ぐ、ラディオ様はお目覚めになってしまいました。以降、それはもうソワソワしながらお待ちになっておりまして。お眠りになる様お勧めしても、首を振られるのです」


「な、何じゃと……愛いが過ぎるではないかぁ♡」


 バログアは眉尻を下げ切って、デレデレとした瞳でラディオを見つめている。

 そんな事を言われては、サニアもデレデレするしか無い。

 竜の姿のまま、その瞳にハートマークを飛ばし始める。


「ははぁ! ははぁ!」


「よしよし、妾は何処にも行ったりしないのじゃ。安心して眠るが良いぞ。妾も直ぐに向かうのでな」


 母の大きな顔を見上げ、コクンと頷いたラディオ。

 トボトボと寝室へ向かって歩き出す……が、直ぐ様サニアの元へ戻り、置かれている前足にしがみついたのだ。


「ラディオ? どうしたのじゃ?」


「はは、と……いっしょ……いい、です」


「ぐはぁぁぁぁぁぁ♡」


 サニアのハートが射抜かれた。

 鱗の生え揃った腕をよじ登り、ひしっと抱き付いて瞼を閉じたラディオ。

 すると、先程まで眉間に皺を寄せていたのに、今は少しニヤけた顔になっている。

 それ所か、既に寝息を立て始めてしまった。


「う、う、愛いのじゃ〜♡♡♡」


 もうサニアは―竜のままだが―だらし無くニヤけ、頬が緩々になってしまう。


「ふぉふぉふぉ! どうなされますか? 私が寝室までお運び致しますか?」


「……良い。再び起こすのも可哀想じゃ。何か掛ける物を持って来てくれ」


「かしこまりました」


 一礼するのとほぼ同時に、毛布を持って戻って来たバログア。

 ラディオとサニアの前足を包み込む様に毛布で覆い、形を整える。

 再びサニアに一礼すると、自室へ下がっていった。


(体色が違うというのに、其方は怯えないのじゃな。母が分かるのじゃな……ラディオ♡)


 もう片方の前足の爪を使い、慎重に優しく息子の頬を撫でながら、『ふぅ』と息吹を送ったサニア。

 すると、ラディオを虹色のオーラが包み込み、やがて小さな体に吸い込まれていくではないか。


(ふふっ、妾が加護を与えるのはこれで2()()()じゃ。いつかこの力が目覚め、其方の助けとなるじゃろう。その時までは、何が有ろうとも妾が護ってみせようぞ♡)


 片翼を屋根の様に広げ、息子を覆い隠す。

 そして、前足の近くに顔を寝そべらせ、サニアも瞼を閉じた。


(明日は何を贈れば良いか……今日が、其方の『誕生日』じゃからな♡)


 古城にて記憶を読み取ったサニアは、奇しくも今日が息子の誕生日であると知る事が出来た。

 明日の予定に胸を躍らせながら、ラディオと共に眠りに落ちていく。

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