第53話 竜の子、覚悟を示して
人々が幸せに暮らすアルラン村は、狩猟の場として重宝する大木が連なる深い森に隣接していた。
その中央には、天を穿つ程の巨大な山が聳えている。
名を『アルラン山』。
噴火を知らぬ活火山であったこの山は、村人達と竜王の絆の証である。
遠い昔、まだ名も無き集落に宿泊していた若い猟師が、森で一頭の獣を討ち取った。
それは『森の主』と呼ばれ、何十年もの間神格化されてきた獣である。
猟師は特大の獲物を仕留めた事で歓喜に沸いたが、集落は恐慌状態に陥ってしまう。
『森の主』の災いが降りかかると。
そして、その不安は的中する事となる。
突如として、アルラン山が大噴火を起こしたのだ。
それはまるで『神の怒り』。
森や集落に巨大な隕石が降り注ぎ、火砕流が雪崩れ込む。
人々は逃げる暇すら与えられず、只々神に祈りを捧げる事しか出来なかった。
その時、天空に巨大な影が現れる。
神々しい光を放つ純白の体躯、広げられた両翼の美しさたるや。
人々の目には、正しく神が両手を広げた様に映る程だった。
それは、一頭の竜。
闇夜に輝く虹色の光彩を携えた、純白の竜だった。
すると、溶岩を噴き出し続ける山に向かい、息吹を送る。
瞬間、集落を襲っていた災害がピタリと止まり、燃え盛っていた炎は鎮まり、焼けただれた森が息を吹き返していったのだ。
人々は突然の悲劇から自分達を救ってくれた竜に、多大な感謝を送る。
集落に迎え入れ、出来うる限りのもてなしを行ったのだ。
それ以降、人々の事が気に入った竜はアルラン山の構造を作り変え、自らの住居とした。
集落は発展を遂げ、『アルラン山に住まう山神に護られし村』として、『アルラン村』と名前を変えて。
更に、竜はこの地で思わぬ出逢いに恵まれる。
村の青年と恋に落ちたのだ。
種族や寿命の垣根を越えて、只の男と女として深く深く愛し合う。
やがて訪れる、青年の死が2人を別つまで。
竜は、その後もアルラン村を見守りながら余生を過ごす。
心から愛した青年の故郷を、誰にも何にも壊されぬ様に。
『英雄』として、『魔王』と相討ちとなってでも世界を護った、最愛の青年に報いる為に。
それから数百年経った今でも、竜は想い出を胸に山に住んでいる。
▽▼▽
アルラン山内部――
円が3つ集合したベン図の形をした広大な空間。
その1つ1つに微妙に段差が存在し、3段に区画分けされている。
1番高い円には玉座が2つ鎮座し、漆黒のベールで背後の壁を覆う。
2番目に高い円には何も無いが、一際広くスペースが取ってあった。
最後の円には床に絨毯が敷き詰められ、長方形のテーブルと椅子が数脚置かれている。
それらを囲う壁面は、全て半透明な結晶で造られ、荘厳な空気を醸し出す。
すると、玉座のある円に何処からとも無く、1人の老紳士が歩いて来た。
(どうしたものでしょう……)
天井にある巨大な火口を見つめながら、溜息を吐くその顔は険しい。
天頂部の先は外へ繋がっており、アルラン山への出入り口の1つだった。
他にも、『来客用』に誂えた麓へ続く険しく過酷な山道と、『来賓用』に誂えた転移陣が壁に設置されている。
穴の左右には、突き出た巨大な結晶が2つ。
淡い光を放ちながら、内部全体を朧げに照らしている。
すると、老紳士が何やら反応を示した。
どうやら、『主人』が帰って来たらしい。
同時に、『異変』を察知し余計に険しい顔となってしまった。
(お一人では無い、様で御座いますね)
指をパチンと鳴らし、幾つものオーラを出現させた老紳士。
見る見る竜人の形となったそれらに何かを呟くと、一斉に四方に散っていった。
しかし、その顔は未だ険しいまま。
(……何をお考えなのですかな)
老紳士は再びの溜息を吐きながらも、『主人』を出迎える為に背筋を伸ばす。
程なくして、凄まじい風切り音と共に、巨大な竜が火口を降りて来た。
風を巻き起こしながら二番目の円に着地した竜は、その大きな手の中に、とても大事そうに何かを包み込んでいる。
それをそっと床に降ろすと、純白の体躯から光を発し、美しい褐色の女へと姿を変えた。
「さぁ、着いたのじゃ。今日から此処が其方の家じゃぞ、ラディオ♡」
そう、降り立ったのはサニアであり、此処は居城である『竜王宮殿』。
初めての光景にオドオドしている息子を愛で満ちた瞳で見つめていると、老紳士が近寄り恭しく頭を下げる。
皺一つ無い純白の燕尾服姿から立ち昇るオーラは、まるで居城の番人の様だ。
「お帰りなさいませ。御説明をお願い致します」
「うむ、今帰ったぞ。馳走を用意してくれ」
サニアは上機嫌で命じるが、老紳士は主人をじっと見据えたまま動かない。
「御説明をお願い致します」
険しい顔は消え去り、優雅な微笑みを携えつつも、老紳士の言葉は変わらない。
サニアを一瞥すると、今度はピッタリと側にくっ付いている子供へと視線を移す。
「あ……うぅ……」
ラディオは老紳士の眼差しに耐え切れず、右手でギュッとサニアのドレスを掴む。
同時に、申し訳程度にしか覆っていない下着の様な布を左手で握り締めた。
奴隷として悲惨な生活を送って来たラディオにとって、『大人』は畏怖の対象そのものになっていたのだ。
「これっ! ラディオが怖がっておるじゃろう! そんな目で見るでない!」
すると、それに気付いたサニアが怒りを露わにした。
サッと息子を背後に隠し、老紳士を睨み付ける。
しかし、老紳士は微笑みを絶やす事無く淡々と言葉を続けた。
「これは申し訳御座いませんでした。ですが、これは由々しき事態になり兼ねません。見た所その子は人族、そして……奴隷、ではありませんか?」
見すぼらしい格好に、栄養不足が顕著な痩せ細った血塗れの体。
老紳士の予想は間違っていない。
しかし、この発言によってサニアの眉がピクリと吊り上がる。
「人族だから何だと言うのじゃ。それにな、妾の息子を奴隷呼ばわりする事は許さぬ……絶対に許さぬぞ!!」
老紳士を睨む目付きが更に鋭くなり、怒りを体現するかの如くオーラが溢れ出す。
だが、竜王の凄まじい覇気を受けながらも動じる事無く、老紳士も静かにオーラを溢れさせていく。
「息子……で御座いますか。『お歴々』にはどう弁明するおつもりですか?」
「弁明など必要無い! 妾にやましい事は一切ないのじゃからな!」
「左様で……ならば、お父上にも同じ事を言えますかな?」
「う……それは……」
老紳士の放った一言が、サニアの表情を曇らせた。
その美しい銀色の瞳に、後悔の色が浮かぶ。
「やはり、その様な半端な御覚悟でしたか。ふぅ……また同じ過ちを繰り返すのですか?」
「…………」
畳み掛けられた言葉に、完全に沈黙してしまったサニア。
伏し目になり、只々床を見つめるだけ。
体からはオーラが消え去り、深い悲しみが空間に漂い始めた。
その時――
「やめ、て……ごめ、さい! ごめ……なさい!」
ラディオがサニアと老紳士の間に入り、両手を広げて立ちはだかったのだ。
背中を母に押し当て、震える体で懸命に老紳士を見据えている。
「どういう意味ですかな?」
「はは……いじ、める……やめ、て! ごめ、なさい!」
《絶対王者》を発動し、ある程度の力を得たラディオには分かっていた。
老紳士と自分との間に、天と地程の力の差がある事を。
だが、『幸せ』を教えてくれた母を護りたい。
今ラディオに出来る事は、懇願する事だけ。
抗うのではなく、許しを請う事だけだった。
「成る程……それが、君の『覚悟』なのですね」
老紳士はじっとラディオを見つめ、小さくそう呟いた。
「ごめ、なさい! ごめ、なさい! ごめ、なさ――」
「もう良い! もう良いのじゃ……其方が謝る事など何もないのじゃ……!」
今にも泣きそうな声で必死に懇願を続ける息子を、サニアは力の限り抱き締める。
瞳を涙で濡らしながら、懸命に自分を護ろうとしている小さな命が愛おしかった。
「母は駄目じゃな……また負けそうになってしまった。じゃが、ラディオ……其方のお陰で目が覚めたぞ」
サニアは穏やかな微笑みを浮かべながら、ラディオに優しく頰ずりをした。
そして、すっと立ち上がると再び老紳士を見据える。
先程までとはまるで違う、強い意志をその瞳に宿して。
「誰であろうとも連れて来るが良い。何処であろうとも出向いてやろう。妾の名はナサーニンア・ファラティオン・レイグネス・ラガディアンヌ、当代の竜王にして世界を統べる四王の一人! そして……我が息子、ラディオの母じゃ!!」
高らかに言い放ったサニア。
体から漲らせた雄大で凛としたオーラは、瞬く間に空間を埋め尽くしていく。
すると、老紳士が心からの微笑みを浮かべたのだ。
敬意を表する様に跪き、胸に手を当て主人に礼を尽くす。
「見事な御覚悟で御座います。それならば、私も安心と言うもの。不肖ながら、我が主とその『御子息』に生涯仕えさせて頂く誉れを、改めてお願い申し上げます」
「うむ、良いじゃろう! 妾はどんな事があっても、ラディオを護り抜いてみせる……肝に銘じて置くのじゃ!」
老紳士は深々と頭を下げると、ラディオにゆっくりと近付いていく。
しゃがみ込んで目線の高さを合わせると、本当に申し訳なさそうな顔で謝罪をした。
「ラディオ様、試す様な真似をしてしまいまして本当に申し訳ありませんでした。しかし、真に素晴らしい御覚悟で御座いました。そのお陰で、母君も救われたというものです」
「おい、それはどういう意……其方まさかっ!? 謀りおったな!!」
「何を人聞きの悪い事を。私めには、確認の義務があるのですよ? どうせ貴女は、弱々しいメソメソした考えだったのでしょう。それでは、ラディオ様の行く末が心配でなりませんでしたので。結果、やはり試して正解だったと思っております」
「き、貴様……言わせておけば何じゃ〜!」
突然変わった状況に、ラディオはついていけなかった。
ついさっきまで、あれだけ緊迫していたというのに。
今やサニアは子供の様に突っ掛かり、老紳士は慣れた様子で説教を始めている。
2人共、もはやオーラなど微塵も感じさせていない。
「待つのじゃっ! 1発殴らせろ! じぃや〜!!」
「ふぉふぉふぉ! お嬢様は相変わらず直線的で御座いますな〜」
サニアに追い掛け回されながらも、飄々とした態度を崩さず、のらりくらりと躱す老紳士。
そんなやり取りをポカンと見ていたラディオだったが、突然腹を抑え始めた。
2人にバレない様に気を使うが、どんどん体が折れ曲がっていく。
次第に、自らの腹を殴り始めてしまった。
(何と奥ゆかしいのでしょう……お嬢様をからかっている場合ではありませんね)
サニアは追い回すのに夢中で気付いていないが、老紳士は即座にラディオの異変を察知した。
直ぐ様ラディオの元へ駆け寄り、振り下ろす寸前の腕を優しく受け止めた。
「いけません。その様な事をしては、お体に差し支えます。確かに、我慢は時に美徳とされます。ですが、今はその必要はありません」
「うぅ……ごめ、なさい……ごめ、なさい……!」
「ラディオ!?」
ようやっと気付いたサニアも駆け寄って来た。
息子がまたも謝る姿に、心が痛んでしまう。
「どうしたのじゃ!? 何処か痛いのか!?」
老紳士を弾き飛ばし、息子を抱きかかえたサニア。
だが、ラディオは何も言わず気不味そうな顔を見せるだけ。
その時――
ぐぅ〜〜
腹から聞こえた可愛い音。
サニアは『ふぅ〜』と安堵するが、ラディオは更に気不味そうな顔になってしまう。
そこへ、頭に結晶の粒を付けた―弾き飛ばされ、壁面に激突した為―老紳士が歩み寄って来た。
「こんなにも幼いのに、他者を気遣えるその心……本当に素晴らしい。母君とは雲泥の差ですな」
「何を……! 後で覚えておれよ! ラディオ、我慢など必要無いのじゃ。直ぐに馳走を用意させるから待っておれ。じぃや、ありったけの食材で準備に掛かるのじゃ!」
頬を引くつかせながらも、老紳士への怒りをどうにか飲み込んだサニア。
今考えるべきは息子の事が最優先。
しかし、老紳士はパンパンと結晶の粒を払いながら、淡々と答えを返す。
「それは成りません」
「なっ!? 何故じゃ! 息子が腹を空かせていると言っておるじゃろう!」
「はぁ……本当に母親である自覚はあるのですか」
「何じゃと〜!」
「ラディオ様の現状では、肉も魚も受け付けません。それ程までに内臓が弱っています。見れば分かるでしょうに」
「っっ! そうか……そうじゃな……ラディオ〜! 済まなかったのじゃ〜!」
的確な指摘にハッとしたサニアが、物凄い勢いで息子に頰ずりを始めた。
本人的には最大限の謝罪なのだが、溜息を吐いた老紳士に止む無く引き剥がされる事になる。
こうしなければ、ラディオが押し潰されてしまうからだ。
「全く……それに、先ずは体を綺麗にしてあげて下さいまし。このままでは、要らぬ病気に罹ってしまいます。ラディオ様は人族なのですから、そういった部分も気にして頂かないと!」
「むぅ……その通りじゃ。じゃ、じゃが! 湯を張る間このまま放っておくと言う――」
「既に湯張りは済ませております」
「……え?」
「加えて、ラディオ様のお部屋の増設もそろそろ完了する頃合いで御座います。しかしながら、家具服飾品その他諸々は明日買い出しに行って頂きます。料理の方は、湯浴みをしている間にラディオ様の体調に合った物をお作りしておきますので」
「……え、いつの間に?」
「お嬢様が御到着なされる前に、全て滞りなく済ませておきました。見くびらないで頂きたいのですが、私は『有能な世話係』なのですよ? さぁ、これ以上宮殿を汚す前に。さぁ!」
「えぇ……で、では……」
そう、老紳士が出した竜人型のオーラはこの為だった。
宮殿内に新たに部屋を作り、湯を張り、食材の下拵えを終わらせている。
サニアが『何か』を抱えながら帰ってくる事を悟った老紳士に抜け目はなかった。
最後に必要だったのが、『真の覚悟』と言う訳だ。
「そうそう、申し遅れました。私、代々『竜王』様にお仕えさせて頂いております、バログアと申します。ラディオ様、以後お見知り置きを。じぃやとお呼び頂ければ、この上ない幸せに御座います。さぁさぁ、湯が冷めぬ内に」
「「…………」」
バログアの矢継ぎ早な対応に、サニアもラディオも呆気に取られてしまい、動く事が出来ない。
すると、三度の大きな溜息が吐き出しながら、『さぁさぁ!』と2人の背中を押す世話係なのであった。




