第51話 竜の子、覚醒
「お、おい……本当にやるのか?」
「何だぁ? 怖気付いたのかよ。嫌なら良いんだぜ? 俺1人で楽しむからよ」
「ばぁーか、俺が居んのも忘れんな」
「だ、誰もやらねぇなんて言ってねぇだろうが!」
月明かりの下、馬車を走らせながら3人の飼育員達が何やら相談をしていた。
荷台には小屋型の牢屋が設置され、中には魔族の女と少年が積まれている。
城を出てから数時間経ったが、別荘まではまだまだ距離がある。
すると、1人の飼育員が馬車を止めた。
「此処らで良いだろ。楽しみだなぁ、おい!」
「で、でもよぉ、閣下にバレたら……そ、それにこの辺りは確か……」
「バレやしねぇし、そんなもん『噂』だろ? 奴隷は道中暴れた事にすりゃあ、多少の傷もどうって事無ぇしよ。お前、あんな上物の女に何もしないで、狸面の変態野郎に渡すのか?」
「違ぇねぇ! こりゃ言わば役得ってやつだよ。覚悟決めろぉ。その代わり、最初はお前に回してやるからよ」
「よ、よし……やるぞ……やってやるよ!」
2人に焚き付けられ、一人弱気だった飼育員も覚悟を決める。
街道脇の大木に手綱を縛り、荷台の扉を開けた。
「な、何……!?」
「へへへっ……ちょいと俺達の相手をして貰おうと思ってな」
少年を抱き締めながら、荷台の隅に逃げる女。
魔族の奴隷は珍しく価値が高い。
しかも、荷台に積んだ女の器量は抜群と来ている。
『高級品』である商品に手を出すなど愚の骨頂だが、3人で味見をしようという話になったのだ。
「おーい、ガキの相手が必要だぞ。連れ出せ」
「しょうがねぇなぁ。俺も犯るんだから、あんま傷付けんなよ。おら、こっち来いガキ」
一際巨漢の飼育員が、女の腕から容易く少年を引き剥がした。
「止めて! その子を傷付けないで!」
「あぁ? 面倒くせぇな」
怒轟ッッッッ!
「あぁ! う、あ……」
片手で女を振り払い、ベルトに挿していた棍棒で頬を思い切り殴りつけた飼育員。
女は口から血を流して床に倒れ込んでしまう。
「うぁぁぁ!!」
「痛てて! テメェ……ふざけんじゃねぇぞコラァァ!!」
怒轟ッッッッ!!
「ぐぅ! あ、あ……」
怒った少年の反撃によって、手を噛まれた飼育員。
その隙に女に駆け寄ろうとしたが、凄まじい勢いで棍棒が振り抜かれた。
側方から顔面を強打され、少年の額から血が溢れ出す。
だが、飼育員は青筋を立たせながら、ぐったりと横たわる少年の首を掴み上げた。
「テメェ覚悟しとけよ! クソガキがぁ!!」
怒号を浴びせながら、荷台を降りていく飼育員。
後の2人はそれを笑って見送る。
「お〜お〜、荒れてるねぇ」
「お、おい、早く犯っちまおうぜ!」
飼育員の手が、女の体を申し訳程度に覆う肌着に伸びていく。
「うぅ……嫌……やめ、て……」
「はははっ! もっと鳴いてくれよぉ!」
「へ、へへっ……ゴクリ……たまんねぇなぁ」
絞り出した懇願も、飼育員にとっては添え物だ。
下卑た笑みを浮かべながら、女の肌着を引き千切る。
▽▼▽
「おらぁ! こんなもんじゃ終わんねぇぞ! クソガキっっ!!」
「ぐぁ! うがぁ!!……うぁ……」
無慈悲に振り下ろされる棍棒は、これで何度目だろうか。
立っている事など出来る訳も無く、地面に倒れ込んだままいいように嬲られる。
荷台から引きずり降ろされ10数分、少年には数日に思える程に長い地獄の時間だった。
「はははっ! 見ろよ、彼奴ら相当楽しんでるみたいだ――ぜっ!」
「ぐぅ!! かはっ……!」
髪を掴んで立ち上がらせた少年の腹を、強烈な膝蹴りが襲う。
数m飛ばされ地面に転がった少年は、痛み以上に馬車が気掛かりだった。
激しく揺れる荷台からは、止む事の無い叫び声が聞こえて来るのだ。
「はぁ……はぁ……うぐ……!」
どうにかしたい、あの人を助けたい……でも、体が言う事を聞いてくれない。
それでも、馬車に向かって地面を這って行く少年。
指を動かすだけで全身を貫く激痛に耐えながら、女の元へ行こうとするのだ。
その時、月明かりに影が差し、辺りが漆黒に包まれる。
「ぎゃはははっ! つくづく運があるじゃねぇか! これだけ暗きゃ、女の泣き顔見ないで済むもんなぁ!」
飼育員は少年を嘲りながら、ゆっくりと近づいて行く。
動けなくなった小さな命を見つめるその瞳に、並々ならぬ狂気を宿して。
その時――
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ――!!」
耳を劈く断末魔の悲鳴が木霊した。
あれだけ揺れていた馬車も、奇妙な程に動かなくなっている。
訪れた静寂に心を締め付けられ、少年は背筋が凍りつく感覚に襲われた。
飼育員も同じ気配を感じ取った様で、面倒くさそうに頭を掻く。
「ちっ……殺りやがったな」
不機嫌な顔を浮かべながら、馬車へ歩き出した飼育員。
少年もその後を懸命に追おうとする。
指先をボロボロにしながら、必死に地面を掻いて。
だが――
「おらよ」
少年の眼前に何かが捨てられた。
それはいつも助けてくれた女……いや、もう違う。
首から夥しい量の血を流し、生命の灯火を奪われた、女だった骸。
「あぁ……!」
少年は目の前の光景が信じられなかった。
身体中に痣を作り、あられもない姿を晒し、その瞳に光は無い。
どんなに願ってももう動く事の無い、只々宙空を見つめるだけの抜け殻だ。
「あ、あぁ……あぁぁぁ……!」
体の奥から、身を焦がす何かが湧き上がって来るのを感じる。
その時、飼育員が徐に足を振り上げ――
「俺はまだ楽しんでなかったのによ……この屑がぁ!!」
無情にも、物言わぬ女の顔を踏み付けたのだ。
その瞬間、少年の中で何かが弾けた。
自分でも感じた事のない魔力の波動が、体中を駆け巡る。
少年は女の顔を踏む足を払い除け、その首元に覆い被さった。
「テメェ……そんなに死にたきゃ殺してやらぁぁ!!」
『奴隷』如きに邪魔をされた飼育員は、激情のままに足を踏み降ろした。
少年の頭を砕く為に――
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
骨を砕く音と悲鳴が混濁する中、焼ける様な痛みにのたうち回ったのは飼育員だった。
少年を踏み付けた筈の足は、あらぬ方向を向いている。
一体何が起こったと言うのか。
だが、飼育員は認めざる負えなかった。
自分の足をへし折ったのは……この奴隷だと――
「う、うぅ……うあぁぁぁぁぁぁ!!」
立ち上がった少年は、天に向かって咆哮を上げる。
口から女の血を垂らし、5歳とは思えぬ膨大な魔力の波動を溢れさせながら。
すると、陰っていた月も顔を出し、少年を妖しく照らし出す。
「な、何だよ……何なんだよお前ぇぇ!?」
「……ころ、す……ころす……!」
女の血を飲んで、傷を全快させた少年。
しかし、異様なのはその魔力。
体に力を込めるたびに膨れ上がり、その身にドス黒いオーラを纏わせるのだ。
「ころす! ころすッッ!」
「く、来るなぁ! 止め――ぐわぁぁぁぁ!!」
血塗れの体で飼育員に覆い被さった少年は、一心不乱に小さな拳を叩き込んでいく。
溢れる魔力で体を破壊されようとも、飼育員を屠る手は止まらない。
「ぎゃあっ! ぐぅ、うあぁぁ! 助け、ぎゃぁぁぁぁ!」
その凄まじさたるや、正に異常。
少年が振り下ろす拳は、飼育員の顔や体に文字通りめり込んでいくのだ。
皮を突き破り、肉を裂き、骨を砕いて。
やがて、飼育員はピクリとも動かない肉塊へと変わった。
「ふーっ! ふーっ! ころす……ころす……!」
肩で息をしながら、ゆっくりと立ち上がった少年。
その時、前方で物音がした。
見ると、荷台に居た残りの飼育員達が慌てて逃げようとしていたのだ。
「うぅ……うぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
少年は再びの咆哮を上げる。
その瞳に怒りを燃やし、血が滴る拳を振り上げ馬車へと疾走を始めた。
少年の身に何が起こったのか。
それは、奴隷商人達が大きな過ちを3つ犯していた事に起因する。
1つは、生来の魔力量の乏しさから少年を侮り、『魔封じの首輪』を付けなかった事。
男は出立に際して首輪の着用を命じたが、飼育員は面倒だと実行しなかった。
これにより、魔力を解放するチャンスを与えてしまったのだ。
2つ目、少年を『特異体質』だと勘違いした事。
結果、その能力は魔族の女のものであり、少年は特異体質を有している訳では無かった。
しかし、少年は生れながらに別の能力を持っており、今までは『発動条件』を満たしていなかっただけ。
そして最後の1つは、女を殺した上に目の前で死を侮辱した事により、その『発動条件』を満たしてしまった事だ。
その名は《絶対王者 》、ユニークスキルである。
発動条件は2つ、1つは他者によって瀕死の状態まで追い込まれる事。
もう1つは、それでも闘争本能を失わず、他者の為に力を求める事だ。
ユニークスキル自体が希少なものなのだが、発動に際し『制約』があるものなど異例中の異例。
それ故に、条件を満たした時の恩恵は他を圧倒するものとなり得る。
《絶対王者》の効果は、端的に言えば自己強化。
しかし、死の淵に晒されれば晒される程に、身体能力や魔力量など全てを倍化させるという、破格の効果である。
半年以上の長きに渡り、毎日死ぬ寸前まで痛ぶられて来た少年。
そして今、『女の為に、必ず飼育員を殺す』と心から願い、生まれて初めて『他者の為に力が欲しい』と渇望した。
こうして、内に秘めたユニークスキルを曲がりなりにも呼び起こしたと言う訳である。
《絶対王者》を発動した少年を止める術を、飼育員達は持っていない。
何故なら、彼等は決して能力が高い方では無いからだ。
常に死と隣り合わせで生きてきた少年にとって、飼育員は最早虫ケラ同然。
逃げ惑う馬車に即座に追い付くと、車輪を殴り付け破壊した。
「うわぁ! いてて……ひぃぃ!?」
「や、やめ……やめ、て……!!」
バランスを失い、横倒しになった馬車から転がり落ちた飼育員。
体に響く鈍痛よりも、眼前に迫る狂気が恐ろしかった。
瞳を激情で濁らせた、全身を鮮血に染める少年が。
「ころす……ころ、す……ぐはぁ!」
だが、片膝をついて座り込んでしまった少年。
全身を染め上げているのは、女と飼育員の返り血だけでは無い。
《絶対王者》の不完全な発動によって、幼い体はとうに限界を超えていたのだ。
「な、何だこの野郎! 驚かせんじゃねぇ!」
「放っとけって! 今の内にズラかろうぜ!?」
1人が満身創痍の少年に仕返しをしようとしたが、もう1人が止めに入る。
確かにこの状況は不味い。
馬車も壊れ、仲間も殺され、何よりも『商品』を壊してしまった。
もう城には戻れない。
客から男に連絡が入る迄に、出来るだけ遠くに逃げなければ。
「くそ……くそぉぉ! テメェのせいで全て狂っちまったじゃねぇか! せいぜい野垂れ死ね、クソガキ!」
「い、行くぞ! ほら、早くしろ!」
捨て台詞を吐き、此方を睨み続ける少年を残して、飼育員達は街道を走り出す。
その時、またしても月が陰り、突然の漆黒に包まれた飼育員の動きが止まる。
だが、直ぐに月は顔を出し、街道を三度照らし出す。
しかし、飼育員達はピクリとも動けなかった。
何故なら――
「……何をしておるのじゃ」
闇が晴れたその先に、見知らぬ女が立っていたのだ。




