第50話 竜の子、憎しみを込めて
35年前――
無限に思える石造りの螺旋階段を降りていく1つの影。
右手には燃え盛る蝋燭立てを持ち、左手には黒革の手帖を携える、無表情な男。
光を一切灯していない瞳は、さながら造られた人形の様に見える。
階段を降りた先には、十字に広がる通路。
その手前の踊り場では、小机に足を乗せた見張りが、大きなイビキをかいている。
すると、少しも表情を変える事無く、見張りの足を蹴り落とした男。
突然の衝動に驚いて飛び起きた見張りは、現れた雇い主を見ると、慌てて敬礼をした。
「お、お疲れ様でございます!」
「貴様の仕事は何だ」
「は、はいっ! 奴隷共の見張りでございます!」
「言った事をこなせ。貴様も奴隷になりたいのであれば、話は別だが」
「ひっ……! か、閣下! どうかお許しを!」
「……次は無いぞ」
「はっ!!」
見張りを一瞥し、歩き出した男。
通路内の天井は低く、朧げな色彩のランタンが等間隔に配置されている。
左右に並ぶ幾つもの鉄格子の奥は牢屋になっており、その中には裸同然の格好をした者達が座り込んでいる。
言葉を発する事無く、皆一様に虚ろな瞳で、首には黒々と光る首輪をはめて。
此処は、とある奴隷商人が所有する城の地下。
世界各地に『奴隷街』を展開する、裏稼業の大物である。
男の市場では希少な奴隷が多く見られるが、この城の『商品』は別格だった。
ダークエルフ族や魔族、種族の中でも珍しい狼や鳥を祖とする獣人族、貴族や王族の血を引く人族など、『高級品』且つ『特殊品』を専門に飼育していたのだ。
勿論、訪れる客も表側では強大な権力を有した者や、一国を賄える程の富を持つ者ばかりである。
今日の目的は、何やら特殊な力を持つという『新商品』の視察。
しかし、通路の中央まで来ると、何やら飼育員の怒声が聞こえて来た。
「おらぁ! 大人しくしろっ!」
「はははっ! こいつマジで面白ぇよ。毎日ボロクズになるまで殴り倒してるのになぁ!」
腰に鞭と長剣を挿した『飼育員』2人が、牢屋内から抵抗する何かを引っ張り出そうとしている。
それは、漆黒の髪を鷲掴みにされた少年……いや、幼児と言って差し支えないだろう。
「ふーっ! うぅ……ふーっ!!」
だが、『奴隷』である彼には、大人に抗う体力も筋力も備わってはいない。
通路へ引きずり出され、鉄格子を背に足で押さえ付けられてしまう。
「毎度毎度手こずらせやがってよぉ! 良い気味だな、ゴキブリ!」
「ぐぅぅ……! ふーっ! ふーっ!」
しかし、何て凄まじいのか。
有らん限りの力を込めて飼育員を睨むその瞳は、全く幼児のそれでは無い。
憎しみに覆われ、激情を垂れ流し、止めどない殺意に溢れているのだ。
「テメェ……調子こいて睨んでんじゃねぇぞっ!!」
「ぐあっ! う、あぁ……ふーっ!」
眼光に苛立った飼育員の大きな拳骨が、少年の顔目掛けて振り下ろされた。
慈悲も手加減も無い一撃は、少年の頬を腫らし、生えたばかりの歯を飛ばす。
それでも、少年は全てを焼き尽くす様な憎しみの瞳を変える事は無かった。
「この野郎! まだ足りねぇ――」
「止めろ」
更に飼育員の拳が振り下ろされ様とした時、感情の無い声が轟いた。
慌てて声のする方を見やると、天井から漏れる薄明かりの中、黒い影がゆっくりと歩いて来ている。
飼育員は少年の頭を押さえつけ、もう1人が敬礼の姿勢を取った。
「か、閣下! 御足労頂き有難う御座います!」
「おいっ! 暴れるんじゃねぇ! こんな体勢で申し訳ありません!」
無表情のまま、3人の前に立った男。
飼育員達は、標準的な成人男性の身長と体格を持っている。
だが、男はそれを大きく超えていた。
上から感じる威圧に怯え、飼育員達に冷や汗が流れる。
「報告しろ」
「は、はいっ! こいつが例のガキで――ぐわぁ!!」
震えながら少年を指差した飼育員が、突如として悲鳴を上げる。
立っていた場所から、体に鉄格子が食い込む程に牢屋に叩きつけられたからだ。
「見れば分かる。報告をしろ」
向けられた光の無い瞳に、少年を押さえつけている飼育員の顔が青ざめていく。
相棒が吹き飛ばされた事はさして問題では無い。
その行為が、自分には全く視認出来ない速度で行われた事。
そして、言葉を間違えれば次は確実に『死』が訪れる、という事が問題なのだ。
「あああの、こ、こ、こいつは……」
男の瞳から微かに苛立ちが滲み出た。
飼育員が死を覚悟したその時――
「い〜っひっひっひっ! これはこれは閣下。お早い御到着でしたな」
「……ドクか。報告しろ」
嗄れた声が聞こえた方を見ると、白衣を着た老齢の男が歩いて来ていた。
禿げ上がった額に暗視ゴーグルを付け、片目が燻んでいる皺くちゃの顔。
折れ曲がった腰のせいで飼育員の半分にも満たない背丈。
ドクと呼ばれるこの男は、城の『研究員』である。
此処の奴隷達は、見た目や種族が珍しいだけではない。
『ユニークスキル』や『特異体質』を持っている、又はその可能性を示唆した者達なのだ。
故に『特殊品』と呼ばれ、高値で取引されている。
『愛玩』用としてだけでなく、『兵器』として。
「結論から申し上げますと、この『研究体574番』は、回復系の『特異体質』を有しているものと思われます」
飼育員の足の下で暴れる少年に、愛でる様な視線を送るドク。
「出自は?」
「はい、574番は4年と半年程前から飼育しております。奴隷上がりの娼婦が母親で、急に増えた食扶持に困り果て、売りに来たという訳ですな。い〜っひっひっひ!」
「続けろ」
「『8番奴隷街』で飼育する、至って普通の奴隷でした。しかし半年程前、574番は逃走を図ります。その時、飼育員によって両手足の骨を粉々に砕かれたのです」
男は全部で10の奴隷街を所有しており、定期的に各街から『高級品』を調達し、この城へ運び込んでいる。
少年はその時の隙を突いて脱走を図ったが失敗、他の候補者達と共に城に収監されてしまったのだ。
「瀕死の状態でしたが、労働奴隷としての価値はありましたので、最低限の治癒を施しました。驚いたのはその翌日です。何と、574番は『全快』していたのですよ」
「……ほう」
「最低限のポーションを飲ませただけで、粉々になった骨が見事に再生されていたのです。以来、私の観察下に置いています」
「その他は?」
「はい、此方に移動させてから毎日追い込みをかけていますが、特異体質の全容解明には至っておりません。ですが、恐らく『回復行為の増長』ではないかと考えております」
「根拠は?」
「外傷を負わせ数時間吊るしていましたが、何の反応も見られませんでした。しかし、最低限の治癒を行った翌日は、きっちりと全快しているのです。となれば……」
「何かを媒体にして治癒能力を高めている、という訳か」
「左様で。もう少しお時間を頂けますかな?」
「構わん。解明した所で、大した体質でも無い。買い手が付くまでの間、好きにしろ」
「有難きお言葉。い〜っひっひっひっ! おい、さっさと運び出せ」
「は、はいっ! おらっ! 行くぞ!」
少年を起き上がらせた飼育員達。
これから、『いつもの時間』に入るのだ。
しかし、尚も暴れる事を止めない少年。
すると、男が飼育員に止まる様指示を出した。
「貴様……屑の割には良い目をしている」
「うぐっ……!」
手錠が食い込んだ手首を万力の様な力で掴み上げ、少年を宙吊りにする男。
余りの痛みに呻き声を漏らすが、少年は精一杯の憎しみを込めて男を睨む――
「うあぁぁぁぁぁぁ!!」
が、鈍く生々しい音と共に少年の顔から血が噴き出した。
視認出来ない速度で繰り出された男の拳が鼻筋を捉え、グチャグチャに骨を砕いのだ。
脳天を貫く激痛に、堪らず悲鳴を上げる少年。
「……図に乗るな。連れて行け」
「…………」
「聞こえなかったのか」
「あっ、は、はいぃぃ!!」
呆然と突っ立っていた飼育員は、慌てて少年を連れて行った。
「私は国に戻る。結果報告を怠るな」
「かしこまりました。い〜っひっひっひっ!」
去りゆく男に一礼したドクは、少年が連れて行かれた方へ向かった。
▽▼▽
「おい! 俺はまだ満足してねぇぞ!」
「うるせぇな。今日はもう終わりだよ。見ろ、これ以上やったら死んじまう」
数時間後、飼育員達に引きずられながら少年が戻って来た。
赤黒く腫れた顔や体、全身から滴る血流……生きているのが不思議な程、悲惨な姿で。
『いつもの時間』とは、体質を調べる為に行う『拷問』。
4歳半の幼児に、全く情けを掛ける事無く、非情な行為を毎日繰り返していたのだ。
「俺はこのゴミのせいで、閣下に吹き飛ばされたんだぞ!」
「そりゃ、お前が訳の分かんねぇ事言うからだろうよ」
「順番が違ってたからお前もこうだったんだぞ! 痛ぇったら無ぇよ!」
「まぁまぁ、今日は俺が奢ってやるから。機嫌直せよ、なっ?」
少年を牢屋に放り投げ、しっかりと施錠し、その場を後にした飼育員達。
静寂が訪れた地下牢だが、『いつもの時間』が終わった少年は、ピクリとも動かない……いや、動けないのだ。
「……う……あ……あぁ……」
中には他の奴隷達も居るが、少年に関わろうとはしない。
余計な事をすれば、何をされるか分からないからだ。
血まみれで虫の息になっている少年を、只々見つめているだけ。
しかし――
「もう大丈夫。ごめんね……ごめんね」
少年の側に座り込んだ、1人の美しい女の奴隷。
優しく少年を抱き上げると、徐に自分の手首に歯を当てる。
そして、噛み跡から溢れる血を、少年の口の中へ流し込んでいくのだ。
「元気になるからね」
全く動けない少年に、ゆっくりと女の血が染み渡っていく。
すると、ボロボロの体が奇妙に震え始めたではないか。
焼け付く様な音と共に見る見る傷が塞がり、折れた骨が再生していく。
「うぅ……あり、が……」
そこまで言い掛け、プツリと意識を失った少年。
女は愛おしそうに幼顔を見つめ、牢屋内に山積みになっている毛布を手に取った。
傷が無くなった少年の顔から、丁寧に血を拭き取る。
「もう、大丈夫……大丈夫」
縦に割れた金色の瞳孔と真っ黒な瞳に、燃える様な紅い髪を持つ、見目麗しい『魔族』。
この女こそ、男達の予想に反した特異体質の正体。
8番奴隷街の頃から少年を護る、その血に癒しの力を宿した稀有な存在である。
飼育員は勿論、ドクでさえその事に気付いてはいない。
少年が入れられている牢は『愛玩用』であり、『特殊品用』では無い。
それは、女が少年を我が子の様に可愛がる事に由来している。
幼い少年の面倒を率先して見る女は、飼育員達にとって都合が良かったのだ。
しかも、この城は『高級品』を扱うだけあって、『愛玩用』であっても奴隷街と比べると破格の待遇が約束されている。
量は少ないが、毎日3度の食事が出され、2〜3日毎に水浴びが許される。
牢屋内は清潔に保たれ、奴隷達はその中では自由に過ごす事が出来たのだ。
「大丈夫……大丈夫」
壁際に移った女は、腕の中で寝息を立てる少年の髪を撫でる。
そして、優しい微笑み浮かべながら、いつまでもいつまでも見つめていた。
▽▼▽
半年後――
「おらぁ! 手間掛けさせんじゃねぇ!」
いつもの様に引きずり出そうとする飼育員と、それに抗う少年と女。
漆黒の髪を鷲掴みながら、飼育員が苛立ちを募らせる。
「クソ……閣下の命令が無きゃこの場で殴り倒してやるのによぉ!」
女は高級品、傷を付ける事は許されない。
しかし、今日は一段と抵抗が激しく、少年の手を掴んで離さないのだ。
すると、久し振りに感情の無い声が聞こえて来た。
「止めろ。お客様がお見えだ」
飼育員が急いで敬礼した為、解放された少年。
直ぐ様その体を抱き寄せた女は、ギュッと両腕で包み込む。
「ほっほー! これが噂の奴隷ですな。素晴らしいぃ!」
「左様で御座います。商品の中でも特に珍しい『魔族』にございます」
脂ぎった額に汗を光らせ、女に舐める様な視線を送る客。
男は相変わらず無表情のまま、淡々と説明する。
「あの子供も魔族ですかな?」
「いえ、商品同士に血縁関係は御座いません。只、魔族の方が異様に執着を見せていまして。此方としても手間が減るので、面倒を見させているのですよ」
「ほっほ〜! 良いですなぁ……実に良い! よし、子供も共に買いましょう! 女の前で殺せば……素晴らしい反応を見せてくれる事でしょうな!」
恥ずかしげも無く、客は下劣な思惑を高らかに語る。
しかし、男としてもこれは願ってもない話だった。
半年経っても、依然『特異体質』は解明されない。
そろそろ廃棄したいと考えていた所だ。
「では、2つ買取という事で勉強させて頂きます。お届けは何方に?」
「此処にお願いしますよ。私の『別荘』がありますので。今夜中にお願い出来ますかな?」
「かしこまりました。では、彼方で最終的な値段をお伝えしましょう」
客は嬉々として渡して来た紙は、別荘までの地図。
男はそれを受け取ると、飼育員達に渡した。
「くれぐれも魔族に傷を付けぬ様に。直ぐに出発しろ」
「「はっ!」」
買い取られた商品を馬車に積み込む為、飼育員達は厩へ向かった。




