第49話 父、必ず灯す
「ちょっと待っててくれよ」
ギギの案内で地下へ降りて来たラディオ。
螺旋階段の先で待っていたのは、黒光りした大きな扉だった。
取手の類は見当たらず、継ぎ目も無い。
だが、小さな六角形の幾何学模様を描いた扉は、ひたすらに美しかった。
「これは、魔石……なのか?」
「全て『特別蓄積型魔石』だが、普通の魔石とはもはや全く別次元の物と言っていいな。俺は、『魔鋼』と呼んでる。見ててくれ」
ギギはニヤリと笑うと、扉の中央に手をかざし魔力を込めた。
すると、小さな六角形が等間隔で凹凸を作り出し、手の周囲を形どっていく。
完全な手形が形成されると、ギギはボタンの要領で扉に押し込んだ。
瞬間、扉全体に光が走り、大きな音を立てながら観音開きの様に奥へ開いていく。
誇らしげな顔を見せるギギに続いて、部屋に足を踏み入れたラディオ。
「……言葉が無いな」
「だっはっはっ! ちょっとしたモンだろ?」
扉が閉まると、壁際の松明に自動で火が灯される。
視界が明るくなり、見えてきたのは壁から床に至るまで、全て『魔鋼』で造られた正方形の空間。
その中央には一対の台座が置かれ、その上には一切淀みのない完璧な球体が鎮座している。
しかし、何より目を引いたのは『高炉』だった。
「これが、『特別蓄積型魔石』改め『魔鋼』で造った最強の高炉、『アマツマラ』だぜ!」
「……美しい」
奥の壁から浮き出る様に造られた、巨大な高炉『アマツマラ』。
流れる様な漆黒の長髪と、片目が隠された端正な顔立ちをした神の彫刻。
天井を支える様に広げられた両腕と、床から生える様に口を開ける高炉が、アマツマラの腹部分に収まっている。
完璧な調和の元に造られた芸術品だった。
「……本当に美しいな」
「おうよ! 俺の最高傑作だからな! これがあれば、『魔王の角』だって加工してやらぁな!」
ラディオは芸術や工芸に詳しく無い。
寧ろ疎い方である。
だが、アマツマラから発せれらる神秘的なオーラに、自然と身が引き締まる。
彫刻という言葉では収まり切らず、1人の神と対峙している様な、そんな厳かな空気をラディオは感じていた。
「兄貴、こっちに来てくれ!」
アマツマラに魅入っていると、ギギが手招きして来た。
部屋の中央にある台座を指差し、熱のこもった様子で説明を始める。
「この球体も、勿論『魔鋼』だ。この2つの球体に魔力を流し込み、高炉に点火する仕組みになってんだよ」
球体を愛おしそうに撫でながら、ギギは説明を続ける。
「『魔王の角』を加工するなんて芸当は普通じゃ無理だ。だがな、俺のアマツマラなら超高濃度で圧縮された魔力にも耐えられる。その為に『魔鋼』を開発したっつー訳だ!」
『魔鋼』とは、ギギが開発した『蓄積型魔石』をより高度に発展させたもの。
その性質は、『蓄積』と『圧縮』である。
普通の蓄積型魔石は、その名の通り魔力を溜めていくだけ。
だが、『魔鋼』は『圧縮』という性質によって、溜めた魔力をより高濃度・高密度に変換する事が出来るのだ。
「それが魔鋼の力、それではまるで……」
「そうだ。だが、オリジナルに程遠い事は否定しねぇ。圧縮を使っても、アマツマラに完璧な炎を灯すには膨大な量の魔力と、元々違う質の魔力が必要なんだよ」
『魔鋼』を製作するにあたって、ギギには参考にした人物が居た。
その者はごく少量の魔力でも、圧縮を行う事が出来てしまう。
例えば、常人が魔法を放つのに10の魔力を使えば、それは10相当の威力となる。
20相当の威力にしたければ、もう10魔力を継ぎ足すのだ。
だが、その人物は違う。
20相当の魔力を使った場合、足し算ではなく乗算になる。
使う魔力は常人と同じ20だが、威力は20ではなく10×10の100相当に跳ね上がるのだ。
これが『圧縮』であり、この力を使える者は現在世界に1人しか居ない。
「『魔王の角』を加工するなら、完璧な『虹の炎』が必要不可欠だ。俺の魔力では『蒼の炎』がせいぜいだが……」
「成る程……この場には私が居る。準備とはこの事か」
「その通りだぜ!」
悔しそうに頭を掻いたが、直ぐに笑顔を見せたギギ。
アマツマラの能力を最大限に発揮する為に必要なのは『四王』の力。
『魔王』、『霊王』、『神王』そして『竜王』の力だ。
普通なら適任者を探すだけでも困難だが……今この場には『竜王』の加護を授かりし男が居る。
「へんくつハイエルフでも『紫の炎』だったからな。まぁ何の加護もねぇアイツにゃあ、土台無理な話だがよ。だが兄貴なら、『虹の炎』までいける筈だぜ!」
「どうすれば良い?」
「この球体を握って、思いっきり魔力を込めてくれ! そうだ……無理だけはしねぇでくれよ」
説明に熱が入っていたギギは、ふとエルディンの手紙を思い出した。
群青色の瞳に心配を滲ませ、『しまった』という顔を見せている。
だが、静かに微笑み、しっかりと頷いたラディオ。
両手で球体を握り締め、瞼を閉じて精神を集中させると――
「《五色竜身・紫 》」
全身から紫色のオーラが溢れ出したのだ。
空間を埋め尽くす魔力の波が球体に注がれ、台座から床を伝って高炉へ流れ込んでいく。
すると、『紅の炎』が灯ったと同時に、『蒼の炎』へ色を変える。
《五色竜身・紫》は魔力の質を変える力。
ラディオが持つ人族としての魔力を、竜族の魔力へと変換する力である。
その効果は絶大で、魔力を使う全ての動作の性能が段違いに跳ね上がるのだ。
本来は《五色竜身》の他の色と同時に使うものだが、現在のラディオは殆ど使用しない。
何故なら、この力は体への負担が尋常では無いのだ。
10年以上前なら耐えられたが、今のラディオではかなり難しい。
故に、《五色竜身・紫》の完全開放はサニアによって禁じられている。
それはひとえに、愛する息子の命を護る為に。
(……まだだ)
一層の魔力を込めるラディオ。
すると、『紫の炎』が灯り、徐々に『白の炎』へと変化していく。
それを見たギギは感嘆の声を上げるが、ラディオは険しい顔のまま。
(……駄目か)
その時、ラディオは全身に力を込めた。
後ろで見ているギギに、体の震えを悟られない為に。
口の中を、鉄分の味が覆い尽くしている事も隠しながら。
しかし、このままでは到底『虹の炎』になどなりはしない。
ラディオはそっと瞼を閉じる。
(サニア様、言い付けを再び破る事を……お赦しください)
ラディオは自分の中へ全意識を集中させた。
最愛の娘の笑顔を想い浮かべ、父として全力を出すと決めた事を、改めてその身に刻み込む。
すると、溢れ出る魔力の質が変化していく。
「これは……兄貴!?」
当然、ギギもその事に気付き、ラディオの横に駆け寄ろうとした。
だが、余りの凄まじさに最後の1歩が届かない。
「兄貴! 駄目だ……それ以上はやっちゃいけねぇ!!」
ギギはどうにかして止めに入ろうとするが、どんどん膨れ上がる魔力の波によって、少しずつ後ろへ押し戻されてしまう。
すると、ラディオが此方を振り返り、静かに語り出した。
その口から、止めどなく血を溢れさせながら。
「ギギ、元より半端な覚悟では無理だったんだ」
「ぐぅぅ! 兄貴ぃぃ! それ以上削っちゃいけねぇぇ!!」
「良いんだ。それに、娘の為に全力を出せぬ父親など……格好悪いだろう?」
「格好悪いって……何言ってんだ! 死んじまったら元も子もねぇんだぞぉぉ!!」
「私は死なないさ……まだ、な。やるべき事を成すまで、何もしても、どんな事をしても……『生きる事を諦めはしない』よ」
「兄貴ぃぃぃぃ!! 何でもいいから止めてくれぇぇぇぇ!!」
「炎は、私が必ず灯す。だから、約束してくれ……君も、必ず加工をやり遂げると」
「駄目だっ! 兄貴が止めないんだったら約束はしねぇぞ!」
「頼む。娘の為に……格好をつけさせてくれ」
「――!! 兄貴……!」
覚悟の前に、ギギはもう何も言う事が出来ない。
零れ落ちる涙で髭を濡らしながら、無言で頷くしかなかったのだ。
ラディオは本当に嬉しそうに微笑むと、小さな声で『有難う』と呟いた。
高炉に向き直り、真剣な眼差しとなって――
「《五色竜身・天紫 》……はぁぁぁぁ――!!」
ラディオの瞳が鮮やかな紫色に染まっていくと同時に、体を締め付ける様に青紫の血管が浮かび上がり、胎動を始めた。
そして、超高濃度の魔力に包まれ黒く変色する両手、口から止めどなく溢れ出す血。
限界などとうに超えている事は、火を見るよりも明らか。
だが、ラディオは魔力を爆発させ続ける。
弩轟ッッッッッ――!!
すると、『白の炎』が見る見る内に虹色へとその姿を変えていく。
瞬間、項垂れていた頭を上げたギギ。
爆心地の様な力の波動を感じ、その勇姿を刻み込みたいと本能が訴えたのだ。
「これが……スゲェ……! スゲェよ兄貴! 成功だ!」
ラディオに駆け寄り、瞳を輝かせながら高炉に――煌々と燃え盛る『虹の炎』が灯るアマツマラに魅入るギギ。
しかし、直ぐに異変に気付く。
何故、ラディオの横に立っているのか。
ついさっきまで、近寄る事すら出来なかった筈なのに。
「兄、貴……兄貴ぃぃぃぃ!!」
そう、魔力の波動はもう消えていた……同時に、ラディオの意識も。
球体を握っていた手が緩み、異様な姿となった体がゆっくりと倒れ込む。
「兄貴っ! 兄貴ぃぃ! くっ……絶対に死ぬんじゃねぇぞ!!」
地面に衝突する寸での所でラディオを受け止めたギギは、そのまま肩に担いで急いで外に出た。
その時、トリーチェと鉢合わせしたのである。
ギルドに到着すると、丁度迷宮に潜ろうとしていたカリシャと遭遇した。
ラディオの姿を見てカリシャも取り乱してしまいそうになるが、ここでトリーチェが動いた。
『直ぐにレミアナ殿を呼んで来てくれ。主殿は……自分達が助けるから!』
こうして、カリシャは教会へ、ギギ達はラディオの自宅へ向かったのであった。
▽▼▽
「……ギギさん、聞きたい事があります」
話し終えた余韻が静寂となる中、レミアナが口を開いた。
素材の正体や、ラディオに関するエルディンの予想等を意図的に隠しながら語ったギギ。
それでも話の筋は通る様にしたが、やはりレミアナは誤魔化せなかった。
「ラディオ様は、どうしてああなってしまったのですか? 生誕祭であれだけの戦闘を行った人が………ううん、いつでも誰よりも強かったラディオ様が、魔力を込めただけで……ああなりますか?」
レミアナの悲痛な声に、ギギは思わず顔を背ける。
「それは……何だ、その……」
「恐らく、『魔界』での戦闘に起因しているのじゃろう」
口籠るギギの横で、サニアが穏やかに語り掛けた。
レミアナは少しの間ギギを見つめていたが、ゆっくりとサニアの方を向く。
「……良く、分かりません」
「妾にも詳しい事は分からぬ。魔界からアルラン村に帰還した時、あの子はその時の『記憶』を失っていたのじゃ。しかしな、『魔王』との戦闘は熾烈を極めたに違いない。その影響で、昔より弱っている事は……認めざるをえない事実じゃ」
10年前、ラディオの身に何が起きたのか、どうやってグレナダが産まれて来たのか。
サニアは全てを知っている。
だが、それ故に今は嘘を吐いた。
「……分かりません。私は、私は……ラディオ様の事を……何も分かってあげられません……!」
愛しい人が抱えているものを分かち合えない……その事実が、雫となってレミアナの頬を濡らす。
ラディオが心配を掛けまいとしている事は分かる。
だが、レミアナはそれが寂しかった。
そして何より、何かが壊れてしまいそうで、何も聞けない自分の臆病さが悔しかった。
しかし、サニアは穏やかに微笑みを浮かべる。
「レミアナ、其方は勘違いをしておる。こんなにも息子の事を想い、理解してくれる者が現れるとは思っていなかった。妾はな、心底感謝しているのじゃ」
レミアナをそっと抱き寄せ、頭を撫でながら大きな胸で包み込むサニア。
「……どういう、意味でしょうか?」
「ラディオはな、其方に甘えているのじゃ。無意識にではあるが、これは凄い事なんじゃぞ? 妾にさえ、甘えてきたのは最初だけじゃった。『死ぬ事を厭わない』と考える様になってからは……特にな」
「ラディオ様が……私に……?」
「そうじゃ! 其方が居るから、ラディオは限界を超えようと思ったのじゃ。レナンを愛してくれる其方が……其方達が居るからこそ、ラディオは『無茶が出来た』のじゃ。あの子が『自分の命』を人に預ける等、何十年振りじゃろうか」
サニアは本当に嬉しそうに微笑み、リビングにいる一同を見渡した。
しかし、レミアナはその笑顔を見ても、まだピンと来る物がない。
その時、大きな低い声がリビングに響き渡った。
「……そうか! 兄貴が俺を頼ったんだ! うぉぉぉぉ! 嬉しいぜぇぇぇぇ!」
「……意味が分かりません」
「何で分かんないだレミ坊っ! いいか、あの兄貴が! 完全無欠最強無敵で、俺達を『護る事しか』考えなかった兄貴が! 俺達に『護ってもらおう』としたんだよ! 俺やお前さんや、ここに居る全員を『信頼』して、『自分の命』を預けたんだよっ! 『生きる事を諦めない』……そういう事かよ兄貴ぃぃ!!」
ギギの言葉に、レミアナも漸く気付いた。
ラディオの心境の変化に。
サニアを見ると、嬉しそうに頷いている。
「その通りじゃ。ラディオはな、ギギが必ず迷宮から連れ出してくれると『信頼』したのじゃ。そして、妾が必ず自分をどうにかしてくれると『信頼』したのじゃ。トリーチェが其方達を呼び寄せ、もし万が一があったとしても、レナンは大丈夫だと……其方を『信頼』したのじゃ」
「うぅ……ラディオ様は、勝手です……! そんなの……うぅ……言ってくれなきゃ、分からないじゃないですかぁ……!」
「そうじゃな。今回のラディオの行動は、我儘で身勝手極まりない。じゃが、『我儘』とは『絶対的な信頼』の元で起こす行動じゃ。それはもう、あの子の最大の『愛情表現』であると思うぞ」
「ぐすっ……ラディオ様、の……! うわぁぁぁぁん!」
心の中で渦巻いていた不安がゆっくりと溶け出し、涙に形を変えていく。
すると、サニアが一層強く抱き締めてくれた。
ラディオと同じ匂いに包まれ、レミアナの泣き声はどんどん大きくなっていく。
「うわぁぁぁぁん! うわぁぁぁぁん! ラディオ様の馬鹿ぁぁ! うわぁぁぁぁん!」
(ラディオ……其方は本当に幸せ者じゃ)
息子の変化を喜びつつも、言葉足らぬ性格に困った様な笑みを浮かべるサニア。
(消え行く運命と思うならばこそ、残される者にしかと寄り添わなければならぬのじゃ。それにな、告げぬ事は愛ではない。別れが来ようとも……精一杯『記憶』を遺してやる事が、『真の愛』なのじゃ)
次第に落ち着いていく一同を眺めながら、想いに耽っていたサニア。
その時、何やら閃きが走った。
「ギギは知っている事じゃが、其方達に1つ昔話をしようと思う。妾とラディオの出逢いの話じゃ。聞きたいか?」
「ぜ、是非っ!」
レミアナの即答につられて、トリーチェ達もブンブンと首を縦に振る。
「じゃがな、妾と出逢う前の話は壮絶じゃ。特にカリシャ、其方にとっては辛い過去を思い出させる事になるじゃろう」
「う……で、でも……聞く、ます。ラディオ、様……知りたい……から」
少し体を強張らせたカリシャだったが、力強く頷いて見せた。
それを見たサニアも、満足気に頷き返す。
「それとな、お願いが2つある。1つは、これを聞いてもラディオを憐れむ様な事はしないで欲しいのじゃ。今まで通り接してくれ」
「勿論です! 私は、どんな過去があろうとラディオ様を心から愛しています!」
「僕、も……大す、き……です」
「じ、じ、自分も愛……おおお慕いしておりますッッ!!」
「俺はいつだって兄貴の弟分だからよっ!」
「あっはっはっは! そうかそうか。心配無用じゃったな! もう1つは……話終わった後にお願いするとしよう」
幸せそうに笑い声を上げるサニア。
息子を慕う者達の顔を嬉しそうに見つめながら、ラディオの幼き日を語り始める。




