第48話 父、もう大丈夫
「本当に知ってるんだよな?」
「大丈夫、リィが嘘ついた事なんて無いでしょ?」
「僕、大神官長様に会うの初めてだよ。うぅ〜……緊張してきちゃった」
「遠目から見ただけっスけど、スッゴい綺麗な人っスよね〜」
夕暮れ時の大広場で、賑やかに話し合う子供達。
昼過ぎにギルドの治癒室で目覚めたレンカイは、直ぐ様教会へ向かおうとした。
だが、『レミアナ様はお仕事があるから』と、リータに止められたのだ。
確かに、仕事の邪魔をしてはいけない。
それに朝から迷宮に潜っていた為、先ずは遅めの昼食を取る事にした子供達。
その後は、ブラブラとバザールで時間を潰す。
日が沈み始めた頃、リータからやっとGOサインが出たと言う訳だ。
「なぁ、大神官長、様は師匠の事教えてくれるかな? ほら……俺だし」
大広場から中段へ早足に向かいながら、少し不安気に問い掛けるレンカイ。
しかし、リータはニコッと微笑み、少年の両肩に手を置いて押し始めた。
「心配無いよ。レミアナ様は差別なんてしないもん。それに、『旦那様』の事が本当に本当に大好きだから、喜んで教えてくれるよ〜♡」
「そっか……なら安心だな! おっとっと! そんなに押すなよ〜」
満開の笑顔に安心したレンカイも、同じ様に微笑み返した。
その後ろでは、緊張した面持ちのクレインを、ロクサーナが嬉々としてからかっている。
すると、レンカイがぐるっと振り返り、クレインに話し掛けた。
「そう言えばさ、大神官長、様って『英雄の一行』なんだよな?」
「そうそう。『王国の英雄』である王太子妃様と一緒に魔王を討伐したんだよね。うぅ〜……もっと緊張してきちゃったよ〜」
「はぁ〜。強くて綺麗なんて完璧っスね〜」
「レミアナ様は本当にスゴい人なんだよ。誰にでも優しくて、この前の『きょーだん』の時も、この街を守ってくれたんだから。リィも大きくなったら、レミアナ様みたいになりたいなぁ〜♡」
子供達が生まれたのは、魔王が討伐された後。
魔王軍との戦いも、三英雄達の活躍も、『深淵教団』の存在も、話でしか知らない世代である。
「じゃあ、リータは将来の大神官長、様か。それなら俺は……師匠を超える男になるぜ!」
「僕は【翡翠の魔剣士】様がいいなぁ。『魔導師』になりたいんだ!」
「あたしは断然『職人』っス! もっともっと強くカッコ良くなって、神器すら超える物を作って見せるっスよ〜」
思い思いに夢を語りながら歩いていると、教会が見えて来た。
だが、何やら様子がおかしい。
遠目からでも慌ただしさが伝わってくるし、風に乗って喧騒も聞こえてくる。
すると、白い何かが物凄い勢いで此方に走って来ているのが見えた。
「なぁ、あれって……大神官長、様か?」
「ん〜、間違いないっスね! あの流れる様なプラチナブロンドの髪を見るっス」
「うわわ……何話せばいいんだよ〜」
「『旦那様』に会いに行く時は、いつも全速力なの。大好きな人に早く会いたい……レミアナ様の気持ち分かるなぁ♡」
普段凛としているレミアナが見せる乙女らしさに、リータは更に憧れを募らせる。
優しく、強く、可憐で慈愛に満ち溢れた存在。
幼い少女の瞳に、完璧な理想像として映るのも頷ける。
何故なら、リータは『教会内でのレミアナ』しか知らないのだから。
胸の前で手を組んで陶酔しきっているリータには、少年の呼び声も聞こえない。
「――タ! リータっっ!」
「……ふぇ? あっ! ごめんごめん。どうしたの?」
「後ろに誰かいるけど?」
「えぇ〜? あぁ、あれはカリシャ様。レミアナ様のお友達で、教会に住み込んでお手伝いしてくれる人だよ」
「ふ〜ん……あ! 俺達も大神官長に着いていけば、師匠に会えるよな? だから夕方まで待たせたんだよな!?」
「そういう事っ♡ でも、まずはレミアナ様に許可を頂いてからだよ? はい、皆〜! 失礼のない様に並んで並んで〜」
仲間を横一列に並べ、ローブの汚れをパンパンと手で落とす。
レミアナはもう目の前だ。
ニコッと笑顔を浮かべ、深々とお辞儀をするリータ。
程良いタイミングで顔を上げ、挨拶を交わそうとするが――
「大神官長! 様! 師匠の事を教えてくれ!」
待ち切れなかったレンカイが割って入ってしまった。
「ちょっとレン!? レミアナ様、申し訳ありません! この子は少し……レミアナ様?」
急いでリータが謝罪をしたが、レミアナ達は立ち止まりもせず走っていってしまった。
すると、レンカイが眉根を寄せて怒り始める。
「何だよっ! やっぱり……俺みたいな奴とは話したくないっていうのかよ!」
「……そうじゃないよ、レン」
「あ〜ぁ、ギルドで聞いとけば良かったなぁ。大神官長なんて全然当てにな――」
「レンっ!! それ以上レミアナ様を悪く言ったら許さないんだからっ!」
ぶつくさと文句を言っていたレンカイは、唐突に放たれた大きな声に押し黙る。
見ると、涙を一杯に溜め、リータが体を震わせているのだ。
「な、何だよ……そんなに怒る事ないだろ」
「レンは何処を見てたの! 普通じゃないって分からないの!?」
「……どういう意味だよ」
「レミアナ様……泣いてたんだよ?」
「えっ……」
「カリシャって人も、目真っ赤だったっス」
「うん、それに……凄く辛そうな顔してた」
「そんな……」
夕暮れの下、子供達に嫌な沈黙が流れるのであった。
▽▼▽
その頃、ラディオの家では――
「どうして……くそっ……くそっ……」
小声でブツブツ言いながら、寝室の扉の前を右往左往するトリーチェ。
ラディオを自宅に運び込んでから、数時間が経過している。
サニアに任せれば大丈夫……分かっていても、不安が拭い切れない。
「少し落ち着け、金時計。焦った所で何も変わりゃしねぇ」
リビングのソファーに座り、窓の外を見つめながらトリーチェを諭すギギ。
だが、その足は絶え間無く揺れ、組んだ腕を指でしきりに叩いている。
険しい顔のまま、大きな溜息を吐いたその時――
「ラディオ様っっ!」
玄関が勢い良く開き、悲痛な面持ちのレミアナが駆け込んで来た。
切れた息、汗が滴る肌。
少しも休む事無く、教会から全速力で走ってきたのだ。
美しいスカイブルーの瞳を、溢れる涙で濡らしながら。
「……自分が付いていな――」
「ラディオ様は!? ラディオ様はどこ!?」
トリーチェを見るや否や、即座に詰め寄るレミアナ。
その余りの剣幕は、思わずたじろいでしまう程。
少し遅れてやって来たカリシャが一生懸命剥がそうとするが、レミアナはテコでも動かない。
トリーチェの肩をギュッと掴み、震える声で問いただす。
「ラディオ様は! 何処に居るの! どうなったの!? トリーチェ!!」
「自分にも、どういう事なのか……」
「何で!? だって、一緒に居たんでしょ! 何で! 何で! 何――」
「お前も落ち着け、レミ坊」
リビングから聞こえて来た声に、ハッとしたレミアナ。
見ると、懐かしい顔が座っている。
ゆっくりとギギの元へ近付いてったレミアナは、眼前まで来ると膝から崩れ落ちてしまった。
「ギギ、さん……私、私……!」
「俺と同じぐらいだったのに……大きくなったな。大丈夫、兄貴は……大丈夫だ」
「ひぐっ……ラディオ様……ラディオ様ぁ……!」
旧友の膝の上に覆い被さり、声を押し殺しながら体を震わせる。
すると、頭に乗せられた大きな手が、優しく撫でてくれた。
その温かさが、より一層涙を溢れさせる。
その時――
「皆集まってくれたのじゃな……此方に来い」
寝室の扉が開き、サニアが手招きした。
直ぐに駆け寄った一同。
しかし、部屋に入った瞬間、レミアナの顔が一層悲しみに歪む。
「ぐすっ……ラディオ様ぁ……うぅ……」
両手で口を覆って必死に泣き声を抑えるが、止めどなく流れる涙がそれを許さない。
横にいたカリシャの肩にうな垂れ、立っている事すらままならない程に。
「………………」
ラディオは意識が無かった。
まるで、永遠の眠りについているかの様に。
身体中に浮かび上がる青紫の血管、真っ黒に変色した両手は異様そのもの。
サニアによって虹色の膜に包まれ、その中をゆっくりと竜のオーラが旋回していなければ、到底生きているとは思えない。
「……ひぐっ……ち、ち……ぐすっ……」
腹の上では、泣き疲れたグレナダがうつ伏せで寝ていた。
小さな手でラディオの胸を握り締め、頬に涙の跡を残して。
どれだけ涙を流し、どれだけ恐怖を感じ、どれだけ辛かったのだろう。
それを想うと、レミアナから余計に涙が溢れ出るのだ。
「うぅ……どう、して……ラディオ様……」
その時、サニアの手が頭に置かれたのを感じた。
「見た目は確かに悪い……じゃが、時期に目を覚ますじゃろう」
「目を、覚ます……?」
「うむ、峠は越えた。数日は安静じゃが……ラディオはもう大丈夫じゃ!」
「うぅ……ぐすっ……ラディオ、様ぁ……」
目尻の涙を拭いながら、ニコッと微笑んだサニア。
それを見た瞬間、教会からずっと張り詰めていた気持ちが、解かれていく。
ゆっくりと床に座り込み、瞳から溢れ出る雫が頬を伝うと、もう我慢出来なかった。
「うわぁぁぁぁぁぁん! 良か……良か、たぁ……! うわぁぁぁぁぁぁん!!」
子供の様に大きな声を上げて泣き噦るレミアナ。
すると、カリシャとトリーチェが抱き締めてくれた。
同じ様に安堵の涙を流しながら、精一杯の力を込めて。
「うぉぉぉぉぉぉ! 兄貴ぃぃぃぃぃぃ!!」
その後ろでも、滝の様な涙を流しながら、ギギが豪快に泣き声を上げる。
サニアは静かに微笑みながら、一同に部屋から出る様促した。
「ほれほれ、そんなに大きな声を出してはレナンが起きてしまう。ラディオが目を覚ますまで、寝かせてやりたいのじゃ。彼方の部屋に移るぞ」
リビングへ移った一同は、落ち着くまで暫しの時間を要した。
『ラディオはもう大丈夫』、この言葉にどれだけ救われただろう。
段々声も収まって来た頃、サニアがゆっくりと口を開いた。
「もし、この場に妾が居なければ……ラディオは死んでいたじゃろう」
「え……そん、な……うえ〜〜ん……!」
放たれた言葉に衝撃が走る。
落ち着いてきていたレミアナの頬を、新たな雫が伝ってしまった。
サニアは申し訳無く微笑みながら、レミアナを優しく抱き締める。
「おぉ、すまんな。怖がらせるつもりで言ったのではないのじゃ。只、それ程危険な状態であったという事、そして何故その様な事をしてしまったのか、という事を説明したかったのじゃ」
「ど、どういう……事、ですか?」
必死に泣き声を抑えながら、レミアナが問い掛ける。
すると、サニアは慎重に言葉を選びながら語り始めた。
「先ずあの子の状態についてじゃが、あれは『反動』によるものじゃ。妾が禁じ手とした力を使ったが故。ラディオは言い付けを破る様な子ではない……普段なら、じゃがな」
サニアは困った様な笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「あの子はな、自己の命に対する思いが……少々希薄な所があるのじゃ。粗末にしている訳ではないが……愛する者の為なら、その命を捨てる事を微塵も躊躇しないのじゃ。それは困った事に、妾の言い付けを破ってでもな」
変わらず微笑むサニアだが、その瞳に少しの悲しさを滲ませている。
その時、徐に跪いたトリーチェが口を開いた。
「恐れながら、竜王様に申し上げます。主殿は……主殿は、今はそう考えていないと思います」
「……詳しく教えてくれるか?」
20階層で出会い、助けた少年達の事を語るトリーチェ。
31階層で聞いたラディオの想い。
『生きる事を諦めない』と聞いた時、心が揺さぶられたと言っていた事を。
話を聞き終わったサニアは、少し驚きの表情を見せた。
「そうか。あの子が……そんな事を」
すると、同じ様に跪いたギギ。
トリーチェの話を聞いて、納得した様な顔をしている。
「それについては、俺からも言いてぇ事があります。兄貴が何でサニア様の言い付けを破ったのかって事も。俺が……兄貴があんなになるまで止められなかった事も含めて」
「妾には、あの状態になった原因はわかっておる。じゃが、考えていた理由とは少し違う様じゃ。それに、レミアナ達にも説明する義務があるじゃろう……話してくれ」
ギギはしっかりとした眼差しで頷くと、工房での出来事を語り始めた。




