第47話 父、どうしても
(ま、ま、また物凄い人にああ会ってしまったぁぁ……)
トリーチェの驚愕も冷めやらぬままに、工房の2階に通された2人。
其処は広々としたワンフロア型で、ギギの自室となっている。
外壁と工房部分は石造りだが、この部屋はその上から木材を使い、ログハウスの様になっていた。
「ちぃと散らかってるが、寛いでくれ!」
【親方】ジギヴロこと、【移動要塞】ギギ・ターオンシード。
腹まで伸びた群青色の長髪、同色の瞳と3本の三つ編みを織り込んだ髭。
ラディオの倍はあろうかという太い腕と、筋肉の上に脂肪を乗せた強靭な太鼓腹。
背丈は140cm程だが、堂々した風格に満ちていた。
「すまないな……これは」
「き、恐縮で――はぅわ〜♡」
ギギの指差したソファーに腰を下したラディオ達は、同時に頬を緩ませた。
その座り心地は正に極上。
背面全てに吸い付く様なフィット感は、座っているだけで疲労が取れてしまいそうだった。
更に、目の前にある4本足のテーブルも素晴らしいの一言。
磨き上げられた各部位は、素材となった木のうねりを存分に活かしつつ、完璧なバランスを取っているのだ。
支える足にも細かな彫刻が施されており、とても美しい。
「これも君の手作りだろう?」
「売り物にならんやつを置いてるだけよ。粗が目立つだろ?」
ラディオの問い掛けに、ギギは首を振って答えた。
製作者としては、市場に出せるレベルではないらしい。
「……変わらないな」
(こここれが売り物にならないッ!?)
変わらぬ拘りを見せる旧友に微笑みを浮かべるラディオ。
一方、隣にいる元お姫様は、眼球が飛び出る程驚いた顔をしていた。
『このテーブルに粗なんてあるのか……』、そんな事を思っていると、ラディオの言葉が脳内を反芻する。
(あれ……これ『も』?)
「街道も見せて貰ったよ。更に腕を上げたな」
「おぉ! あの舗装に気付くのはドワーフか、兄貴ぐらいのもんだぜ〜!」
頬を目一杯上げて、喜びを露わにしたギギ。
トリーチェには、至って普通の道だったのだが。
「あ、あの、主殿……説明をおおお願いしても……宜しいですか?」
「あの街道には、微細に砕いた魔石が何重にも織り交ぜてある。恐らくは、磨耗を減少させる為だろうね」
「おうよ! 幾ら歩いても道が減らねぇから、何時でも快適に歩けちまうって寸法だ」
しゃがみ込んでいた理由が分かり、余計に目を丸くするトリーチェ。
しかし、マニアックな話題に花を咲かせてる2人について行けず、出されたお茶を黙って啜ることしか出来ない。
「親方、これ」
そこへ助け舟がやって来る。
先程の巨漢が、盆に酒とツマミを乗せて運んで来てくれたのだ。
「おうおう、ありがとな」
「あっ、親方の知り合いって知らなかったから。さっきはすまなかった」
ペコリと頭を下げた巨漢。
ラディオは和かな笑顔で対応したが――
パコーーンッ!
ハエ叩きの様に鋭いギギの一撃が、巨漢の頭に飛来した。
「……痛ぇ」
「馬鹿野郎っ! 『すみませんでした』だろーが! 兄貴に向かって何て口の利き方しやがる!」
むすっとした顔を更にぶすっとさせ、頭を摩る巨漢。
それを見たギギが、もう1発かましそうな気配を出したので、ラディオが止めに入った。
「ギギ、彼は誠意を持って対応をしてくれた。私達の為に、わざわざ仕事を中断してまで言伝を届けてくれたんだ。君の教育方針に口を出す気はないが……今日の所は勘弁してやってくれないか」
困った様な笑みを浮かべるラディオ。
それを見たギギは、髭を撫で付け、バツの悪い顔になってしまった。
「うぅむ……兄貴が、そう言うんなら」
「有難う」
もう1度ラディオに頭を下げてから、巨漢は階段を降りていく。
「私の我儘に付き合わせてすまなかった」
「おい、兄貴! やめてくれ! むむむ……今日は飲むぞ!」
今度はラディオに頭を下げられてしまい、あたふたするギギ。
置かれたボトルの1本を掴み、物凄い勢いで喉に流し込んでいく。
自分の行いで頭を下げさせた事が、余程堪えたのだろう。
酒とは別の理由で、既に顔は真っ赤に染まっている。
だが、ラディオはそんな嘗ての仲間を嬉しそうに見つめていた。
(ぶっきらぼうだが、誠実で良い目をしている……出逢った頃の君にそっくりだよ。『監視』も職人達も、本当に良く育てられている。成長したな、ギギ)
もう1本のボトルを手に取り、自分とトリーチェのグラスに酒を注ぐ。
そして、ギギに向かって杯を掲げてから、ほんの少しだけ口に含んだ。
「グビグビ……ぷはぁ! はぅ〜、あるじどにょ〜……あついにぇーす♡」
すると、極度の緊張からか、注がれた酒を一気に飲み干してしまったトリーチェ。
頬を桃色に染め上げ、呂律が回らなくなってしまっている。
それもその筈、ドワーフが好む酒は度数が非常に高いのだ。
元々酒に強くないトリーチェでは、一杯でベロベロになってしまう程に。
「……それで終わりにしようか」
「あにゃ〜!」
穏やかな顔で、並々と注がれたグラスを取り上げるラディオ。
対して、『む〜っ』と頬を膨らませ、ボトルを抱き締めソファーに寝転ぶ酔っ払い。
「だっはっはっは! ドワーフ謹製の酒は、嬢ちゃんにはちぃと早かったなぁ!」
「その様だ」
既に寝息を立て始めたトリーチェから、そっとボトルを抜き取りテーブルに戻す。
「今水を持って来させるからよ。おーーい! 水と砂トカゲの肝を持って来てくれーー! これが二日酔いに効くんだ」
ギギはニンマリ笑うと、また酒を煽り始める。
程なくして、巨漢が盆を持って上がって来た。
「おうおう、ありが……こりゃ何だ?」
受け取ろうとした盆の上に、一通の手紙が置いてある。
ちびりちびりと酒を飲んでいたラディオは、それを見て笑みを零した。
「よく来るエルフから預かってた。『親方が途中で仕事を止めた日に渡せ』って」
巨漢はそれだけ伝えると、すっと体を躱し―寸での所で、ギギのハエ叩きが空振った―降りていく。
「あのへんくつハイエルフめっ!」
(成る程……中々街に帰って来ない理由の1つはこれか)
バックパックに入っていた書き置きと、全く同じ紙質の手紙。
そして、巨漢の言った『よく来る』という文言が、ラディオの頬を緩めさせるのだ。
「回りくどい事をっ! アイツはいつもそうなんだ!」
乱暴に開けながらも、直ぐ様手紙を読み始めたギギ。
時折、『へんくつハイエルフ!』とか、『馬鹿な事をっ!』とか文句を言いながらも、次々に読破していく。
だが、最後の数枚に差し掛かる頃には、ギギの顔は真剣そのものになっていた。
ラディオは一瞬目を伏せたが、静かにドワーフの反応を待つ。
「兄貴……こりゃ、本当なのか」
「……どの部分についてかな?」
「兄貴の『娘』や……兄貴の……」
「……エルにも、私の事については詳しく話してはいない。だが、彼は竜族の事を良く知っているからね。時が来たら、君達にも話そうと思うが……どちらも本当だ」
穏やかな顔を見せるラディオ。
エルディンと再会し、問い詰められた時に見せたあの顔だ。
すると、ギギの眉間に皺が寄り、顔半分を覆っている髭に一筋の涙が零れ落ちる。
「くそ……くそぉぉ! 兄貴はいつも……! 1人で背負い込んじまうんだ……!」
「……すまない。エルにも怒られてしまったよ」
「レミ坊や……おてんば娘は知ってるのか?」
「レミアナは娘については知っているが、私については話していない。ナーデリアは……あれ以来会っていないよ」
ラディオは静かに微笑んだ。
しかし、その瞳に浮かぶのは例え様の無い寂しさ。
それはまるで、泣き顔の様だった。
だが、手紙の最後の一枚を見た時、ギギの瞳に力が宿る。
(へんくつハイエルフも諦めてねぇんだ……なら、俺も諦めねぇぞ!)
ゴツゴツした分厚い手で涙を拭い、ギギはしっかりとラディオを見据えた。
「これについては、兄貴が話してくれるまでお預けだ。それよりも、『娘』の話を聞かせてくれねぇか?」
「……あぁ、勿論だとも」
晴れやかな笑顔を見せてくれた旧友に、ラディオも静かに微笑み返す。
今度は、その瞳に溢れんばかりの感謝を滲ませて。
そして、娘との日常を語り始めるのだ。
兄貴分と慕う男の幸せに満ちた顔が、ギギは本当に嬉しかった……のだが――
「この間、2人でバザールに行った時は……」
こうなったらラディオは止まらない。
日常の些細な事から、1人で出来た事や出来なかった事、甘えん坊なエピソードから少し大人びて寂しかったエピソードまで、もう出るわ出るわ。
しかも、山の様にある話の締めは、『本当にレナンは可愛いんだ』の1つだけ。
「…………すまない、熱くなってしまった」
暫くして、必死に笑いを堪えているギギが視界に入り、ハッと気付いたラディオ。
ゴホンと咳払いをしながら、頬をポリポリと掻いている。
「だっはっはっは! 兄貴は本当に変わらねぇ……いや、変わったな!」
「……そうか?」
「あぁ、ナーデリアの頃より……もっと親バカになってるわ!」
「……そうか」
少し照れながらも、穏やかな表情を浮かべるラディオ。
「そうだ……今度は、君の話を聞かせてくれないか?」
「おうよ! この10年、色々あったぜ〜」
グラスに酒を注いでから、これ迄の事を語り出したギギ。
魔石を改造し、『蓄積型』を発明した事。
その商売は直ぐに起動に乗ったが、途端に面白くなくなったので弟に譲った事。
もっと特別なモノを作ろうと、ランサリオンに訪れた事。
そして、冒険者となり、この32階層を拠点にした事。
「気になっていたのだが……何故、祖父君の名を使ったんだい?」
「大した理由はねぇよ。只……物作る前から、大層な名前は要らねぇんだ」
ギギは、亡き祖父の名を偽名として使っていたのだ。
本名では色々と有名税が生じてしまう、と憂慮した結果である。
恩恵もあるだろうが、その分厄介事もあるだろう。
創作に専念したかったギギにとって、『英雄の一行』の名は邪魔だったのだ。
「そうか……実に君らしいな」
「まぁ、結局【親方】なんて呼ばれちまってるがよ。それ所か、気分良くなっちまって『町』まで興しちまう始末だぜ! だっはっはっはっ!」
「『蓄積型』で人々の生活を豊かにしたばかりか、こうして数多の冒険者達の活路を作っている。私は、君が友で本当に誇らしいよ」
「やめてくれやめてくれ。照れちまうわなぁ! ん? そういやぁ……何か用があるんだったな?」
「そうなんだ。少し待ってくれ」
後頭部を手で摩りながら大笑いしていたギギは、兄貴分が自分を探していた事を思い出す。
ラディオはトリーチェの方を見やり、完全に寝ている事を確認してから、布に包まれた素材とデザイン画を取り出した。
「これをこの様に加工して欲しいんだ。私に出来る事は何でもする。必要な物があれば、遠慮なく言ってくれ。勿論、代金は言い値を払う」
「ちょいと見せてくれ。なっ!? 兄貴! これは……!」
素材を確認したギギの顔が驚愕に染まる。
布から現れたのは、湾曲した1本の大きな角。
天然の結晶を思わせる美しさ、放つは『真紅』の輝き……紛れも無い『魔王の証』だったのだ。
ギギの脳裏に10年前の王国が蘇る。
「棺の中を見た時、訳が分かんなかったが……これで謎が解けた。兄貴が持ってたんだな」
「そうだ。私は、どうしてもこれを娘に贈りたい……頼めるか?」
「これだけの素材となると、普通の炉じゃまず無理だ」
「そうなのか?」
「あぁ、大概の火なんざものともしねぇし、何より窯が持たねぇよ」
「そう、か……」
世界で一番信用を置いている職人が言うのだから、間違いないのだろう。
しかし、どうすればいいのか。
ラディオの眉間に、見る見る皺が寄っていく。
「これだと……こうか。とすると……こうだな……ふむふむ。兄貴、これはいつ迄に必要なんだ?」
「…………」
「兄貴っ!」
「……あぁ、すまない。何だったかな?」
堂々巡りの考えに陥っていたラディオの耳に、大きな声が飛び込んで来る。
見ると、ギギがデザイン画にびっしりと数字を書き込みながら、角を観察していたのだ。
「レナンへのプレゼントなんだろ。いつ迄に必要なんだ?」
「……7日後だ」
「7日後だな。ふむふむ……よし、間に合うな! 図面はちょいと弄らせてもらったが、納期は確実に守るからよ」
「しかし……君にも無理なのだろう?」
ラディオには訳が分からなかった。
しかし、旧友は満足気に微笑み、デザイン画を丸めてしまい込んでいる。
「普通の炉では、な。試運転はしてないが、俺の設計に不備はねぇ!」
「……と言うと?」
「超高濃度の魔力にも耐え得る『特別蓄積型魔石』を使った、『最強の高炉』だよ! ちょいと前に彫りもんが終わってよ、やっと完成したんだ」
「……素晴らしいな」
「炉は地下にある。色々準備しなきゃならねぇが、まぁ取り敢えず見てくれや!」
2人はガッチリと握手を交わすと、地下へと向かった。
▽▼▽
「はぅ〜……いけましぇん、あるじどにょ〜♡ じぶんにょ……にょろいをはぎとっては……たくましゅい……♡」
変態的な願望を全て夢に投影し、英傑は寝言を言っている。
だらし無く緩んだ頬、口から涎を垂らす姿は、元お姫様とは到底思えない。
「ひっ……ひっ……ふー……♡ むにゃむ――」
ピキィィィィィィィィン!!
「にゃッ!? にゃにごとッッ!?」
その時、突如として英傑を襲った魔力の波。
ぐっすり寝入っていたのに、酔いも覚める程の圧力だ。
見渡せば、ラディオ達の姿も無い。
「これは一体……うわっ!? 何なんだ……主殿?」
また波が来た。
先程よりも強く、どんどん間隔も狭まっている。
スキル《魔力感知》を発動し、発信源が地下である事が分かった。
それにこの魔力を放出しているのが、ラディオである事も。
だが、普段と全く異なる質なのは何故なのか。
「まさか……主殿に何かあったのか!?」
完全に目を覚ましたトリーチェは、周囲を警戒しつつ1階へ降り立った。
職員達が居ないガランとした工房は、不気味な程の静けさ。
すると、高炉の裏側に地下への階段を見つけた。
(どんどん魔力が膨れ上がっている。これでは、まるで……)
更に警戒を強めながら螺旋階段を下りきると、細い通路が目に入る。
最奥には漆黒の巨大な扉が鎮座し、その前にはあの巨漢が立っていた。
「何かあったんですか!」
巨漢に駆け寄り、声を掛けるトリーチェ。
むすっとした顔だが、瞳には心配の色が浮かんでいる。
「分からない。親方達が入ったっきりだから」
扉に手を掛けるが、微動だにしない。
どうやら、外側からは開かない仕様にしているらしい。
その間にも、魔力の波は肥大していく。
だが、唐突にそれは消え去り、扉がゆっくりと開き始め――
「い、嫌……嫌ぁぁぁぁぁぁ!!」
出て来たものを見た瞬間、悲鳴を上げるトリーチェ。
其処には、ギギに抱えられた意識の無いラディオが居たのだ。
口から大量の血を滴らせ、青紫の血管を身体中に浮き上がらせた、異様な姿となって。
「あ、あぁ……ど、して……主、ど――」
「金時計! 力を貸せ! 今直ぐギルドに帰還するぞ!!」
変わり果てたラディオの姿を見て、酷く狼狽してしまったトリーチェは、その場に崩れ落ちてしまう。
「……はいッ!」
ギギに一喝されたトリーチェ。
何とか溢れる涙を拭うと、ラディオを担いで地下を後にした。




