第45話 少年、2本目の恩恵は
「……う、ん……?」
心地よい温かさの中、瞼に降り注ぐ柔らかな光で目が覚めたレンカイ。
大理石の天井、カーテンで仕切られた空間、そして清潔なベッド。
何度か世話になった事がある、ギルドの治癒室だった。
(そっか……俺、あのまま……)
少しぼんやりとしながら、ゆっくりと再び瞼を閉じた。
すると、脳裏に記憶が蘇ってくる。
『奈落回廊』に飲まれ、20階層まで飛ばされた。
其処で待ち受けていたのは、格上の『階層覇者』。
感じたのは、凄まじい恐怖。
モンスターに対するものよりも、また失うかもしれないという恐怖だった。
(本当に……怖かった。でも……)
その時、突然現れた『中年の男』。
瞬間、少年が置かれていた状況は目まぐるしく変わる。
抗い様の無い絶望の中で、見ず知らずの自分を助けてくれた。
すると、思い返していた少年の頬が思わず緩む。
(『私が君を死なせはしない』……カッコ良いよな〜)
覚悟を問う凛々しい姿、その後に見せた優しい微笑み、掛けられた温かな言葉。
その全てが、少年は嬉しかったのだ。
(あの人のお陰で、あの、Eランクの……その、黒髪の……え〜〜っとぉ……)
その時、充足感に包まれていた少年の心に、別の感情が生まれて来た。
すると、緩んでいた頬も元に戻り、遠い目をして天井を見つめ始める。
そして――
(…………名前聞くの忘れたぁぁぁぁ!!)
ガバッと起き上がり、両手で頭を抱えた少年。
まだお礼すら言えていないのに、名前も聞かなかったなんて。
レンカイの心は今、後悔の二文字で埋め尽くされていた。
だが、声にならない叫び―治癒室なので―を上げていると、此方に駆けて来る足音が聞こえ――
「やっぱり……! レ、ン……! レェェェン!!」
「うおっ!?」
瞳を潤ませたリータが、凄い勢いで首元に飛び込んで来たのだ。
「良かったぁ……! ぐすっ……良かったぁぁ!」
「……心配掛けてごめんな。俺は大丈夫だから。リータも平気か?」
「……うん♡」
自分に抱き付いて体を震わせるリータ。
少し照れながらも、純白の美しい髪をぎこちなく撫でる少年。
すると、長い耳をピクピクさせながら、リータは笑顔を見せてくれた。
「クレインとロクサーナは?」
「大丈夫、2人共元気だよ♡」
「そっか……良かった」
レンカイがほっと胸を撫で下ろすと、直ぐに2人もやって来た。
「起きたんだね! レンカイ!」
「だから言ったっス! レンカイは殺しても死なないって!」
相変わらず酷い寝癖のまま、安堵の笑顔を浮かべるクレイン。
サイドテールで纏めた美しいスカイブルーの毛先を弄りながら、ロクサーナも満面の笑みを見せる。
「お前ら……! ははっ、無事で……良かったぁ……!」
「あれあれ? あれれ〜? もしかして……泣いてるっスかぁ〜?」
「ホントだ……レンカイが泣いてる!」
「ばっ!? な、泣いてねぇよ! これはその……泣いてねぇよ!!」
言い訳が何も思い付かず、目元を拭いながらさっと顔を背けるレンカイ。
しかし、ロクサーナは悪戯な笑みのまま、少年の顔を追いかけ回す。
「やめろって……そ、そんな事より! 助けてくれた人達の名前! クレイン達聞いてない?」
話をはぐらかしながらも、もしやと思い問い掛けたレンカイ。
しかし、2人は首を横に振ってしまう。
「ごめん、僕達も夢中でさ」
「そっか……」
「でも、あれは絶対に【女帝】さんだったっス! あたしもちょっと朦朧としてたっスけど、カッコ良かったっスよ〜♡」
「【女帝】って……『金時計』の!?」
「そっス! 紅に金の縁取りのプレート、フードから見えた黒紫の髪、絶対間違いないっス!」
腰に両手を当て、胸を張るロクサーナ。
すると、レンカイの中に更なる疑問と憧れが生まれる。
Eランク冒険者なのに、共に居たのは『金時計』。
しかも、中年は『主殿』と呼ばれていた。
一体どれだけ強い男なのだろうか。
「その話、詳しく教えてくれ!」
「いいっスよ〜! とくと聞くっス!」
突如興奮し始めたレンカイを宥めながら、ロクサーナは嬉々として説明を始めた。
▽▼▽
傷を負ったロクサーナと、フラフラのクレイン。
そして、魔力を使い過ぎたリータ。
暫くして、まともに歩く事もままならなくなった3人は、一先ず大木の陰に身を寄せる。
しかし、息を整える間も無く、近くの茂みから何かが飛び出して来たのだ。
「グルルルルッ……!」
眼前に現れたのは、大きなハイエナ型のモンスター。
それも1匹や2匹ではない。
何十という数のハイエナが、ギラギラと瞳を怪しく光らせながら、涎を垂らしている。
(リィが、しっかり……しな、きゃ)
すると、2人を背にして、ハイエナ達の前に立ちはだかったリータ。
唯一怪我をしていない自分が、大切な友達を護らなければ。
恐怖に押し潰されそうになりながらも、震える手で杖をギュッと握り締める。
だが、状況が悪過ぎた。
魔力は殆ど残っていないし、リータは攻撃魔法が得意では無い。
そして、捕食者は獲物の感情を敏感に察知する。
ハイエナ達はまるで嘲る様に牙をギラつかせ、ゆっくりとリータ達を囲んだ。
「ウォォォォォォォン!!」
すると、先頭にいた1匹が鈍い地鳴りの様な鳴き声を上げた。
体の芯に響くこの声は、どれだけの仲間を呼び寄せるのだろう。
それを裏付ける様に、離れた所から沢山の鳴き声が聞こえて来る。
段々と近付いて来る絶望の足音は、幼い少女の心を折るのに時間を要さなかった。
満月と見紛う黄金色の瞳から零れる雫が、頬を濡らす。
(ごめんね、レン……)
すると、動けない2人に覆い被さったリータ。
せめて、最後の時は一緒でありたい……そんな儚い願いを込めるかの様に、精一杯抱き締めるのだ。
「逃げ、なきゃ……駄目っス……」
ロクサーナがやっと絞り出した言葉に、リータは微笑みながら首を振った。
今も必死に戦っている少年を想い、余計に溢れる涙を必死に堪えながら。
「グルル……ガォォォォォォ!!」
だが、ハイエナはこの好機を見逃さない。
獲物からの反撃が来ないと悟り、リータ達目掛けて一斉に飛び掛かる――
「《ソーンバインド》!」
瞬間、轟いたのは勇ましい女の声。
リータが振り向くと、荊に捕縛されたハイエナが宙に浮かんでいるのだ。
状況が飲み込めず、呆然とする少女。
その時、眼前にフードを目深に被った女が現れた。
「直ぐに終わらせるから、頭を下げておいてくれ――《ソーンブレイド》!」
女は荊で大剣を作り出すと、体の後ろに刃を構え、柄を強く握り締めた。
すると、刀身が鮮やかな紅色に染まっていく。
「愚行の対価をその身に刻め――《葬送の薔薇 》!!」
斬ッッッッ!!
放たれたのは、真紅の斬撃。
まるで薔薇の蕾が花開く様に広範囲に広がり、全方向のハイエナを一撃で葬ってしまった。
「デカイ鳴き声のお陰で助かった。もう大丈夫、良く頑張ったな」
「あ、ありが……と……ござ……」
極限状態から解放され、言葉を言い切る事無く意識を失ったリータ。
女は3人を担ぎ上げると、ラディオの元へ駆けて行く。
▽▼▽
「と、言う感じだったんスよ〜。まぁ、殆ど起きてから聞いた話なんスけどね」
「確かに……金プレートに黒紫の髪、それに『植物魔法』を駆使したなら、【女帝】で間違いないかもな」
話を聞き終わった少年は、顎に手をやりながら深く頷いた。
すると、何やら待ち切れない様子で、クレインがベッドに乗り出して来た。
「ねぇ! あの人達が言ってんだけどさ、本当にレンカイが『階層覇者』を倒したの?」
「え、あぁ……まぁ、最終的にはそうだけど」
「うわ〜! やっぱりレンカイは凄いや!」
顔をキラキラさせて喜ぶクレイン。
対して、レンカイは微妙な表情だ。
誇らしい気持ちと、自分1人の力では無いという情けなさが入り混じっているのだろう。
大きく深呼吸をしてから、ありのままの想いを語る。
「あれは俺の力じゃない……あの人がいたから勝てたんだ。俺は……1度諦めたんだから」
「え? 諦めたって、何を?」
キョトンとして首を傾げるクレイン。
少しの沈黙の後、レンカイは拳を握り締め、力強い笑顔を見せた。
「でも、俺はもう諦めない。あの人が……師匠がそう教えてくれたから。絶対に諦めないんだ!」
「だから何をだよ〜!」
「いや、全然分かんないっス。師匠って誰っスか」
クレインに揺さぶられても、笑顔のままのレンカイ。
その横で肩を竦めたロクサーナが、片方の眉毛を吊り上げながら顔を振る。
すると、リータもちょこんとベッドに座る。
柔らかな微笑みを携え、鮮やかな翠色の液体が入った小瓶を差し出しながら。
その瞬間、少年から笑顔が消し飛んだ。
「そ、それは……!」
「レンのお師匠様が、『起きたら飲ませろ』って。これで元気になれるよ♡」
いつになく優しい声でそう告げるリータ。
その満面の笑みが、少年の舌を嫌でも刺激する。
しかし、リータはそんな事何処吹く風。
どんどんレンカイとの距離を詰めて来るのだ。
「はいっ♡」
「い、いや〜……俺、もう大丈夫かなぁ」
余りの焦りに声が裏返ってしまう少年。
必死に小瓶を見ない様に顔を背けるが、笑顔満開の少女は容赦してくれない。
「ホントに要らないの?」
「う、うん! ほら! こんなに元気だからさぁ!」
「え〜残念だなぁ〜。これ飲んだら、お師匠様の事教えてあげようと思ったのになぁ〜?」
「えっ……リータ知ってるの!?」
「うん♡ それに、家も分かると思うよ? だから、はいっ♡」
「マジかよ! ぐっ……飲むしかないのか……!」
「まぁまぁ、あたし達も飲んだんスからぁ〜」
「そうだよ? 男ならグイっと――」
「俺は2本目なんだよっ!」
「そうだよね……でも、はいっ♡」
「くっそ〜! 分かったよぉ!!」
ニヤニヤしている仲間を恨めしげに睨むレンカイ。
だが、リータのトドメの一撃で観念するしか無かった。
小瓶を引ったくり、覚悟を決めて口に付ける。
「ごくっごくっ……う!……うっぷ」
少年の顔から、見る見る血の気が引いていく。
しかし、内面的にはすこぶる快調となった。
「さぁ……おぇ……お、教えてくれ!」
口から少しポーションを垂らしながら、死んだ魚の様な瞳で訴えるレンカイ。
小瓶が空になっている事をしっかり確認してから、リータがニッコリと喋り出す。
「髪型も違うし髭も生えてたけど、ウチで祀ってる『御神体』に良く似てたの。多分だけど……レミアナ様の旦那様だと思う」
何と、リータはランサリオンの『神官見習い』。
レミアナが祭壇に置いた『ラディオ様クリスタル人形』と、中年の男の顔が酷似している事に気付いていたのだ。
しかし、2人の間に婚姻関係が結ばれたという事実は無い。
大神官長の切なる願望は、幼い子供にまで間違った認識を植え付けている様だ。
「成る程……よし! そうと分かれば早速行くぞ!」
「あっ! もぉ〜♡」
「待ってよ〜! レンカ〜イ!」
「はぁ〜。まだまだ子供っスね〜」
途端に瞳を輝かせたレンカイは、一目散に部屋を出て行ってしまった。
やれやれと微笑みながら、3人もその後を追って行く。
目指すは教会、レミアナの元だ。




