第44話 父、溢れんばかりの称賛と
「さぁ、これを」
バックパックから、翠色の液体が入った小瓶を取り出したラディオ。
朦朧としている少年に、ゆっくりと飲ませていく。
すると、瞬く間に傷が塞がり、瞳に力強さが戻って来た。
「もう大丈夫だ」
「あり、が……うっぷ!」
余りの不味さに、顔をしかめるレンカイ。
だが、もう完全に痛みは無く、意識も思考も鮮明になって来た。
「何だ、これ……それに、あんたは?」
「友が持たせてくれた物なんだが……良薬口に苦しという事で勘弁してほしい」
凄まじく不味いこの液体は、ハイエルフお手製ポーション。
ラディオが気付かぬ内に、バックパックに入れてあったのだ……直筆の手紙と共に――
『別にお前の為に作った訳では無い。
勘違いするな。
暇な時に遊んでいたら、予想以上に出来てしまっただけだ。
飲むも飲まないも好きにしろ。
只、飲まざる負えない様な状況にだけはするなよ。
エルディン 』
御丁寧に名前まで書いてある。
友の変わらぬ優しさに心を温めつつ、少年の状態を確認するラディオ。
「ふむ……状態は良好だ。私の事は、気にしなくて良い。只の通りすがりだからね」
「…………」
「さて、上からチラリと見えたんだが……君は1人では無いね?」
「……だったら」
レンカイの瞳に、警戒心が色濃く浮かぶ。
首元から見えるプレートは、言った通りEランクのもの。
だが、到底初級者には見えない……怪し過ぎる。
(目的は、何で……俺を助けたんだ……? 猫……そうだ! あの猫は何処に行った!?)
急いで周囲を見渡すが、モンスターの姿は無い。
薄れゆく意識の中で、この男に殴られていたのは見えた。
この時、レンカイに疑問が生まれる。
(殴る……殴っただけで……アイツがあんなに……!?)
フードで顔は見えないが、声の感じだと若くは無い。
それなのに駆け出しと言い、尚且つ『特Dランク』のモンスターを意に介さないなんて。
この混乱は、決して怪我のせいでは無い。
「大丈夫、私の側なら安全だ」
少年の様子を察し、落ち着かせようと語り掛けるラディオ。
その時、大木の枝葉が音も無く揺れた瞬間――
「うわぁ!?……え」
「ギャォォォォォォ!!」
モンスターの声が響き渡っても、フードから覗く口元は変わらず微笑んだまま。
レンカイを見続け、何処にも視線は送っていない。
だが、その左手には、巨大な鼻面が握られていたのだ。
(アイツを、見もしないで……片手で受け止めた!?)
顔面を握り潰され、激痛に呻くモンスター。
どうにかして離れようとするが、どんなに鉤爪を振り下ろしても、自分を掴む腕が微動だにしないのだ。
すると、ラディオは大きな溜息を吐きながら、モンスターへ向き直る。
「話をしている所だ……少し、待っていてくれないか」
瞬間、尋常では無い威圧感が溢れ出した。
肌を突き破る様な、ビリビリとした波動が辺りに充満していく。
ラディオの何倍もの巨躯を誇っているのに、少年には産まれたての子猫に映ってしまう程に。
「あ、主殿ッ! 遅れてもも申し訳ありませんッッ!!」
信じられない光景に呆気に取られていると、別のフードが現れた。
天井から降って来たと思った矢先、もう目の前に居る。
そして、やはりモンスターを気にも掛けて無い。
「1つ頼まれて欲しい。この子の仲間が、この場から離れてしまっている。裂傷や打撲等々の怪我に加え、魔力枯渇も顕著だから、直ぐに連れ戻して来て欲しいんだ」
「は、はいッ! たた直ちにッッ!」
言うが先か、直ぐ様駆け出したトリーチェは、あっという間に見えなくなった。
「これで君の仲間は安心だ。私は、君達の帰路を作る」
「ギャオッ!?」
怒轟ッッッッ!!
掴んでいた巨体を軽々と持ち上げたラディオは、フロアの反対側まで放り投げたのだ。
更に呆気に取られている少年との距離を取る為に。
しかし、モンスターの元へ歩き出そうとしたラディオの動きが止まる。
振り返ると、真剣な眼差しでレンカイが腕を掴んでいるのだ。
「……どうした?」
「アイツは、アイツは俺にやらせてくれ……ください!」
「駄目だ。私の前で、無駄死にはさせない」
少年を一蹴し、再度歩き出そうとするが、レンカイは腕を離さなかった。
「お願いします! アイツは仲間を傷付けた……あんた……じゃなかった、貴方がくれたポーションのお陰で、俺はまだ戦えます! お願いします!!」
「……君達は何故此処に来た?」
「え?」
「答えてくれ。何故だ?」
「それは……『奈落回廊』に、飲まれて……」
「だろうな。君達とあのモンスターには、力の差がある。だが、君達は運が良い。たまたま、私達が『縦穴』を使って来れたのだから」
そう言いながらも、モンスターの動向を確認するラディオ。
此方の様子を伺いながら、ゆっくりと旋回する様に歩いている。
ラディオは軽い溜息を吐くと、フードを取り払った。
そして、厳しい眼差しで少年を見据える。
「これより下の階層であったならば……君達はもう死んでいる。そうそう誰かが助けてくれるものではないし、危険を承知の上で潜ったのだろう? 私達と出会ったという『運』を無駄にするのかい?」
「それは……でも……」
悔しさを滲ませ、俯くレンカイ。
「……理由を聞かせて貰えるか?」
厳しい眼差しに晒され、レンカイは少したじろいでしまう。
だが、拳をギュッと握り締めると、力強い瞳で真っ直ぐにラディオを見つめた。
「俺は、あの時……諦めました。『男』としてなんて言い訳して……生きる事を諦めたんです。でも……もう諦めません! どんな事をしても、何が何でも、大切な人を護る為に……諦めません!!」
「成る程……」
一度モンスターを見やり、少年に視線を戻す。
その瞬間――
「……これでもか」
「ひっ……!?」
ラディオから溢れ出した、凄まじいオーラ。
モンスターを威圧した時とは、まるで比較にならない。
空間を瞬時に埋め尽くし、全身を切り刻まむ様な異常な恐怖が少年を襲う。
これは、牽制を目的とした『敵意』では無い。
命を刈り取らんとする、紛れも無い『殺意』だった。
「あ、ぐぅ……! うぅ、はぁ……はぁ……!」
冷や汗が噴き出し、体が震えて止まらない。
息も上手く出来ないし、意識が飛んで膝から崩れ落ちてしまいそうだ。
だが、それでも――
「うぅ……もう、絶対に! 諦めませんっ! 諦めませんっっ!!」
真っ直ぐにラディオを見つめ、己を鼓舞する様に、己の覚悟を示す様に、喉を枯らして声を上げる。
すると、充満していた殺意がすっと消えていく。
そして、大きくて温かな感触が、頭に置かれたのだ。
「……素晴らしい」
掛けれたその一言が、少年の心に染み渡っていく。
肩で息をしているが、もう恐怖は無い。
寧ろ、大きな安心感に包まれ、何処からともなく自信すら湧いて来ている。
「《目録》……ふむ」
名前・【密林大帝】アジールタイガー
種族・ビースト
属性・風、土
スキル・咆哮、抜足、激情
討伐ランク・特D
〜20階層覇者。巨体に似合わぬ敏捷性と高い知能を持つ。その牙と鉤爪は一刺しで容易に命を刈り取る。変幻自在に動く三本の尾と、音を立てぬ移動は脅威以外の何物でもない〜
モンスターの情報を確認し、《竜体使役》で手の平サイズの分身体を作り出す。
そして、レンカイの肩の上に乗せると、ラディオは膝を折って語り掛けた。
「全快の君なら、十分に勝機がある。この竜が、君の手助けになるだろう」
「あ、ありがとうございます!」
「では、行こう――」
「あのっ!」
「何かな?」
「もし、俺が……負けたら……リータ達を、お願い出来ますか?」
「ふむ、それは私がすべき事では無いな」
「え……はい、そうですよね……」
虫が良過ぎたかも知れない。
命を助けて貰って、我儘を聞いて貰って、その上仲間の事までなんて。
どうしようもなく、自分が情け無くなってしまったレンカイ。
その時、再び頭に置かれた大きな手。
「仲間の心配は当然だ。でもね、今回に限ってはその必要は無い」
「え……?」
「何故なら、君はもう1人じゃない。私のすべき事は、君の側に居る事。私が君を死なせはしない……絶対に。己の覚悟を信じて、全力で挑もうじゃないか」
「……はいっ!」
向けられた微笑みが、少年に力をくれる。
こんなにも心強さを感じるなんて、いつ以来だろう。
凛々しい笑顔を咲かせ、レンカイはしっかりと頷いて見せた。
「よし……はぁぁぁ! スゲェ……!」
全身に魔力を張り巡らせた瞬間、少年は驚きの声を上げる。
自分でも信じられない程に力が漲り、感覚が冴え渡っているのが分かるのだ。
ポーションのお陰か、側に居ると言ってくれた安心感か。
これなら勝てる……拳を握り締め、タイガー目掛けて駆け出した。
『奴は今、私を警戒して迷っている。先程の攻防で、君を下に見ているのだろう。その油断を逆手に取るんだ』
小さな竜の指示の元、駆け出した勢いそのままに、レンカイは地面を蹴って高く跳躍した。
読み通り迷いが有ったタイガーが、一瞬出遅れる。
その隙を見逃さず、飛び越え様に2本目の尾を切断する。
斬ッッッッ!!
「ギャォォォォ!」
『そうだ。相手の回復を待つ必要は無い。畳み掛けて、機動力を削り取るんだ』
「はいっ!」
着地と同時に前方へ踏み込み、タイガーの後ろ足の腱を斬り裂くレンカイ。
止まる事無く股の間を潜り抜け、一旦側方へ距離を取る。
瞬間、自重に耐え切れず巨体が沈んだ。
(素晴らしい動きだ。やはり、あの少年……いや、しかし……)
「あ、あ、ああ主殿〜!」
戦闘に気を配りながら記憶を探っていると、トリーチェが駆けて来た。
「すまなかったね。子供達は?」
「は、はいッ! 魔力切れや出血多量により、ここ子供達は倒れていましたッ! で、でも、『屍肉漁り』の群れに襲われる寸での所で、たた助ける事が出来ましたッッ!」
「そうか……有難う」
「え?……はぅあッッ♡ ああ主殿どにょ〜♡♡」
不意に頭を撫でられ、トリーチェはもうメロメロ。
だらし無く頬が緩むわ、瞳は焦点が定まらないわ。
子供達を助けるという善行が、台無しである。
その時――
「ひっひっふ――あぁ! 危ないっ!」
怒轟ッッッッ!!
ヒットアンドアウェイで戦っていたレンカイの脇腹を、巨大な鉤爪が襲ったのだ。
直ぐ様助けに入ろうとする英傑。
しかし、満足気に微笑むラディオに制された。
「大丈夫、彼の作戦の内だ」
「え?」
言われて見ると、確かにおかしい。
必殺の一撃を放った筈のタイガーの顔には、苛立ちと焦りが浮かんでいたのだ。
「やっと捕まえた……その腕貰うぞぉぉ!!」
薙ぎ払われた前足を、しっかり抱え込んでいたレンカイ。
わざと隙を見せ、鉤爪が飛んできた所を体の軸をズラして避けたのだ。
鬼人本来の姿となった今なら、力はレンカイの方が上。
タイガーは前足を抜く事に躍起になるが、どうしても引き抜けない。
「グルルルゥ……ギャォォォォォォ!」
瞬間、掴み取った腕に小刀を限界まで刺し込んだレンカイは、渾身の力を込めて肩まで切り上げた。
激痛に襲われ、堪らず悲鳴を上げるタイガー。
最早ぶら下がっているだけの右前足を庇いながら、レンカイとどうにか距離を取る。
「ガァ……ガァ……ガォォォォォォ!!」
『相手はとうとう捨て身になった。なりふり構わず、君の首を狙ってくる。気を引き締めろ』
「はいッ! うらぁぁぁぁ!!」
大気を震わせる咆哮を上げ、スキル《激情》を発動したタイガー。
すると、オーラが纏わり付き、その体を赤く染めていく。
だが、レンカイは臆する事無く、地面を蹴った。
「喰らえ――」
「ガオオオオオオオオオッッ!!」
距離を詰められた瞬間、すかさず《咆哮》を放つタイガー。
脳に直接響く様な轟音に、レンカイは堪らず耳を塞いでしまう。
敵はその好機を見逃さない。
顎を大きく広げ、全ての怒りを込めて少年に迫る。
『大切な者を護る為に……諦めるな』
これが、竜が発した最後の言葉。
レンカイは咄嗟に体を横へ流し、大剣と見紛う牙を回避した。
その瞬間、大きな破裂音が頭上で響く。
見ると、死角から頭を貫こうとしていた最後の尾を、竜が弾いていたのだ。
(ありがとうございます!)
小刀を握り締め、魔力を爆発させるレンカイ。
タイガーの周囲を駆け回り、刹那のタイミングを狙う。
そして、思い切り地面を蹴り、宙空へ飛び上がった。
オーラを纏った刀身を、天高く振り上げて――
「これで終わりだぁぁ! 《一切 断頭 》!!」
斬ッッッッ!!!!
渾身の一撃が、【密林大帝】頭を切断した。
意思を失った巨体がグラつき、やがて地面に倒れ込む。
粉塵と魔力の残滓が霧散していく中、少年は高々と拳を突き上げた。
「はぁ……はぁ……勝った……勝ったぞぉぉぉぉ!!」
一度は戦う事を、生きる事を諦めた。
だが、現れた男に覚悟を問われ、心に誓ったのだ。
大切な者を護る為に、二度と諦めないと。
「はぁ……はぁ……あっ……」
全力を出し切ったレンカイ。
体力も魔力も、回復した分を全て使い切る程に。
これ迄に経験した事のない疲労に襲われ、足元がフラつく。
だが、再び大きな手に支えられた。
「俺……勝ち、ました…よ……」
「あぁ……しっかり見ていたよ」
誇らしげにニコっと笑い、レンカイは意識を失った。
少年をそっと抱き上げ、寝ている仲間達の元へ歩いていく。
(『生きる事を諦めない』、か……眩しいな)
素晴らしい覚悟を示し、戦い抜いた少年の頭を優しく撫でるラディオ。
その瞳に溢れんばかりの称賛と、少しの羨望を滲ませながら。




