第43話 父、飛び込む
10階層――
「ウオオオオ……!」
「はぁぁぁぁ!!」
(……良い判断力だ)
繰り広げられている戦いを眺めながら、ラディオが微笑みを零す。
【神器】を用いずとも、『階層覇者』であるジェンタゴーレムを簡単に屠っていくトリーチェ。
A+ランクにとって、特Eランクが相手にならないのは道理だが、大群を相手にする身のこなしは賞賛に値していた。
「射貫け――《ソーンニードル》!」
振り下ろされたゴーレムの腕を、ひらりと体を捻って躱し、その上に着地したトリーチェ。
瞬間、疾風の如く駆け上がり、蠢めく赤い一つ目に鋭利な棘を撃ち放つ。
「オォォ……!」
コアを失った岩石の巨体が、ガラガラと崩れ落ちる。
すると、トリーチェはバラけた岩を足場にして宙返りをした。
その刹那、風切り音を上げるゴーレムの腕が、今迄体があった場所を空振りしていく。
「《ソーンニードル》!」
トリーチェは逆さまに宙に浮かんだまま、新たな棘を撃ち放った。
「グォォォォ……!!」
新たに崩れ行く岩石の体。
しかし、着地したトリーチェを囲むゴーレムは、まだまだその数を残している。
実は、2人がフロアに足を踏み入れた時、出現したゴーレムは1体では無かったのだ。
これは迷宮の罠の1つ、『大量発生』と呼ばれる現象である。
『巣窟』とはまた別で、これが起きるのは階層覇者のフロアのみ。
頻度としては非常に稀だが、階層覇者が何体も現れるという悪夢の様なもので、最も死亡率の高い罠として知られていた。
(しっかり動きを見ているし、勘も良い。それに……)
階層の入り口に佇み、戦闘を分析しながら再び頷きを見せるラディオ。
状況判断、体の運び、筋肉の付き方、機転、思い切りの良さ、どれを取っても素晴らしいの一言だった。
(『植物』系か。中級以上の位階も扱えるのだな)
トリーチェが繰り出した棘は、土と水の属性を掛け合わせた『植物魔法』。
総称して『融合魔法』と呼ばれるもので、数ある種類の中の1つだ。
因みに、トリーチェの二つ名である【黒百合】は、この植物魔法を駆使した美しい戦い方から名付けられている。
(はぅ!? あ、あ、主殿が……じじ自分を見て、見つめているぅぅぅぅ♡)
その時、チラチラとラディオを確認していたトリーチェが悶え始めた。
戦闘を分析しているのだから、見るのは当然なのだが。
英傑の解釈は、本人に都合良く働く様だ。
すると、ラディオが何かを言っているのが見えた。
「は、は、はいッッ! なな何でし――」
轟ッッ!
「あぅ! くっ……!」
余所見をしていた所をゴレームの腕が襲い、トリーチェは壁際まで吹き飛ばされてしまった。
『攻撃が来る』と、教えてくれていたラディオ。
直ぐ様駆け寄ろうとしたが、起き上がったトリーチェに手で制される。
「はぁ……うぅ……主殿の……主殿の前で……よくも恥をかかせてくれたなぁぁぁぁ!!」
怒りの雄叫びが、フロアに轟く。
体は大したダメージを負っていないが、憧れの竜騎士の前で無様な姿―余所見した自分のせいだが―を晒してしまった事で、乙女心が深く傷つけられたのだろう。
「《ソーンバインド》!」
地面に両手をつき、魔力を流し込むトリーチェ。
すると、数多の棘持つ蔓が岩盤を突き破って飛び出して来た。
見る見る内に、全てのゴーレムの腕と足を縛り上げて拘束すると、瞳に怒りを燃やしたトリーチェが、高く跳躍する。
「愚行の対価をその身に刻めッッ! 《ソーンウィップ》!!」
溢れる魔力が形を成し、その手に黒々とした棘付きの蔓を出現させた。
頭上で大きく円を描き、ゴーレムの頭目掛けて全力で振り下ろす。
その一撃は、正しくしならせた鞭。
連鎖反応で爆発する様に、次々とコアを破壊していく。
あっという間に全てのゴーレムを倒し、霧散していく岩石を睨むトリーチェ。
すると、いつの間にか背後に佇んでいたラディオに気付く。
「はぅあ!? あ、あ、主殿ッッ! えと、あの……無様な姿をみ、み、見せてしまってもも申し訳ありせんでしたッッ!」
恥ずかしいやら情け無いやらで、トリーチェは涙目になりながら頭を下げる。
フードを被っているので、顔が良く見えないのがせめてもの救いか。
しかし、叱責を覚悟する少女を包んだのは、怒号では無く大きく温かい手の感触だった。
「……怪我が無くて何より。次からは、どんな時でも油断をしてはいけないよ。折角素晴らしい立ち回りを披露しても、命を失ってしまっては意味が無いからね」
優しく諭しながら、ラディオは下げられた頭をポンポンと撫でた。
「さぁ、次の階層へ行こう」
(マズい……マズいよぉ……!)
ラディオは階段へ向かったが、トリーチェは動かない。
頭を下げたまま、何やら小刻みに震え出したのだ。
余りの不甲斐なさに、自己嫌悪に陥って――
(この温もりはマズイよぉぉぉぉ♡ 主殿ぉぉぉぉ♡♡)
いる訳も無く。
両手を頭に置き、先程の感触を反芻する様に撫で回しているり
時折、『はぅ♡』とか『ひっひっふー!』とか漏らしながら、フードの奥の瞳を恍惚に光らせて。
彼女の名は、トリーチェ・ギーメル。
誇り高き『金時計』が1人にして、正義感溢れる英傑として知られる、【黒百合の女帝】だと言う事を……決して忘れてはいけない。
▽▼▽
11階層――
「主殿、こここれを見てくださいッ!」
「……これは?」
トリーチェが指差したのは、地面に空いた大きな穴。
覗いてみると、底も見えない暗闇が広がっていた。
更に、その中をオーラが渦巻いており、戦闘で空いたものでは無い事が窺える。
「こ、この穴は『縦穴』と言いますッ!」
これも、迷宮の罠の1つ。
その名の通り、迷宮を縦に貫く穴。
11階層以降から出現し、実はフロアの中に幾つも点在している。
これに落ちると問答無用で下の階層へ落とされてしまうので、駆け出し冒険者は避けて通るものだ。
しかし――
「そうか……これを使えば移動が楽、という事なんだね」
「そそその通りですッ!」
そう、駆け出し冒険者にとっては厄介なもの。
だが、余計な戦闘や無駄な消費をする事無く階下へ行ける為、中堅以上からは移動手段として重宝されていた。
有無を言わさず冒険者を飲み込み、落とす先に制限の無い『奈落回廊』とは異なり、一定の法則を有している事も大きな要因となっている。
それは、落下先の最大制限が『階層覇者』のフロアになる、という事だ。
例えば、11階層で穴に入った場合の最大は20階層、21階層なら30階層といった具合に。
只、これは最大であって必ずでは無い。
入る穴によって、落下先が変動するというランダム性も有している。
例えば、Aの穴は5階層分、Bの穴は3階層分、Cの穴は9階層分という具合に。
それに、常に同じ位置にあるという訳でも無く、歩いていたら新たに生まれた『縦穴』に飲まれる、という危険性がある事は否めない。
しかし、大概は既に口を開けている事が殆どであり、非常に見つけ易い。
なので、総じて結果が読み易い『縦穴』は、中堅以上にとって便利な移動手段となるのだ。
「こ、この縦穴が何階層分かは分かりませんが、はは入る価値はあると思いますッ!」
「その様だ。有益な情報を有難う」
優しく微笑んだラディオは、躊躇無く縦穴へ飛び込んだ。
▽▼▽
20階層――
「良く動きを見るんだ! 一撃でも貰ったらヤバいぞっ!!」
眼前に迫る脅威に全神経を集中させながら、黒髪の少年が怒号を上げる。
「言われなくても分かっ――きゃあ!!」
斬ッッッッ!!
凶悪な鉤爪によって吹き飛ばされてしまった少女、地面を滑って大木に激突する。
肩にかけて出来た大きな切り傷から、血が溢れ出して来た。
其処へ、直ぐ様駆け寄ったもう1人の少女。
「ロクサーナぁぁ! 待ってて! 《ヒール》!」
ロクサーナに杖をかざし、治癒魔法を掛ける少女。
長く真っ白な耳と髪は泥で汚れ、黄金色の瞳に涙を一杯に溜めながら。
首からぶら下げているプレートは、白地に青い縁取り。
E+ランクの駆け出しである。
「クレイン! 起きろぉ! リータが治癒を終えたら階段まで突っ走れッッ!!」
「う……う〜ん……ごめ、んよ」
少年の声を受けて、後ろで伸びていたクレインがゆっくりと起き上がった。
血で固まった茶色い髪、ヒビ割れた眼鏡から、相当に消耗している事が分かる。
此方もE+ランクの冒険者だ。
「もう少しだからぁ……頑張ってぇぇ!」
「……ん……う、ん……」
懸命に治癒魔法を掛け続けるリータ。
すると、徐々に肩の傷が薄くなり、ロクサーナの意識が戻って来る。
安堵から大粒の涙を零すリータ。
すると、クレインがフラフラと此方にやって来た。
「リータ……! ロクサーナ、は……大丈夫……?」
「ぐすっ…何とか持ち直してくれたよ。あぁ! クレインも直ぐに止血しないと!」
「僕は、大丈夫……だから。それよりも、レンカイを……助けなきゃ……!」
そう言いつつも、座り込んでしまったクレイン。
流した血の量が多過ぎたのだ。
ロクサーナをそっと寝かせ、クレインの止血に入ろうとしたその時――
「うわぁぁぁ!!」
凄まじい速度からの突進を、何とか受け切ったと思いきや、死角からの攻撃をまともに食らってしまったレンカイ。
リータ達とは反対方向に吹き飛ばされ、大木に激突する。
口から血を溢れさせ、攻撃を受けた箇所は皮膚が裂け、肉が見えていた。
「レン!? 今行くか――」
「来るなぁぁぁぁ!!」
リータが駆け寄ろうとした時、少年の怒鳴り声が木霊する。
そして、ヨロヨロと立ち上がり、小刀を構えるのだ。
満身創痍な事は火を見るよりも明らか……だが、その燃える様な紅い瞳は、まだ光を失っていない。
「こいつ、は……ごふっ……俺が……ぶっ倒す!」
「レン……」
力を入れれば入れる程、体から血が溢れて来る。
このまま戦えば間違い無く死ぬ、それは少年にも分かっていた。
でも、そんな事は関係無い。
仲間を護る為に全力を出せないなら、死んだ方がマシだ。
「ガルルルルッ!」
だが、無情にもリータ達の方へ歩み寄っていくモンスター。
ロクサーナは未だ朦朧としているし、クレインもフラフラ、リータは魔力を使い過ぎて思う様に動けない。
圧倒的な力を持つ野獣は、どちらが楽に殺せるか分かっていたのだ。
「ガオオオオオオッ!!」
瞬間、フロアを震わす咆哮を上げ、モンスターが駆け出した。
しかし――
「ガウゥゥ……!」
何かに引っ張られ、苛立つモンスター。
振り返ると、先程とは違う何かが、尾を掴み此方を睨んでいる。
「うらぁぁぁぁ!!」
怒轟ッッッッ!!
「ガァァァァァ!」
尾を軸にしてモンスターの巨体を宙に浮かせると、勢いそのままに地面に叩きつる。
直ぐに体勢を直したモンスターは、今迄に無い警戒を少年に向けてた。
「鬼人舐めんなよ……猫野郎ッッ!!」
夥しい紅いオーラを、全身から溢れさせるレンカイ。
しかし、目を引くのは其処で無い。
瞳と同じ紅に染まった髪、そして……額に雄々しく聳える双角だ。
これこそ、力を解放した『鬼人』本来の姿である。
「クレイン! リータ達を頼んだぞ……長くは持たないからな!」
「レン! 嫌だ! 1人で勝てる訳ないよぉ!!」
「そうだよ! 僕も……うっ……残って……!」
「ガオオオオオオ!!」
瞬間、再度突進を仕掛けたモンスター。
巨大な牙を両手で掴み取り、見事に受け止めるレンカイ。
しかし、その間もボタボタと血が流れ落ちる。
「何してん、だ……! 早く行けぇぇぇぇ!!」
「レンカイ……! ごめんよ……!」
クレインはギュッと拳を握り締めると、ロクサーナを担いでフロアの入り口へ向かった。
しかし、リータは動かない。
涙を流し、地面に座り込んでしまっている。
「嫌だ、嫌だぁ! レンと一緒じゃなきゃ嫌だ――」
「リータぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
レンカイの悲痛な叫びが、リータの心を震わせる。
涙に頬を濡らしながら、リータはやっと立ち上がった。
クレインと共にロクサーナの肩を担ぎ、フロアを去って行く。
振り返らず、泣き声を必死に押し殺して。
「ガオオオオオオ!!」
「ぐぅぅ……!」
折角の獲物を逃してはならないと、モンスターが更に圧力を増して来た。
同時に、少年の耳元を風切り音が掠める――
「ギャオオオオオオオ!」
襲い来る激痛に、堪らず距離を取ったモンスター。
不敵に笑う少年は、その手に握る太い尾を投げ捨てた。
風切り音は、死角からの攻撃。
だが、レンカイによって、一刀両断されていたのだ。
「2回も、食らう……かよ。種が分かれば……何て事、な……い……」
しかし、体力も気力も全てが限界だった。
止めどない怒りで痛みを打ち消したモンスターが、此方に迫って来る。
これで終わりか……でも、大切な仲間を逃す事は出来た。
(『男』として……やるべき、事はやった、よ……な)
尻尾を千切られた怨みを晴らそうと、モンスターが大きく口を開いた。
頭を噛み砕かんとする、絶命の牙が目前に迫り――
「ギャオオオオオオオ!!」
「…………え……?」
超速で飛来した何かに殴り付けられ、痛みにのたうち回るモンスター。
目の前の出来事が信じられないが、少年はもう立っていられない。
「なん、だ……」
しかし、手足の力が抜け地面に倒れ込むレンカイを、寸での所で大きな手が支えてくれた。
更に、軽々と体を抱きかかえると、一飛びでモンスターとの距離を取る。
「良く頑張った……後は、私に任せなさい」
低く優しい声を聞きながら、そっと地面に寝かせられた。
フードから見えるのは黒い髭だけだが、少年は不思議と安心感に包まれる。
しかし、この男は一体誰なのか。
「あん……た、は……?」
「……通りすがりの、新米冒険者だよ」




