第42話 父、頭の片隅に置いておく
「では、宜しくお願い致します」
「うむ! 何も心配は要らぬぞ」
次の日、朝食を済ませ、仕事に行くラディオを見送るサニアとグレナダ。
旅行に行くまでの間は、サニアが居てくれるので待機所はお休み。
しかし、ちちと離れるとなると、やはりグレナダはソワソワしてしまう。
「夕方には帰って来るから、ばぁばの言う事を良く聞くんだよ」
娘を抱き締めながら、優しく言葉を掛けるラディオ。
温かな安心感に包まれたグレナダは、ニコッと笑顔を見せた。
「ちちー! いってらっしゃーい!」
「早く帰るのじゃぞ〜!」
「行ってきます」
大きく手を振る娘と母に見送られ、ラディオは街道を下っていく。
▽▼▽
(やはり、居ないか……)
下段の工務店から渋い顔で出て来たラディオ。
目的の人物に会えない所か、行方が全く分からなかったのは痛手だった。
良く晴れた空を見上げ、参った様に溜息を吐く。
(普通の職人には頼めない。だが、妥協等出来る筈も無い……)
ラディオが悩んでいたのは、愛する娘への誕生日プレゼント。
妥協した物は贈りたくない。
しかし、考えている素材を完璧に加工出来る人物は限られている。
寧ろ、1人しか心当たりが無い。
(自分で探せ……と、言われてしまうかも知れんな)
頼ってばかりなのは分かっているが、娘の為なら背に腹は代えられない。
ラディオはポリポリと頬を掻きながら、中段に向かった。
▽▼▽
中段右側・『娼館街入り口付近』――
一歩足を踏み入れれば、其処はもう煌びやかなネオン街。
そんな場所にひっそりと建つ、場違いなオンボロ平屋の前にやって来たラディオ。
通りに向いた壁に窓は無く、扉と斜めになった看板らしき物―ミミズがのたくった様な字で、『まいど〜』とだけ書かれている―が付いているだけ。
パッと見では、何の建物なのかも判別出来ない。
(そう言えば……私も探すのに苦労したな)
何やら扉を上からなぞるラディオは、最初に来た時の事をふと思い出す。
ランサリオンに居るという噂を聞き付けたは良いが、その他の手掛かりが一切無かった。
それでも根気良く歩き回り、何度も行ったり来たりを繰り返し、漸く見つけたのがこの平屋である。
(…………此処だな)
目星の付いた扉の右端辺りを、決まった間隔で6回ノックすると、カチカチッと歯車が噛み合わさる音が聞こえて来る。
最後に、丸いドアノブを左に回し、そのまま扉に押し込んだ。
すると、振動を始めた扉が平屋の奥へスライドしていく。
(いつ見ても素晴らしい。この『徹底振り』こそ、イトの真骨頂だな)
大人1人分のスペースを空けて、床に現れた地下への階段を眺めながら、ラディオは微笑みを浮かべる。
そう、此処は情報屋の店であり、これが真の入り口なのだ。
因みに、この仕掛け扉を壊す事は実は容易である。
防護術式は掛けてあるが、其方も簡単に解除ないし破壊が出来る。
だが、それこそがイトの狙いだった。
毎度位置が変わる扉の『ツボ』―イト曰く柔らかい所―を、決まった間隔で決まった回数叩き、ドアノブを操作する。
この方法以外で店に入ろうとすると、感知術式が働き、イトは即座に行方をくらましてしまうのだ。
例えそれが、ラディオだろうと自分の親だろうと。
情報屋という性質上、命に関わる様な事は多々ある。
だが、イトは『正式な客』以外との接触を完全に断つ事で、自分の身を守ってきたのだ。
どんな微細な事にも注意を払い、徹底して安全管理―自分の身に対しても、商品である『情報』に対しても―に努める。
それ故に、イトの仕事は超一級品たり得るものとなるのだ。
ラディオは再度感心しながら、階段を下りていく。
▽▼▽
長い螺旋階段を下り、曲がりくねった廊下を歩き、辿り着いた両扉。
ドアノブを掴んだラディオは、少し持ち上げる。
すると、浮いた扉がシュルシュルと床へ吸い込まれていくのだ。
押しても引いても開かない扉は、イト曰く遊び心なのだそう。
その先は、こじんまりとした円形の部屋1つ。
中は薄暗く、表と同様窓も無い。
壁一面に設置された棚に詰められたと本や書類、謎の骨董品の様な物体。
それらを、天井から吊るされた一本の提燈が妖しく照らしている。
「まいど〜」
「邪魔するよ、イト」
デスク奥に座り、パラパラと見もしない本を捲りながら、ラディオを笑顔で出迎えたイト。
細い目の奥を、相変わらず怪しく光らせながら。
「今日はどないしました? 教団の件なら、なーんも面白い事は無いですよ?」
「そうか……その件については、引き続き宜しく頼む。今日は別の要件で――」
「〜〜〜♪」
その時、ラディオの眼前に何か光るものが飛来した。
『私を見て!』と言わんばかりに顔の周りを飛び回り、何やらご機嫌な様子を見せている。
対して、イトは不機嫌な声を出し、光を窘めた。
「も〜、あかんやろぉ。今は仕事の話し中なんやで、ピーちゃん」
「構わないさ。元気かい、ピー」
「〜〜〜♪♪」
頭に短い角を携え、所々に桃色の体毛を生やし、蝙蝠の様な翼と細い尻尾を持つ、体長30cm程の女の子。
イトの古くからの相棒で使い魔の1人、『ピクシー』だ。
情報収集は勿論の事、店の雑務から家事全般をこなす超有能女子である。
「全く尻軽なんやか――へぶっ!?」
「ーーー!!」
肩を竦めて首を振っていたイト。
だが、その頬に見事なハイキックを炸裂させたピーが、顔を真っ赤にして抗議し始めた。
尻軽と言われた事が、余程気に入らなかったのだろう。
「何すんねん! ホンマの事やろぉ〜!」
「ーーー!!!!」
「いったぁー! ちょホンマ許さへんで!?」
掴み掛かろうとするイトをヒラリと躱し、追撃の引っ掻きを見舞うピー。
振りかぶったへなちょこな拳を再び躱し、ピーがラディオの前に飛んで来た。
『アイツをどうにかしてっ!』と、身振り手振りで訴えている。
「私も会えて嬉しいよ、ピー」
「っっ!! 〜〜〜♡」
しかし、この一言でコロッと機嫌を直したピー。
ラディオの肩にちょこんと座ると、頬に頭全体をスリスリし始める。
何故か分からないが、ピーはラディオにとても懐いているのだ。
「こいつホンマ……ゴホンッ! え〜、お見苦しい所を見せてしまいまして、えらいすんません」
「いや、構わない。いつも通りだな」
「えぇ……ちゃいますやーん……それはそうと! 別件とはいうのは?」
「人を探して貰いたい。彼の行方を、なるべく早く知りたいんだ」
ラディオから一枚の紙を受け取り、内容を確認する。
しかし、『はぁ』と溜息を吐き、困った様な顔で此方を見上げて来たのだ。
「……どうした?」
「本気ですか?」
「……勿論だ」
「そうでっか。はぁ〜」
再び溜息を吐くと、紙を小皿に入れ、焼却処分したイト。
これも彼の流儀の1つで、情報漏洩を防ぐ為のもの。
依頼された内容は全て、瞬時に頭の中に入れるのだ。
「ラディオはん、依頼完了です」
「……どういう意味だ?」
「娘さんにかまけるのも良いですけど、もう少し周りに興味を持ちましょうね」
「……留意しよう」
唐突な説教の意味が分からなかったが、的を射ていたので素直に頷くラディオ。
それを見たイトは、笑いを押し殺していた。
「くっくっく……そうそう、お探しの人物ですが、『内町』に居る『親方』が全てを知っています。迷宮に潜って、ちゃちゃっと行って来て下さい」
「内町の親方、か。助かった」
迷宮32階層にある『内町』。
そこに、目的の人物への手掛かりがあると言う。
何も調べずに出て来た『親方』という名前は、それなりに知名度がある様だ。
「ラディオはんは、冒険者としては新米ですからね。新しい弟子さんに聞くのが早いんとちゃいます?」
「……流石だな。もうその話を知っているのか」
昨晩決めたばかりの、トリーチェとの関係を示唆したイト。
余りの耳の早さに、思わずラディオの頬が緩む。
「おおきに。『情報屋イト』を今後とも宜しゅう〜」
「〜〜〜〜!!」
ニッと笑ったイトに感謝を述べ、離れるのを嫌がるピーを何とか宥めながら、ラディオは店を後にした。
▽▼▽
5階層――
「すまない、待たせてしまったね」
「いいいえッッ! だ、だ、大丈夫ですッッ!!」
店から迷宮へ直行し、トリーチェと合流したラディオ。
『Eランク冒険者が、金時計と共に迷宮へ赴く』と言うのは、そこそこ不自然である。
悪目立ちを避ける為、受付では無く5階層を待ち合わせ場所に指定したのだ。
「今日は別件で潜るんだが……レナンの誕生日が終わるまで、大した事は教えられそうにない。それでも良いかな?」
「すーーっ! はーーっ! はい、宜しくお願い致しますッ!」
憧れの竜騎士と共に行動し、間近で観察出来るとあって、舞い上がっていたトリーチェ。
しかし、ずっとこの調子では身につくものも身につかない。
大きく大きく深呼吸をして、何とか平然を装う……筈だった――
「では、行こう――」
「はぅあッッ!?」
「……どうした?」
「いいいえッ! な、な、何でもありましぇんッッ♡」
(御顔が隠れて……竜騎士様具合がぁぁぁぁ♡♡)
ラディオがフードを目深に被った途端に、これである。
英傑には何よりのご褒美なのだろう。
蒲公英色の瞳は尋常でない程泳ぎまくり、ブクブクと軽く泡を吹いている姿は、とても『金時計』には見えない。
首を傾げながら、ラディオが質問を投げ掛ける。
「トリーチェ、聞きたい事があるんだが」
「はははいッ! 自分の好きなモノは鎧でか、か、隠れた御顔ですッッ♡」
「……そうか。覚えておこう」
英傑は、時と場所を選ばない。
全く聞きたい事では無かったが、ここまで大きな声で告げたのだ……余程好きなのだろう。
ラディオは静かに微笑みながら、頭の片隅に置いておく事にした。
「すまないが、聞きたいのは『親方』についてなんだ」
「え?…………あぁぁ!! もも申し訳ありませんッッ!! ひっひっふー! ひっひっふーー!! も、もう一度お願い致します!」
深呼吸の仕方が間違っている。
「内町に居る親方について、何か知っている事があれば教えて欲しい」
「ひっふーー! ええと……親方は内町に住んでいる冒険者ですッ!」
数年前、突如としてランサリオンに現れた親方。
その実力は非常に高く、あれよあれよと言う間にSランク迄上り詰めた。
だが、その名声を轟かせたのは、ある偉業によってである。
元々、モンスターの出現しない癒しの階層として知られ、大規模遠征の際の休息ポイントとして利用されていた32階層。
しかし、親方の登場によって劇的な変化を遂げる事となる。
持ち込んだ魔石を更に改良し、それらを駆使して人が定住出来る環境を作り上げてしまったのだ。
『迷宮内に現れた町』という事で『内町』。
いつしかそう呼ばれる様になった32階層は、今も尚発展し続けている。
「成る程。名前は分かるかな?」
「はいッ! 『ジギヴロ』ですッ! とても気難しい方の様で、自分はまだお会いした事がありませんッ!」
「……成る程。気難しい、か」
ラディオはイトの言葉を思い出し、やれやれと首を振った。
「有難う。行こうか」
「は、はいッ!」
『親方』に会う為、32階層『内町』を目指す。




