第41話 父、やるべき事はただ1つ
「ちーちーっ♡」
「おかえり。さぁ、しっかり拭かないと風邪を引いてしまうよ」
(あっ!?)
いつもの様に浴室から飛び出して来たグレナダが、一目散にラディオの元へ駆けて来た。
すると、リビングに居たレミアナが、とっさにトリーチェ達の顔をメロンメロンに押し付ける。
角の事を2人は知らないのだ。
「ぶふっ!? ふぇみあなほの!?」
「くる……し……!」
(うわ……何あれ……超可愛いんですけどぉぉ♡)
しかし、その心配は杞憂に終わる。
グレナダは相変わらず全裸だが、頭にヘアキャップを着けていたのだ。
最近の来客の多さと娘の癖を考えて、ラディオが数日前から被る様に躾けていたのである。
「体を拭いたら、髪を乾かそうね」
「あいっ♡」
ちちに体を拭いてもらって、グレナダはご機嫌そのもの。
湯気で火照った頬を緩ませ、フニャリと笑顔を咲かせている。
タオル地で作られたヘアキャップ―オタマジャクシモチーフだが、例によってとても不細工な顔―は、娘の長い髪と角をスッポリと覆い、湯冷めをさせにくいので、ラディオ自身も大満足の出来だった。
「良い湯だったのじゃ〜♡」
サニアも風呂から上がって来た時、レミアナはまた1つ親子の事を理解する。
(あぁ〜、レナンちゃんはこれを真似してるのね。それに……)
見事過ぎる肢体を、惜しげも無く披露するサニア。
そう、平たく言えば全裸だ。
1つに纏められた濡れた髪、弾力溢れる褐色の肌、程良く重力を受け入れるばいんばいんの谷間を流れる水滴……この世のものとは思えない色気を醸し出している。
「サニア様、風邪を引いてしまいますよ」
しかし、ラディオには全く変化が無い。
いつもの様に微笑みを浮かべながら、体の心配をするだけ。
サニアはニッと笑うと、息子の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「ラディオ〜、竜は風邪など引かないのじゃ!」
「……確かに。ですが、レナンが真似をしてしまいます」
「むぅ……孫を出すのはズルいのじゃ」
ぷくっと頬を膨らませたサニアが手を払うと、胸にはバンド状の、下腹部には下着状の、漆黒の鱗が生えたのだ。
「これで良いか?」
「はい。有難う御座います」
「ばぁばすごいのだ〜♡」
そんな光景を見たレミアナは、がっくりとうな垂れてしまった。
サニアは間違いなくラディオの原点となっている。
良い意味でも、レミアナにとって悪い意味でも。
(こんなの毎日見てたとしたら……そりゃ反応なんてしませんよねぇぇ! もぉーーーー!!)
レミアナが妙な敗北感に襲われている事など露知らず、ラディオは娘に問い掛ける。
「レナン、何か欲しい物はあるかな?」
「ほしいもの?」
首を傾げるグレナダ。
娘に下着を履かせながら、ラディオは言葉を続ける。
「あぁ。もう直ぐ、レナンの誕生日なんだよ。だから、父は何かプレゼントがしたいんだ」
「たんじょうび?」
「そう。レナンが父の元に来てくれた、とても大切で、とても幸せな日の事だよ。レナンと共に居る日々全てが、父にとっては幸せだけどね」
「う〜ん……う〜ん……」
悩んでいる娘のおでこに、自分の額を合わせた途端、グレナダの尻尾がブンブン動き出した。
そのままラディオの首に抱き付くと、全身を使って甘え始める。
「レナン、ちちがいるからなんにもいらないのだっ♡」
「……そうか」
「きゃははっ♡」
父親として、これ以上幸せな贈り物があるだろうか。
頬をゆるっゆるにしたラディオは、娘をギュッと抱き締める。
グレナダが幸せ一杯に笑い声を上げると、次々に張り切った声が聞こえて来たのだ。
「レナンちゃん誕生日なんですね! いつですか? 私も絶対何かプレゼントしますね♡」
「僕、も……買う、ます!」
「ふむ、小さき王の好みを調べねばならんな」
「よよ宜しければ、じ、じ、自分も! 是非レナン殿にッッ!!」
驚いて振り返ると、いつの間にか皆が集まっていた。
そして、『プレゼントは何が良いか』と、楽しげに相談を始める。
「皆……有難う」
自分以外に、娘を愛してくれる人達が居る。
娘の誕生日を祝いたい、と言ってくれる人達がいる。
『魔王』の証を持ち、世界の災厄であるグレナダの為に。
ラディオは感謝で一杯だった。
「妾も用意するぞ! 可愛い孫の為に、一肌でも二肌でも脱ぐのじゃ〜♡」
「有難う御座います。レナン、本当に欲しい物は無いのかな?」
「う〜ん……あっ! あったのだ!」
すると、寝室へとてとてと駆けて行く小さな体。
戻って来たその手には、新しく買って貰った絵本が握られている。
『モワトリム』のシリーズ最新作だ。
床に座り込み、一生懸命絵本を捲るグレナダ。
探していたページを見つけると、満面の笑みで大人達に広げて見せる。
其処には、鮮やかで色彩豊かな、海中の絵が描かれていた。
「レナン、『うみ』がみたいのだ♡」
「海か……良し、では旅行に行こう。皆にも行って貰えるか聞いて――」
「私も行くよ〜レナンちゃん♡」
「僕、も! みん、な……一緒、が……いい、から」
「たまには……迷宮以外の散策も悪くないな」
「じ、自分もっ! ご、ご、ご一緒したいと思いますッッ!!」
ラディオが改めて聞くまでも無かった。
今度は、『海を堪能する為に最適な場所は何処か』と、意見を出し合うレミアナ達。
すると、サニアが孫を抱き上げ、両腕を高く伸ばした。
「レナン、楽しみじゃの〜♡」
「あいっ♡ みんなと『うみ』みるのだぁ♡」
瞳を輝かせ、共に尻尾をフリフリしながら、喜びを表す2人。
ラディオは静かに微笑むと、1人そっとダイニングに移った。
(君達が居てくれれば、レナンは大丈夫。私は……心からそう想えるよ)
そう遠くない未来、必ず訪れる最愛の娘との別れの時。
だが、今のラディオに心配は無かった。
何故なら、娘には信頼出来る『家族』が、こんなにも居るのだから。
父親として、やるべき事は1つだけ。
グレナダを、グレナダを受け入れてくれた大切な人達を、最期の時まで全力で護り抜く。
改めて心に誓い、賑やかに笑い合う娘達を、只静かに見つめていた。
▽▼▽
「お義母様、またお話聞かせて下さい♡ レナンちゃん、旅行楽しにしててね!」
「うむ! いつでも顔を出すのじゃ、レミアナ」
「はやくいきたいのだ〜♡」
団欒のひと時も終わり、レミアナ達と玄関先で挨拶を交わす。
皆泊まっていくものだとばかり思っていたラディオは、少し拍子抜けした顔をしていた。
「夜も遅い。本当に泊まっていかなくて良いのかい?」
「はい! 私達これから『跳ね馬亭』に行って、『女子会』やるんです♡」
「……そうか」
『じょしかい』の意味は良く分からなかったが、レミアナ達はキラキラと顔を輝かせている。
『それだけ楽しい事なのだろう』と、ラディオも笑顔で頷いた。
「エルも良いのか?」
「私は今から国に帰る。小さき王のプレゼントを考えねば。8日後……だな?」
「あぁ。8日後、此処を発つ」
ラディオと固い握手を交わし、ハイエルフは転移魔法で国へ帰って行った
「ではでは、ラディオ様、お義母様、レナンちゃん、お休みなさい♡」
朗らかな笑顔を見せたレミアナだが、実を言えばラディオとくっついて寝たいのは山々だった。
だが、今回は我慢をしている。
他ならぬサニアの為に。
今日一日、観察している中である事に気付いていたレミアナ。
サニアが息子を見つめる時、とても寂しそうな瞳をしている事が何度もあった。
それはほんの一瞬だったが、レミアナは見逃さない。
訳は聞かなかった……いや、聞けなかった。
だからこそ、今日は親子3人水入らずの方が良い。
「おや、すむ……です♡」
「おおおやすみなさいませッッ!!」
レミアナに続いて、カリシャとトリーチェも挨拶をする。
「あぁ、お休み。気を付けて」
「良い夜であったぞ! またな」
「ばいばいなのだ〜!」
その姿が街道に吸い込まれるまで、見送っていたラディオ達。
ずっと手を振っていたグレナダも、静かになった途端目を擦り始める。
ラディオが抱き上げると、直ぐに瞳をトロンとさせて、今にも眠りそうだ。
「私達も休みましょう」
「そうじゃな……う〜〜ん! ラディオ、もう良いか?」
サニアは大きく伸びをすると、期待を込めた眼差しで胸と下腹部を指差した。
溜息混じりに微笑みながら、ラディオも首を縦に振る。
「はぁ〜♡ やはりこの姿が一番楽なのじゃ〜」
嬉々として手を払い、鱗を消失させたサニア。
弾力溢れるばいんばいんを惜しげも無く揺らし、満面の笑みを浮かべる。
「程々でお願い致します。では、2階にレナン用の部屋がありますので、今日はそち……」
「…………」
説明をしていると、母の顔から笑みが消えた。
無表情でラディオを見つめ、一言も喋らない。
心なしか、周りの空気も歪んで見える。
「…………彼方が寝室――」
「うむ♡ 参るのじゃ!」
折れた息子の頭を満足気に撫でてから、サニアはルンルンで寝室へ向かう。
腕の中でスヤスヤと眠る娘に目線を落としたラディオは、参った様に微笑みを零した。
(……よく似ているね、レナン)
「ち、ち……へへ……♡」
寝言を言いながらニヤけるグレナダ。
小さな手で、しっかりとラディオの胸を掴んで。
その時、ラディオはふと故郷の事を思い出した。
(そう言えば……そろそろ『儀式』の時期だ。サニア様が居なくて良いのだろうか)
後で確認してみよう。
そんな事を考えながら、ラディオも寝室へ向かう。
▽▼▽
その頃、とある山の麓の村では――
今日も今日とて、大いに賑わう『竜の黒翼亭』。
1日の仕事を終え、食べて飲んで語らい合う村人達。
ここ最近のホットな話題は、『山神』と『竜の子』である。
「んぐんぐ……ぷはぁ! そろそろ山神様も着いた頃だんなぁ」
「あぁ、違ぇねぇ。くっくっく! ラディオ様の慌てる顔が目に浮かぶべ〜!」
何と、この村こそラディオの故郷。
サニアが何百年も住まいとし、庇護を与えている『アルラン村』である。
『竜王』である事は告げていないが、アルラン山に住まう守り神として認知されるサニア。
村人達は尊敬と感謝の念を込め、『山神様』と呼び慕っている。
「ラディオ様が旅立ってから、本当に寂しそうだったかんなぁ」
「んだぁ。だども、顔見せに来ねぇラディオ様がいけねぇよぉ! はっはっはっ!」
ラディオ達の話題を肴に、ビールが並々と注がれたジョッキを幾つも空ける村人達。
すると、また1人酒場に入って来た。
「おー! 遅かったなぁ。おーい、こっちにビール頼むだ!」
「悪りぃな。おい、それより『儀式』の事すっかり忘れてたっぺ。どうすっか?」
やって来た男の言葉に、飲んでいた村人達も『しまった!』という顔になる。
「いっけねぇ! もうそんな時期か〜……どうすっぺ? だども、山神様に戻って貰うのは酷だべよ」
「でもよぉ、儀式もやらなきゃなんねぇし……ちょっと村長に――」
「心配無い。その為にウチが来た」
腕を組み悩んでいた村人達は、突如として聞こえて来た声の主を探して、キョロキョロと辺りを見渡す。
すると、テーブルの端からちょこんと出ている頭頂部を発見した。
体を傾けて確認した村人が、驚きの声を上げる。
「あぁ! いつの間にいらしてたんですかぁ!」
「さっきだ。んぐんぐ……けぷっ。おい、お代わりをお願いする」
「はいはい、お待ちを! おーーい! ビール追加だぁ!」
其処に居たのは、10歳前後の見た目をした可愛い女の子。
普通に考えれば、夜の酒場に子供が居る事なんて有り得ない。
しかし、この女の子は普通ではなかった。
顔の右半分を前髪で覆い隠した、鮮やかな翠色のショートカット。
露わになっている左の瞳は髪と同色だが、全てを射抜くような鋭いジト目がとても印象的である。
だが、何よりも目を引くのは頭に生えた立派な双角。
更に、腰から生えている太い尻尾は、正しくサニアのそれだったのだ。
「これなら儀式も安心だっぺ! ティアマト様、飲み比べといきますだ!」
「度胸は買う。でも、ぶっ潰す」
何を隠そう、この女の子の正体は『烈風竜・ティアマト』。
風を司る、『元素の竜』の1体である。
例年、『儀式』にはサニアの存在が必要だが、ど〜〜〜〜してもラディオ達に会いたかったので、急遽代役として呼び寄せられたのだ。
「はっはっはっ! 流石、ティアマト様だぁ〜!」
「まだまだ。お代わりをお願いする」
儀式の心配が無くなった村人達は、先程以上のペースで飲み始めた。
その横では、ティアマトも小さな体で大人顔負けの飲みっぷりを見せている。
実際、1000年近く生きているので子供では無いが。
「おぉ? なんだなんだ〜?」
「あれまぁ! ティアマト様〜! おーい、皆こっち来いってぇ!」
「んぐんぐ……お代わりをお願いする」
「はっはっはっ! 今度は俺と飲みましょうや!」
ティアマトの来訪に気付くと、他のテーブルからもどんどん村人が集まって来た。
「そう言えばぁ、ラディオ様とグレナダ様には会われましたか?」
「いや……暫く会いに来て無い。でも、風が教えてくれた。元気でやっている、と」
「良かったぁ! 村人みーんな心配してたんですよ〜」
「心配無い。でも、そうだな……会いに来ないのはムカつくから、今度シメに行く。とびきりの酒を持って」
「「「ひゅ〜〜!」」
「ささっ、ティアマト様! 今日は朝までいきましょ、朝まで!」
「無論だ。ぶっ潰す」
こうして、大いに盛り上がりを見せる『竜の黒翼亭』。
サニア達の話題に花を咲かせながら、明け方まで笑い声が響いていた。