第38話 父、何も言わない
(そんな、でも……有り得ない! 魔王の証は『真紅の角』で、レナンちゃんは此処に居て……でもでも、この異常な魔力の質は何なの!?)
レミアナは困惑していた。
とっさに魔王と言ってしまったが、考えれば角の色が違う。
しかし、女が纏う雰囲気は普通では無かった。
今迄出会った誰よりも群を抜いた強大さを放つ、次元が違うもの。
そして、何処となく同じ匂いを醸し出している事が、レミアナを更に混乱させる。
(でもでも、間違いじゃないとか言っちゃってるし……早く帰って来て……ラディオ様……!)
帰りを願い、グレナダを護る様にギュっと抱き締めるレミアナ。
すると、玄関から漂う異様な空気を感じて、カリシャもやって来た。
間に入り、毛を逆立て臨戦態勢を取る。
女は佇んでいるだけなのだが、脅威を振りまくには十分過ぎたのだ。
「其方達……良い目じゃ」
しかし、全てを見透かす様な視線を向けながら、嬉しそうに微笑む女。
瞬間、レミアナの背中が凍り付いた。
何と、グレナダが腕をすり抜けてしまったのだ。
「レナンちゃん!? ダメッッ!!」
レミアナの制止も聞かず、カリシャの足の間を抜けて、グレナダは一直線に女へ駆けていく。
そして、徐に両手を広げると――
「ばぁばっ♡」
「レナ〜ン♡ 会いたかったのじゃ〜♡」
衝撃の言葉を言い放ち、抱っこをせがんだのだ。
グレナダを抱き上げた女も、満面の笑みで頬ずりしている。
「……はい?」
幸せな笑い声が響く中、呆気に取られたレミアナは、目の前の光景が理解出来ない。
カリシャも同じだった様で、戦闘態勢のポーズのまま固まってしまった。
そんな2人を差し置いて、女のスキンシップは激しさを増して行く。
「んん〜♡ 大きくなったのじゃ〜♡ ん? 何じゃこの不細工な顔の装束は。美しい其方には不釣り合いじゃ」
兎・夏仕様の着ぐるみを見て、怪訝な顔を見せる女。
しかし、グレナダはぷくっと頬を膨らませる。
「ちちがつくってくれたのだぁ! レナン、うさちゃんだいすきなのだっ!」
フードを手で押さえながら、プンプンするグレナダ。
今回の兎・夏仕様は、ラディオの力作である。
夏の生え変わりを意識して、一般的なイメージの白ではなく、わざわざ茶色で編むという若干ズレた拘りは、いつも通りだが。
実際問題、長い耳が付いていなければ、到底兎には見えないだろう。
「な、に……!? これを、ラディオが編んだと言うのか……!」
わなわなと震える女。
しかし、急にニヤけた顔になると、グレナダの頭を猛烈に撫で始めた。
「良く似合っておるではないか〜♡ 流石、妾のラディオじゃ〜♡」
固まっていたレミアナが、ビクっと反応を示す。
今、途轍も無い言葉が聞こえたのは気のせいだろうか。
いや、確実に聞こえた。
「今……妾のって……」
「ふむ、そうじゃ。何せラディオは妾の――」
「あっっ♡」
女が問いに答えようとした瞬間、またもや腕をすり抜けたグレナダが、一目散に街道の方へ走って行った。
すると、女の瞳が輝きを増し、顔を恍惚に歪ませながら後ろを振り返る。
其処には、駆けてきた娘を抱き上げる中年が居たのだ。
「あぁ……いつ見ても愛いのじゃ……♡ 」
居ても立っても居られず、駆け出す女。
すると、電流が走ったかの様に、ラディオが前方に目をやった。
「……サニア様!」
「ラディオ〜〜♡ 」
駆ける勢いそのままに、分厚い胸板へ飛び込んだサニア。
しっかりと受け止めるが、驚きと嬉しさが入り混じり、困った様な笑みを浮かべるラディオ。
「お久しぶりで御座います。お変わりない様で」
「おぉ! 其方もな、エル」
すると、共に帰って来たエルディンが、穏やかな笑みを浮かべながら、片膝を付いて挨拶を交わす。
立ち上がる様に手で促したサニアは、久し振りの再会に満足そうに頷いた。
この時、家から般若の様な顔をして駆けて来る影が1つ――
「どぉぉぉぉいうぅぅぅぅ事ですかぁぁぁぁ!?」
困惑やら驚愕やら怒りやらラディオ愛しいやら嫉妬やらで、もうレミアナの感情はぐちゃぐちゃ。
ラディオの前まで来ると、語気を荒げて眼前に詰め寄る。
「ラディオ様! 私にも分かるように説明をお願いしますっ! 説明を! く・わ・し・くっっ!!」
すると、レミアナの前に立ったサニアが、優しい微笑みを浮かべた。
「成る程、其方がレミアナじゃな? 妾の孫を護ろうとする強き想い、見事であったぞ。褒めてやるのじゃ!」
そして、突然始まった激しいスキンシップ。
わしゃわしゃと頭を撫で回されてしまう……が、不思議と嫌な感じはしなかった。
それ所か、ラディオの様な温かさを感じる。
「妾の、孫……? という事は……あぁーー! ラディオ様の!?」
瞬間、急に全てを理解したレミアナ。
すると、ラディオが申し訳無さそうに眉尻を下げた。
「そうか、レミアナにはまだ話していなかったね。此方、ナサーニンア・ファラティオン・レイグイネス・ラガディアンヌ様。私の命を救い、全てを与えて下さった大恩ある師であり、親愛なる母だよ」
女の正体は、ラディオの師であり母だった。
それにより、角の理由も分かった。
そして、魔王では無い事も。
「ナサーニンア・ファラファ……その、『竜族』の方……ですよね?」
「馬鹿弟子、サニア様は只の竜族では無い。私から何を学んでいたのだ」
眉間を押さえながら、大きな溜息を吐くエルディン。
『まぁまぁ』と友の肩に手を置き、ラディオが優しく説明する。
「サニア様はね、世界を統べる『四王』の一人、【竜王】様なんだ」
「えっ……えぇぇぇぇぇぇ!? 竜王様ぁぁぁぁぁぁ!?」
驚くのも無理は無い。
竜族という事だけで相当に珍しく強大無比であるのに、サニアはその頂点に君臨する『王』だと言うのだから。
しかし、レミアナは同時に合点がいった。
比肩する者の居ない、人族最強の強さをラディオが持つ理由に。
世界の根幹たる存在である『四王』に従事したのであれば、それも納得出来る。
「あ、あぁぁぁ! 先程は大変失礼致しました!!」
途方も無い混乱に襲われながらも、何とか地面に跪いて頭を下げるレミアナ。
しかし、サニアは立ち上がる様に促して来る。
レミアナが恐る恐る立ち上がると、悪戯な微笑みが目に入った。
「どうじゃ? あながち間違いでは無いと言ったじゃろう! あっはっはっは!」
(わ、分かりにくい……!)
たぷんと胸を揺らし、誇らしげに腰に手を当てるサニア。
しかし、レミアナから力が抜けて行く。
魔王ではなく竜王だから、なんて……。
「あ、はは……でも、良かった――」
「レミアナよ、妾は其方が気に入ったのじゃ!」
急な褒め言葉にキョトンとするレミアナ。
すると、頭の中で様々な事が渦巻き始まる。
(えっ、待って……竜王様はラディオ様のお母様、よね? そのお母様に認められたって事は……親公認……あれ、もうこれ許嫁じゃないッッ!?)
大神官長の解釈は、常人とは一線を画す。
すると、最大級に恍惚に顔を歪ませ、最早吐息とは言えない程の荒い呼吸しながら、体を震わせ始める。
『あはぁ〜♡』とか『うへへへっ♡』とか言いながら。
「……所でサニア様、ランサリオンへはどの様な御用件で?」
「そうじゃ! 妾は怒っているぞ、ラディオ! とってもぷんぷんなのじゃ!」
何気無いラディオの問い掛けに、ぷくっと頬を膨らませたサニア。
頬をポリポリ掻きながら困っていると、グレナダが満開の笑顔を咲かせながらサニアに手を伸ばす。
「ばぁば! レナン、ばぁばとあそびたいのだぁ♡」
「勿論じゃ〜♡ さぁ、妾に家を見せてくれるか?」
「あいっ♡」
息子から孫を受け取った母は、意気揚々と家へ歩き出す。
目線で『何をした?』とハイエルフが訴えてくるが、ラディオに思い当たる節は無い。
「レミアナ、其方にも話が聞きたい。此方に来るのじゃ」
「うへへへ……はっ! はぁい、お義母様ぁぁぁぁ♡」
惚けていたレミアナは、嬉々としてサニアの横に並んだ。
呼び方が明らかにおかしいが、不思議とサニアも満更ではなさそうな顔をしている。
そして、『馬鹿弟子……』と呟きながら、その後を追うハイエルフ。
1人残されたラディオは、徐に茜色の空を見上げ、母の怒りの理由を考えてみるが――
(ふむ…………全く分からん)
一向に答えは出て来ない。
▽▼▽
「改めて、此方がサニア様。そして、此方がレミアナとカリシャです」
「うむ。其方達、そんなに固くならんでも良いのじゃ!」
何やかんやあって、テーブルを囲んだ一同。
とても上機嫌な顔で女子2人を見つめるサニアと、未来の姑―自分の計画では―に対し笑顔を振りまくレミアナ。
しかし、カリシャはオドオドしていた。
完璧では無いが、サニアが偉い人なのだと言う事は理解した。
溢れる強大さも、身に染みて感じている。
しかし、奴隷としての生活しか知らなかったカリシャは、どういう対応をすれば良いかが分からなかった。
困り果て目を泳がせていると、優しい声が聞こえて来た。
「カリシャ、普通にしていれば良い。いつも通りの君でいいんだよ」
「あっ……は、い♡」
頬を紅く染め、耳をピクピクさせながら頷くカリシャ。
すると、真横から歪なオーラが発生した。
限界まで目を見開き、此方を凝視して来る淀んだ視線。
それに気付いた―視線にだけ―ラディオは、微笑みながら同じく語り掛けた。
「勿論、レミアナもね」
「はいっ! ラディオ様っ♡♡」
『あはぁ〜♡』と上ずった声を上げながら、腰をくねくねさせる大神官長。
「あっはっはっは! 其方達、実に良いな!」
「りゅ、お……様、いい、です?」
その時、まだ少し目を泳がせながらも、カリシャが声を掛ける。
「ゆっくりで良い、何でも聞くのじゃ!」
「その、よい、目……の、意味……なに、ですか?」
最初に言われた『良い目をしている』の意味が気になっていたカリシャ。
すると、サニアの纏う雰囲気が一変した。
先程までは底抜けに明るい感じだったのが、今は穏やかで雄大な大地の様。
温かな愛が滲み出るサニアに、部屋に居る全員が大きな安心感に包まれた。
「あれは感謝じゃ。妾と対峙した瞬間、其方達は力の差をハッキリと感じ取ったじゃろう? だが、逃げなかった。只の無謀は愚劣の極みじゃが、其方達には理由があったな?」
サニアは立ち上がると、レミアナ達の方へ歩いていく。
そして、愛しさを伝える様に2人の頭を撫でながら言葉を続けた。
「それは、レナンじゃ。其方達は、妾の愛しい孫を本気の愛で包み込んでくれた。敵わぬとも、護る為に。妾はそれが嬉しかったのじゃ。だからこそ、気分が良いのじゃ〜!」
サニアの雰囲気が元に戻ると、激しいスキンシップが始まった。
2人を羽交い締めにして、幸せ一杯に絶え間ない頬ずりしてくるのだ。
しかし、レミアナもカリシャも嬉しそうに笑っている。
「それに比べてラディオ! 其方は何じゃ〜!!」
一頻りレミアナ達を撫で回したサニアは、次の狙いを息子に定めた。
胸板に飛び込み、駄々っ子の様に喚き始める。
「妾はぷんぷんなのじゃ〜! その理由が分かるかぁ〜!」
「申し訳ないのですが、分かり兼ねます。それと、サニア様……角が当たっているのですが」
胸にすがる様にして抱きついているせいで、母の大きな角がグリグリと頬を突き刺す。
しかし、頭を振って、余計に動き回るサニア。
「妾は寂しかったのじゃ〜! 半年以上も一人にしおって〜! 愛しい息子と孫に会えなかった妾の孤独に比べれば角が何じゃ〜! 男なら我慢せんか〜!」
「……かしこまりました」
そう、わざわざランサリオンへ赴いた目的は、只々息子達に会いたかったから。
ラディオとしても、落ち着いたら報告に行こうとしていた事は間違い無い。
だが、最近色々有った事もあり……完全に忘れていた事も間違い無い。
(本当に申し訳ない事をしてしまった。だが……時期的には完璧だな。サニア様も、意識して来られたのだろう)
角のせいで顔が小刻みに動いているが、母の気持ちを汲み取り何も言わないラディオ。
すると、やっと離れたサニアが、険しい顔を見せた。
「分かったか! 妾はぷんぷんなのじゃ! これ以上寂しくさせたら……妾は拗ねちゃうのじゃからねっ! 本当に、拗ねちゃうの――」
「サニア様」
腕を組み、頬を膨らませプイッとそっぽを向くサニア。
しかし、徐に片膝を付いた息子が、手を優しく包み込んで来た。
「私が至らないばかりに、本当に申し訳ありませんでした。ですが、こうしてまたサニア様の御顔を拝見出来た事に、この上ない幸せを感じております」
「ず、ずるいのじゃ……♡ (ズキューーーン)」
サニアの『息子愛いメーター』がパンクした。
ヨロヨロとふらつき、乙女の様な顔を晒すと、再びラディオに抱きついた。
「ラディオ〜♡ どれだけ愛いのじゃ〜♡」
「ちち〜! レナンもぎゅってしてほしいのだ〜♡」
ちちにじゃれつくばぁばを見て、グレナダは我慢の限界を迎えたらしい。
ベビーチェアからいそいそと降りると、ラディオの背中に飛び込んだ。
文字通り板挾みにされたラディオだが、幸せそうに笑顔を見せている。
そんな光景を、じっと見つめるクリアブルーの瞳。
(……分かっちゃったかも。ラディオ様の性格とか、レナンちゃんの性格とか、お義母様譲りなんだ)
将来の姑に気に入られる為、サニアの動向をずっと観察していたレミアナ。
その中で、ラディオの不意のスキンシップや、グレナダの甘えん坊な性格が、サニアと酷似している事に気付いたのだ。
(……そっか! ラディオ様の喋り方も、レナンちゃんの口癖も、全部お義母様からだ)
そう、グレナダの特徴的な語尾は、生まれた頃から聞いていたサニアの真似をしたもの。
そして、ラディオの堅苦しい喋り方も、半分は此処から来ている。
(うへへへ……ラディオ様の知らない一面がこんなに沢山……♡ 勉強させて頂きます! お義母様ぁぁぁぁ♡)
大神官長は、抜け目が無い。
途轍も無く瞳を怪しく光らせながら、サニア達を見つめ続けるのであった。




