第35話 父、舞い降りる
「ならば再び送り返すまで! 《五色竜身・皇翠 》!」
鋭敏なオーラが溢れ出し、暴風が吹き荒ぶと、ラディオの瞳が鮮やかな翠色に変化した。
これぞ、新たに到達した《五色竜身・翠》の最大出力である。
「ほぅ……以前より洗練されているな、ラディオ」
感心した様に頷くゼノを無視し、構えを取ったラディオ。
そして、ほんの少し体が揺れた瞬間、立っていた地面がすり鉢状に大きく抉れた。
それとほぼ同時に、空中で轟いた衝突音。
「……貴様もな、ゼノ」
空中で光の柱に拳を突き立てるラディオ。
今行ったのは、只の跳躍。
たったそれだけで、地面が陥没する程の凄まじい衝撃を放ったのだ。
「嬉しいぞ! 貴様はこの10年、遊んでいた訳ではない様だ!」
「私は面倒だがな――ッッ!!」
何百という連打の嵐を浴びせると、光の柱に小さな亀裂が入った。
しかし、一旦地上へ降り立ったラディオ。
幾ら拳をねじ込もうとも、亀裂が大きくならなかったのだ。
その間に、ゼノはナルシャを自身の柱へ転移させてしまう。
「その子を離せ」
ラディオが冷たい声で言い放つと、浮かんでいる体を脇に抱え、此方を挑発する様に少女の頭を撫でるゼノ。
「……二度言わすな。それより、貴様等に良い物をくれてやる。見るが良い!」
すると、膨大な魔力を天空に放出したゼノ。
その凶々しい圧力は、光の柱を突き抜けて空間を漆黒に染め上げる程だ。
すると、鈍い閃光を放ちながら、ドクンドクンと再び胎動を始めた『死魂の宝珠』。
「必ず貴様は殺す……が、まだその時ではない」
再度魔力を放出すると、4つの黒い光の柱が、ランサリオンの各地に降り注いだ。
「その力……まさか!」
「そうだ! これは【魔魂】、《叛逆の堕天使・ルシファー》の翼だ!」
ラディオは驚愕を禁じ得ない。
【魔魂】とは、【神器】や【霊具】、そして【竜装】と同格の力。
魔王の加護を受けた、想像を絶する力なのだ。
同時に、危機感に見舞われる。
このままゼノを逃したら、娘にどんな危害が及ぶか分からない。
教団の目的が『グレナダ』である事は明らか……ならば、此処で潰すしかない。
(やるしか無い……完全解放した竜装で片をつける)
瞬間、ラディオから迸るオーラの質が変化した。
バチバチと唸りを上げる魔力の波動は、さながら竜そのもの。
すると、ゼノが冷徹な視線を向けながら、膨大な魔力を手に込める。
「止めておけ。無駄に時を浪費するだけだ……はぁぁッッ!!」
瞬間、歪な漆黒の槍を出現させ、有らん限りの力を込めて投げ飛ばしたゼノ。
狙うはラディオ……ではなく、その背後だった。
「私と小娘の命、今度は何方を選ぶ! フハハハハハッ!」
「くっ……!」
高笑いを響かせ、徐々に闇に同化していくゼノ。
刹那の戸惑いを見せたラディオは、全ての力を込めて地面を蹴った。
(間に合ってくれ……!)
飛び出した先は、後方。
陣の修復を終え、此方に駆けて来るトリーチェの元だ。
「はぁ……はぁ……えっ」
達成感に包まれていた少女を襲ったのは、混じり気の無い殺意。
眼前に突如姿を現した、禍々しい漆黒の穂先だった。
避ける事も、構える事も、認識する事すら許されない。
為す術も無く、只見ている事しか出来ず――
斬ッッッッ!!
全く動けないでいたトリーチェの両側を、真っ二つに切断された槍が流れていく。
「あっ……えと……はぁ、はぁ……!」
遥か前方から、自分の命を摘みに来た黒い槍。
そして、同じ距離から駆け付けてくれた中年。
余りにも突然の事に、トリーチェは気が抜けてしまう。
だが、遅れて来た恐怖から、冷や汗が噴き出して来た。
「……あ、 あの……えと……助けて頂いて有難うございました!」
ハッと気付き、ラディオに感謝を述べたトリーチェ。
すると、温かく大きな感触が頭を包んだ。
「……無事で良かった」
静かに微笑むラディオ。
この時、トリーチェの中である記憶が鮮明に蘇る。
命を救われた、あの時の……そう、この温かさには覚えがあるのだ。
「もしや……貴方は……!」
トリーチェは思わず口籠ってしまうが、ラディオの視線は別に向いていた。
「なっ!? あれは、一体……!」
同じ様に視線を向けたトリーチェは、驚愕に襲われる。
激しく痙攣を始めた歩兵達が光の玉となり、宝珠に吸い込まれていくのだ。
「ふむ……相当な置き土産だな」
「置き土産……うわっ!?」
瞬間、ラディオから夥しい魔力が溢れ出して来た。
空間を食い破る様な波動を受け、トリーチェは目を開いていく。
(この凄まじい迫力、あの温かさ……やはり、間違いない……【漆黒の竜騎士】様だ……あぁぁぁぁ! こんな所でお会い出来るなんてぇぇぇぇ♡ 何故気付かなかったんだぁぁぁぁ♡)
そう、トリーチェは漸く気付いたのだ。
ラディオこそ、探し求めていた人物だという事に。
加えて――
(はッッ!? 自分は……自分は……憧れのお方に剣を突き立ててしまったではないかぁぁぁぁ!!)
憧れの人の腹に剣をぶっ刺し、豪快に斬り捨てた事に。
とんでもない自己嫌悪と罪悪感に苛まれて、卒倒しそうになるトリーチェ。
唯一の救いは、本人が特に気にしていない事だろう。
「万物を超える翠竜の拳 今此処に 顕現せよ――《烈風竜拳・ティアマト》」
嵐の様なオーラがラディオの四肢を包み込み、美しい翠色のガントレットとグリーブが姿を現した。
その輝きはまるで宝石。
見る者を吸い込んでしまいそうな程、透明感に溢れている。
更に、両端に縦穴が2つずつ開けられた翠色の面頬が、顔下半分を覆っていた。
「後の事は私に任せて、君は大神官長達の側に居てくれないか?」
横で悶絶している―槍のせいで怯えていると勘違いしている―少女に優しく声を掛けるラディオ。
しかし、口をパクパクさせながら、顔を真っ赤に染め上げていくトリーチェ。
(こここれはッッ!? 御顔が、隠れて……『竜騎士様具合』が格段に上がっているぅぅぅぅ♡♡)
どうやら、【漆黒の竜騎士】そのもの、つまり鎧姿に欲情するらしい。
普段から漆黒の鎧を身に纏っているのも、これが理由なのだろう。
彼女もまた、歪んだ性へ……愛情を持つ1人だった様だ。
「……ギーメル殿?」
「はいっ! はいっ! 自分の一命を賭して、必ず御期待に添えてみせますぅぅぅぅ♡ 主殿ぉぉぉぉ♡」
「…………では」
何故急に『主殿』と呼び、声高に叫んでいるのかが分からなかった中年。
しかし、元気にはなった様なので、少し後ろ髪を引かれつつも、ラディオは大広場へ駆けて行く。
▽▼▽
下段中央・『大広場・上空』――
(さて、これは……)
空中に佇み、腰に手を当てながらじっと一点を見つめるオウヨウ。
突如として現れた光の柱にサブナックが包まれ、煙の様に消えてしまった。
その後には、空間を歪ませながら形を変えていく『死魂の宝珠』が残されただけ。
モンスターを全て飲み込んだ今、その力を最大限に使って、何かをしてくる事は明白。
(些か、面倒かも知れませんね)
思案を巡らせていると、大広場に続々と集まって来る仲間が見えた。
「皆様、ご無事で何よりで御座います。最後のお客様がお見えになる様ですから、精一杯お持て成し致しましょう」
降り立ったオウヨウが朗らかに声を掛けると、噴水の縁に腰掛けたアレクサンディアスが、不満たっぷりに言葉を返す。
「お持て成しって気分じゃないんだよねぇ〜。折角、僕ちゃんのハニー達が頑張ってくれてたのにさぁ〜」
「ホントよぉ〜ん! あの柱のせいで取り逃がしちゃったわよぉ〜ん! もう少しで捕獲出来たのにぃぃん!」
「私もだ。あの人形野郎……次は必ず破壊してやる!」
漢女とエルフも、後一歩の所で光の柱の妨害を受けていたのだ。
互いに顔を見やり、悔しさを滲ませていると――
「いやぁぁん! それはダメだって言ってるじゃなぁ〜い!!」
「……分かんないかも。全然分かんないかもぉ!」
カサカサと背筋が寒くなる足音を響かせ、巨大な百足に乗ったアニエーラが登場した。
しかし、可愛い我が子を否定されてしまい、頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。
「や、やぁ〜、アニエーラ〜。ぼ、僕ちゃんは……良いと思うけ――」
「ぷはぁ……嬉しいかも。見直したかもぉ」
「ひぃぃ!?」
これが、優男の精一杯のフォローだった。
すると、喜んだアニエーラは、大量の小さな蜘蛛を吐き出し、優男の全身を這わせてしまう。
「……ごめんなさ〜い! やっぱり僕ちゃんも無理ぃ〜!!」
「…………全然分かんないかも! 絶対分かんないかもぉ!!」
アレクサンディアスは手で蜘蛛を払いながら、アサルトの頭の上に避難した。
更に大きく頬を膨らませ、再びそっぽを向いてしまうアニエーラ。
「ほっほっほ! 皆様、遊んでいる場合では有りま――ほ〜ほっほっほっ!」
「遊んでる訳じゃないわよぉ〜ん!」
「遊んでる訳じゃないよねぇ〜!」
「遊んでる訳じゃないかもぉ!」
「状況を考えろッッ!!」
腹を抱えて大笑いしている統括に、金時計達が待ったを掛け、更に、スーリオスの怒号が飛んだその時――
「「「ギャオオオオオオオ!!」」」
幾つもの咆哮が、ランサリオンに轟いた。
見上げる先には、暴風を巻き起こしながら佇む、白金の鱗に覆われた山の様な巨躯。
桁違いのオーラを爆発させる、7つの首持つドラゴンが出現したのだ。
「ほほぅ……これはこれは」
「まーたヤバいのが現れたんじゃないのぉ〜?」
「あらぁ〜ん♡ 派手なフィナーレになるわねぇ〜ん♡」
「街を壊したら……ブチ殺す!」
「楽しそうかも。痛いのくれるかもぉ♡」
軽口を叩く様とは裏腹に、皆真剣な表情に変わり、全身からオーラを溢れさせる。
現れたドラゴンの力量を見抜き、一瞬にして臨戦態勢に入ったのだ。
瞬間、1つの首が大きく口を開けると、莫大な魔力が集約されていく。
魔力は次第に漆黒の球体となり、尚も膨らみ続ける。
「……少々、不味いかもしれませんね。スーリオス様、防護術式を――流石で御座います」
既に詠唱を終えていたスーリオスが、両手を高く掲げた。
「《シールド・オブ・クリスタリア》!」
怒轟ッッッッッッ――!!
展開された多面体のシールドと、漆黒の球体がぶつかり合う。
そして、強烈な閃光と共に、凄まじい衝撃波が大広場を襲った。
「がはっ……!」
舞い上がる粉塵の中、スーリオスの口から夥しい量の血が零れ出る。
他の金時計は辛うじて無事だったが、凶々しい波動を集中的に喰らった彼は、膝から崩れ落ちてしまった。
「スーちゃん……ありがとね。後は、アタシ達に任せてちょうだい」
しかし、ドレイオスが直ぐ様駆け寄り、そっと地面に寝かせる。
すると、2人の前に立ったアレクサンディアスとアニエーラ。
共に、燃え上がる怒りを瞳に宿して。
「……コイツもやる気出させてくれるねぇ〜」
「ウザいかも。嫌いかもぉ」
だが、オウヨウだけは険しい顔をしていた。
『最上級魔法』を貫通させる程の力……あのドラゴンはとんでもない。
(……厄介ですね。複数体でアレをやられる前に……本気を出すと致しましょう)
オウヨウから突き刺す様に鋭いオーラが立ち昇ると同時に、今度は3つの首が大きく口を開けた。
途轍も無い力を放つ漆黒の球体に押し潰されそうになりながらも、金時計達は一歩も引きはしない。
「皆様、私と共にその命……燃やし尽くして下さいますか?」
この攻撃を止める術は無いと、ドレイオス達も自覚している。
だが、オウヨウが真の姿となれば、まだ勝機はある。
それまで時間を稼げれば良い。
統括の言葉に、皆力強く頷いた。
避難している住民達は、4人の金時計が必ず護ってくれる。
素晴らしい功績を挙げてくれた教会には、トリーチェが居る。
ならば、後は自分がドラゴンを倒せば良いだけの事。
オウヨウは静かに微笑みを見せた。
「皆様と共に戦えた事、心から誇りに思います。必ずやあのドラゴンを倒し、ランサリオンに平和を。その後は……彼方でお会い出来る事を楽しみにしております」
もう、何も言わない金時計。
ドラゴンの前に立ちはだかったその顔には、確固たる覚悟が刻まれている。
ランサリオンを護る為ならば、例え死すとも本望であると。
しかし、その想いを塗り潰す様に、膨れ上がった漆黒の球体が、頭上に降り注ぐ――
「《天翔竜 》」
怒轟ッッッッッッッッ――!!
太陽の顕現と見紛う閃光が迸り、一瞬にして光に飲み込まれた世界。
その後感じた、体が千切れる様な凄まじい衝撃波。
遅れてやって来た轟音が、耳鳴りを起こさせる。
だが――
「僭越ながら、御助力致します」
生きている。
それ所か、鮮明になった視界には、1人の男の姿があった。
混乱と困惑に包まれながら、オウヨウがポツリと呟く。
「これは、何が……貴方は、一体……?」
「……しがない新米冒険者ですよ」
男はそれだけ言うと、ドラゴンに向かって構えを取る。
未だ状況が把握出来ない金時計達。
しかし、その瞳にはこう映っていた……『新たな竜が舞い降りた』と。
▽▼▽
「どうでした? それなりに大変でしたけど、時間稼ぎになりました?」
「問題無い」
ランサリオンから遥か遠く、夜空を飛翔する巨大な影。
それは、蛇の様に細長い体をした、刺々しい鱗を持つ龍。
その上には、ゼノに拾い上げられた教団の面々が座っていた。
「それなら良かったです。それにしても、オウヨウ殿とはまた戦いたいですね〜。今度は……殺し合いで」
「好きにしろ。いずれその機会も来る」
「……不覚。塔ニ入リ込メズ、遅レヲ取ッタ」
エルディンと交戦していたアギ=ラー。
相当に消耗した様で、体の輝きがかなり小さくなっている。
「【翡翠】が相手では仕方ない。加えて、【聖女】の猿真似をされてはな」
「猿真似なんてとんでもない! 急に体が動かなくなっちゃって、大変でしたよ〜」
フードを払いながら、右腕を摩るサブナック。
その視線を、完全に折れている左腕に加え、身体中に痣を作り、至る所から出血しているベイロンに向けながら。
それに気付いたゼノが、振り返る事無く冷徹な声を出す。
「ベイ、貴様は降格だ。招集があるまで、鍛錬に励め」
「そ、そんなっ!? ゼノ様! 今一度チャン――」
「二度言わすな」
「……承知、しました。申し訳ありませんでした……!」
ゼノに謝罪をすると、1人離れて座り込み、唇を噛み締めるベイロン。
やれやれと頭を振ったサブナックは、今度は悲惨な状態の頭部を見やる。
「ア……ガガ……アァ……」
「これは……また酷くやられましたね〜」
「此奴は敵を侮った。当然の結果だ」
そう言いながら、ゼノは徐に手を翳す。
液状の球体に頭が包まれると、ブクブクと泡を立てながら、徐々に瞳に光が戻って行く。
「此方は雑兵をやられただけなんで、成功……ですかね?」
「あぁ。欲を言えば、直に観察したかったが……今は彼奴と共に在る方が成長が早いと見た。少し様子見をするのも、悪くない」
「ゼノさんの因縁の相手ですね。オウヨウ殿と戦っている時でも、ビリビリ感じてましたよ。あぁ……あの方とも殺り合いたいですね〜」
そう呟いたサブナックは、端整な顔を劣情に歪ませ、三日月の如く口角を吊り上げる。
しかし、凄まじい怒りを宿した眼差しで、ゼノに睨み付けられてしまった。
「サブ……二度言――」
「はいはい、『二度言わすな』って言いたいんですよね? 獲物は横取りしませんから」
「……ふん」
「さて……次は予定通り、【熾天使】で良いですか?」
「あぁ……アドニアにも捜索を急がせろ。何時迄も水遊びをしているな、とな」
「了解しました。あ、彼も呼び戻します?」
「無論だ。次に狙うは【サタン】……奴の力も必要だ」
「了解しました。にしても、あの置き土産はやり過ぎなんじゃないですか?」
遠く離れたランサリオンの方角を見ながら、サブナックが問い掛ける。
すると、両手を大きく広げ、ゼノは夜空を見上げた。
フードの奥に光る真紅の瞳に、底の見えない狂気を刻んで。
「器を育てる男なら、【七夜の災害】如き、容易く看破して貰わねば! フハハハハッ!」
「如きって……二代目魔王様の遺産なんですけど。結構キツイと思いますけどね」
「心配は要らん……彼奴を殺せるのは、私だけなのだからな!」
高らかに声を上げたゼノが、前方に手を翳すと、空間に大きな亀裂が入る。
それは、まるで深淵へと誘う闇そのものに見えた。
「さぁ! 成果を携え、凱旋と行こうではないか!」
激闘を終えた教団は、ゆっくりと姿を消していった。




