第34話 父、夜空を仰いで
「君の最初のミスは、私への『警告』だった」
視線を外す事無く、淡々としたラディオ。
その手に、気付かれぬ様に魔力を込めながら。
「どういう意味かな〜?」
「説明の前に……これを返そう」
ラディオは腰布から短剣を取り出すと、狙いを定めて投げ放つ。
しかし、ナルシャは難なく掴み取り、退屈そうな欠伸と共に手遊びを始めた。
「狙うなら首じゃなくて、足とかにした方が……何これ〜?」
瞬間、自分を中心として、紫色の炎が円を描いて燃え上がったのだ。
ラディオが手を翳すと、更にその勢いは強くなっていく。
「『幻影魔法』が得意な君の本体が動くのを、ずっと待っていた。聞きたい事もある……大人しく其処に居た方が良い」
「……ふぅ〜ん」
ちらりと上を見たナルシャは、気怠げに声を漏らす。
今や、炎は顔の高さまで上がってきている。
加えて、縁から縁を絶えず飛び回る、竜の形をした炎が上空に逃げる事も許さない。
ナルシャは地面に座り込むと、『お好きにどうぞ』とでも言う様に、片手を差し出して見せた。
「……その短剣の持ち主が、カリシャやコルティスでは無いと、最初から分かっていた」
ラディオは表情を崩さず、これまでの経緯を話し始める。
「その時点で、私は1つの可能性を注視し始めた」
それは『深淵教団』の存在。
娘が生まれてから、ずっと懸念していた事でもある。
カゲとして教団と戦い、最高責任者である『教皇』も倒したラディオ。
しかし、実は幾つも腑に落ちない点を抱えていたのだ。
「そして、30階層での出来事。あの時、あの場に居たのはナルシャ……君だね」
ラディオの問いに、ナルシャは答えない。
わざとらしく口角を上げて、じっと此方を見つめるだけ。
「気配や口調は確かに違う。だが、その手遊び……それを私に見せるのはこれで3度目、2つ目のミスだ」
「……ふぅ〜ん」
ピタリと手遊びを止めたナルシャは、短剣を地面に捨てた。
吊り上げていた口角も、少し下がった様に見える。
「1度目は『死魂の宝珠』、3度目が今の『短剣』。そして、私の疑いを最も濃くしたのは……2度目の『饅頭』だ」
大広場でバッタリ会った時、跳ねさせていた饅頭。
顔には出さなかったが、ラディオはこの時に気付いたのだ。
腕や関節の動かし方、手の使い方、跳ねさせる間隔などが、30階層の黒い影と全く同じであると。
更に、疑いを決定的にする言葉も聞いてしまう。
「君は言ったね……『女の子は痛ぶるのに、自分はダメなんて最悪だ』と」
この時、ナルシャはコルティスがされた事について触れてしまった。
イトが情報操作した噂しか知らない人物ならば、何て事はない会話に思えただろう。
しかし、ラディオは『当事者』である。
「コルティスの所業は明らかになっていた。君は此処の出身ではないし、奴隷の扱いがどんな物か知っていても不思議は無い」
この時、ラディオはナルシャの変化を見逃さなかった。
何も変わってない様に見えるが、ほんの一瞬目が泳いだ事を。
「だが、何故君は……コルティスが痛ぶられたと知っていた? 噂にも、ギルドの開示した調査結果にも、その様な文言が一切無いにも関わらず」
今や無表情になっているナルシャ。
ラディオをじっと見つめ、微動だにしない。
しかし、その瞳は言い様の無い虚無感で染まり出した。
「これが君が犯した3つ目の、そして最大のミス。それから私は、色々と君の事を調べさせて貰ったよ」
ラディオが確信を持った後、イトに頼んでナルシャの身辺調査を行ったのだ。
それによって得た事実は、驚くべきもの。
更に、昨日の出来事が、ラディオの心を締め付けていた。
▽▼▽
昨日、就寝前――
「ちち〜♡ おまつりたのしみなのだぁ〜♡」
ラディオがリビングの戸締りをしていると、寝室から嬉しそうな声が聞こえて来た。
明日はギルド生誕祭、グレナダは本当に楽しみにしている。
しかし、先ずはギルドに預けなければならない。
ドレイオスから指名依頼を受けていたラディオは、『教団掃討作戦』を聞いていたのだ。
(新たな教団……彼奴程の強者が、こうも簡単に現れるものなのか……)
10年前、最後まで立ちはだかった男の姿が脳裏に浮かぶ。
だが、短剣とイトの情報から復活は確実。
ならば、此方も全力で臨むのみ。
決意を新たにしながら、再度玄関の確認に向かった時、丁度ノックの音が聞こえ――
「……こんな時間にどうした?」
「あ、あの! えと……おは、なし……その……」
扉を開けると、艶やかな黒曜石の瞳が此方を見上げていた。
熟した苺の様に顔を真っ赤に染め上げ、モジモジと尻尾を揺らす少女、カリシャである。
盛大に目を泳がせていると、ラディオの顔がドンドン近付いて来るではないか。
「ああ、あの、あぁ……うれし……じゃ、ない、ダメ……ふにゃ……♡」
「ふむ……熱は無い様だ。とすれば……」
額と額が合わさった瞬間、カリシャはもう立っていられない程に、体が熱くなるのを感じた。
対して、徐に夜空を見上げた中年は、涼しい顔で頷いている。
「確かに。夜にしては、少し気温が高いかも知れないね」
そう、ラディオにとって顔が赤いというのは、熱の有無の一択でしか無い。
『確かに』の意味が全く分からないが、納得する理由を得た様で何よりだ。
「それで、話と言うのは?」
「はい、あの……僕、の……いも、と……話、ある、ます」
カリシャは決めたのだ。
ラディオには全て打ち明けようと。
たどたどしい言葉だが、一生懸命自分の生い立ちを話し始める。
相槌を打ちながら、しっかりと耳を傾けるラディオ。
「それ、で……あの、お願い、あり……です」
「……何かな?」
全て話し終わると、カリシャは一層真剣な表情となった。
だが、その瞳は悲しみに染まって見える。
「わが、まま……分かる、ます。でも、お願い……ます。いも、とを……助け、て……くだ、さい……!」
眉根を寄せて、顔に力を込めるカリシャ。
こうしていないと、涙が溢れてしまうのだ。
少女は、隠す様に顔を伏せる。
「……分かった」
すると、少しの間を置いて、聞こえて来た優しい声。
自分でも信じられない。
とても身勝手で無理なお願いである事は、重々承知している。
でも、ラディオは受け入れてくれたのだ。
「……ほん、と……です?」
「あぁ……約束だ」
顔を上げると、頷きながら微笑むラディオが見えた。
堪らず、わっと泣き出してしまうカリシャ。
涙が溢れたその顔に、微笑みを浮かべて。
「帰り道、気を付けて」
「は、い! ありがと、ました! ありがと、ました!」
落ち着きを取り戻したカリシャは、何度もお礼を述べながら、街道を下りていく。
しかし、玄関を閉めたラディオの顔は、とても険しいものになっていた。
(運命……そう言うしか無いのか)
まさか、こんな事があり得るだろうか。
カリシャの唯一の心の拠り所が、『深淵教団』に属していたなんて。
▽▼▽
(確かに……目元や顔立ちがそっくりだ)
炎の中で座り込む少女を見れば見る程、ラディオは現実を受け入れるしかなかった。
どうか間違いてあって欲しい……そんな一縷の望みも、儚く散って行く。
姉とは別の道を辿ったナルシャは、今や『司教』の地位に就いていた。
まだ15歳と幼いながらも、コルティスの監視と管理を任される程。
カリシャが訪れる少し前、実はイトと会っていたラディオ。
其処で、ナルシャの一連の情報を得ていたのだ。
だが、イトは全てを明かした訳では無い。
姉の詳細について、意図的に伏せたのだ。
それは何故か。
長い付き合いのイトには分かっていたからだ。
姉がカリシャであると知れば、ラディオが必ず迷う事を。
深淵教団は潰さなければならない。
だが、同じ境遇であったラディオとカリシャは引き寄せられてしまった。
そして、カリシャを助けると決め、実行にも移した。
それ故に、ラディオが本来の目的を果たせなくなると危惧したのだ。
結果、その予感は的中する。
妹の救いを求められ、ラディオは了承している。
だからこそ、ナルシャを直ぐに殺さなかった。
少女の真意を知らなければならかったのだ。
カリシャとの約束を果たす為に。
「へぇ〜。色々バレバレだったんだねぇ」
一方、ナルシャは余裕を見せていた。
特に焦る事も無く、寧ろこの状況を狙っていたのかと思う程冷静だ。
反応を示したのは、『此処の出身では無い』という部分のみ。
『奴隷』を暗示させた言葉だけだ。
加えて、ラディオにはもう1つ気になる事がある。
敢えて『ミス』と表現したが、果たして本当にミスだったのか。
それならば、余りにも無計画過ぎる。
だが……これが全て『わざと』ならば、その目的は一体何なのか。
「君に問いたい。教団を抜ける気はあるか?」
「ばっかじゃないの? ある訳ないじゃん」
「心配は要らない。家族が君の事を待っている。2人でなら、幾らでもやり直す事が出来る」
「……はぁ?」
ナルシャが明らかに不機嫌さを滲ませた事で、ラディオの瞳に一層の憂いが宿る。
「君の姉が心配してい――」
「ウッッザ!! おっさんさぁ、説教なら別のとこでやってくれる? あたしあのゴミに興味無いから!」
「……そうか」
思わず目を閉じてしまうラディオ。
(洗脳された訳では無い、か。この子は……自ら進んで教団を選んだのだな)
ラディオも、イトの事は良く知っている。
情報に隠された部分を、ある程度予想していた。
それが今、想定していた中で最悪の、だが一番有力だったものとなってしまったのだ。
3年前、カリシャを知らないと言った事、怪我を負った事、これら全てが偽りだったのだ。
そして、『姉』への想いはこれっぽっちも存在していない。
「話は終わった? だったらさっさとここから出せよぉぉ!!」
ナルシャの怒号が響き渡ると、ラディオはゆっくりと目を開けた。
その瞳に、先程の憂いはもう無い。
慈悲も慈愛も宿す事無く、只冷たく光るだけ。
「良いだろう。ならば、これより君を……殲滅する」
ラディオが腕を払うと、炎が消える。
直ぐ様後方に飛び上がり、距離を取るナルシャ。
両腕をダランと垂らし、ドス黒いオーラを溢れさせて。
すると、ナルシャの周囲に真っ黒な短剣が幾つも浮かび上がった。
「そう簡単にはいかないよぉ〜、おっさん!」
「……どうかな」
「……あ?」
短剣を綺麗に頭上に並べながら、構えを取るナルシャ。
しかし、ふっと微笑んだラディオの顔が苛立った。
威嚇する様に声を荒げたその時――
「何笑ってんだよテメ――ぐぅぅ!? あぁぁぁぁぁぁ!!」
突如、全身に激痛が走り、堪らず悲鳴を上げた。
すると、地面が大きく揺れ始め、純白の光が溢れ出して来る。
それはどんどん輝きを増し、ランサリオン全域を包む道筋となっていくのだ。
「うぁぁぁぁぁぁ! うぐっ……何だ、これぇ!?」
胸を抑え、膝から崩れ落ちるナルシャ。
物凄い剣幕でラディオを睨み付けるが、身体中を駆け巡る激痛のせいで、上手く頭が回らない。
逃げなければならないのに、もう手足の自由も無くなっていた。
「こっち、来んな! ぐぅぅ……! お前、何した――あぁぁぁぁ!!」
「私は何もしていない。いや……私には出来やしない。この見事な術式は、大神官長による物だ」
ラディオが指差した方へ、何とか目をやったナルシャ。
だが、其処にあるのは崩れた瓦礫だけ。
「それが、ぐっ! どう、した……あっ!?」
そう、居る筈の金時計の姿が無いのだ。
何故なら、最初にナルシャを炎で囲った時、既にトリーチェは移動している。
ラディオから託された分身体と共に。
短剣を投げた時、首を狙ったのは視線を此方に向ける為。
わざわざ炎で囲んだのは、目眩しの為。
教会に新たに送った分身体を介して、トリーチェに陣の修復をして貰う為だった。
ナルシャは、若くして司教の地位に就く才がある。
しかし、逆を言えばまだ司教だ。
魅了魔法や催眠魔法を使えないラディオには、それを遥かに凌駕する竜の力がある。
更に言えば、少女が想像も付かない様な痛みを与える事も出来る。
口を割らせるのは、至極簡単な事。
そうしなかったのは、カリシャとの約束の為。
そして――
「聞きたい事があったのは事実……時間稼ぎには、丁度良かったと思わないか?」
ラディオはふっと微笑んだ。
「この魔法陣の名は、『聖痕の洗礼』。呪印を持つ者にのみ反応し、その自由を奪うものだ。激痛を伴ってね」
これこそが、金時計の奥の手。
ランサリオンに潜む教団の鼠を炙り出し、乗り込んでくるであろう本隊の弱体化も図れる。
これは、『枢機卿』と言えど例外では無い。
嘗て、魔王を討ち果たした英雄の一行である、【無極の聖女】が創り上げた秘術中の秘術である。
しかし、求められるものもそれ相応。
発動には、桁外れの膨大な魔力が必要となる。
それも、女神に仕えし聖なる魔力が。
本来であれば、数週間から数カ月の時間を掛けて、徐々に陣に流し込んでいくもの。
それも、何千人単位の神官達で。
だが、今のランサリオンにはレミアナが居る。
尋常ではない魔力量を持ち、誰もが天才と認める【幼き聖女】が。
結果、レミアナは1人で、しかもこの短時間で、魔法陣の発動を見事やってのけた。
その名に恥じぬ偉業である。
「く、そ……! こんな、所で……!」
「話は終わりだ……教団は潰さなければならない」
ラディオは、四つん這いになって呻くナルシャの横に立った。
『聖痕の洗礼』の力は、今尚強くなっていく。
ナルシャは、もう顔すら上げられない程に疲弊していた。
「ぐぅぅ! お前、なんかに……まけ、る……!」
「負けたのではない。君は救われるんだ。レミアナに、ランサリオンに……そして、姉の愛に」
ラディオは左腕を天高く掲げた。
真っ直ぐに指を揃えて、手刀を形作りながら。
そして、躊躇無く少女のクビ目掛けて振り下ろす――
「……これで良い」
地面に伏したナルシャ。
手刀によって激痛から解放され、今は気を失って。
月が照らす夜空を仰ぎながら、凛とした表情を見せるラディオ。
(……約束はもう少し待ってくれ。必ず、この子を助けて見せるから)
やはり、始末など出来はしない。
この子は、カリシャの大切な唯一の家族なのだから。
ナルシャの体を抱き上げようと、手を伸ばしたその時――
怒轟ッッッッッッ!!
凄まじい爆音が轟き、ドス黒い光の柱がナルシャに降り注ぐ。
ラディオは即座に手を伸ばすが、強烈な痛みと共に弾かれてしまった。
同時に、上空から濁りきった声が響いて来る。
「その娘は私のモノだ。手出し無用で願おうか」
「貴様は……!!」
瞬間、ラディオの全身からオーラが溢れ出した。
その凄まじさたるや。
空間をねじ曲げ、大地を鳴動させる程の、異常な力の波動。
ラディオが見据える先には、同じく光の柱を纏った漆黒の影。
「久しいな、ラディオ……冥府より舞い戻ったぞ!」
現れた者の名は、ゼノ。
嘗て、幾度無く死闘を繰り広げ、人族最強の力を持つラディオにさえ『強者』と言わしめる男。
魔界に降り立った時、最後に立ちはだかった深淵教団『枢機卿』。
それは、ラディオが殺した筈の男だった。




