第33話 【博愛の漢女】と【黒百合の女帝】
中段右側・『教会内・聖堂』――
(ラディオ様、レナンちゃん……どうか無事で……)
聖堂内の祭壇の前で、祈りを捧げる様に手を組み、普段とはまるで違う真剣な表情を浮かべているレミアナ。
行なっているのは、超長文詠唱。
時間を掛けながらゆっくりと、巨大な陣に魔力を流し込んでいるのだ。
「レミアナ様に、女神様の御加護を」
「「「御加護を」」」
背後では、神官長一同が祈りを捧げる。
額に汗を光らせ、昼前から休む事無く詠唱を続ける【幼き聖女】の為に。
これは、ギルドから正式に依頼された大切な任務。
この術式に、作戦の成否が懸かっていると言っても過言では無いのだが――
怒轟ッッッッ!!
教会は、度々激しい揺れに襲われていた。
勿論、敷地内全体に防護術式は施してある。
故に、簡単に破壊される事は無い……が、絶対では無い。
「神官長様ぁ……!」
「案ずるな。我々はやるべき事をやれば良――」
「あぁ! また揺れがぁぁ!」
「案ずるな。我々はやるべ――」
「神官長様ぁぁ!!」
「ええぃ、黙れぇぇい! レミアナ様の集中を乱すでない! 我々の使命を思い出せ!!」
情けない声を上げる若い神官に、神官長が喝を入れる。
「ッッ! 申し訳ありません、私が間違っていました! そうです、私達の使命は……何があってもレミアナ様をお護りする事でしたっ!」
「そうじゃ! その使命こそ、我々の信仰であり大義なのじゃ!」
周りの神官達も大きく頷き、何故かスッキリとした顔になった。
それからは吹っ切れた様に、祈りを続ける一同。
いや、確かにそれも一理あるのかも知れない。
しかし……やはり間違っている。
信仰すべきは女神の筈であり、祭壇で祀られている『ラディオ様クリスタル人形』についても、誰か異議を唱えて欲しい。
「大……じょぶ、僕……護る、ます」
すると、身廊の入り口に立つカリシャが、神官達に微笑み掛ける。
本来、C+ランクは避難対象だが、本人の強い希望により教会に残っていた。
レミアナの側から離れず、警戒を怠らないカリシャ。
何があっても自分が護る……それが、友達だと言ってくれたレミアナへの、精一杯の恩返しだから。
(ラディオ……様、達、無事……です)
そして、ラディオ達の無事を、避難しているであろう妹の無事を、心から願う。
そんな矢先――
「……何で……何で発動しないの!?」
悲痛な叫びが木霊した。
目に見えて慌てているレミアナの元へ、神官長達が駆け寄る。
「どうなされました!?」
「魔法陣が発動しないんです! 詠唱文も、魔力配分も間違って無いのに! 此処まで来て失敗なんて……」
「そんな……!」
「我々はどうすれば……!」
信じられない言葉に、神官達に不安が広がる。
その時、大きく深呼吸をしたレミアナから、純白のオーラが溢れ出した。
「……いいえっ! 失敗なんてさせるもんですかっ!!」
並々ならぬ輝きを瞳に灯し、高らかに声を上げる大神官長。
本当に、普段からは想像もつかない程真剣な面持ちで。
これぞ元英雄の一行、今正に【幼き聖女】の名に相応しい貫禄を――
「絶対成功させて、ラディオ様に『偉かったね♡』って、頭とか顔とか色んな所ナデナデして褒めて貰うんだからぁーー!!」
見せる訳無かった。
大神官長は、こんな時でも健在らしい。
歪んだ願望を抱えながら、魔力の龍脈を辿り始める。
「…………ここだ! この段の中央付近が瓦解してます!」
「何と! 我々が直ぐに修復して参りま――」
「駄目ですっ!」
神官長達が鼻息荒く玄関に向かおうとしたが、レミアナに制される。
「外はもう既に戦場、絶対に許可出来ません!!」
「しかし……!」
レミアナが再び深呼吸をすると、更に魔力が膨れ上がっていく。
「私が何とかします! もう一度詠唱に入りますが、絶対に外には出ない事っっ!!」
釘を刺された神官長達は、『それならば!』と、レミアナを囲って一心不乱に祈りを捧げ始める。
そんなやりとりをじっと見つめていた少女は、意を決した様に玄関へ向かった。
(僕、行く……!)
外に出れば戦いの真っ只中、生きて帰れる保証は無い。
でも、それでも……行かなければ。
(僕、しか……でき、ない……から!)
震える体に気合を入れる為、頬をパンパンッ!と叩く。
だが、扉に手を掛けた瞬間、カリシャの動きが止まった。
突如耳をピクピク動かし、キョロキョロと何かを探し始めたのだ。
(あっ……♡)
すると、天井付近にソレは居た。
目を凝らすと、此方に向かって頷く様な仕草をしている。
(はい……僕……信じ、る……ます)
頬を紅く染めながら、頷き返したカリシャ。
天井から去って行く姿を見送りながら、カリシャはレミアナの近くに戻る。
この時、少女には確かに聞こえていたのだ……温かく優しいラディオの声が。
▽▼▽
中段右側・『教会前』――
「はぁぁぁぁ!!」
「そんなものか! 金時計!」
振り下ろされた金色の大剣を、左腕一本で受け切る男。
深淵歩兵とガーゴイルを召喚し、教会へ降り立った大司教である。
迎え討つのは、【黒百合の女帝】トリーチェ・ギーメル。
「くっ……! 舐めるなぁぁ!!」
跳躍したトリーチェは、凄まじい速度で大剣を振り下すが、交差した両腕にまたも止められてしまう。
「『神器』など役に立たないな! そらっ!」
交差した腕を振り抜いて、大剣ごとトリーチェを弾き飛ばす。
空中で体勢を立て直している所へ、間髪入れずに大司教が仕掛けた。
「喰らい尽くせ――《ブレイクピラニア》!」
翳した両手から現れたのは、何百という魚型のモンスター。
駆ける様に宙を泳ぎ、鋭利な牙を覗かせながら、トリーチェに迫る。
「《天穿・十字星 》!!」
しかし、此方も負けてはいない。
放たれた十文字の斬撃が、魚群を殲滅していくのだ。
その先に居る大司教をも捉えながら。
「無駄だと言ってるだろうがッ! 《五天結晶》!」
十字架を切る様に腕を振り、盾の形をした結界を作り出した大司教。
凄まじい閃光を迸らせながら、衝突した金色の斬撃と結界。
だが、盾を貫く事は出来なかった。
(くそッ! くそッ!! このままでは駄目なのに……!)
盾や鎧に柔軟に形を変える、『結界術式』の応用運用。
更に、遠距離・近距離関わらず、俊敏で多彩な召喚魔法。
相手は、巧みな戦術を有している。
それに対応出来ないのは、自分の落ち度。
トリーチェは自分を責めながら、苦々しく唇を噛み締める。
冷静に対処すれば、もっとマシになる事は分かっている。
分かってはいるが……どうしても頭を過る記憶が、判断力を鈍らせるのだ。
(自分が護らなければ……『金時計』が負ける訳にはいかないんだっ!)
トリーチェは深呼吸をすると、大剣を真っ直ぐ構えた。
心臓の音が痛い程に響き、焦がす様な怒りの熱が、身体中を巡っているのが分かる。
それでも、自分の気持ちを押し殺さなければ。
託された教会を守る為に――
「大人しく降伏しろ、金時計。そうすれば、楽に死なせてやるぞ? 嘗て滅ぼした国の様にな! フハハハハハ!!」
トリーチェを見据え、嘲笑に唇を歪ませる大司教。
「……何、だと……!」
瞬間、トリーチェの瞳から光が失われた。
同時に、体が奥底から震え出す。
血が出んばかりに歯を噛み締め、拳が砕けんばかりに力を込めて。
睨む先には、深淵教団。
国を、家族を、少女の平穏を、全て奪った憎き仇の姿。
「……嘗て滅ぼした国の様に……だと……! 調子に乗るなよ……屑の分際でぇぇぇぇ! あぁぁぁぁぁぁ!!」
「ぐっ!?……何だ……!」
激情に駆られた咆哮と共に、トリーチェから夥しい魔力が溢れ出す。
それは、真っ黒に塗り潰された怨嗟の力。
大気を食い破る様な圧力に、大司教からも笑みが消えた。
大剣を地面に突き刺し、柄を固く握り締めたトリーチェが、溢れ出る魔力を解き放つ。
「うヴゥ……ソの力デ全てヲコワせ――《エスカ―」
怒轟ッッッッッッ!!
その刹那、地面が大きく抉れ、粉塵が巻き起こった。
見ると、盛り上がる筋肉をこれでもかと主張する男の銅像が、街道に突き刺さっている。
突如起こった出来事に2人共言葉を失い、銅像が落ちて来たであろう空を自然と見上げた瞬間――
「……ぐわぁぁッ!?」
大司教が『何か』に殴り飛ばされた。
混乱するトリーチェの目に映るのは、ドギツいショッキングピンクのオカッパ頭。
鍛え上げられた鋼の肉体を持つ、頼れる漢女肌は勿論――
「おほほほほっ! お待たせぇ〜ん♡」
【博愛の漢女】ドレイオス・マキュリである。
すると、突然倒れ込んでしまったトリーチェ。
だが、瞬時に駆け寄った漢女のお陰で、地面との衝突は免れた。
「はぁ……はぁ……レイ、すまない……! 自分は、また……!」
バキバキの腕を掴み、体勢を整えたトリーチェ。
しかし、その瞳には涙が溜まり、拳を震わせている。
「……良いのよ。間に合って良かったわ」
優しくそう告げたドレイオスは、直ぐにいつもの調子に戻ると、トリーチェの肩を掴んだ。
「リーちゃんにお願いがあるのよぉ〜ん♡ ちょ〜っと陣に問題が出ちゃったみたいでねぇん、修繕に行ってくれないかしらぁん?」
「だが、自分は……奴の相手を……ぐっ!」
酷い頭痛に襲われ、顔を歪めるトリーチェ。
ドレイオスは物憂げに微笑むと、苦しむ弟子をギュッと抱き締める。
「アタシじゃ陣の修復なんて出来ないのよぉ〜ん! お・ね・が・いぃん♡」
「……レイ」
調子だけはいつも通りだが、力強い抱擁が、溢れ出る心配をトリーチェに伝えていく。
確かに、このままでは堕ちてしまうだろう。
その事を、ドレイオスは大広場から予見していたのだ。
自分の弱さに怒りを募らせながらも、観念した様にトリーチェは頷いた。
「……分かった。だが、場所の検討はついているのか?」
「もっちろんっ♡ この子が教えてくれたのよぉ〜ん!」
そう言うと、ブーメランパンツの中から、半透明の小さな小さな竜を出した漢女。
「ど、どこから出すんだっ!? そもそもそんなスペース無い……ていうか、そのちっさい竜は何だ!?」
緊迫した状況の中でも、流石にツッコミが我慢出来なかった。
手の中に置いた竜を撫でながら、ニッコリと笑うドレイオスを見てると尚更に。
心なしか、竜がグッタリしている様に見えるが……気のせいにしておこう。
「これはぁ〜ん、アタシのお友達が寄越してくれたのぉん。それでねぇん、大広場はレクちゃんに任せてぇん、コッチに来れたのよぉん!」
すると、グッタリしている竜を差し出して来たドレイオス。
この衝撃に、トリーチェは驚愕を禁じ得ない。
其処から出したモノを触れと言うなんて……有り得ない。
「だ、大丈夫だ! 大まかな位置さえ教えて貰えれば、後は自分が何とかする!」
「あらっ、そうなのねぇん? ざーんねんっ。この子が言うには、この段の中央付近だそうよぉん。宜しくねぇん♡」
危機回避を果たしたトリーチェは、中央へ向かって駆け出した。
通り過ぎ様に見えた光景―またブーメランパンツに戻されてしまった竜―を、心から不憫に思いながら。
「無理しないのよぉん! 怪我でもしたら承知しないからねぇ〜〜ん!」
「あぁ……もう大丈夫だ!」
片手を掲げ、振り返る事無く走り去っていく背中を見送る。
そして、ドレイオスはくるりと振り返った。
「さぁん、貴方のお相手はアタシで良いかしらぁん?」
「俺の邪魔をしやがって……! くそがぁぁッッ!!」
瓦礫の山から這い出して来た大司教。
滾る怒りそのままに、置いてあった銅像を殴り付ける。
粉々に砕け散った破片を踏み潰しながら、此方に歩いて来た。
「んもぉ〜ん! 怒りっぽい男はモテないわよぉん♡」
両手を使い、濃厚な投げキッスを送るドレイオス。
当然の様に、大司教の顔が更に怒りに歪む。
「ッッ!! 俺は、崇高なる深淵教団大司教が1人、【護門】のベイロン! 貴様を殺す男の名だ! オカマッ!」
ベイロンは、首を掻き切る仕草を見せた。
しかし、ドレイオスは反応しなかった。
「……良く、聞こえなかったわね」
「はっ!! 見た目同様、耳までイカれてる様だな! このオカマ野――」
「誰がオカマだゴラァァァァッッッッ!!」
憤怒の咆哮が轟いた。
どうやら、ドレイオスの地雷を踏んでしまったらしい。
「アタシはオカマじゃねぇ! 漢女なんだよッ! 漢女の心踏み躙った事、後悔しろッッ!!」
「その台詞、そのまま返してくれるわッ!」
怒りを燃やし、徐々に駆け足となっていく2人。
互いに譲れぬものの為、ありったけの闘志を爆発させる。
そして――
「どぅぅぅぅりゃぁぁぁぁ!!」
「くそがぁぁぁぁ!!」
同時に飛び上がった2つの拳が、空中で激しい衝突を繰り広げる。
▽▼▽
(……この辺から探すか)
中央付近に辿り着いたトリーチェは、修復場所を探して周囲に視線を走らせる。
だが、此処からでは効率が悪いと判断し、通りから家の屋根へ飛び移った。
(これで見晴らしは良好だ。さて……ん? あれは……)
その時、通りの奥をひた走るで少女が見えた。
黒髪で大きな三角耳を持つ獣人族、ナーシェだ。
(何故こんな所に……マズい! 追われている!)
浮かんだ疑問は、ナーシェの背後に迫る歩兵の大群が搔き消した。
屋根から屋根へ、素早く飛び移って行くトリーチェ。
すると、ナーシェの前方に人影が現れた。
漆黒のローブを見に纏い、フードを目深に被った出で立ち。
トリーチェの瞳に、再びの怒りが燃え上がる。
疾風の如く屋根を跳び越え、大剣の柄に手を掛けた瞬間――
「なっ、待て! やめろぉぉぉぉぉ!!」
斬ッッッッッッ!!
悲痛な叫びが、通りに木霊する。
その瞳に映るのは、人影によって一瞬の内に屠られた歩兵の大群。
そして、助けを求めていた少女……その首を落とされ、今はもう動かなくなってしまった骸。
「うぁぁぁぁぁぁ!!」
悲しみと怒りに支配されたトリーチェは、人影に斬り掛かる。
「……邪魔をしないでくれないか」
凄まじい一閃を片手で受け止めた人影は、参った様に言葉を零す。
その時、巻き起こった衝撃波でフードが飛ばされた。
現れたのは、ボサボサの黒髪に髭を持つ中年の顔……ラディオだ。
「君と争う気は無い。矛を収めて、話を聞いてくれないか?」
猛攻を軽く受け流しながら、説得を試みるラディオ。
だが、トリーチェは聞く耳を持とうとしない。
「くそぉぉ! よくもナーシェをぉぉ! 殺す! 貴様は絶対に殺すッ! 深淵教団ッッ!!」
(……仕方ない)
ラディオが次の手を考えたその時、大剣が腹を貫いた。
溢れ出す血流が、剣身を伝ってトリーチェの手を紅く染めていく。
「これで終わりだぁぁ!!」
引き抜いた大剣を大きく振りかぶり、トドメの一撃を放つトリーチェ。
肩から斜めに入った大きな切り傷から、更に血飛沫が踊り出ると、ラディオは膝から崩れ落ちて地面に倒れ込んだ。
「はぁ……はぁ……ナーシェ……!」
大剣が手から滑り落ちると、トリーチェも膝を付き、天を仰いだ。
乱れた呼吸をどうにか落ち着かせようとするが、出来る訳が無い。
伝う涙と共に、しゃくりあげてしまうから。
「うぅ……ぐすっ……自分が……もっと早く……来ていれば……!すまな――うわっ!?」
瞬間、ふわりと体が持ち上がったトリーチェは、そのまま側方に投げ飛ばされてしまった。
しかし、驚いたのはそれだけで無い。
(なん、だ……? ナーシェ……?)
宙に浮かびながら見たものは、先程斬り伏せた筈の男。
そして、今の今まで自分の心臓があった場所に、短剣を突き刺している獣人族の少女の姿だった。
「……やっと動いたな」
「あははっ! 良く気付いたね〜」
短剣握る手首を捻じ上げ、体を放り投げるラディオ。
しかし、空中でクルクルと回転し、何事も無く華麗に着地するナーシェ。
手の中で短剣を跳ねさせながら、狂気に染まった瞳でラディオを見つめている。
「これは……これでは、まるで……ナーシェ!」
「君を囮に使ってしまって、申し訳ない。だが、説明をしている時間が無かった」
トリーチェを横目で見やりつつ、ラディオは《五色竜身・黄》を発動する。
溢れ出る黄色のオーラに包まれ、みるみる傷が塞がっていった。
「う〜ん、あたしの質問に答えてないよ〜?」
「では、答えよう。君は私に近付き過ぎたんだ、ナーシェ……いや、深淵教団司教、ナルシャ・ベーロ」
「ふぅ〜ん……死んで貰わないとじゃん」
少女から溢れ出る歪んだオーラを見た時、トリーチェは全てを理解した。
いや、理解せざる負えなかった。
もう……『ナーシェ』は存在しないのだと。




