第27話 父、考えを巡らす
「あ〜! おかえりなさ〜い!」
「ただ、ま……です」
迷宮から帰還した姿を見とめ、受付嬢が朗らかに挨拶をしてくれた。
カリシャもニコッと微笑みを返す。
しかし――
(……言う……いけ、ない……事)
少し離れると、何やら暗い顔になってしまった。
先日の助言のお陰で、目的の資金は容易に貯める事が出来たし、2人で決めた品の注文も終わっている。
それ所か、夢にまで見た『普通』の生活を手にしているのに。
三食温かいご飯が食べられて、暴力に怯える事も無い。
誰かに何かを強制される訳でも無く自由に過ごし、柔らかいベッドで安心して眠れる幸せがある。
しかし、出てくるのは大きな溜息だった。
(めい、わく……なる、だめ……だから……でも……でも……)
普通の事をすればする程、カリシャの頭を過る『教団』の影。
これは、【無限の軌跡】でやりたくもない事を何故やっていたのか、という事に起因している。
奴隷という事もあるが、実はそれ以上の理由があった。
しかも、その事は誰にも話していない。
ラディオに助けを求めた時、カリシャは限界だった。
もう何一つ我慢しきれない程に、心が疲弊していた。
自分に唯一残された、大切な者への想いが霞む程に。
(ごめ、んね……ごめ、んね……)
零れそうになる涙を必死に堪えて、カリシャは玄関へ歩いて行く。
『どうか、無事であります様に……』と、心から願いながら。
▽▼▽
20年前、5番コロニーの奴隷街で、愛玩奴隷として扱われていた獣人が身篭った。
生まれたのは、美しく塗り分けられた金と黒の髪色を持つ女の子。
生前奴隷としての道を歩む事になる、カリシャである。
それから5年後、母が再び女の子を出産した。
カリシャの実の妹にして、唯一の心の拠り所となる存在。
カリシャが10歳になるまで、共に過ごして来た。
奴隷街での生活は辛く厳しかったが、互いが居ればそれだけで、2人は幸せだった。
とある日、管理されていた奴隷街が何者かの襲撃を受け、一夜にして壊滅する事になる。
その者は圧倒的な戦闘能力を有し、飼育員や用心棒等、まるで意に介さない。
何千という相手を、あっという間に制圧してしまったのだ。
それも、たった1人で。
純白の鎧に身を包み、この世の物とは思えぬ神々しさを放つ大剣を振り上げるその姿は、まるで天使の様。
燃える様な紅い髪と、宝石の様な紫の瞳を持つ、とても美しい女だった。
その女は奴隷達を解放すると、一人一人にまとまった額の金貨を渡し、高らかに声を上げた。
『人生を取り戻せ!』と。
突然の事に、奴隷達は戸惑いを見せる。
しかし、一人また一人と走り出すと、皆一斉に動き始めた。
カリシャも妹を連れ、受け取った金貨を握り締めながら、夜の闇をひた走る。
これで、『自由になれる』と。
しかし、数ヶ月後に捕まってしまう。
それも、奴隷商人ではなく、『深淵教団』に。
姉妹は別々に引き離され、カリシャはコルティスに預けられる事になった。
妹を人質に取られて。
それから7年の月日が経ったが、カリシャはこの期間、妹に会わせて貰っていない。
只、全ての仕事が完了すれば2人共解放すると、教団は約束したのだ。
カリシャはその言葉を信じて、どんな事にも堪えて来た。
それから数ヶ月後、【無限の軌跡】として活動していたカリシャは、我が目を疑った。
何と、妹がランサリオンに居たのだ。
高鳴る胸の鼓動を感じながら、直ぐに妹の元へ駆け寄るカリシャ。
思ってもみないチャンスが来た。
今はお互い1人、もう子供ではない。
これなら、逃げ切れる。
カリシャは妹の腕を掴み、一心不乱に駆け出した。
ランサリオンを出て、丘を越え、入った森の中で少し休憩を取る。
再び会えた喜びから涙を流し、カリシャは妹を抱き締めた。
しかし――
『……誰?』
何と、妹は何も覚えていなかったのだ。
突き付けられた現実に、黒曜石の瞳から溢れる涙が、絶望に染まる。
『……無駄な事をしたな』
その時、眼前に黒い影が現れた。
カリシャは即座に離れようとしたが、妹は虚ろな瞳のまま、動こうとしない。
『此奴の記憶は操作してある。戻して欲しくば、仕事をこなせ……二度言わすな』
そう言い残し、黒い影は消えていく。
余りの仕打ちに、その場で崩れ落ちてしまうカリシャ。
浅はかだった……簡単に逃げ切れる訳が無かった。
程なくしてやって来たコルティスと奴隷達に連れられ、ランサリオンに戻った姉妹。
その日、カリシャは死ぬ寸前まで嬲られた。
数日後、やっと回復し外に出ると、再び妹の姿を発見する。
だが、カリシャはもう近付く事が出来なかった。
妹は……酷い怪我を負っていたのである。
この時、全てを悟り、そして諦めた。
自分が反抗すれば、妹に危害が加えられてしまう。
もう、助かる道は平伏すしかない。
その日から、カリシャは心に蓋をした。
妹を見ても、赤の他人の振りをしていくしかないと。
案内人としての仕事は熾烈を極め、何度も失敗してしまうが、街で見かける妹は元気にしている。
それさえ見れれば、カリシャはまた心に蓋をして、堪える事が出来た。
折を見て反抗しては、殺されていく奴隷達。
だが、カリシャは違う。
自分に何をされようとも、逆らう事は無い。
逆らえば、妹の死に直結してしまう。
それこそが教団の真の狙い、完璧に従順な捨て駒の完成だった。
コルティスは非常に満足していた。
これで、能力を見せれば教団に入れる。
この捨て駒さえいれば仕事はこなせる、と。
しかし3年後、1人の中年との邂逅が、少女の心の鍵を開ける事になるとは知る由も無い。
▽▼▽
ギルドを出ると、オカマ達が今日も元気良く―(いやぁ〜ん! お肌ガサガサになっちゃう〜ん!)―働いていた。
生誕祭は明日、準備もいよいよ大詰めである。
しかし、少女の顔は暗いまま。
(どう、する……いいの……)
この数日、黒い影が現れる事は無かった。
街中で妹を見かけても、元気そのもので、制裁を受けた気配も無い。
その事が、余計にカリシャを混乱させるのだ。
(分か、んない……どう、して……?)
コルティスが居なくなった事で、教団は諦めたのだろうか。
しかし、確証が無い。
不安を拭い切れぬまま、カリシャはトボトボと教会へ向かって歩いていく。
▽▼▽
タワー3階・『治安部隊隊長室』――
「ドレイオスッッ!」
扉が勢い良く開かれ、怒号と共に険しい眼差しの男が入って来た。
ギルド最高財務責任者、スーリオスである。
相変わらずジャケットは皺々、本来美しいであろう髪も、適当に後ろで一房に纏めているだけ。
目の下に大きな隈まで作っている。
「あら、スーちゃん。いらっしゃ〜い♡ リナちゃんも、お元気ぃ〜ん?」
デスクに座りながら書類に目を通すドレイオスは、急な来訪者にも変わらぬ対応だ。
すると、怒れるエルフの背後から、小柄な女性がスッと顔を出す。
そして、無表情のまま、途轍もなく綺麗な角度のお辞儀を披露した。
「はい、ドレイオス様。いつもお世話になっております」
〜リナイン・カレナリエル
最高財務責任者秘書官、エルフ族〜
爽やかな空色の髪は、編み込んだ毛の束で頭を一周させるという、手の込んだスタイル。
縁無し眼鏡を掛けた、髪と同色の凛とした瞳が、とても美しい。
加えて、上司とはまるで違う皺1つ無いジャケットに、フリルのついた膝上のスカート。
2本の指を使って眼鏡を上げる仕草は、上品そのものだ。
挨拶が終わると、抱えている大きな手帳をパラパラと捲り始める。
「それでぇん、今日は何の御用かしらぁ〜ん?」
「あれだけ言っておいた見積書はどうした! 生誕祭は明日だぞ!」
ソファーにドカっと座ったスーリオスが、怒鳴り声を上げる。
しかし、ドレイオスはどこ吹く風。
柔かな笑顔のまま、書類に目を通し続けている。
「おいっ! 話を聞いて――何だ?」
すると、ドレイオスが書類を投げて寄越した。
片眉を吊り上げながら、文面を読み始めたスーリオス。
物凄い速度で目線を左右に走らせるが、何故か眉間を抑えてしまった。
「……説明しろ」
開いたページを指でなぞりつつ、リナインが淡々と喋り始める。
「はい。今朝方、ドレイオス様より見積書が届きましので精査致しました。無駄、不備共にありませんでしたので、そのまま決済致しました」
スーリオスは大きな溜息を吐くが、リナインは構わず続ける。
「ドレイオス様率いる治安部隊のショー設営費は妥当。生誕祭3日間における警備体制案として、4つのクラン、複数の人材への指名依頼の受注、且つ依頼料は妥当。全てのクランリーダー及び、該当者から了承を受けています。何か質問は御座いますか?」
「書類を見たのだ……そんな事は分かっている。私が聞いているのは其処ではない。何故今朝の段階で報告をしなかったのか、と聞いているんだ」
リナインは尚も表情を崩さずに、言葉を続けた。
「はい。昨日遅くまで陣の展開に赴いていたスーリオス様は、酷くお疲れでした。今朝方、お部屋に入りますと机に突っ伏して寝ておられま――」
「分かったもう良い……」
スーリオスが手を上げると、すっと口をつぐむリナイン。
そんな2人のやりとりが、ドレイオスは面白くて堪らなかった。
「ほぉ〜んと、リナちゃんは有能よねぇ〜ん♡ どこかの頭でっかちさんと違ってぇん♡」
「恐れ入ります」
くいっと眼鏡を持ち上げ、キリッとした眼差しのリナインに対し、スーリオスはバツが悪そうに頭を振った。
「……すまなかったな、ドレイオス。では、私は次の仕事に――」
「宜しいでしょうか?」
秘書官の猛攻が止まらない。
もう仕方ないので、スーリオスも首を縦に振った。
「コルティス氏率いる【無限の軌跡】拠点の解体は、既に工務店に発注済みです。大広場に出店する露店商からも申請書が届いていましたので、内容を精査した後受理致しました。本日のお昼は、視察も兼ねて露店の物を御用意しております。何か質問は御座いますか?」
「……無い」
「お〜ほっほっほっほ……ゲホッ! これじゃあ……ゲホッゴホッ! スーちゃん要らないわよねぇ〜ん♡」
「恐れ入ります」
笑い過ぎてむせ返る漢女。
すると、とうとうスーリオスも笑みを零す。
「全くだ。さて……いよいよだな」
「ゲホッゴホッ! ふぅ……そうね」
瞬間、2人の纏う空気が一変した。
髪を掻き上げた【三日月】の瞳には覇気が宿り、腕を組んだ【漢女】からは威圧感が溢れ出る。
「拠点の調査のお陰で、信憑性がぐっと増したな」
「そうね、本当に。奴等も中々根性あるわよね」
『無限の軌跡』の拠点調査に赴いたのはアニエーラ。
それによると、コルティスは消息不明だったが、他は全て残されていた。
夥しい血溜まり、壁面の亀裂、デスクの中の水晶玉さえも。
これは、明らかにコルティスが格下であるという事を意味していた。
繋がりを明示する物を残した所で、教団は痛くも痒くも無いと。
しかし、これこそが金時計の確証を得る事となる。
出向中のメンバーが伝えてきた情報と、トリーチェの30階層での報告。
そして、拠点の調査が重なった結果、教団が生誕祭を狙っていると、断定出来たのだ。
「コルティスとかいう小物を捕まえて尋問した所で、碌な情報は持っていなかっただろう。むしろ、本隊を相手にする時間が出来た事に感謝だな」
「ホントね。そのお陰で、此方も準備が出来た訳だし」
「問題は誰が何を目的として来るのか、という事だが……まぁ、どうでも良いな」
「えぇ。誰が来ても、アタシ達がお相手すれば良いだけだもの」
ニヤリと笑みを浮かべた2人。
この時、リナインの眉がピクッと動く。
これが金時計……いつ見ても凄まじい。
2人が発するオーラは、今や部屋の中に充満し、空気を鳴動させる程になっていた。
「……そろそろ出るとしよう。邪魔したな」
そう言うと、後ろ手を振りながらさっさと部屋を後にしたスーリオス。
少し固まっていたリナインが後を追いかけ様とした時、ドレイオスが優しく語り掛けた。
「リナちゃん、スーちゃんを宜しくねぇん。彼、物凄く頭が良いけど、ちょっぴりお頑固さんだからぁん♡」
「……承知しております。では、失礼致します」
すると、ふっと柔らかな微笑みを浮かべたリナイン。
再び綺麗なお辞儀を見せてから、部屋を出て行く。
1人になったドレイオスは窓際に佇み、黄昏に染まる街並みを見下ろした。
(はぁ……やっぱり決まりなのかしらね。信じたくはないけれど……)
デスクの上には報告書が置いてある。
アニエーラから上がって来たもので、1枚の紙が添付されていた。
踏みつけられた跡が残る、中年の男の人相書きが。
その時、オカマ達が仕事をサボって雑談しているのが見えた。
シゴキに行かなければ。
両頬をパンパンっと叩いて顔を作り直し、ドレイオスは階段を下りていく。
▽▼▽
「ちち〜! たのしみなのだぁ♡」
戸締りを終えて寝室に入ると、グレナダがベッドの上を跳ねていた。
もう寝る時間だというのに、とても興奮している。
それもその筈、明日は待ちに待った生誕祭が開幕するのだから。
「そうだね。でも、今日しっかり寝ておかないと、明日から沢山遊べないよ?」
「あっ!?」
すると、ミサイルの様にラディオに飛び付き、分厚い胸板へ顔を埋めたグレナダ。
「ちちっ! レナン、レナンもうねたのだっ!」
ラディオの服を掴み、眉間に皺を寄せながらギュッと目を瞑る。
そんな可愛らしい仕草を見せられては、中年の頬が保てる訳も無く。
デレデレしながら、ラディオは娘の頭を優しく撫でてやる。
すると、しきりに『もうねたのだっ!』とは言うが、『……えへへ♡』と尻尾をブンブン振って喜ぶグレナダ。
しかし、程なくして本物の寝息が聞こえ始めた。
グレナダにとって、ラディオの体温と匂いは安心の塊。
くっついていると、すぐに寝てしまうのだ。
部屋の明かりを消し、ベッドに横たわりながら、明日について考えを巡らす。
(いよいよだな……上手くいけば良いが)
様々な想いが交錯する中、ランサリオンの夜は更けていく。