第25話 父、見せたいものがある
翌日、下段中央奥・『タワー玄関前』――
「はぁ〜ぃん! 慎重にそ〜っとよぉん!」
照り付ける太陽の下、元気な野太い声が響き渡る。
真っ黒に日焼けした筋骨隆々の男達に指示を出すのは、その遥か上をいく鋼の肉体を持つオカ……漢女、ドレイオスだ。
「もうちょっと右よぉ〜! みぃぃぎぃんっ! そうそうそこそこそこ……あぁ〜ん! ズレたじゃなぁ〜い! もぅ! アタシがやるから貸してちょーだいっ!」
長方形の骨組みを作っているが、どうにも位置に納得がいかないらしい。
見かねたドレイオスは、自ら木材を担ぎ上げるが――
「レイちゃーーんっ!」
呼ばれる声に振り向くと、ラディオと仲良く手を繋いだグレナダが見えた。
すると、即座に木材から手を離し、2人の方へ駆けて行ってしまう。
怒轟ッッッッ!!
となれば、バランスの崩れた木材は当然地面に落ちる。
結果、共に担いでいた男達は、口々に文句を言い出し――
「ちょっとレイお姉たま〜!!」
「いやぁん! 急に離さないでよぉ!」
「もぉやぁだ〜! 爪が欠けちゃったじゃなーい!」
……オカマだった。
鍛え上げられた筋肉をぶるんぶるん揺らしながら、野太い声でキャーキャー騒いでいる。
因みに、彼等は治安部隊の精鋭だ。
「うるさいわよぉ〜ん! レナンちゃんがビックリしちゃうじゃなぁ〜い! もっと静かに騒ぎなさぁ〜い!」
一番大きな声で、無茶苦茶な事を言い放った漢女。
オカマ達がしぶしぶ仕事に戻っていく様を、唇を尖らせて見張っていたが、直ぐにグレナダへ向き直る。
「こんにちはなのだっ!」
「レイ殿、ご無沙汰しています」
「はぁ〜い、こんにちはぁ〜ん♡ ラディオちゃんもお元気そうで何よりよぉん♡ あらぁんっ! 今日はおニューねぇん! それはぁん……お猿さんかしらぁん♡」
何と猿・夏仕様―相変わらず不細工な顔と、何故か銀色の体毛を意識した配色―の着ぐるみを、見事に言い当てた漢女。
フード横に付けられた半円の耳から、そう判断した様だ。
ラディオの涙ぐましい努力が今、実を結ぶ。
「うき〜♡ せいかいなのだっ!」
両腕を上げて大きな丸を作り、幸せそうに笑うグレナダ。
「レナンちゃんほ〜んと可愛いわねぇ〜ん♡ ラディオちゃん、この袖の無い感じ、とっても涼しそうで良いわよぉ〜ん!」
「……有難う御座います」
分かっている……可愛い物を作る才能が無いという事は、痛い程に。
でも、それで満足だ。
最愛の娘を、可愛いと褒めてくれるのだから。
「そう言えば、治安部隊も生誕祭に催し物をやるそうですね?」
未だにぶつぶつ言っているオカマ達を眺めながら、ふと問い掛けたラディオ。
それにしても、何と手際の良い事か。
あれよあれよと言う間に、骨組みが出来上がっていく。
「そうなのよぉ〜ん! 勿論、生誕祭中の安全を守る事も大事なお仕事なんだけどねぇん。一年に一度の! オンステージなのよぉ〜ん♡」
指先をピンと伸ばし、片足立ちでポーズを決めるドレイオス。
毎年、生誕祭では治安部隊によるショーが開催されているのだ。
この時、ステージという言葉を聞き、再びオカマ達を見やり、急に頷き出した中年。
(やはり……舞台に立つ者は違うな。これが最先端の感性、勉強になる)
久々に致命的な世俗の疎さが顔を出した。
オカマ達の格好は、どんなに贔屓目に見てもほぼドレイオス。
違う部分は、髪型と色ぐらい。
これが最先端など以ての外だが、中年の目にはそう映る様だ。
「所でぇん、今日はギルドにどんな御用かしらぁん?」
「ちちとれもんぱいをたべるのだぁ〜♡」
そう言うと、グレナダは両頬に手を当ててニヤけ出した。
「どうしても食べたいと言うので、少し早めのおやつにやって来ました」
「あらぁ〜ん! そうなのねぇ〜ん♡ う〜〜〜〜ん……」
グレナダを見つめ、いつもの様に体をくねらせる。
しかし、微妙に様子がおかしい。
何故か、チラチラとラディオを見て来るのだ。
「……どうかしましたか?」
「そのおやつなんだけどぉん……アタシも混ざって良いかしらぁ〜〜ん!?」
バッサバサの睫毛でウインクしながら、ドレイオスがおねだりして来た。
余りの速さと回数で、変な瞬きにしかなっていないが。
「おぉ〜! レイちゃんもいっしょなのだ!」
『成る程……』と思いながらも、ラディオは迷いを見せる。
娘も喜んでいるし、本来なら問題無い。
しかし、生誕祭までは後6日……準備の邪魔はしたくなかった。
「是非とも……と言いたい所ですが、お仕事は大丈夫ですか?」
最もな指摘に、漢女は『あらまっ!』と口に手を当てた。
しかし、『可愛い』と戯れる時を逃す訳にはいかないのだ。
オカマ達の方を振り返ったドレイオスは、パンッ! と手を鳴らす。
「はぁ〜い! ちょっと休憩にしましょうねぇ〜〜ん♡」
その瞬間、一糸乱れぬ動きで、元気良く手を上げたオカマ達。
「「「はぁ〜い! お姉たまぁ〜♡」」」
今日一番の美声を上げると、その場に座り込りんでお喋りを始めた。
此方に向き直ったドレイオスは、ニンマリと微笑みを浮かべている。
「これで準備完了よぉ〜ん♡ 行きましょ行きましょ〜ん!」
「……その様ですね」
これが治安部隊、ランサリオンの安全を守る統率力……なのだろうか。
▽▼▽
下段中央・『大広場』――
「おいしかったのだぁ♡」
「レイ殿にも会えたし、楽しかったかい?」
「あいっ♡ きゃはははっ♡」
夕焼けに照らされた大広場を歩く2人。
ラディオの手を握り締め、体重を預けて斜めになって歩くグレナダは、キラキラと笑い声を上げている。
(余程楽しかったのだな。さて、レナンの分はこれで終わった。後はレミアナと、出来れば……)
娘を見ながら考え事をしていると、グレナダが『あっ!』と大きな声を出して立ち止まった。
「カリシャ〜!」
見ると、俯きながらベンチに座る少女の姿。
静かに微笑んだカリシャは、駆けて来た小さな頭を撫でてやる。
すると、フニャリと笑顔を浮かべるグレナダ。
しかし――
「……それは何だ」
2人の近く迄来たラディオから、笑顔が消えた。
同時に、カリシャは目線に気付き、さっと袖で手首を隠してしまう。
「あ……これ、は…………転ぶ……ました」
顔を逸らし、俯くカリシャ。
見え透いた嘘だ。
「……失礼」
しゃがみ込んだラディオが、カリシャの袖を捲る。
そのか細い手首には、酷く爛れた痛々しい傷跡が、くっきりと残っていた。
カリシャは咄嗟に袖を引っ張るが、今度は顎を持たれ、正面を向かせられる。
「昨日帰ったら、君はもう居なかった。心配はしていたが……顔もか」
髪で隠そうとしていた腫れた頬に、真っ赤に泣き腫らした黒曜石の瞳。
そっと顎から手を離し、ラディオはやるせない表情となる。
「あの……僕、が……わる、い……かった、です」
そう言いながら、カリシャは無意識にお腹に手を回した。
服で隠れている部分は、手首や顔の比では無いだろう。
ここまでだ……機会を伺っていては、カリシャが殺されてしまう。
「なに、も……ない、です……僕、が……わる、い――」
「もう良い……もう良いんだ」
震える体で『自分が悪い』と繰り返す少女を、堪らず抱き締めたラディオ。
すると、1つ、また1つと、腫れた頬を雫が伝う。
「……僕、が……わる、い……のに……」
「君は何も悪く無い。今迄、本当に良く堪えた……でも、もうその必要は無いんだ」
「なん、で……だめ、なのに……僕、僕……なん、でぇ……!」
ずっと溜め込んで来た想い。
必死に我慢して、限界まで堪えて、見て見ぬ振りをして。
しかし今、抱かれた温かな胸が、掛けられた優しい言葉が……心に波紋を広げる。
「後の事は……私に任せれば良い」
溢れ出す大粒の雫を、カリシャはもう止められない。
「うっ……ひぐっ……た、す……けて……!」
やっと絞り出した言葉。
ずっと言いたくて、でも誰にも言えなかった、心の叫び。
「あぁ……遅れてすまなかった」
ふっと微笑んだラディオは、娘をカリシャの隣に座らせ、頭を撫でながらお願いをした。
「レナン、少しの間此処でカリシャと待っていてくれるかい? 直にレミアナも来るから。父は……やらなければならない事があるんだ」
「あいっ! レナン、いいこでまってるのだ!」
「頼んだよ。カリシャ、娘をお願いしても良いかな?」
グレナダをギュッと抱き締め、ゆっくりと頷いたカリシャ。
すると、ラディオはくるりと踵を返して歩き出す。
その瞳に、抑えきれぬ激情を滾らせて。
▽▼▽
【無限の軌跡】の拠点・応接室――
「今回はこれで手を打ちますが、次回は頼みますよ〜。そうそう、半額でね!」
「えぇ……本当に申し訳ありませんでした」
意地の悪い笑みを浮かべながら、部屋を出て行く冒険者に、深々と頭を下げるコルティス。
しかし、足音が聞こえなくなった瞬間――
「くそぉぉぉぉ! ゴミが調子に乗りやがってぇぇぇぇ! 私を誰だと思ってんだぁ! あぁんッ!!」
罵声を撒き散らしながら、暴れ始めたのだ。
扉を蹴り上げ、植木を投げ付け、照明を薙ぎ倒す。
だが、一向に怒りは収まらない。
「それもこれも……アイツが仕事を放棄したせいだ……! 道具の分際でッ! 私に恥をかかせやがってぇぇぇぇ!!」
あの冒険者は今日の依頼人。
しかし、カリシャは時間になってもギルドに現れなかったのだ。
コルティスは、違約金等々の対応に追われていたという訳である。
「昨日がどれ程幸せだったか、分からせてやる……死ぬ寸前まで嬲ってやる――」
「その話、具体的に聞かせて頂けますか?」
弾かれた様に振り返ったコルティス。
いつの間にか、ボサボサの黒髪を持つ男がソファーに座っている。
「お前……あのEランク……! 何をしている!」
「商談に参りました」
コルティスが驚くのも無理はない。
扉の前には自分が居たし、玄関が開いた音もしなかった。
それに、この部屋は3階にある。
残されたルートは窓しか無いが……Eランク冒険者が、音も気配も無く一瞬で入り込んだとでも言うのか。
「はっ! 不法侵入者は言葉が理解出来な――」
「カリシャを引き取りたい。代金は、これで十分足りるでしょう」
そう言うと、ラディオはギッシリと詰まった巾着をテーブルに投げた。
「貴様ぁ……! 私の話を遮るなど――」
「ランサリオンで奴隷売買が禁止されている事は知っていますが、私は善人ではありませんので」
無表情のまま、淡々とした態度のラディオ。
その様が、コルティスを逆撫でする。
修羅の如く顔を歪ませ、こめかみに青筋を何本も浮かび上がらせる程に。
「2度も私の話を――」
「其方の土俵での正式な申し出です。私はどちらでも構いませんが、受けた方が身の為ですよ」
「貴様ぁぁぁぁ!!」
これが決定打となった。
三度の舐めた行動に憤慨したコルティスは、取り繕う事を止め、声を荒げて威嚇し始める。
「身の為だぁぁ? 誰に向かって口をきいているんだ! Eランクのゴミの分際で! 私に、このBランク相当の私に向かってッ! 今直ぐにその汚い頭を床に擦り付けて謝罪しろ! それとも……此処で殺してやろうかぁぁ!!」
「商談破棄……という事で宜しいですか?」
「愚物は耳まで使えないらしいなぁ! 貴様は嬲り殺しにしてやるッ! それにな! アレは私の道具――!?」
怒りに任せて杖を振り上げた格好のまま、ピタリと止まったコルティス。
指一本、瞬き一つ出来ない。
それ所が、声も出せなくなってしまったのだ。
「……道具だと」
一体何が起こったのか。
体は動かせないのに、震えが止まらない。
冷や汗が吐き出し、呼吸も上手く出来なくなってきた。
「どちらでも構わないと言ったが……愚かだな」
冷徹な眼差しをコルティスに向けながら、魔力を解放していくラディオ。
そう、特別な事は何もしていない。
普段抑えている魔力を只解放しただけ……たったこれだけで、コルティスは全ての生命活動に異常をきたしてしまったのだ。
(有り、得ない……な、何だ……こいつは……ま、まさか……!?)
凄まじい恐怖の中、コルティスの瞳にはもう中年は映っていない。
其処には、猛る怒りを露わにした、強大無比な『竜』が居るのだ。
「ぶはぁ!? ゴホッゴホッ!!」
すると突然、体の自由が効くようになった。
しかし、立っていられず膝から崩れ落ちると、強烈な窒息感から激しく咳き込んでしまう。
(はぁ……ゲホッ! はぁ……はぁ……あいつ、は……あいつは……消えた……?)
今の今まで目の前にいた竜が、忽然と姿を消した。
左右を見ても、誰もいない。
悪い夢だったとでも言うのか――
「……竜は、『家族』に手を出す者を決して許さない」
「ひっ……!?」
背後から響いた、暗く冷たい声。
この男は異常だ。
どうやって移動したのだ。
瞬きすら出来ずに見ていたと言うのに……全く視認出来ないなんて。
「はぁ……はぁ……ぐぅ!!」
コルティスの首を片手で掴み、軽々と持ち上げたラディオ。
「通常、私は無益な殺生はしない。だが、仇なす者が居るならば……必ず殺す。何をしても、どんな相手でも、私の命を賭して……必ずだ」
浴びせ掛けられる一語一語が、コルティスの精神を削り取っていく。
「そう言えば……嬲るのが好きなんだったな」
そう言うと、ラディオは真っ黒な笑みを浮かべた。
そして、コルティスの手首を握り、ゆっくりと締め付けていく。
「あぁ! あぁぁぁぁ! ぐぅぅぅぅ――ぎゃあぁぁぁぁぁ!!」
骨が砕ける鈍い音と共に、コルティスが悲鳴を上げた。
夥しい血飛沫が舞い踊り、千切れた手が床に転がる。
だが、ラディオは止まらない。
「……あの子の痛みは、こんなものでは贖えない」
「あっ、かっ……! ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
再び鮮血が流れ、もう片方の手も床に落ちた。
すると、切断面に掌を当て、紅い炎を出したラディオ。
一瞬にして焼き蓋をすると、コルティスを投げ飛ばす。
「がぁっ!! あ…………あぁ……」
猛烈な速度で壁に激突したコルティスは、口から血を溢れさせた。
血の気が失せた顔、激痛の波に侵された虚ろな瞳。
だが、まだ辛うじて息はある。
「あの子が生きている事に感謝しろ。この一点において、最後の情けを掛けてやる。今日中にこの街を出ろ……二度と戻って来るな」
ラディオはデスクの中を漁り、丸められた羊皮紙をいくつか取り出した。
中を確認し、目的のものを見つけると、残りは全て焼き払う。
床に転がる、千切った両手も同様に。
四肢を失った場合、現物があれば治癒魔法でくっ付ける事は出来る。
だが、新たに創り出すとなれば、最上級位階である《再生魔法》が必要となる。
だからこそ、ラディオは両手を焼き払ったのだ。
「今後、私の視界に入ったら……次は殺す」
そう言い残し、ラディオは拠点を後にした。
振り返る事無く、満身創痍のコルティスを残して。
▽▼▽
下段中央・『大広場』――
「ちち〜〜!!」
「ただいま。待たせてしまったね」
「ちち? おようふくかわってるのだ」
「……気にしなくて良いんだよ」
「あい? きゃはははっ♡」
先程と違う服に即座に気付いたグレナダだったが、抱き締められ、頭を撫でられるとどうでも良くなってしまう。
瞳にハートマークを飛ばして、キラキラと笑顔を咲かせるのだ。
「ラディオ様〜!」
カリシャの横に座るレミアナが、大きく手を振っている。
ラディオが側まで来ると、しっかりと頷き合う。
それでも、カリシャはずっと下を向いたまま、表情は暗い。
「カリシャ、君に見せたい物があるんだ」
優しい声に顔を上げると、ラディオは燻んだ色の羊皮紙を持っていた。
まさか、有り得ない……カリシャの目が、大きく見開いていく。
「レミアナ、お願い出来るかな?」
「はいっ! 勿論です♡ カリシャ、じっとしててね――《ヒール》」
カリシャの胸にあてがわれたレミアナの手から、純白のオーラが溢れ出す。
すると、戸惑いから、徐々に驚きへと表情を変えて行くカリシャ。
「終わりましたっ♡」
穏やかな笑顔を浮かべるラディオ達。
カリシャはドキドキしながら谷間の奥を確認すると、そこにある筈の焼印が、跡形も無く消えていたのだ。
「あっ……! でも、だめ……僕、だめ……!」
「大丈夫。何も恐れる事は無い」
そう言うと、羊皮紙をビリビリに破くラディオ。
破片を手の中で燃やし、その灰を夕暮れの風に乗せる。
突然の事に呆然とするカリシャ。
だが、視界がボヤけていくを感じる。
「僕……僕……これ、で……じゆ、う……?」
「あぁ……君はもう自由だ、カリシャ」
1つ、また1つと、綺麗になった頬を伝う雫。
すると、横に降ろしてもらったグレナダが、よしよしと頭を撫でてくれた。
同時に、瞳を潤ませたレミアナが、カリシャをギュッと抱き締める。
静かに微笑んだラディオも、そっと少女の頭に手を置いた。
「いいこいいこなのだ」
「もう、大丈夫だからね……!」
「……君が生き抜いてくれた事、私は心から誇りに想う」
「ひぐっ……あり、がと……まし、た……! たす、けて……あり、が……うぅ、うえ〜〜ん……うぇぇぇぇぇぇん!」
頭に置かれた手が、抱き締めてくれる腕が、少女の心を温めていく。
子供の様に泣き噦るカリシャ。
今迄溜めてきた全てを、大粒の涙に変えて。
今迄我慢して来た全てを、心から消し去る様に。




