表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

27/130

第23話 父、手を使う

「私だって耳さえあれば――えっ……これって……!」


 曝け出した胸を、両手で掴んで広げて見せるカリシャ。

 すると、対抗して脱ぎ出していたレミアナの手が止まり、やるせない表情を浮かべたのだ。


(一番簡素なもの……盗聴や強制服従の恐れは無い、か)


 白磁の肌に刻まれた、痛々しい焼印。

 これを露出させる事は気が咎めたが、ラディオはどうしても直に見なければならなかった。

 愛する娘を護る為に。


「……有難う。辛い事をさせてしまって、本当にすまなかった。もう大丈夫だよ」


 小さく頷くと、カリシャはボタンを閉める。


(やはり、私と同じ……『生前奴隷』だったんだね)


 憂いを帯びた瞳で、カリシャを見つめるラディオ。

 同時に、師匠に拾われる前の過去の記憶が、心の中で渦巻き始める。


 生まれて初めて見た物は、両手足を拘束する、錆びた大きな鎖。

 生まれて初めて感じた事は、それが食い込む、爛れた皮膚の痛み。

 裸同然の格好に、カビだらけで冷め切った2〜3日置きの食事。

 狭い石造りの牢屋に押し込められ、鉄格子の外から罵声を浴びせられる毎日。


 折られた事の無い骨など無い。

 剥がされた事の無い爪など無い。

 殴られ、切られ、焼かれ、沈められ、吊るされて。

 そうして虫の息になると、碌な治療もせずに牢屋に放置される。

 昼夜を問わず、それが日常と化した毎日。


 死ねればどんなに楽だろうか……しかし、それだけは許さない。

 管理者達もそうだが、一番は自分自身によって。

 例えようの無い激情と、全てを塗り潰す憎悪を糧に、ラディオは毎日を生き抜いて来たのだ。


(この子は、未だに……堪える必要の無いものを……)


 ギュッと眉根を寄せたラディオ。

 固く握り締めたその手に、有らん限りの力を込めて。

 その時――



「ラディオ様っ!!」



 震えた声に、ハッと我に返る。


「あぁ……すまない。何だったかな?」


「ラディオ様……手を、貸して下さい」


 言葉の意味が分からず手を見ると、握り締めた拳から血が滴っていた。

 余りに力を込めた為、指が掌に食い込み、皮膚を突き破ってしまったらしい。

 哀しげな瞳のまま、治癒魔法を掛けるレミアナ。


「……ちち」


「……ごめんよ、レナン」


 娘に呼ばれ、申し訳無く微笑みを浮かべたラディオは、もう片方の手で頭を撫でてやる。

 小さな両手でお腹の辺りをギュッと掴み、涙を一杯に溜めていたグレナダ。

 今まで見た事の無いラディオの空気に、言い様のない不安に駆られてしまったのだ。


「本当にごめんよ。でも……父は大丈夫。心配してくれて有難う」


「……あい」


 眉毛を八の字に曲げて頷いたグレナダは、両手を大きく広げた。

 謝罪と愛を込めて、娘を力一杯抱き締めるラディオ。

 分厚い胸板に顔を埋め、グレナダは徐々に落ち着きを取り戻していく。


「レミアナも有難う。私はもう大丈夫だから、座って」


「……はい……分かりました」


 レミアナは、出逢う以前のラディオの過去を知らない。

 それに、ここまで怒りを露わにした所も見た事が無い。

 でも、だからこそ……深く追求する事が出来なかった。

 本当は、ラディオの抱えているものを共に背負いたいのに。

 言葉が出ない。


「あの、僕……その、僕、が……ごめ、なさい……」


 俯いて、小さくなってしまったカリシャ。

 場に流れる空気が、小刻みに震える肩に更にのし掛かる。


「カリシャ、君のせいではないよ。私が弱かっただけだ。だから……そんな顔をしないでくれ」


 恐る恐る見上げると、ラディオが穏やかに微笑んでいた。

 この時、カリシャはふと気付く。

 『この人も同じ……全てを知っている人の目をしている』と。

 不思議と、安心感に満たされていったカリシャは、コクリと小さく頷いた。


 この世界の奴隷は2種類。

 1つは、様々な理由によって、元いた地位から転落した者を指す『転落奴隷』。

 彼等は、見せしめの為に、首の後ろに焼印が押される。

 加えて、反抗出来なくなる様、その印には、様々な効果を持つ魔術式が組み込まれるのだ。


 もう1つが、奴隷から生まれた子供の事を指す『生前奴隷』。

 生後半年で胸に押される焼印は、『生まれる前から奴隷が決まっている』という意味の只の識別標であり、何の効果も持たない。

 彼等にとっては、奴隷である事が当たり前。

 故に、元々反抗する意思が希薄だからだ。


(……この歳まで、さぞ辛かったろうに)


 カリシャは『生前奴隷』である、とラディオが判断した理由は幾つかある。

 1つは、迷宮で救出した際、首に添えた腕に焼印の感触が無かった事。


 1つは、カリシャの推定年齢に対して、明らかにたどたどしい言葉遣い。

 生前奴隷は教育を受ける事が無い為、ぎこちない文法になってしまう事が殆ど。

 カリシャの見た目から察するに、年齢は20歳前後の筈。

 それなのに、3歳に満たないグレナダの方が、流暢に喋れている事が良い例だろう。


 最後の1つは、何よりも顕著だったカリシャの瞳。

 コルティスが、何時からの主人なのかは分からない。

 だが、横に居た時のカリシャの瞳は、恐怖に怯えきっていた。

 これは、日常的に凄惨な暴力が振るわれている証拠。

 嘗て、ラディオがそうされて来た様に。


(下手に動けば、この子の命は……)


 コルティスが単純な守銭奴であるならば、解決手段は容易だ。

 金を払えば良い。

 しかし、イトの話と30階層での出来事が気に掛かる……もっと情報が欲しい。

 そう思いながら、ラディオは最後の質問を投げ掛けた。


「もう1つだけ聞きたい事がある。良いかな?」


「は、い……?」


「そう……私とギルドで会った後、君は一度この近辺に来ているね。あれには……どういった理由があったのかな?」


「あ、あの! 僕、お、れい……言う、と……し、ます」


 すると、深々と頭を下げたカリシャ。

 そうだったのか。

 只お礼をしたかっただけなのに、牽制で怯えさせてしまったらしい。

 ラディオは申し訳無く眉根を寄せながら、ポリポリと頬を掻く。


「……そうか。この前も言ったが、私がしたくてした事だ。気にする必要は無いよ。さて、食事にしよう」


 ラディオがキッチンへ向かうと、レミアナも即座に立ち上がった。

 しかし、残されたカリシャは、どうして良いか分からない。

 立とうとしては下を向き、また立とうとしては……という行為を繰り返してしまう。

 すると、グレナダが嬉しそうに声を掛けた。


「ちちのごはんはおいしいのだっ♡」


「……そ、なん……です?」


 満開に笑顔を咲かせる幼女を見て、カリシャも思わず微笑みを零す。

 程無くして、ラディオ達が山盛りの料理を運んで来た。


「私の気が回らず、好みを聞くのを忘れてしまった。肉と魚、両方用意をしたが……何か食べたい物があれば言ってくれ。直ぐに作り直すから」


 ブンブンと首を横に振るカリシャ。

 どれも美味しそうで、良い匂いで、湯気が立っている。

 目の前の大皿に盛られているのは、骨付きステーキに白身魚のムニエル。

 こんなに豪勢な()()()を見るのは、久し振りだった。

 カリシャがゴクリと喉を鳴らしたその時――



 ぐぅ〜〜



 可愛らしい音も鳴ってしまった。

 すると、カリシャは顔を真っ赤にして、再び俯いてしまう。


(コルティス……まともに食事すらさせていないのか)


 分かってはいた事だが、それでも怒りが滾る。

 しかし、ならば今日は満足して欲しい。

 そう思い、グッと怒りを飲み込んで、料理を取り分けるラディオ。


「冷めない内に。自己紹介は、食事をしながらで良いかな? では、頂きます」


「いただきますっ♡」


「頂きまーす♡」


「あっ……いた、きます……」


「レナン、熱いから気を付けるんだよ」


「あいっ♡ あっ! ちちっ! ふーっふーってしてほしいのだ〜♡」


「勿論。ちょっと待っててね」


 娘の為に魚の小骨を取り除き、小さく切り分ける。

 そして、よく冷ましてから、大きく開けて待つ口へ魚を入れてやる。


「あ〜ん! もぐもぐ……おいしいのだぁ♡」


「良かった。しっかり噛んで食べるんだよ」


「あいっ♡ はむはむ……はむはむ」


 言われた通り、沢山もぐもぐする娘の頭を、優しく撫でてやるラディオ。

 そうなったら、グレナダはもうご機嫌だ。

 尻尾をフリフリさせ、とびきりの笑顔を見せてくれる。


 一方、此方も幸せ一杯―(う〜ん♡ この塩加減最高です〜♡)―に舌鼓を打つレミアナ。

 そんな2人を眺め、本当に嬉しそうに微笑むラディオ。

 すると、チラチラとレミアナの手元を確認しながら、どうにかナイフを使おうとするカリシャが目に入った。


 しかし、持ち方も間違っているし、身も上手く切れていない。

 生まれて初めての経験なので、食器の使い方が分からなかったのだ。


 漸く、どうにか歪に魚を切ると、フォークで刺して口へ運ぶ。

 しかし、刺し方が悪く、途中でテーブルの上に落ちてしまった。

 瞬間、カリシャの瞳が恐怖に染まる。

 急いでラディオを見ると、大きな手が此方に向かって来るではないか。


「あ、あの……僕、ごめ……な、さい! ごめ……な、さい!」


 ビクッと体を震わせ、目を瞑るカリシャ。

 悪いのは自分だ、汚してしまったのだから。

 でも……殴られるのはやはり怖い。

 頻りに謝罪を口にしながら、ギュッと手を握り締める。


「ごめ……な、さい! ごめ……な、さい! ごめ……な、さい……?」


 しかし、この前と同じく痛みは来ない。

 恐る恐る目を開けると、ラディオが申し訳無さそうに微笑んでいた。


「配慮が足りず、すまなかった。これで食べ易くなったかな?」


 ラディオがもう一度渡してくれた皿の上には、均等に切り分けられた魚と肉が盛られていた。

 加えて、テーブルも既に綺麗になっている。


「あ、あの……これ、その――」

「あっ! ちち〜……おとしちゃったのだぁ」


 その時、グレナダが残念そうな声を上げる。

 口に入る前に、肉がフォークから落ちてしまったのだ。

 落ちた物を自分の口へ入れ、グレナダの口元を拭いてやってから、新しい肉を切り分けたラディオ。


「これで良し。沢山食べなさい」


「あいっ♡ あ〜ん!」


「あはははっ! レナンちゃん頭良い〜♡」


 頭を撫でられ幸せ一杯のグレナダは、満面の笑みで肉を指で摘むと、フォークにブスッと突き刺したのだ。

 娘の突拍子もない行動に、ラディオ達は思わず笑ってしまう。

 キョトンとするカリシャに、ラディオはゆっくりと語り掛ける。


「私は、沢山食べてくれて、沢山笑ってくれる事が幸せだ。そんな娘の笑顔が大好きなんだ。食べ方なんて、どうでも良い……そんなものは、後から幾らでも変えられる。君も好きに食べれば良いんだよ」


 カリシャは小さく頷くと、グレナダの真似をして指で魚を摘む。

 それをフォークにブスッと突き刺して、口へ運んだ。


「はむ……うっ……ぐすっ……!」


「……お口に合わなかったかな」


 ラディオが心配そうに問い掛けると、カリシャはゆっくりと首を横に振る。

 そして、今度は肉を同じ様にして食べた。

 すると、噛み締める度に、大粒の涙が零れ落ちていく。


「うぅ……おい、し……です……ぐすっ……あった、かい……です……ひぐっ……うえ〜ん……! うぇぇぇぇぇぇん!!」


 普段、コルティスの気分で食事は出され、2〜3日に一度あれば良い方だ。

 カビの生えた石の様な硬さのパンや、腐りかけの生魚が殆ど。

 それでも、『生前奴隷』は文句を言わない。

 生きる為には、食べるしかないから。


「うぇぇぇぇぇぇん! おい、し……うぇぇぇぇぇぇん!!」


 しかし、今食べた物は違う。

 しっかりと味付けをされた『料理』だ。

 こんなに美味しくて、優しくて、温かいなんて。

 カリシャにはもう、溢れる涙を止める術が分からなかった。


 すると、徐に立ち上がったレミアナが、ギュッとカリシャを抱き締めたのだ。

 教会には逃亡奴隷が来る事もある。

 10年という歳月の中で、沢山の知識も付けた。

 どれだけ悲惨な日常を送らされ、どれだけ理不尽な暴力に晒されているのかを。


「大丈夫、もう大丈夫よ。いつ何時でも、教会は貴女を待っていますからね」


「うぇぇぇぇぇぇん! うぇぇぇぇぇぇん!」


 レミアナにしがみつき、子供の様に泣き噦るカリシャ。

 今まで溜めて来た何かを涙に変えて、ここで全て消し去る様に。



 ▽▼▽



 同時刻、【無限の軌跡】拠点――



 大きな窓の前に立ち、街の灯りを苦々しく見つめるコルティス。

 眉間には皺が寄り、小刻みに床を踏む仕草からは、普段の落ち着きが削がれていた。

 怒り……それよりも、焦りが色濃く滲んでいる。

 すると、背後にあるデスクの上に置かれた、大きな水晶玉が光を帯び始め――



「……計画はどうなっている」



 濁り切った声が響いて来た。

 玉には黒い人影が浮かび上がり、並々ならぬ威圧感を醸し出している。


「ひっ!? あぁ! これはこれは! 計画は順調に進んでおります。な、何も心配は御座いません!」


 鞭で打たれた様に玉に振り向き、媚びへつらい始めたコルティス。

 引き攣った笑顔を貼り付け、会話に応じている。

 だが、玉から聞こえる声は、より一層濁りを増した。


「……二度言わすな」


「あ、あぁ! そうでした! 想定より多少の減算はありました! で、あ、し、しかしですね、あれは、その、邪魔が入りまして……そう、邪魔が入ったのです! ですが、私は何もミスを犯していません! 道具が……道具がしくじったのです!」


 しどろもどろになりながら、必死に取り繕うコルティスに対し、人影は何も答え無い。

 流れる沈黙が、コルティスの体を震わせ、滝の様な汗を噴き出させる。

 その時、玉から強烈な光が迸り――



「ひぃぃ! お、おやめ――ぎゃぁぁぁぁぁぁ!! おやめ、くだぁぁぁぁぁ!!」



 突然、凄まじい悲鳴を上げたコルティス。

 床を転がり、立ち上がる事さえ出来ない。

 身体中の血管が浮き出し、バキバキと骨が軋み、口から血溜まりを吐き出すのだ。


「……次は必ずやり遂げろ。でなければ……」


「はぁ……はぁ……か、必ずや……御期待に……添えて、ぐはぁ! み、みせます……」


 玉の光が収まると、コルティスは何とか立ち上がり、深々と頭を下げる。

 すると、黒い影は徐々に薄くなっていき、やがて完全に気配が消えた。

 水晶玉をしまったコルティスは、両拳を握り締める。


「はぁ……はぁ……クソッ! クソッ!! クソォォォォォ!!!」


 デスクの上を薙ぎ払い、壁を殴り、照明を投げ飛ばす。

 金色の髪を振り乱し、ありとあらゆる物に怒りをぶち撒けながら。


「はぁ……覚えていろ……! この屈辱、必ず晴らしてやる……!!」


 乱れた髪を整え、襟元を正し、ゆっくりと深呼吸をするコルティス。

 そして、杖を手に取ると、さっさと部屋を出て行った。

 その瞳に、燃え上がる憎悪を宿しながら。


 静寂が訪れた室内。

 床に散乱する書類の中で、先程わざと踏み付けて行った物がある。

 それは、一枚の人相書き。

 描かれていたのは、ボサボサの黒髪と伸びた髭を持つ、中年の男だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ