第20話 父、まだまだ甘い
「助けてくれぇぇぇ!!」
「死にたくねぇよぉぉぉ!!」
「何で、こんな事に――ぎゃぁぁぁぁ!!」
恐怖と絶望の嘆きが木霊する。
門はドス黒いオーラで覆われ、触れる事さえ出来ない。
もし触れれば、《黒化の呪い》に侵されてしまう。
雪崩れ込んだ時に、何十人もその犠牲となっているのだから。
下層への階段も、広場の取り囲む木々も、全てドス黒いオーラで覆われている。
遠征隊に、逃げ場は残されていなかった。
「アァァァァァァ――!!」
その間にも、シノラバンシーは心を切り刻む様な啼き声を上げながら、冒険者達を蹂躙していく。
逃げ惑う背中を紅蓮の炎で焼き尽くし、集約させた音の波動を撃ち放って。
「助けてぇぇぇぇ――ぐぅ!!」
冒険者の眼前に突然現れると、首を掴み上げ、血涙に染まる眼を近付ける。
鍛えた体を持つ大の男が、一切振りほどけない強烈な力で。
「……ちガう……チがウ……おマエ、じャナい……」
舐める様に顔を確認するが、違うと判断した途端、鬼の形相で怒りを撒き散らす。
首を掴む手に一層の力を込め、そのまま握りつぶしてしまう程に。
飛沫が上がり、千切れた頭と胴体が血溜まりに転がる。
「クソっ……クソっクソっクソォォォォ! このまま終わってたまるかぁぁぁ!!」
惨劇の中、アイトンは怒りを滾らせる。
しかし、それは絶対的な恐怖から生まれた、空元気の様なものだった。
「俺は……俺は……Sランクになるんだぁぁぁぁぁ!」
自らを鼓舞し、魔力を爆発させるアイトン。
シノラバンシーを見据え、一気に駆け出した――
「行くぞこの――えっ」
瞬間、眼前に佇んでいたシノラバンシー。
不規則に顔を揺らしながら、アイトンの首を掴む。
「ぐぅ!?……く、そ……こんな、所で……!」
「チがう……ちがウ……」
吐息が掛かる程アイトンの顔を近付けるが、やがて鬼の形相へ変わった。
悔し涙を流す青年から、次第に力が抜けていく。
遠のく意識の中で最期に見たものは、真っ黒に開かれた大きな闇だった。
「嫌ぁぁぁぁぁ!!」
その瞬間を目撃したテオラが、堪らず悲鳴を上げる。
十字に裂けて開かれた、シノラバンシーの口。
青年の頭を噛み千切り、まるで果実の種の様に、半分になった顔を吐き捨てたのだ。
「退避退避退避退避退避退避――」
広場の外周を走り回っているシュナイクス。
恐怖の余り我を失い、目は完全に逝っている。
すると、何かにぶつかった。
無表情で見上げた先には、シノラバンシーの姿。
裂けた口で、歪な笑みを浮かべている。
「…………ははっ」
ふいに、清々しい笑顔を見せたシュナイクス。
腰から長剣を引き抜き、自らの喉に突き立てながら。
「これで――ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
喉に突き刺そうとした長剣が、音を立てて地面に落ちる。
柄を握り締めたままの、両腕と共に。
燃える様な激痛に膝を付き、絶えず悲鳴を上げるシュナイクス。
「かエシて……イトしイひト……」
確認するまでは、何も自由は与えない。
一瞬にして両腕を切断した歪な爪が、シュナイクスの首に伸びる。
「……チガう……ちガウ……!」
しかし、またしてもシノラバンシーの顔が怒りに歪む。
怨嗟の如き荒い吐息を漏らすと、まるで紙の様にシュナイクスを真っ二つに引き裂いてしまった。
「カエしテ……いトシイひト……かエシて……」
80人いた冒険者達は、今や半分以下。
無数の血溜まりと残骸が転がる、地獄絵図。
だが、それでも止まらない鮮血の瞳は、次の獲物を見定めた。
「今しか無い……! この隙に逃げるよ!」
その時、マーラ達が動く。
門は駄目だ。
オーラによって触れる事も出来ないし、呪いを受けた者達が肉壁となっている。
それなら、同じオーラでも階段の方が都合が良い。
周りを破壊すれば、触れなくとも下層に行ける筈。
31階層はBランク帯の活動域だが、この地獄に比べれば、何処だってマシだ。
アマゾネス達は、全速力で階段まで走る。
シノラバンシーは今反対側だ。
男を蹂躙するのに夢中で、此方に気付いていない。
「アタシの《ブレイクフィスト》でこんな地面――うわっ!」
その時、何かに躓き転んでしまったマーラ。
いや、違う。
見ると、【栄光騎士団】の団員が、血まみれの手で足を掴んでいたのだ。
「頼むぅぅ! 俺も、俺も連れて行ってくれぇぇ!!」
殺された仲間の体を背中に乗せながら、ゆっくりと地面を這いつくばって来たのだ。
シノラバンシーは、良く動く者を優先的に攻撃している。
その傾向を逆手に取ったのだ。
「離せっ! 自分で何とかしろよ!!」
マーラ達は団員を引き剥がそうとするが、張り付いた様に離れない。
死の恐怖から逃れたいと思う一心が、団員に火事場の馬鹿力を与えていた。
「頼むよぉぉぉ!!」
「知らねぇよ!! 離せっ! 離せっ! 離――あっ」
瞬間、マーラの動きがピタリと止まる。
その瞳に、有り得ない恐怖を落とし込んで。
それを見た団員は、諦めた様にすすり泣く。
凍える様な感覚に苛まれ、振り返る事など出来る訳も無かった。
「……いとシいひと……ウバうキかァァぁ!!」
「ひぃぃぃ!! 違う違うち――がっ」
憤怒の形相で叫ぶシノラバンシー。
それと同時に、突き立てた歪な爪でマーラの顔を貫いた。
既に屠ったアマゾネス達の残骸と同じ様に。
「う、う、うわぁぁぁぁぁぁ!!」
団員は、逃げ惑う群衆の中へ走って行った。
しかし、この行動がシノラバンシーの怒りに更に火をつけてしまう。
此奴等は、愛しい人を奪う気だ。
先に片付けなければならない、と。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
虫の息になっているボドに向かって、無意味に謝罪を繰り返すテオラ。
治癒魔法を掛ける事もせず、只々口を動かすだけ。
周りにいる仲間の断末魔も、今のテオラには聞こえない。
程なくして、周囲が静寂に包まれた事にも、気付けない。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ――あぁ……!」
覗き込んで来た白蠟の顔を見た瞬間、涙が溢れ出る。
突き刺さる視線に晒され、恐怖のあまり下半身を濡らして。
「オマえもカ……ウラめしイ……《怨嗟の煉獄 》!」
「嫌ぁぁぁぁぁ!!」
顔を鷲掴み、掌から紅蓮の炎を噴き出した。
肌を焼く灼熱に悲鳴を上げるテオラだが、程なくして灰となってしまった。
残る女は、後1人。
シノラバンシーはゆっくりと、獲物の元へ歩き出す。
(ぼ、僕の……せい……僕、が……みん、なを……!)
カリシャは地面に座り込み、膝を抱えて恐怖に震えていた。
どんどん増えていく血の匂い、響き渡る絶望の悲鳴、それら全てが自分のせいだ。
黒曜石の瞳から溢れる涙が、頬を伝う。
「うぐ……やめ……て……!」
すると突然、激しい痛みと息苦しさに襲われた。
シノラバンシーに首を掴まれ、持ち上げられてしまったのだ。
「おマエも……コろす……うバウヤつ……こロスぅゥゥ!!」
終わりの無い怨みを吐き出しながら、長い腕を後ろに引いたシノラバンシー。
何の躊躇も無く、怯える顔目掛けて爪を突き立てる。
その瞬間、飛沫が舞い踊り、血溜まりに落ちたカリシャの体――
「…………ギャァァァァァァァ!!」
「ゲホッ! ゴホッ!」
そして、歪な爪の付いた手。
激痛に呻く悲鳴を他所に、足元で咳込むカリシャは無傷だった。
怒りに震え、何かが飛んで来た方向を睨みつけるシノラバンシー。
見ると、何故か開かれている門の前に、フードを被った何者かが立っていた。
雷を纏った掌を、此方に向けながら。
「ゲホッ! ゲホッ!……あぁ……!」
死を覚悟したのに、まだ生きている。
カリシャはもう何も理解出来なかった。
でも、匂いがした……温かく優しい、あの匂いが――
「……中々暴れた様だ」
奈落回廊に飲まれたラディオが、其処に居た。
この凄惨な状況を見ても眉一つ動かさず、淡々と全体に目線を走らせている。
門に触れた両腕が、黒いオーラに覆われている事も意に介さず。
「コロす……こロす……オまえノのセイダぁぁァ!!」
「ひっ……!!」
突然失った右腕と、全身を貫く激情の波。
全て此奴のせいだ……そう決めつけたシノラバンシーは、残った腕をカリシャ目掛けて振り下ろす。
「シね――グギャッ!?」
しかし、その手が届く事は無かった。
それ所か、広場を囲む木々の根元まで吹き飛ばされてしまう。
門の前にいた筈の、ラディオの蹴りによって。
「……私の前で、無意味に命は奪わせない。大丈夫ですか?」
「ど、どう……して……どう、やって……?」
絶望を撒き散らしていたモンスターを、全く問題にしていないラディオ。
カリシャは呆気に取られ、ポカンとしてしまう。
ラディオが手を差し出しても、反応すら出来ない。
「ん?……あぁ、すみませんでした」
黒いオーラの存在を完全に忘れていたラディオ。
『確かに、此れでは手は掴めないな』と、反省する。
「《五色竜身・黄》」
眩い黄色の輝きに包まれていくラディオの体。
すると、黒いオーラが瞬く間に消え去っていくではないか。
《五色竜身・黄》は、治癒力を突出して高める技。
竜の胆力は、大概の呪い等ものともしない。
更に、そんな力を持つ者は、この世にそうそう居るものではない。
モンスター程度では、話にならないのだ。
「立てますか?」
黒いオーラを簡単に消し去った事で、更に呆気に取られてしまったカリシャ。
再度差し出された手にも、やはり反応出来ない。
(ふむ……腰が抜けてしまったのかもしれんな)
「……きゃっ!?」
すると、カリシャの背中と臀部に腕を差し込み、ふわりと持ち上げたラディオ。
突然のお姫様だっこに驚きつつ、少女の頬が紅く染まっていく。
ラディオはそのまま一瞬で門の前まで移動すると、カリシャを優しく地面に降ろした。
「貴殿、やはり名のある冒険者ではないのか?」
「いえ……多少腕に覚えがある程度です。貴女の足元にも及びません」
すると、カリシャは困惑に襲われる。
門の外から、フードを目深に被った別の人物が現れたのだ。
「この方もお願い出来ますか? あのモンスターは、私が引き受けますので」
「……どうやら、その子は側に居たいようだぞ?」
黒いフードが下を指差している。
見ると、カリシャが首をぶんぶん振りながら、ラディオの足にしがみついていた。
「……何故ですか?」
「あ、あの……私、僕……言う……いけ、ない……事、あの……」
何を伝えようとしているのだろう。
たどたどしくも、必死に言葉を探している。
「息のある者は、全てここから引っ張り出した。あのモンスターと戦ってみたい気もしなくも無いが……自分は救命を優先しなければ。アレと、この子を任せても良いか?」
「……分かりました。この方の安全は、確実に保証します」
周りを見渡し、三度の呆気に取られたカリシャ。
呪いや怪我で動けなくなっていた者達が、全員居なくなっていたのだ。
「自分は、完全な解呪魔法が使える訳では無い。一刻を争う者もいるだろう。上の階層に設置した転移陣も頃合いだろうから、直ぐに帰還する」
「お願いします」
ラディオと黒フードは互いに頷き合う。
門の向こうへ走り去る背中を、呆然と見つめるカリシャ。
その時、穏やかな声が聞こえた。
「危険ですから、下がっていてください。アレを倒して、此方も直ぐに帰還しましょう」
怒り狂ったシノラバンシーから目を離さぬラディオに向かって、しっかりと頷いたカリシャ。
横目で離れた事を確認したラディオは、改めてフードを被り直す。
(……あの子は何故一人称を変えた?)
裏道での会話を思い出していたラディオ。
シノラバンシーとの邂逅の際も、フードはズレていなかった。
それに、あの時とは色の違うローブで、微妙に声まで変えて喋っているというのに。
(顔は見えていない……筈なんだがな)
想像通り、カリシャは顔を見てはいない。
しかし、耳や鼻が良くきく『獣人族』には、微妙に変えた声色など無意味である。
そして、何よりもラディオの匂いを覚えていたのだ……7階層で助けられたあの日から。
(……まぁ良い。とにかく、あのモンスターを倒して直ぐに帰らなければ。時間が掛かり過ぎてしまっている)
疑問は消えないが、今は目の前の事に集中だ。
娘達が待っている。
「カえしテ……イとシイひト……かえシて……オまエ……チガう……いトしイヒトは……きズツケなイ!!」
「私にも君の様な知り合いは居ない。だが……愛しい人を傷付けないという意見には、全く同感だ」
今までが遊びだったと思ってしまう程、禍々しいオーラを溢れさせたシノラバンシー。
肘から下が無くなった右腕を揺らしながら、全てを屠る為魔力を爆発させる。
距離があるカリシャでさえ、その魔力に当てられて息苦しくなる程……だが、ラディオは動じなかった。
「万物を斬り裂く紫竜の刃 今此処に 顕現せよ――《雷霆竜刀・カンナカムイ》」
溢れ出す空間を揺らす紫白のオーラが、雷鳴と共に唸りを上げる。
大気を圧迫する莫大な魔力の波動が手に集約されると、やがて一本の刀と成った。
切っ先から柄に至るまで、雪景色の様に美しい純白。
鍔は無く、切刃造の真っ直ぐな刀身に、紫白の雷を纏って。
(しかし……あの子にまた会うとはな)
カリシャを三度助ける事になるこの奇妙な縁は、何を告げようとしているのか。
もしかしたら、悪い前兆かも知れない。
だが、それでも放ってはおけない。
『……まだまだ甘い』、そんな事を考えながら、ラディオは敵の元へ駆けて行く。
 




